Roselia
3.Roselia
穏やかな真昼の日差しの下に木製の車輪の音が響き渡る。草のまばらに生える街道を馬車が行く。
基本的に街と街の間には街道が引かれ、馬や走鳥での移動がしやすいようになっている。また、そのような街道には多くの場合、馬や走鳥を持たない旅客のための定期連絡馬車がある。
この馬車は陸上交通の要衝リベックから海上交通の要衝エジノバを結ぶ便である。約丸一日かけて、優秀な持久力をもつ馬が疾走する。
馬車は街と街の間を結ぶ最も安価な手段だが、野を走るため盗賊や魔物に襲撃されることもあり、好まない者が多い。そのような者たちは飛龍便を利用したり、独自に旅団を組んだりする。金銭に余裕のない者やよほど腕に自信のある者、殆どの場合は前者だが、が馬車を利用する。
この馬車に乗っている人数も10人前後ほどだ。広々とした板上で、それぞれが思い思いに休んだり談笑したりしている。
「シン様、見てください!あれが海ですよね。」
エドナは馬車から頭を出し、壁に背を預けて微睡んでいたシンに興奮をぶつける。シンは半目のまま寝言のような生返事を返すが、エドナはそれで興奮が冷める様子は無く、まだ遠い海のきらめきをそのまま目に映して前方を見つめている。
やがて馬車が街門の前に到着し、乗客たちが詰所に並ぶ。シンたちは通行証を持っていたので、今度は待つことなく門をくぐることができた。
リベックほど大きな街ではないが、潮風と海産物の匂いの濃い街である。船の汽笛が景気よく響き、屈強な船乗りたちが闊歩する。
「シン様、この港町には何があるのですか?」
エドナが今までに聞いた話では、シンは基本的に行ったことの無い街に行くらしい。その過程でリベックのような交通の要所を複数回通るのはわかるが、船を使うでもなく何度もこの港町エジノバを訪れる理由は全く見えない。シンは少し決まりが悪そうに受け流す。
「ちょっと色々。とりあえず、昼食でも食べようか。」
二人は海が見える適当な飲食店で昼食をとり、商店街で旅の消耗品を買い揃えた。その間シンが終止落ち着きなく回りを見まわしていたのを、エドナはただ不思議に思っていた。商店街を逸れると途端に人通りが減った。エドナが辺りを見回しながら喋る。
「一本隣の通りでこんなに人通りが違うんですね。」
「そうだね、3大商業都市のなかでも一番小さい街だし、リベックよりだいぶ人口も少な・・・」
シンは前方を向き、固まった。目線の先には、一人の背の高い女性が腕を組んで仁王立ちしている。女性はシンと目が合ったことを確認すると、大股で近づいてきた。
シンと同じくらいの身長で、黒紫色のふわふわと長い巻き毛をもつ妙齢の女性。男性らしい服装の上から白衣を羽織っている。
「遅い。二重で遅い。」
明らかに苛立ちのこもった口調で近づき、シンに手が届く距離まで来た。
「二十日で戻るって言ったのはどこの誰だい?そして、お前がこの街に来てまず始めにすることは?」
女性の剣幕に、シンは苦笑いして目を逸らしている。
「目を見ろ!」
女性はふいにシンの胸ぐらを掴み、道の脇に積んであった木箱へと投げ飛ばした。ものすごい音を立てて木箱が崩れ、シンはその中に埋もれる。
いくらシンが無抵抗だったとしても、女性は驚愕の腕力を発揮した。エドナはただ茫然と一連の過程を見ていた。怒りが収まったのか、女性はふっと短く息を吐いてエドナの方に向き直る。
「ん、あんた、こいつと一緒に来たのかい。誰だい?」
女性の形相は鋭いまま。エドナは子ウサギのように縮こまる思いがした。
海風が薫る海辺の公園のベンチに3人の人間が座っている。真ん中に座ったエドナと左端の女性が賑やかに会話している。その隣でシンが片手で顔をおおって項垂れているのだから、少し異様でしばしば通行人の目を引く。
女性が高く笑う。
「いや、驚かせて悪いね。私はロゼリア。この街で術式の研究しているんだ。学者だよ。」
術式とはある現象を発動させる特定の文字記号列のことである。例えば人が近づけば扉が開くようドアに術式を組むこともでき、また、文字列が環状に巻いた術式陣の中には火柱を立てるようなものもある。一見魔法のような便利な技術だが、それぞれの術式は非常に複雑で、用途が限られている。
