Town
2.town
初めて目にするものを前にした時の人の反応は、その人間性を如実に表わす。大した反応を見せない者、過剰に反応する者。この少女も例外ではないだろう。
「すごい、すごいです!シン様!いったいこの街には何人の人が住んでいるのでしょうか。」
数えきれない人間が絶え間なく行き来する通りを前にし、少女は抑えきれない感動を青年、シンに向ける。「リベックの町はこのユーラビア帝国3大商業都市の一つだからね。あと二つは知っているかな。」
興奮する少女に動じることもなく、シンが穏やかに語る。
「エジノバ、リュージュですか。奴隷は街には入らせてもらえないので、外からしか見たことがありませんが。」
「そう、正解。エドナ良く知っているね。」
朝早くに街門に到着したシンは数時間かけて通行証の発行を済ませ、エドナを連れて街に入った。基本的に全ての街は街壁で完全に囲まれ、人は街壁に設けられた数か所の門からのみ、通行証を提示することで出入りできる。これは主に街の外に住む魔物に対する防衛だ。街の外には畑を荒らし、また、人を襲うような魔物が闊歩している。街の外に出る商人や旅人の死因の殆どはこの魔物によるものだが、街壁のおかげで街中の魔物被害はひと年を通して見ても片手で数えられる程度だ。
朝早くに出発して通行証を発行するまでの間にシンとエドナは互いに名前を教え合い、リベックの街の話や時折姿を見せる魔物についての話をし、主にエドナがシンに対する警戒を解いていく形で少しずつ打ち解けていった。
「さて、まずは君の服でも買おうか。いつまでもその格好じゃあ、浮くでしょう。」
エドナは現在奴隷の着せられる簡素な服の上からシンの防寒用軽量マントを被っている状態だ。奴隷装束を見られるより違和感は薄いが、今は寒さも緩み過ごしやすい季節だ。訝る人間もいるだろう。
「本当にありがとうございます。このご恩は必ず返させてください。」
「別にそんなこと考えなくていいよ。君は君の人生を歩めばいいから、僕のことなんて気にしなくていいよ。」
「そんなことできませんよ!」
真摯なエドナにシンが緩慢に返すというこの問答を何度も繰り返しながら、エドナは服の新調を完了させた。シンは不要になったマントを手際よく畳み、絶えず周囲を見回すエドナに声をかける。
「さて、と。そしたらまだお昼過ぎだし、初めて大きな街を見るエドナさんにいろいろ見せてあげましょうか。」
歩き出すシンにエドナが少し遅れて付いていく。
この大陸、ユラ大陸には3つの大国といくつかの小国がある。3大国の中で最も大きいものが大陸の西半分を占めるユーラビア国だ。大陸の東は北がアイサル国、南がヤシナ国となっている。3国間は仲が良いとは言えず、商人や旅人の移動はしばしばあるものの国境地帯では時折紛争が起こる。
シンたちがいるユーラビア国には3大商業都市がある。多くの街道が交わり交通の拠点となる東のリベック、海洋交通の拠点となる西の港町エジノバ、そして大国ユーラビアを総べる北の王都リュージュ。シンとエドナが滞在しているリベックは他国との陸路の交易拠点ともなっている。
シンはリベックを何度も訪れているが、エドナは入るのが初めてである。
様々な衣装に身を包んだ人々、商店街に並ぶ見たことも無い民芸品、武具、食べ物。絵をかいたり音楽を奏でたりして路銀を集めている人もいる。商店街を外れると家が密に並び、公園で子供たちが駆け回っている。広場で飼いならした魔物を使って芸をする人、ベンチで読書をする人。畑や牧場は見当たらない。3大商業都市ともなると生産はあまり行わないのだろう。
人々が使っている乗り物としての動物も様々だ。頑強な馬、牛、二足歩行の大きな走鳥。
「この街には3日間の滞在許可を取ったけど、何か職に就くなら永住申請もできるからね。」
3日間というのは行商の最大滞在日数であり、最も簡素な手続き(それでも通行証が無ければ数時間を要するが)で取得できる。シンはこの期間を過ぎたらまた別の街に行くという。その間にエドナは自立し、生きていく準備をする必要がある。これ以上この善良な青年に世話をかけるわけには行かない。
最も簡単な方法は職に就くことだが、今までに職業人というものを見たことが無いので今一つイメージがつかない。旅人やシンのような商人になることもできるかもしれないが、そもそも旅人と商人の本質的な違いさえも、エドナには無い知識である。知らないことが多すぎるのだ。ふっと溜息をついて、エドナは問いかけた。
