07 二時間目は魔法理論。教科書とノートはありますか?
しばらくするとイミさんが帰ってきて、大石さんがパンとスープを持ってきてくれた。相変わらず背中にクッションを並べて身体を支えた格好で大石さんに食べさせてもらい、マルガリータが食後のティーが必要だというので退席する。イミさんも大石さんも、ティーバックすら使ったことのないツワモノだったためだ。多少家事のできるマルガリータは、小さいとはいえ台所では貴重な戦力。むしろ現状、唯一の戦力。腕前に期待したい。主に今後の食卓のために。
そんなわけでマルガリータから得た情報を二人にも流す。大石さんは、いくつかの話については書物からの裏づけが取れたと言った。
「確かに歴史の本などには、歴代勇者の名前があります。初代勇者はナガサワレイさん、さすがに漢字はわかりませんでしたが。
私が調べられたのは彼らの名前と、いつ召喚されたのか、という二つの情報くらいですね。全員日本人らしき名前でしたよ」
マルガリータはわからない、と言っていたが、召喚の基準に日本人であること、という条件が入っているようだ。
「イミさんは?」
「お城を家捜ししてみたけど、確かにあまり裕福な感じはしなかった……かな。
家具とかも、あたしたちにとっては古びてていかにもアンティーク、って思うけど、たしかに新しくて高価なものはないみたい。客間とか広間とかは豪華だけど、個人の部屋になると一気に質素になってたし」
素人のイミさんが見ても明らかに質素になってるって……どんだけ落差激しいんだ。
「城下は?」
「あっちは普通に裕福な中世、って感じに見えたよ」
「敗戦から十年。能力のある商人などはむしろ力をつけている時期だと思いますよ」
大石さんが付け加える。……それもそうか。
しかし、その中で十八人も娘のいた今の王様……。何やってんだか。まあ、マルガリータは敗戦の前後あたりに生まれたのだろうから、それを考えると娘たちが生まれてから負けた、ゆえにしかたがない、という味方もできなくはないけどな。
そうして待っているとマルガリータがティーセットを載せたカートを押してやってきた。俺たちにも紅茶を淹れてくれたのだが、微妙にぬるくて不味い。マルガリータも困った顔をした。
ともあれ、だ。
「俺としては、魔法っていうのが気になる。教えて欲しいんだが」
「あたしも」
「私も興味があります。マルガリータさん、少しでいいので教えていただけませんか?」
マルガリータは不味い紅茶をソーサーに戻して、困ったような顔をした。
「あの、でも、あたしはまだ初心者で……」
「マルガリータさん、あなたが初心者なら、私たちはまったく何も知らないのですよ。
教師になってくれ、とは言いません。ちょっとだけ教えてくれませんか?」
ちょっとだけなら、とおずおずマルガリータは了承した。そして、魔術書が必要だというので取りに行き、何冊かの本を抱えて戻ってくる。
茶色や赤の、皮張りの本。金の装丁が施されている豪奢なもので、表紙や背表紙には金色の紋章みたいなものが飾られている。
「えと、あたしも使ってるやつ、です。
こんなふうに、紋章のついているのが魔術書、といいます。これがないと魔術は使えません」
「杖はいらないの?」
イミさんがたずねた。マルガリータは首をかしげる。
「杖を使うのは、古代の技で……、初代勇者様のころに廃れた、と聞いています」
また初代勇者か。どんだけこの世界に影響与えたんだ、ナガサワレイさん。
「えっと、魔術には、魔術式が必要、です。その魔術式が専用の紙とインクで記されたものが、これ。
紋章は執筆者によって違う、らしいです。えと、あたしはこの、執筆者エリシエラ・ヴェルグのが一番相性がいいです。同じ明かりの術でも、あたしはロナルド・マクデールの書だと発動もしません」
極端だなオイ。
明かりの魔術式はこのページです、とそれぞれの書を開くマルガリータ。その式を指で撫でて呪文を唱えれば、どんなに魔力の扱いが下手でもイメージができなくても、とりあえず光りはするらしい。明かりに関してだけは。
