Slave
1.slave
日差しが傾き、影がだんだんと伸びてくる。森を抜けた平原に木々が疎らに生えている。1本の大木の下に4台の馬車が並んでいた。その最も大きいものの御者台にもたれかかった大男が、退屈そうに欠伸をする。
小柄な男、部下であろうそれが恐る恐る言葉を乗せる。
「頭領…どうしやしょう。もう丸2日経ちやす。」
それを耳に入れると、明らかに大男は苛立った。
「どうするも何も、正当商人じゃねぇ俺たちは待つしかねぇだろうよ。」
小柄な男は上目遣いで応える。
「でも、通行証をでっち上げるってのは、やっぱりだめなんすか?」
大男は少し声を荒げた。
「てめぇ、それで今まで何人捕まったと思ってんだ?通行証偽造の罰則は全財産徴収だ。事と次第によっては懲役も付く。リスクってもんを考えろ。」
この世界には多くの商人がいる。商人は街から街へと移動し、食物、織物、薬、武器など、様々な物資を流通させる。物だけではない。腕の立つ者、器用な者は傭兵や便利屋として自らを商品とするし、音楽家なども一種の商人である。商品の種類は多種多様だが、これらの商人たちには良識に基づいた遵守規則があり、それを守る者を正当商人と呼ぶ。
正当商人は決められた手続きを踏めばそれぞれの街の通行証を発行され、実質自由に街の出入りが出来る。一方、一度でも規則を破った商人は違法商人と呼ばれ、リストに登録されて通行証の発行を受けることが出来ない。
小柄な男は恐る恐る、だが果敢に反論する。
「でも正当商人を殺して通行証を奪うっていうのも、限界が来やしないんですかね。いつか見つかったら、違法商人認定どころじゃ済まないっすよ。」
大男は返す。既に苛立ちは見えない。
「お前は街から出たばかりだからな、知らねえか。街や村の外ってのは無法地帯なんだよ。本当の意味でな。法なんてねぇ。第一自分の身くれぇ自分で守れねぇやつの方が・・・!」
大男が急に言葉を切った。
「頭領?」
大男は待ち兼ねたように目を細める。
「来たぞ。おい、戦闘奴隷を呼べ。」
小柄な男は先程の口論を忘れたかのように小さく返事をすると、馬車団の中の最も小さな馬車に向かった。間もなくして、薄汚れたフードマントに身を包んだ人間が頭領の横に馳せた。マントの下から覗く素脚は細い。背丈は平均的な女性くらいだろうが、細身故に大柄な頭領の隣に立つと半分くらいに見える。
「いいか、今一瞬だが標的が見えた。森を抜けてすぐ川沿いに降りたようだが、まだそう遠くには行ってないはずだ。殺して奪え。」
マントの人間は細く応えると軽やかに、そして速く走り出した。
夕暮れが近い。まだ暗くはないものの西の空が赤く染まり始めている。川が流れる側に十数本の木が立つ。そこに、黒い長髪を後ろで一つに束ねた青年が立っている。時間はまだ少し早いが良い野営場所を見つけた青年は手際よく準備をし、明るいうちに武具の手入れを始めた。細身の長剣を丁寧に研ぎ、数本の短剣の手入れをする。全てを終える頃合いには、日はだいぶ傾いて空は濃い橙色に染まっていた。食事の準備をしようと火をおこし、一息ついたところだった。ヒュン、と空を切る音とともに、小型サーベルが火の真横に突き刺さる。
「ッ!?」
驚愕に満ちた、言葉にならない叫びが空に投げ出される。薄汚れた布が宙に舞った。
「こんばんは、お嬢さん。」
青年が、襲われたことなど全く意に介していないと言うような優しい声をかける。両腕を後ろで押さえられて身動き出来ないでいる少女は、腰の長さほどもある黒い長髪を左右2つに結わえていている。
「・・・殺すなら殺せば良い。」
諦めたように目を伏せて細く漏らす。少し間を置いて、青年が気の抜けた声で返す。
「あんまりそうしたくないかな。それよりも君の主人の所に行きたい。商人でしょう。」
少女は明らかに狼狽える。
「ご主人の場所を教えられるわけ・・・」
青年はまたも、少女の発言を意に介した様子はない。
「いいよ別に、わかるから。森を抜けた時から見えていたよ。」
少女は驚愕を露にする。
「わかっていたのに、敢えてここに?普通隠れたり・・・。」
少女の剣幕に、やはり青年は緩慢に応える。
「折角良い野営場所を見つけたからね。ああいうのはしつこいでしょう。隠れても探されるよ。さ、歩けるでしょ。」
少女は俯いて、もう会話をする気がないという意思を示した。
草原がもう間もなく闇に飲み込まれる。太陽が最後の悪あがきのように、影を長く長く伸ばす。その影を掴めば太陽を引き上げ、時間を戻すことは出来ないだろうか。
影を平行に伸ばして対峙する二人の男がいる。一人は頭領と呼ばれた大男、もう一人は長髪の青年。大男の隣に少女が膝をつき、大男に頭を下げている。大男は自らの武器である大剣を抜き、少女に吐き棄てるように語りかけた。
「役立たずが。安い戦闘奴隷なんて買うもんじゃねぇな。次からは由緒正しい暗殺者でも雇うことにするよ。じゃあ、な。」
少女は微動だにしない。まるで石になったかのようだ。だが、石でないことは、大男の大剣によって証明されてしまうだろう。大男が大剣を振りかぶった時。
「商人さん」