「シン様は商人なのですよね。いったい何を売っているのですが?」
シンは一瞬きょとんとし、笑いながら答えた。
「専門的には特になんにも。魔物を返り討ちにして採った素材を売るくらいかな。あと、傭兵業とかもたまにするかな。」
エドナは心底理解し難いといった表情で問い続けた。
「それは旅人と何が違うのですか?旅人も素材を商店に売り、傭兵募集に応じることがあると聞きました。」
シンは鞄の中から掌に収まるくらいの大きさの小さな紋章をエドナに見せながら答えた。
「そうだね、旅人と商人の一番大きな違いはこの身分証の有無かな。商人っていうのは信頼が大事だから、売買契約時に必ず身分証を提示するんだ。君の主人だったあの違法商人たちも、かつては持っていたんだろうね。まあ、差し当たり詐欺や身分証の偽造で剥奪されたのだと思うけど。この身分証があれば通行証を発行拒否されることが殆ど無いから、街への出入りが楽なんだ。お金を扱う職業を総称して商人って呼んでいるだけだから、医者とか整備士とかも商人に含まれるね。商人の他に身分証を持つ職業っていったら学者とかかな。別に商人が必ずしも物を売る必要は無いんだよね。」
「商人の身分証の発行には何が必要なのですか?」
「んー。簡単な筆記試験と、あと、既に身分証を持った人物による出生・身元の保証。大抵は親だね。でも、そういう保証人がいない人も少なくないから、商人身分証明賞を持たない所謂『旅人』が多いんだ。」
シンの説明に、エドナが小刻みに頷く。
「へぇ・・・。シン様もご両親が保証人なのですか。」
「まあそんな所かな。ところでそろそろ宿を探そうか、疲れたでしょう。宿探しも街歩きの一環。」
シンはエドナに微笑みかける。このように優しく人に接せられたことが無いエドナは困惑しながら目をそらした。
幸い日暮れ前に宿が見つかり、夕食をとった後、シンとエドナはそれぞれ休息に入った。灯りを消して暗くした部屋で、エドナはベッドに思いっきり倒れこむ。
「賑やかな街、おいしいご飯、あったかいお風呂、ふわふわベッド。全部初めて。私、こんなに幸せなの、初めてだ。こんなに幸せでいいのかな。ああ、でもこの先本当にどうしよう。身分証の発行はできないから、やっぱり町の仕事を探すしかないのかな。でも私、戦うこと以外で特にできるが事ない。仕事、旅、目的。・・・シン様は何を目的にしているんだろう。」
昇りはじめの朝日が放つ無数の閃光が町中の水滴という水滴、金属という金属の上を跳ね回る。葉の上の水滴は宝石のように光り、木々はその無数の宝石をたたえる。古来の物語に宝石を実らせる木が描かれていたが、それは朝日に照らされるこのような木々のことではないだろうか。光り輝く木の中で、朝鳥がさえずる。この世界はこんなにも美しいものであふれている。
人の造った街でさえもこのように美しいのだ、この大きく広い世界にはもっと美しく心躍る景色が山ほどあることだろう。シンは宿の外の庭に立ち、朝鳥たちのさえずりを聞いていた。朝鳥といっても色々な鳥がいる。澄んだ声、少し掠れた声。様々な鳥がそれぞれに鳴き交わす。
「シン様、おはようございます。」
暫くしてエドナが起きだしてきた。
「おはよう、エドナ。朝ご飯できているって。行こうか。」
朝食をとりながら、シンは一日の予定について話す。
「僕は今日、少し仕事をしに行こうと思うけど、エドナはどうする。」
「仕事とは、どのようなことをするのですか。」
興味深そうにエドナが問いかける。
「うーん、このリベックを含む大抵の街には仕事の依頼所があってね。いろいろな人からの仕事依頼が集まるんだ。その中から自分にできそうな仕事を選んで請け負う。物の修理や店番手伝いみたいな平和的な仕事から、街の外の魔物を討伐して素材を集めるようなものまでいろいろあるよ。後者の方が段違いに高報酬だから、僕は専らそっちだけどね。まあ実力以上の挑戦をして死ぬ人間が結構多いんだけどね。」
物騒なことをシン緊張感なく言う。エドナは少し考えて意を決し、シンを見る。
「シン様、私も一緒に行かせていただけませんか。えっと、その、仕事に・・・。足手まといにならないようにしますから!」
真っ直ぐにシンを見つめて言うエドナに、シンは笑顔を絶やさず答えた。
「うん、いいよ。最初に襲撃してきたと時の感じだと結構戦力になりそうだね。武器とか必要なものはある?」
エドナは満面の笑みで、かつ少しばつが悪そうに答えた。