更に、術式の発動にはマナという生命エネルギーとは別のエネルギーを要するが、このマナの運用能力は人によって大きく左右されるので、全ての人間が術式を発動させることができるわけでもない。これが術式技術の汎用性を更に下げているのだ。
エドナは自己紹介と自分がシンと出会ってからの事をかいつまんで説明した。
「なるほどねぇ、そういう経緯で帰る予定日を二日も過ぎたのか。どっかで死んでんのかと思ったよ。」
「すみません、私のせいで。」
申し訳なさそうにするエドナをロゼリアがすぐに制する。
「いや、あんたは全く悪くないよ。悪いのはこいつだよ、理由があるなら連絡の一つや二つ、しろってんだ。」
言葉遣いから横暴さがあふれ出す女性である。エドナはまだ恐怖感が抜けないままに、更に逡巡しながらロゼリアに尋ねた。
「えっと、ロゼリアさんは、シン様の・・・えっと、恋人さんですか?」
ロゼリアはきょとんとした顔をし、今まで黙っていたシンが急にむせた。
ロゼリアが堪え切れず笑い出す。数人の人間が思い思いに休み、遊ぶ公園に笑い声が響いた。何人かが振り向く。
「私が、こいつの?冗談じゃないにもほどがあるよ。」
シンはいたたまれないといった感じに更に深く項垂れる。エドナはただ狼狽える。ひとしきり笑ったロゼリアが眼を細めてエドナを見た。
「・・・ほぅ?」
面白いものをみつけた、というような表情になる。
「私はちょっとこいつの面倒をみてやってるだけだよ。安心しな。」
エドナは赤面しながら慌てる。
「ロゼリアさんっ!」
昼下がりの日差しの中、子供が公園を駆け回っている。ロゼリアは言った後、駆け回る子供を何か遠いものを見るような目で見つめた。
少しの無言の後、ロゼリアはさて、と言って立ち上がった。
「私は少しシンに用事があるから、エドナ、あんたは少し街を見て回るなり何なりしていてくれないかい?小一時間で終わるから。」
疲れた表情でシンも立ち上がる。エドナに苦笑混じりの笑顔を向け、久しぶりに言葉を発する。
「ごめんね、ちょっと観光していて。さっきの通りの突き当りに宿があるから、日暮れ前までにはそこに行くね。」
はい、と承諾したエドナはロゼリアに続いて歩いて行くシンを見送ってから周囲を見回し、ロゼリアにもらった観光地図を開いた。
中央通りの喧騒から外れたところに、低い柵で囲われた薄緑色の庭がある。中央に小ぢんまりとした家があり、それに通じる石の歩路の両脇には紅白二色の薔薇の花が植えられている。目線を下に向けるとパンジーやブルーデイジー、ガーベラといった色とりどりの花が咲き乱れている。歩路をロゼリアが歩き、それにシンが続く。
家に入り戸を閉めると、ロゼリアがシンに向き直る。先ほど公園で談笑していたのとは別人のように、真剣な表情だ。
「シン。あの子をどうするつもりだい?お前のことだ、助けたくなるのも無理はないと思うけどね。でもこの短い間で、あの子はきっと、相当お前に依存しているよ。生まれて初めて優しくされたんだろうね、無理もない。問題はお前だ、いつまでも面倒を見るつもりは無いんだろう。ああいう子は、一緒にいる時間が長くなるほど離れるのが辛くなる。あの子のためを思うなら、早く自立させることだね。」
言葉遣いは変わらないが、語調はゆっくりと、ひとつひとつの言葉を聞き逃させないように語る。目線は真直ぐに、かつ鋭くシンの目に向けられている。シンはそれから少し目を逸らした。表情は、この若者は笑みを絶やすことができないのだろうか、苦笑じみている。
「こうなることは考えていたけど、彼女はまだ何も知らないんだ。選ぶ選択肢が見えていないんだよ。そんな状態で放り出すようなことはできない。」
ロゼリアは深くため息をついた。
「だよなぁ。私でもためらうようなこと、お前に出来るわけ無いよな。自分とも重なるだろうしね。どうしたものかねぇ・・・。」
シンは一瞬笑みを解いた。ロゼリアは頭を抱え込む。沈黙が流れる。打ち破ったのはロゼリアだった。またしても溜息をつき、投げるように言う。
「考えても仕方ないか。さあ、日が暮れる前に終わらせないとね。あの子をあまり待たせるのも可哀そうだ。ほら、看るよ。」
ロゼリアは部屋の照明を点けて薄暗かった部屋を明るくし、椅子に腰を掛けた。
拙文ですがお読みいただき本当にありがとうございます。