04 いまさらですが、はじめましての自己紹介。
俺が横になっている間、二人はひたすらに情報収集をしてくれた。そして時々戻ってきては、報告を兼ねて退屈な俺に外の様子を聞かせてくれる。特におじさんは、部屋にあった羽ペンとインク、それから羊皮紙を使って大雑把なここの見取り図を描いてくれた。最初はペンを紙に引っ掛けたりしていたけど、それも本当にはじめのうちだけですぐにさらさらと使いこなす。図面も、フリーハンドではあるがずいぶん綺麗にまっすぐと線が引かれ、見やすかった。
「へぇ、すごいですね」
「そうでもないですよ。
じゃあ、簡単に説明しますね。ここがおそらく正門。私の身長の二・五倍くらいの高さの門と、その左右に門番用の詰め所のような小さな建物。敷地のまわりはぐるりと柵で囲われていて、薔薇が這っていました。満開に赤い薔薇が咲いていたところを見ると、日本よりも暖かいか……春先ではなく、春の終わりごろ以降の季節か、ということになるでしょう」
このおじさんは俺がずいぶん年下であるにもかかわらず、丁寧な口調だ。癖というか、もともとこういう言葉遣いなんだろうか。
そして、四月にしては暖かする気候、か。薔薇はたしか五月ごろから見ごろになるはず。品種によっても違うだろうけど……、五月から十月にかけてが薔薇の季節で、中でも五月、六月はとりわけ華やかだ。姉貴が薔薇酒作ってたのも春の終わりごろだったな。一番香り高い花はそのころを逃すと採取できない、とか言っていた。
「この門から城の正面まで、ざっと三百メートル。この間は庭園になっていて、薔薇の迷路になっているようです。迷路の中心に小さな東屋がありました。お茶用の席でしょうね。壁はなく、テーブルと椅子が見て取れましたから。
庭園に入らずまっすぐに城の正門に行くと、広々とした階段が十二段。真鍮の手すりがついています。
そうそう、この城の外観ですが、そうですね。四角柱状の建物が左右にあり、その間に長方形の建物が詰まっている、といった感じですね。この部屋やあのホールは、正門から見て右側の四角柱の中です」
「何階ですか?」
「三階になります。このフロアの図面はこちらですね」
ん……? やたらと何も書き込まれていないところが多いな。
「この余白部分……」
「秘密の部屋かなにかじゃないか、と思っています。外から測る建物の大きさと、内部の大きさがどうも合致しないんですよね。歩幅で測っているので、正確なことは言えませんが……」
「それにしたって広すぎませんか」
「ええ。ですから、なんらかの空間が隠されていると思っています。おもしろいものが見つかったらお教えしますね」
おじさんはそう言ってまた城を調べに行った。退屈を持て余していると、ほどなくして女の子が戻ってくる。
「……退屈そう」
「何もできないからな」
備え付けの椅子を引っ張ってきて、両足を抱え込むようにしてそれに座り込む。椅子に座る意味があるのか、その座り方。
「外、行ってみた」
「どうだった?」
「同じ。だれもいなかった。服だけあちこちで見つかったけど」
「あちこちって……」
「通りの真ん中とか、店先とか。どこも今さっきまで営業してました、人いました、突然消えました、って感じ」
……ホラーでしかない。なんだ、それは。
「見た感じ、馬車とかあってまんま中世ヨーロッパ。……じゃないかな。歴史くわしくないから、時代はわからない」
「衣類の中から懐中時計なんかは見つからなかったか?」
「なかった」
きっぱり断定。きっと、裕福層の衣類をきちんと検分したんだろう。あのホールでやったように。
そうなると、産業革命時代の線は薄いのか。……いや、その前にここが「何」なのか、わかっちゃいないけどな。
手の込んだ大掛かり且つ悪質な悪戯や陰謀の類か、まじめに異世界トリップの類を検討すべきか……、もしくは俺の頭を疑うか。なんにせよ情報がない。
「一見して用途のわからない物は?」
「いくつかあったけど、いかにもアナログな感じ。ファンタジックなものは見つけなかった」
「そう……」
「どう思う?」
どう、ってのは、やっぱりこの「場所」とこの「状況」についてだろう。
「わからない。それに……、下手に推測してそれを思い込むことは危険だと思う。ただ、馬鹿馬鹿しい可能性でもあらゆる想定はしておくべきだろうな」
「同感。
城のまわりは貴族街、みたいなところ。その外周に高級店。さらに外周に裕福層、市場や一般住宅、城壁付近や城壁の外に貧民街、という印象。ただ、町は円形ではない。城を中心に分度器みたいに広がってるよ」
分度器。半円、って言いたいのか。
「城の後ろは?」
