Hope
朝目が覚めると、昨晩のことが頭に蘇る。
シンを説得しようとして、途中意味が分からなくなって、いきなり、私は何をしているのだ!
しかも
「こ・・・こく、はく・・・?」
何やらとんでもない発言をした気がする。
いや、断言できる。した。
エドナはいてもたっても居られなくなり、布団の中でじたばた暴れた。
ふいに、部屋の扉が激しく開いた。
「ふぇぁあ!?」
意味の分からない声を発してしまう。
見ると、ロゼリアがぐったりと立っている。
恐らく徹夜したのだろう。
手には紙の束が握られている。
「できた・・・」
息を切らしながら何やら呟いている。
今度は顔を上げ、エドナの方を見据えて言う。
「できたよ・・!解法だ。これならシンも精霊も両方救えるかもしれない。100%じゃないけどね。よし、後はシンのやつを叩きのめしてでもラクシュミの所に連れて行って・・・ん?」
やはり強引な人だ。
エドナはおかしくなり、笑う。
ロゼリアが気づき、怪訝そうに見る。
「どうしたんだい。何か良いことでもあったのかい?」
エドナは満面の笑みで答える。
「ロゼさん、シン様は大丈夫ですよ。」
ロゼリアは理解した様子でエドナを見る。
「あんた・・・そうかい。ありがとう、本当に。・・・さあ、じゃあ早速行かないとね。」
シンは目覚めてからいつものように外を散歩した。だが、風の音も匂いも、幾分いつもより遠く小さく思えた。
まるで主役に舞台を譲るかのように縮こまる。
昨晩のせいだろうか。
弱気でいた自分が恥ずかしくなる。
生きる。
精霊の視力という大きな代償はある。
だが、自分は未だこの世界のことを殆ど知らない。
自分が生きながら、ラクシュミの視力を取り戻せる方法があるかもしれない。
そして重要なことに、ラクシュミの希望を知らない。
ラクシュミが何を望み、自分が何を望むのか。
自分とラクシュミの問題である以上、対話をしなければならない。
少なくとも今諦めることは無い。最後まで足掻き通す。
シンは湖の方向をまっすぐ見据えた。
くぅくぅと走鳥が鳴く。
人の背丈ほどの高さに頭があり、大きな胴体と強靭な脚を持つ鳥。
エドナは走鳥を恐る恐る触る。
嘴をなでると、走鳥は頭をエドナに摺り寄せた。
3頭の走鳥には手綱が装着されている。
移動手段として汎用される動物は馬、走鳥、そして竜がいる。竜は生息数が少ないうえ肉食性で維持費が高いため、飼っている者は少ない。走鳥と馬は草食性だが、馬の方がはるかに食事量が多い。
走る速さや持久力は変わらないが力は馬の方が優れており、馬車を引くことが出来るのは馬だけだ。よって、馬は軍馬や都市間馬車馬として飼われることが多い。
走鳥は個人持ちの移動用家畜として最も多く飼われている。
この3頭の走鳥はウユニの術式学者翁のもので、徹夜して書物を漁り公式を構築するロゼリアを気遣って翁が貸してくれたものだ。
ロゼリアによると、翁は趣味で畑や鳥飼いをしている道楽翁だそうだ。
ロゼリアが慣れた手つきで鳥をかがませ、跨る。
シンはエドナの鳥をかがませてやり、エドナが戸惑いながらも鳥に乗った後、自分も鳥に乗った。
早い。風を切る。
最初は必死に手綱を握りしめていたが、慣れてくると景色を見る余裕ができた。
シンとロゼリアは旅の途中で何度か走鳥を使ったことがあるそうだが、エドナは触るのさえも初めてだ。
あまりの速さに初めは止まらずに湖に突っ込むのではと危惧していたが、慣れて来て走鳥を自分と同じ生き物だと認識する余裕が出てくるとその心配もいつの間にか消えた。
流れる景色が新鮮だ。
草の短い草原を3頭の走鳥が並走する。
シンは最初は慣れないエドナを注視していたが、慣れたのを確認すると目を離して景色を眺めていた。
湖の手前のゆるやかな川のほとりで休憩をとる。
鳥たちは少量の水を飲み、草を食む。
ロゼリアが口を開く。
「村ではあまり詳しく話せなかったけどね、昨晩構築した術式を簡単に説明するよ。よく聞いときな、シン。」
シンは頷く。
ロゼリアが前々から考えていた術式だが、足りない点がいくつかあったらしい。
今まではあまり重要でないとして真剣に考えていなかったが、一晩でほぼ完成まで近づけたそうだ。本当に有能な学者だ。
「まず今の状況を整理すると、精霊の断片がシンの中にある状態だ。そこにまず一度、精霊全てを取り込む。安心しな、マナ耐久術式を組むからマナにやられて死んだりしないよ。」
物騒なことを言う。シンは苦笑いをした。
「そして、精霊にフラグメント、視力を回収させた後に体外で精霊を再構築する。精霊は尋常じゃないくらいマナをまとっているからね。精霊がいなくなっても一度体内に完全に入ってくれてさえいれば、そのまとったマナを術式に閉じ込めて、理論上百年以上回し続けることができる。そこまで来たら本来の人間としての寿命の方が早いからね、実質普通の寿命を手に入れられるってことだよ。何十年も生きられる。」