「どれどれ……、『リヒト』おお、つきました」
「あたしはワルメルギス・ル・クラウディアと相性がいいみたい」
次々に試す大石さんとイミさん。マルガリータが次々と本を広げて、俺の手の下に本を置いてくれる。ゆっくりとまるで読めない字面をなぞった。
「『リヒト』……一応成功、か」
ぱっと一瞬だけ頭上で灯った明かりに苦笑する。結局、俺はマルガリータと同じエリシエラ・ヴェルグの書と相性がよかった。大石さんはベルタベルタ。そうして相性のいい執筆者が判明すると、マルガリータは一冊ずつ俺たちに本を贈呈してくれた。
「今お渡しした本の中には、危ない術はひとつもない、です。ある程度使いこなせたら、もう少ししっかりしたのをお渡しする、ので……今はそれで我慢して欲しい、です」
不安そうに見上げられて、大石さんはすぐに頷いた。
「その前に、あたし字、読めない」
「俺も」
「……」
マルガリータがしまった、という顔をする。大石さんが苦笑した。
「マルガリータさん、読み仮名を我々の国の言葉で書き込んでも大丈夫ですか?」
「……お勧めは、あんまりできないです、が……、普通のペンと普通のインクで、その書に書くなら」
話を聞くと、術ごとにインクを調合し、一定の法則で書き込んであるのが魔術式。紙や装丁も術の行使にあわせてあつらえてあるもので、本来はシミひとつですら禁忌。
ただ、初歩の初歩であるこの書については大雑把でもいい加減でも見逃される……ある意味マージンのようなものがとられていて、そうだな、術の行使にノイズが入るような感じにはなるが、できなくはない、と。
このノイズがあまりに大きくなりすぎると、激しいノイズの入ったテレビが画像を映さないように、術として形にならなくなってしまうらしい。
マルガリータが普通のペンと普通のインクを用意して、絶対に魔術式にインクがかからないように、と厳重注意をしながら大石さんに渡した。大石さんは頷いて、俺とイミさんの書を翻訳していく。
とはいっても、インクを完全に乾かす必要があるから、見開きを翻訳したら乾かして待つだけになった。
「ねぇマリー」
「……? え、あ、あたしです、か?」
イミさんの突然の呼びかけに、マルガリータはびっくりした様子だった。
「マルガリータって、愛称マリーじゃないの?」
「えと……、だいたいマルゴって」
「なにそれ、日本人的感性では却下。あんたマリー」
がーん、とあからさまにマルガリータはショックを受けたようだった。もちろん頓着するイミさんではない。
「で、マリー。魔術師、いちいち本開いて文字なぞって呪文唱えて魔術を使うの? めんどくさくない?」
あ、それは俺も聞きたいかもしれない。
「マルゴが却下……、あたしって……あたしって……」
「マリー、寝言ならベッドで言ったほうがいい」
「う、うわーん!」
わざとらしく大石さんに抱きつくマルガリータ。苦笑して大石さんは抱き上げた。大人の包容力だな。
「すみません。たぶん、宇田さんに悪気はないと思うのですが」
「うううっ」
ぐずるマルガリータをあやす大石さん。しばらくそうして気も紛れたのか、ややあってマルガリータは説明をした。
「熟練すると、本を開いて呪文と魔力を注ぐことで魔術が使えます」
「マリーはできるの?」
「できません……」
ちょっと涙目だった。
「ええと……どうしても本は開かなくちゃいけないのか?」
俺の問いかけに、こくりと頷くマルガリータ。
「必ずです。それ以外の方法での魔術は、完全に淘汰されました。
初代勇者様を召喚する際の災害でその術が失われたとも、初代勇者様がなんらかの儀式を行ったせいだとも言われていますが、確かなことはわかっていません」
そしてやっぱりナーサなのか。どんだけなんだナガサワレイ。謎だ。謎すぎる。
「会ってみたかったな。その人」
イミさんが言った。同感だと思う。