「湖と森。町に馬や鶏がいたから、人間以外の生命体は消えていない、と思う。危険だと思って調査はしてないけど」
「適切な判断だと思う」
こくりとふわふわ頭がうなづく。無謀な子ではないらしい。
「看板や飲食店のメニューは読めなかった。とりあえず、日本語、英語、中国語やハングルなんかの、日常的に見かける文字ではありえない」
「サンプルが見たいな……」
「これ」
差し出されたのは、装丁の施されていない本だった。中世ヨーロッパといえば革張りだと思って……あ、そうか。
「本屋かどこかから持ってきた?」
「貴族街みたいなとこで、不法侵入して安そうなの持ってきたけど」
相手に与える経済ダメージを考慮したらしい。
「そっか」
「それがどうかしたの?」
「装丁の本じゃなかったから。たしか、ヨーロッパ……の全域の文化かはわからないけど、昔、本は装丁して売られていなかったって」
「? 映画で見るのは革の本だけど。他の本は革張りのもあったし」
「気に入った本だけ、そうやって自分の好きな革で装丁するんだって。とりあえずページめくってくれるか?」
ぱらぱらと適当なところを開いて見せてくれた。
……うん。よくわからん。
謎の記号がずらずらと綴られている。あえて言うならアルファベットに近い気はするけど、筆記体みたいだし……、とりあえず縦書きじゃなくて横書き。それだけしかわからない。
押絵もなく、市販品というよりは個人の記録を綴った感じだ。文字に洗練された感じがないし、右肩上がりの癖の強い字みたいだ。
「ほかの字もこんな感じだったか? 俺はこれ、手書き文字……というか、市販品とは思えないが」
その子はまじまじと本を見て、こくりと眠たげな目で頷いた。
「看板はもっと綺麗だった。何も考えないで持ってきたから」
「印刷された字は見た? 本に限らず、メニュー表とか」
「見てない。全部手書きだったよ」
「新聞はあった?」
「そういえば……、どこにもなかった」
「水道も?」
「井戸はあった」
「台所は見た?」
「竈と薪が積まれていた。煮こぼれたシチューもあったけど」
「火の始末もされてないのか……」
「店ではテーブルに食べかけの食事が残ってた。猫が肉をがっついてたよ」
「時代がえらく後退していることを除けば、動物は地球と似ているのかな」
「柴犬とかは見なかった。いたら笑えたのに」
笑えたのか。というか、笑えるのか、この子。
「あと、すごく不思議なことがある……んだけど」
眠たげな目を瞬かせて、どこか困ったように小首をかしげる。先を促すと、あっさり彼女は言った。
「駆けずり回っても疲れないし、息切れしないし。変に腕力もついた気がする。重たそうなドアあっさり開くし」
「……」
「数時間で街を一通り駆け回れるほど体力馬鹿になった覚えはないんだけど」
「……それ」
「やっぱりおかしいよね?」
「おかしい、よな」
いかにもなトリップ特典、主人公補正……、勇者召喚に定番の妖精や女神の類にも会わなかったし、召還された先は城でも不気味なほど無人。この状況下でトリップ特典? 典型的なのに、奇妙に薄気味悪い。典型的でも薄気味悪いだろうが。
「頭がぼーっとする、幻覚が見える、幻聴が聞こえる、などの自覚症状は? 逆に冴えすぎている、でもいい。普段と違うか?」
「ないよ。君もひとりに見えるし、思考も、あたしが把握している限りでは正常」
「薬物を盛られた可能性が否定しきれない。少しでもおかしいことがあれば、俺かあのおじさんに言うんだ」
「そうする」
幸いなのは、三人の誰一人として取り乱していないことか。……取り乱そうにも、どこから取り乱していいのかわからない、というのがあった。今までは。
ただ……。
この子の自己申告を鑑みると、体内で変化が起こっている可能性がある。それが起爆剤にならない可能性はない。
俺は動けない。この子は自分の身体の変化に気づいた。おかしいことだらけだ……。
ずきん、ずきんと身体が痛む。じわりと汗が滲み、呼吸が浅くなる。
息苦しい。
額に乗せられたタオルはずれ落ちてきて左目を遮る。俺の体温を吸って生ぬるくなったそれが邪魔で、頭を振って顔の横に落とした。熱い。口の中に熱がこもり、空気を吐いても適温には戻らない。ろうそくはもう親指の爪くらいに短くなっていて、いつ消えるかわからない。おじさんは椅子にもたれて眠りこくっていた。あの子は……、ああ、いた。ベッドのそばの床、じゅうたんの上で丸まっている。土足の国だろうから、汚いだろうに。
城を調べたおじさんも、結局おおざっぱな見取り図を作ることができた程度だった。人には会えず、人外にも会えなかった。生きていたのは動物と植物、それから俺たちだけ。
