三題話「チョコレート」「 クーポン券」 「客席」
落語の三題噺を小説に見立てて書いてみた。
滔々と降りしきる雨の隙間から猫の鳴き声が聞こえる。その猫は助けを求めるかのようににゃーにゃーと泣き続ける。
いいかげんに煩いなと思った頃ようやく猫の鳴き声は聞こえなくなった。
雑音がなくなり四畳一間の一室で天井を見上げながら、雨音に耳を傾ける、やはり雨は落ち着く。人間関係のしがらみも凝りのように溜まった胸のわだかまりも何もかも忘れ去ることができた。ただ一人の客席で雨音のコンサートを聴くのにも飽きて外にでも行こうかと何気になく財布の中身を確認していると、忘れかけていた期限が今日までのクーポン券を見つけた、というよりも見つけてしまった、外へ行こうかとは思ってはいたけれど実際外に出る気など微塵程もなかったのに期限が今日までのクーポン券など発見してしまうと出なければならない義務感に駆られる、対して物を買う予定などなくても、人間損得には過敏に反応してしまうものだ、こうなると損しないために無理やりにでも何でも買ってしまおうと思ってしまう。
俺は部屋着から外出用の服に手早く着替えると、財布からクーポン券だけを取り出してポケットに仕舞うと気持ちが変わる前に部屋を出た。
出たまではいいがいざ外にでると驟雨が身を襲う。ここまでの大雨になると傘など役に立たない、おまけに不運にも激しい横風が靡いている。数分もしない間に俺は、滝にでも打たれたかのように頭の上からつま先まで濡れ雑巾のようにびしょ濡れになると、諦めて傘を閉じて小走りでクーポンの使える近所のスーパーに駆け込む事にした。
雨を滴らせながら歩いているせいか店員から客までから突き刺さるような白い視線を全力で無視を決め込むと菓子売り場に適当にチョコレートを手に取るとさっさと会計をすませそそくさとスーパーを後にする。
外に出ると雨は止む気配がないが気にせずに雨の中を突き進もうとすると突然二の腕を後ろから掴まれた。反射的に振り返ると金髪のやや薄いメイクをした少女が怪訝そうな表情でこちらを見上げていた。というより同じ大学に通う知り合いだ。
「智君そんなびしょ濡れで傘も差さずに帰るつもり」
やや小柄な少女、名前は確か三波未来、やたら「み」の多い名前だったので印象に残っている。
無言がしばらく続いてようやく返答を返答を待っていることに気が付いて
「走ればすぐだし」
と答えると。
「風邪ひくよ!」
と少し不機嫌に怒ったようだ、何故怒られたのかは分からないが。
「ああ」とだけ答えると未だに捕まれている二の腕を振りほどくと、とっとと帰ろうと歩を歩める、正確には歩めようとするが彼女は振りほどいたはずの腕を今度は両手でがっちりと掴む、放してくれるつもりはないらしい。
「うちにおいでよ」
「は?」
彼女は俺と同じ大学生で年頃の淑女である、顔は童顔ながら可愛くて、背も小さい事から男女から人気のある、ついでに出ることが出ている事から主に男子からの人気が高い。
そんな彼女の家に行くのはなんとも嬉しい反面に気が引ける、いろいろと邪な理由で。
損な機微に気が付いたのか彼女が口を開く。
「大丈夫だよ、私一人暮らしだから親はいないよ」
と余計に大丈夫じゃない発言をする、今まで気が付かなかったけれど彼女はだいぶ天然少女だったらしい。
「大丈夫じゃないし、余計に心配だ!」
やや表情に翳りを窺わせると頬を膨らませるようにふてくされて
「これでも信用して声かけてるんだからね、結構勇気いるんだから、智君は心配しなくてもこれで智君が私を襲っても私の自業自得だから」
とさらに斜め上発言をすると今度は返答など気にしないでずいずいと引きずるようにして歩き出す、どうやら無理やりにでも連れて行くらしい、俺は諦観すると彼女の家へ向かう事にした。
彼女の部屋は都内でもセキュリティが高い事で有名なタワーマンションだった。
貞操観念が低そうな発言をしていた割に意外とそうではないのかもしれない、そして彼女は金持ちのお嬢様なのではと考えを二重に改めた。
暗証番号付の有りがたい扉を二つ程跨いで隔階でしか止まらないエレベーターを二回ほど乗り継いでようやくして彼女の部屋にやってきた。
部屋の前で彼女は一瞬はっとした表情になると俺の顔を見上げて困ったような表情を浮かべると意を決して扉に鍵を通すと高いところにもある二つ目の鍵穴にうんと背伸びをして鍵を開ける、背伸びをしてる彼女可愛いなとか思いながら見ている反面どうしてそんなに高いところに後付けの鍵をつけたのかと疑問に思った。
彼女が部屋に入るとそれに続いて部屋に入るとかなり広い俺の部屋なんて二つぐらい入りそうなワンルームでなんとも全体的に淡いピンク色のいかにも女の子らしい部屋だった。
部屋の隅に俺が入る前に追いやられたであろう下着類は見て見ぬフリをする。
彼女がお風呂の用意をしている間に淹れてくれた珈琲を飲みながら他愛のない雑談をする。
家族の事・子供の頃の話・昔好きだった人の話そんな話をしていると風呂の準備ができたらしく、俺は遠慮がちに風呂に入る。
風呂から上がるといつのまにか選択されていた服が綺麗に折りたたまれて籠に入れられていてまた女性らしい一面を見た。
入れ替わるようにして彼女も風呂に入る、なぜか居た堪れない感情に囚われて正座で姿勢正しく部屋の置物と化していた。
程なくして彼女が上がってくるとパジャマ姿で現れた。
程よく上気していて濡れた髪の彼女を見ているといけない感情が顔を出す。
「いつもの癖で服をお風呂場に持っていくの忘れてたから」
と彼女が言い訳を口にすると理解する。
要するにいつもは恐らく裸ないし下着姿で風呂場を出てリビングで着替えるのだろう、ただ今日は俺が居て、お風呂場を出ると俺が居るという状況だったので急遽寝間着を着ることにしたのだろう。
「パジャマがなければ大変だったよまったく」
「ははっ」
こういう反応に困る発言は彼女に地なのだろう、いちいちドキリとしてしまう。
異性としてみていなかった大学の知人でもここまでフレンドリーに踏み込んで話されると否が応にも異性として見てしまう。
「でも覗きにこなかったんだねー男の子だからてっきり覗きに来るのかと思ってたよ、優しいんだね、でもちょっと残念」
極め付けがこれである。再びぎこちない愛想笑いをするとなんとなく外を見ると雨はいつのまにか上がっていて太陽も顔を出していた。
俺につられてか外を見ていた彼女が
「雨止んでたんだね」
と少しさびしそうな顔をしながらそう告げた。
そう俺は彼女の部屋に雨宿りと風呂を借りる名目でここにいる、つまり風呂を借り雨も上がった今ここにいる理由はなくなった。そうでなくとも恋人では男女が、異性の一人暮らしの異性の部屋に居るだけでも問題なのに更に長いする訳にもいかない。
「そろそろお暇するわ、風呂ありがとな」
そう告げると彼女は「うん」と短く答えると寝間着姿のままロビーまで送ってくれた。
「また明日な」
「うんまた明日」
彼女の意外な一面が見れたことは嬉しいが多分今後彼女をただの知人として見ることはできないであろうと俺は思っていた。
うっすらと芽生え始めた無自覚な恋心と、どう折り合いをつけるか考えつつ岐路に着く。