「ありがとうございます!私実は格闘専門です。ナイフ、あまり得意でないのですけれど、暗殺者として使われていたので・・・。」
シンとエドナは武具や他の道具を揃え、依頼所へ向かった。掲示板に百枚近くの依頼書が貼られている。シンは依頼書をいくつか見て、そのうちのひとつを指さした。
「マッドサラマンダーのヒレ、これにしよう。生息地も街からそんなに離れていないし、特別な用意もいらないからね。」
「マッドサラマンダーとは、あの巨大なサンショウウオのことですか?」
「うん、このへんのは特に大きいよ。」
シンは受付に行き手早く手続きを済ませ、エドナのもとに戻ってきた。
「よし、行こうか。」
街を出ると、今まで毎日見てきた景色が、エドナには不思議と新鮮に見えた。たった一日街に滞在しただけなのに、と思いながらシンの後に続く。
マッドサラマンダーは街から2キロほど離れた深い森中の沼に住む。
「彼らはこの季節、冬眠から覚めるんだ。空腹で獰猛だからね、沼に獲物が近づいただけで襲いかかってくるよ。油断は禁物ね。」
シンが極めてゆるやかに言う。エドナは緊張のこもった声ではい、と返事をする。エドナを沼から離れたところに待機させ、シンが沼から1メートルというところまで近づくと、ふいに水面に波紋が立った。波紋の中心を見据えると、先ほどは無かった黒い影がうっすらと見えた。機をうかがうような数秒間の静寂の後、盛大な水しぶきとともに5メートルはあるであろう巨体が沼から飛び出してきた。シンが素早く身を引くと、その物体が盛大に着地した。体の形はサンショウウオそのものだが、背中と尾の先に魚のようなヒレが付いている。
「来たよエドナ、いくよ。」
「はい!」
シンがマッドサラマンダーの左脇腹の方に走ると、マッドサラマンダーは細かい歯の並ぶ大きな口を開け、巨体に見合わない速さでシンの方を向く。そこでエドナが右側に回り込む。眼だけで素早くエドナを補足したマッドサラマンダーは長い尾でエドナを薙ぎ払おうとして左側に尾を引く。刹那、巨体がバランスを崩して右側に倒れこんだ。
「速い、」
エドナが嘆息をつく。マッドサラマンダーが尾を左側、シンの方に引いた瞬間に、シンが尾を一刀両断したのだ。マッドサラマンダーは巨体をのたうち回らせて暴れまわる。そして、その眼にシンを補足するや否や、シンに向かって渾身の力を込めて躍りかかる。だが、それより早く、そして高く跳んだエドナの拳でマッドサラマンダーは地面にたたきつけられた。最後にシンの長刀の横薙ぎによって止めが刺される。
「ごめんな。」
血を沼の水で完全に洗い落とした巨大なヒレを網袋に入れて携え、まだ太陽が天頂から下り始めたばかりの草原をふたりの人間が歩く。
「シン様は本当に強いですね。」
「そんなことはないよ。エドナのあの時の叩きつけも的確だったね。何にも打ち合わせていないのにあれだけできるんだから、やっぱり実力があるよ。」
「そんな風に褒めていただいたの・・・初めてです。」
恥ずかしそうに少し俯き、エドナが答える。草を踏みしめる音と昼虫の声だけがしばらく野で遊んだ後、おもむろにエドナが口を開く。
「シン様・・・シン様は、何を目的にして旅をしているのですか。私は、昨日からいろいろなものを見て、今まで知らなかったものを沢山知りました。自分がこの先どう生きていくかを早く決めなければならないのに、生き方が決められないのです。物心がつく前に売られて・・・」
涙が両目からあふれ出す。
「一生を奴隷として終えるものと思っていて・・・こんなにたくさんの人に囲まれるのも、おいしいご飯も、ふわふわのベッドも、初めてで・・・」
声が震える。歩みを止めたエドナに合わせて、シンも立ち止まる。俯き涙を流すエドナを優しく見つめる。
「すごく、すごく、幸せで・・・夢じゃないかって・・・目が覚めたらまた揺れる馬車の板の上で寝ているんじゃないかって思って・・・。自由になって、自分の人生を自分で決められるなんて夢にも思っていなくて・・・。でも、でも、わからないんです。自分がどうしたいのか、どう生きていきたいのか、わからない・・・!こんな自分が本当に情けなくて・・・」
涙に押されてこれ以上声が出なくなり、ただ辛うじて呼吸だけをする。
「エドナ」
シンが普段通りに、いや、いっそう優しくやわらかくエドナに声をかける。
「大丈夫だよ、エドナ。誰も今すぐに生き方を決めろ、なんて言わない。生き方なんて、そんなにすぐ決められるものじゃない。生き方を決めるなんてこと、出来る人の方が少ない。僕だって、生き方なんて決められていないよ。」