何十年。かつては夢の向こうのような数字だったが、今は不思議と近くに感じる。
「本当にありがとう、ロゼ。」
シンが珍しく年相応な無邪気な顔をして言うのを見て、ロゼリアは少し照れくさそうにする。
「礼は上手くいってから言っておくれ。」
湖に着くと、精霊ラクシュミが同じ場所で待っていた。
「来たか、ヒトの子らよ。・・・結論は出たようじゃな。」
シンは頷く。ラクシュミはそれで充分と言わんばかりにシンから視線を逸らし、ロゼリアの方を向く。
「解法も見つけられたようじゃの。」
ロゼリアが口を開こうとすると、それを遮るようにラクシュミは口調を強めて言う。
「言の葉は要らぬ。見せてみよ。そなたらの答えを。」
湖から水柱が上がる。
どうやら戦えというらしい。
精霊のなかには好戦的で、戦って屈服させないとまともに話ができないようなものもいる。
この精霊ラクシュミはそこまで極端ではないが、やはり弱い者の話を聞く気は無いらしい。
3人は各々身構える。
ラクシュミの後ろから上がった水柱が空中で屈曲し、地面に落ちる。
それは水として土壌に浸透せず、不気味にとぐろを巻いた。
片方の端が鋭く伸び、その間にもう片方の端が蛇の頭のような形でこちらを睨む。
とぐろを巻いた状態で人間と同じくらいの高さがある。
伸びれば5メートルはあるだろう。
太さも一抱えはありそうな巨大な水蛇。
どうやら相手はこの水蛇のようだ。
目が見えないせいか、そもそも水中性の精霊と陸上の人間とでは戦闘が成立しないからか、ラクシュミ本体は湖岸から少し離れたところでこちらを見つめている。
水蛇が噛みつこうとシンに襲い掛かってくる。シンはこれを長剣で食い止め、押し返す力で水蛇を地面に叩きつける。
調子が良い。
ラクシュミの近くにいるせいだろう、昨日もそうだったが、息切れも倦怠感もなく体が軽い。
エドナが水蛇の背後から追撃し、水蛇を殴り飛ばす。
だが水蛇も一方的にやられているのではない。
尾をエドナに向けて振る。
エドナはとっさに防御の姿勢をとり、負傷は免れたが、数メートル後方に飛ばされる。
その間に水蛇はシンに狙いを定めると、高速で術式を組み始めた。
見覚えのある術式だ。
エジノバでウォントが使っていた術式と同じ、アクアランサー。
シンは長剣を腰の鞘に収め、その脇の剣を抜いた。
刃渡り30センチほどの短剣。
次の瞬間、水の槍が放たれる。
ウォントの比にならない術式構築速度だ。
だが、シンは短剣を目にもとまらぬ速さで振り回し、ほぼ全ての水槍を叩き切る。
数本が手足を掠めたが深くはない。
少し血が滲む程度だ。
短剣を収め長剣に手をかけるシンを見て、水蛇は後方に大きく退く。
やはり普通の魔物のように単純にはいかない。
そして水蛇は攻撃の矛先を今度はエドナに向けた。術式を構築し、今にも水槍が飛んで来ようとする。
エドナは少し焦った。戦闘スタイル的にエドナには相性の悪い術式だ。瞬発力を頼りに避けようと身構える。
そこにロゼリアが呼びかける。
「エドナ、かがめ!」
咄嗟にエドナは身を低くする。
水槍が飛んでくるが、目の前で砕け散る。
ロゼリアの防御術式だ。
エドナは低い姿勢のまま横に跳び、防御術式の壁を出て術式使用後に硬直している水蛇めがけて一直線に走る。
水蛇の目の前で一度止まり、踏み込んで正拳突きを見舞う。
水蛇はのけ反るが、ひるまずに鎌首をもたげてエドナを攻撃しようとする。
エドナが後ろに飛び退いたところにロゼリアの攻撃術式が炸裂し、水蛇は地面に叩きつけられた。
シンがその隙を逃さずに長剣の間合いまで入り、左手を長剣の柄にかける。
息を浅く吸い、切っ先に滑らかな曲線を描かせる。
エドナはその切っ先の動きを追うことはできなかった。
次に見たものは、横一文字に両断されて落ちる水蛇の首と、踏み込んで高く掲げた左手に長剣を握るシンであった。
抜刀。
エドナを奴隷から救った一撃。
あの時は手加減していたのだろう、今のものは本当に鮮やかだ。
水蛇の体が蛇の型を崩し始め、本来の水となって土壌に染み渡る。
シンは抜刀の姿勢を崩し、楽に立つと長剣から水を払って鞘に収めた。
普段通りの笑顔でラクシュミの方を向く。
「ラクシュミ、これで十分かな。」
ラクシュミは静かに湖岸に戻ってくる。
ロゼリアを先頭に、シンとエドナが続いて湖岸に歩み寄る。
「ラクシュミ。早速だけど、村まで来てもらうことは、可能かい?」
ロゼリアがラクシュミの巨体を見回しながら尋ねる。
「無論じゃ。」
ラクシュミは青白いマナの光に包まれたかと思うとその光の輪郭が見る見る小さくなり、掌に乗るほどの光の球になる。
ロゼリアはさして驚かないが、シンとエドナは呆気にとられる。
「精霊はマナの集合体。実体はもとより流動的じゃ。姿や大きさを変えることなど容易い。村まで送ろう。」
茫然とする二人を見かねたのか、ラクシュミが面倒そうに説明する。
「あ、鳥を忘れないでね。」
シンが付け足した。
ありがとうございます。