大男は動きを止めた。少女は動かないままだ。声を発したのは青年。大男は大剣を振りかぶった体制のまま青年を見据える。青年は言葉を繋ぐ。
「同じ商人としての忠告、というよりもこれは商人の常識だと思うけど、あまり商品を無駄にしないほうが良いと思うよ。」
大男は青年を威嚇するように凄みを効かせた声で応える。
「なんだでめぇ。今まで話に入ってこねぇと思っていたら、急に文句か?」
青年はやはり飄々と重ねる。
「これが欲しいんだよね?」
青年の手の中には、木板に筆で街名と日付けが書かれた通行証が収まっている。「面倒といえば面倒だけど、半日程度で再発行できる。売ってもいいよ。」
大男は笑みをこぼして言う。
「やはり、それが狙いか。『商売』で金を絞る気だな。」
「まあ商人だしね。」
青年が飄々と返す。大男は来たぞと言わんばかりに大剣を鞘におさめ、青年に向き直った。
「そう、俺たちは商人さ・・・町の中ではな。」
大男は鞘におさめた大剣を抜刀した。気づけば大男の他の仲間たちが馬車から顔を覗かせている。一転して外野となっていた少女は、諦めて眼を伏せかけていた。大男一行は間もなくして通行証を得て、草原には二つの屍が晒されるだろう。私のこの下らなくてつまらない世界も、これで終わり。
だが、平原に響き渡ったのは脳髄に響き渡る鋭い金属音。ほぼ同時に大男の大剣が小さな馬車の枠に突き刺さり、その馬車から頭を出していた部下たちの裏返った悲鳴が金属音に覆いかぶさった。
大男は現状が理解できないといった顔をしている。それに対峙しているのは、始めから笑顔を絶やさない青年。先ほどと違うのは、下ろした左手に細身の長剣が握られていることだけ。
「商売交渉の続きをしたいのだけれども。」
数秒かかって大男は事態を飲み込み、平原では二人の商人の交渉が始まった。
すっかり暗くなった平原は決して静かではない。夜鳥の鳴き声、狼の遠吠え、夜虫の声。耳を澄ませば、時折昼間の生きものが漏らす寝言も聞こえる。川が流れているので清々しい水音も響く。夜空を見上げれば満天の星空が広がり、音は発していないはずなのに、頭の中が賑やかで仕方が無くなる。星が囁く、などという表現を本で読んだことがあるが、こんなに星がひしめき合っていたら囁きなんてものではない。生き物の声とあいまって、もはや大合唱だ。
どうしてですか?
真っ暗な平原での大合唱に、か細い言葉が混ざる。大合唱に心を委ねていた青年は一拍おいてその一部ではない言葉、自分に向けられた問いに気づいた。
夕暮れの中の商売交渉は決して長引かなかった。平原に屍が晒されることにもならなかった。だが、大男の拍子抜けた表情を残し、少女の心に戸惑いが転がり込んだ。
「どうして、か。綺麗な緑の野原を守るため?赤い血はここに似合わないからね。君も、血の赤よりもっと似合う色が沢山あるよ。」
青年は冗談交じりの口調で答える。少女は俯いて問い続ける。
「私は、あなたを殺そうとしたのですよ。危険と思わないのですか。あなたは確かにとても腕が立つようですが、わざわざ危険を増やすようなことを、どうして。」
「君が僕の命を狙ったのは、主人の命令だったからでしょう。主人の居ない今、君に殺しをする理由は無いと思っている。あ、でもひとつだけ謝らせて。君のことを商品扱いする様な話をしてごめんね。悪いと思ったけど、あの取引を成立させるためだったんだ。」
取引は非常に円滑だった。青年は通行証を商人一行の頭に売った。対価は金銭ではなく、一人の戦闘用奴隷。奴隷譲渡手続きが書面で行われ、売買が成立した。
が、商人一行と別れた後、この青年は奴隷所有証書を燃やしたのだった。そして、少女の右腕に取り付けられた奴隷を証明する腕輪を外した。
証書と一緒に譲渡される印を輪の印と合せることのみにより、この輪を外すことができる。奴隷を奴隷と証明する輪。仮に奴隷が逃げ出してもその輪がある限り、何処かで見つかれば照合されて主人のもとに返される。これにより、少女を奴隷と証明するものは一切無くなった。
「でも、私があなたに危害を加えないないとしても、あなたは通行証を失いました。」
少女は申し訳なさそうに俯いて言う。だが、青年はそれ以上返答を重ねなかった。
「君、素の時敬語になるの面白いね。」
「話聞いています!?」
話題を急転換する青年に少女が突っ込む。
「もう寝なよ、夜は夜の生きものたちの時間だよ。」
そういって青年は柔らかい草の上に横になった。
青年は奴隷の少女を解放したが、いきなり野に投げ出されて君は自由だからどこへでも行きなさい、と言われても普通は困る。いくら先祖が野原に住んでいたとしても、飼いならされた犬が今日から君は自由だといって野原に放り出されたら、ありがたいどころか迷惑極まりない。
少女の場合命がかかっていたので流石に迷惑とまではいかないが、困ることは困るだろう。最悪の場合、路頭に迷って命を落とす。青年はそれを理解しており、町に入って少女が新しい生活を見つけられるまで少しの間だが待ってくれるというのだ。少女にはその優しさが不可解なほどだった。
ふとしたことに気が付く。
「名前、聞いてなかった。」
初めての投稿です。・・・恐る恐るです。
読んでくださった方、本当にありがとうございます。