流れ続ける涙の隙間から、なんとか声を絞り出す。
「シン様も・・・?」
「うん。自分のやりたいようにやっているだけ。僕は、色々なものを見たいと思っているんだ。エドナが初めての街で沢山感動したみたいに、僕も、沢山感動したいんだ。この世界は広い。すごく広い。想像できないくらい綺麗な景色、おもしろい生き物、びっくりするような文化が、沢山あると思う。そういうものを見たいんだ。自分が将来何になりたいか、どうなりたいかなんて全然想像できていないし、考えたってわからないよ。だから、今を楽しむんだ。楽しい方、興味のある方に進んでいく。そこに未来の自分があるだけ。僕にとって、未来は目指すものじゃない。結果的にたどり着くものなんだ。今を楽しく生きる。強いて言えば、それが僕の生き方かな。ほら、全然大したこと無いでしょう。」
エドナはまだ涙の止まらない目でシンを見上げる。止まらない涙に声が出る隙間ができるまでに少しかかったが、なんとか声を絞り出す。
「シン様は、どうして・・・どうして私にこんなに優しくしてくれるのですか・・・。最初に会った時に、放っておくこともできたのに、なぜなのですか・・・。」
シンはエドナから目を逸らし、少し困ったような素振りを見せたが、俯いたままのエドナには見えない。優しいままの声でエドナに語り掛ける。
「困っている女の子を助けるのに、理由がなきゃだめかな?」
昼下がりの草原に、少女の泣き声がただ響いた。
街に帰るとシンはエドナを宿に送ってから依頼所に行き、素材を納品して依頼を完了させた。
宿に帰ってほぼ会話をすることなく夕食を済ませた後、シンは宿の外の庭で夜風にあたっていた。街の外と中では住んでいる生き物が違うため、夜の様子も違う。狼の遠吠えや昼の動物の寝言は聞こえないが、代わりに夜虫の大合唱が際立つ。家々の灯りが星の輝きを隠すが、その分強い光の星は一層目立つ。
今晩は風がよく吹いて涼しい。ふと、草を踏みしめる音が聞こえた。
「もう大丈夫?」
振り向き、やはり優しく問いかける。この若者はこれが平常なのだ。エドナはまっすぐにはシンを見ることが出来ず、少し目を逸らした。
「昼間はすみませんでした。こんな風に涙を流してしまったのは初めてで・・・私自身、驚いて取りみだしてしまいました。」
「それは大きな『初めて』だ。記念日にしなきゃ。」
シンは少し悪戯っぽく笑う。それで緊張がほぐれたのか、エドナはシンの方をしっかりと見て言う。
「シン様、明日がこの街の滞在最終日ですよね。」
シンは向き直り、エドナに背を向けて答える。
「うん、そうだね。朝早くに出発しようと思う。ちゃんと手続きをすれば、君の滞在期間を延ばすこともできるよ。」
口調は普段通りやわらかなままだが、急に目を逸らされて不安感がエドナの胸を埋める。それに負けずにエドナは続ける。
「あのっ・・・これだけお世話になっておいて厚かましいことは本当に、本当にわかっています。でも、もし・・・もし良ければ、私も一緒に行かせてください。シン様と一緒に、まだ知らないものを沢山見たいです!沢山感動したいです・・・!」
不安感に押しつぶされる前にと焦ったせいか、自然と早口になってしまい、畳みかけるように言い放った。シンは振り返りエドナを見つめるが、当のエドナは一通り言い切り俯いてしまっている。大きな声に驚いて夜虫が黙ったため数秒の間、静寂があたりを取り巻いた。この数秒はエドナにとっては嫌に長く感じられただろう。シンは平原での帰路に見せた、普段の優しさにもう一層優しさを足したような口調で答えた。
「いいよ。一緒に行こう、エドナ。」
エドナがはっとシンを見る。この会話を初めて以来、初めて二人の目が合う。エドナはまたしても両目が涙であふれる。どうやら涙というものは悲しい時や不安な時よりも、それが喜びに置き換えられた時に流れるようだ。だが、今度はそれによって言葉が追いやられることは無かった。
「ありがとうございます・・・本当に、ありがとう、ございます・・・!」
シンは立ち上がり、軽く伸びをした。
「さあ、明日は早いよ。もう寝ないと。」
再び鳴きだした夜虫が大合唱を始め、月明かりの下で祝宴のような賑やかさが夜の街を満たした。
すごくどきどきしながら2話目を投稿しました・・・。
読んでくださった方、本当にありがとうございます。
全12話の予定です。