じわじわと滲む汗が気持ち悪い。クーラーがほしい、せめて氷を口に入れたい。いや、無理でも水くらい……。
どうしても我慢ができなくて、どくん、どくんと脈打つ患部にうんざりしながら身を起こした。ぎしぎしに固まった筋肉のおかげで動きにくい。
足を床におろす。履きっぱなしだった靴下ごしに、ふわふわしたじゅうたんの感触。落ち着かないし汚れるだろうけど、気を回す余力がない。
片足でじりじりと移動する。この、じゅうたんというやつは厄介だ。片足で歩くと足をとられやすい。転ばないかと冷や冷やする。
それでもなんとか水差しの置いてある小さなテーブルに辿り着く。……あ、まずったな、手が使えない。
目の前に水があるのに飲めない、そんなジレンマでもどかしさを味わっているときだった。
――っく。ひ、ひっく、う、うぁ……。
「……?」
泣き声……だろうか。子供の、甲高くて柔らかい声。未発達な声帯から出る特有の柔らかさは、どんなに頑張っても大人には出せない。
まさか……幽霊、とかか? ファンタジーな展開なら妖精とかそこらも検討する必要があるだろうか。どうしようかと考えて、とりあえず俺は満足に歩けもしない。二人を起こすか。疲れているとこ悪いけど、水も飲みたいし。
「おい」
揺するに揺すれず、声だけかける。
「おじさん、あんたも」
――そういや名前、聞いてなかったかもな。いろいろありすぎて忘れていた。
「起きてくれ。なあ」
「ん、うん……」
「う……」
うめき声と共に、よろよろと二人は身体を起こした。疲れているとはいえ、こんなよくわからない状況だ。眠りは浅かったんだろう。
「どう……したんです、水とか?」
「それもあります」
おじさんがふらふらしつつ水差しからコップに水を注ぎ、飲ませてくれた。冷たくはないが、俺の体温よりは低い温度だ。それにほっとする。
「ありがとうございます。それと、さっき子供の泣き声みたいなのがして……」
ぎょっとおじさんは目を見開いた。
「人? なら、探す……」
ふらふらと女の子は出て行く。
「え、ちょ、ま、待ってください、おかしいじゃないですか、どこを探しても誰もいなかったのに、いまさら子供!?」
おじさんの悲鳴に、その子は眠たそうな、間延びしきった声で返した。
「最初から、ぜんぶ、おかしいんだから……、いまさら常識、とか、ありえない」
ふらぁ、と部屋を出て行く。どうしようかさんざん悩んだ後、おじさんは意を決したようで……、顔を上げると俺を見た。
「君、ここを出てはいけないよ。何があるかもわからないから。そして、何かあったら大声で呼んでくれ」
言うなり、返事も待たずに出て行く。
膝がすこし笑っていたのは……うん、まあ、見なかったことにしておこう。
しばらくすると、二人は三人になって帰ってきた。
細胞分裂。じゃなくて。
「どうしたんだ? その子」
ぎゅう、とおじさんの手を掴んで離さないのは、おじさんの胸くらいまでしかない女の子だった。金髪に、白人特有の薄い肌。そばかすだらけで少し丸っこすぎる顔が、ろうそくだけの光でも見て取れた。服は真っ白い豪華なドレスなのに、奇妙にみすぼらしく見える子だ。
「あのホールの前で泣いてた」
端的な女の子――ああ、女の子が二人に増えたからややこしいな。でも、この眠たそうな子は金髪の子より年かさだろう。中学生、くらいだろうか。白人の年齢はよくわからないけど、日本人の感覚に当てはめれば小学校高学年。実際はもっと年下なんだろうけど。
「とりあえず、われわれも自己紹介もしていませんでしたから。ついでにやってしまいませんか」
おじさんはそう言うと、まず自分から話し出した。
「私は井村建設のCADオペレータ、大石大吾と申します。三十九になりました」
「俺は……二高通信制学科、鈴木義也です。高校二年生相当の年齢になります」
「根岸第一中学校、宇田郁美。イミって呼んで。中三」
視線が金髪に集まった。つーか、今更だが通じるのか、言葉。
「う、あ……。
マルガリータ・トゥル・ト・アシュベル……九歳」
通じた。九歳かよ。でかいな。
「マルガリータさんのおうちはどこだい?」
おじさ……大石さんが膝をつき、視線を合わせてたずねる。ぎゅう、と大石さんの手を握り締め、マルガリータはぼそぼそと喋った。
「こ、ここ」
「ここか、ずいぶん広いんですね。お父さんやお母さんは?」
じわ、と目に涙が浮かんだ。ふあ、とあくびをかみ殺す宇多さん。……イミさん? まあどっちでもいい。とりあえず不謹慎だ。あくびはやめろ。
「お、お父様……、勇者様を呼ぶ、って」
思わず顔を見合わせる俺たち。
「そ――、それで、その、お父さんはどこに?」
大石さんの問いかけに。
マルガリータは、堰を切ったように声を上げ、泣き始めた。