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北欧電撃戦 ―氷海の参謀総長―  作者: 膝栗毛


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9/9

エピローグ「氷海の彼方」 ――力を持つ者の、責任――

引き継ぎお楽しみください

サンフランシスコ、国連設立会議。1945年6月。

戦争が終わった世界は——まだ、形を持っていなかった。

灰の上に、何かを建てなければならなかった。

サンフランシスコの空は青かった。

太平洋の光が、会議場の窓から差し込んでいた。

五十カ国の代表が集まっていた。

戦勝国。敗戦国。中立国。大国。小国。

全員が——新しい世界の形を、この場で決めようとしていた。

その会議場の一角に、スウェーデンの代表団がいた。


首席代表はアクセル・ローゼン外務大臣だった。

だが——誰もが知っていた。

本当の意味での代表は、その隣に座っている男だということを。

カール・レーヴェン少将。

軍人が外交会議に出席することは、異例だった。

だがスウェーデンの場合——誰も異議を唱えなかった。

この男が来た、ということ自体が、一つのメッセージだった。


米国代表のエドワード・ステティニアス国務長官が、レーヴェンに歩み寄った。

「将軍」

「閣下」

「スウェーデンの常任理事国入りは——決まったも同然です」ステティニアスは言った。「英国が強く推薦している。ソ連は——複雑な顔をしていますが、拒否はしないでしょう」

「感謝します」

「ただ——」ステティニアスは少し声を落とした。「常任理事国には、拒否権が付与されます。五大国と同じ権限です。スウェーデンにとって、非常に有利な——」

「拒否権は、要りません」

ステティニアスは止まった。

「……今、何と」

「拒否権を付与しないよう、要請します」レーヴェンは言った。

ステティニアスは長い沈黙の後、言った。

「理由を——聞かせていただけますか」

「会議室を、借りていただけますか」


会議場の小部屋。

集まったのは——米国、英国、ソ連、中国、フランスの代表だった。

そしてレーヴェン。

スターリンの代理人、アンドレイ・グロムイコが座っていた。英国のアンソニー・イーデンが座っていた。

全員が、このスウェーデンの軍人を見ていた。

レーヴェンは立ったまま、話した。

「拒否権は——使う側の国を、腐らせます」

部屋が静まった。

「拒否権を持つ国は、自国の利益のためだけに、それを使います。国際社会の決定を、一国が覆せる。それは——安全保障のための制度ではなく、大国の既得権益を守るための制度です」

グロムイコの目が細くなった。

「スウェーデンは——常任理事国の特権を、批判するのですか」

「批判ではありません」レーヴェンは言った。「スウェーデンが、その特権を必要としない、と申し上げています」

「なぜ」

「スウェーデンが国連で果たすべき役割は——大国の論理を通すことではありません」レーヴェンは全員を見渡した。「大国が対立するとき、その間に立てる国が必要です。どちらの側にも属さず、どちらからも信頼される国が」

「理想論では」イーデンが言った。

「現実論です」レーヴェンは言った。「米国とソ連は——これから長い間、対立します。その対立の中で、国連が機能するためには——どちらにも拒否権で潰されない、中立的な常任理事国が必要です」

部屋に、沈黙があった。

「スウェーデンは——拒否権なしの常任理事国として、機能します。いかなる議案にも、賛否を明確に表明します。大国の圧力に屈せず、小国の声を代弁します」

「それは——危険ではないですか」ステティニアスが言った。「拒否権がなければ、多数決で押し切られる。スウェーデンの意志が——」

「多数決で押し切られるなら——それが正しい結論です」レーヴェンは静かに言った。「一国が覆せる決定に、国際的な正当性はありません」

グロムイコは長い間、レーヴェンを見ていた。

「……スターリン書記長は、この提案を——不愉快に思うかもしれません」

「知っています」レーヴェンは言った。「だからこそ、ソ連代表に最初に伝えました」

「なぜ」

「拒否権を放棄することは——ソ連への敵対ではありません」レーヴェンは言った。「スウェーデンが拒否権を持てば、米国の圧力で、ソ連に不利な決議を通すために使われる可能性があります。スウェーデンが拒否権を持たなければ——そのような道具にはなりません」

グロムイコは動かなかった。

「……続けてください」

「スウェーデンは、東西どちらの道具にもなりません」レーヴェンは言った。「その代わり——どちらからも、話を聞いてもらえる国になります。それが——スウェーデンの安全保障に、拒否権より確実に機能します」

部屋の空気が、変わった。

イーデンがステティニアスを見た。ステティニアスがイーデンを見た。

グロムイコは——窓の外を見ていた。


休憩時間、廊下で。

グロムイコはレーヴェンに近づいた。

周囲に人がいないことを確認して、低い声で言った。

「将軍」

「グロムイコ閣下」

「スターリン書記長は——あなたを、評価しています」

「光栄です」

「同時に——恐れています」グロムイコは言った。「あなたのような人間が、国際舞台に出てくることを」

「なぜですか」

「あなたは——力を持ちながら、力を使わない選択をする」グロムイコは言った。「それが——最も危険な種類の力です」

レーヴェンは少し間を置いた。

「スターリン書記長に伝えてください」

「何を」

「スウェーデンは——ソ連の敵ではありません。だが友人でもありません」レーヴェンは言った。「対等な隣人です。対等な隣人として、長く付き合いたいと思っています」

グロムイコは何も言わなかった。

だが——うなずいた。

わずかに。


会議場。翌日。

採決が行われた。

スウェーデンの常任理事国入りが——承認された。

賛成四十七。反対一。棄権二。

反対したのは——ソ連だった。

だが拒否権を行使しなかった。


会議場に、拍手が広がった。

ローゼン外務大臣が立ち上がって、一礼した。

レーヴェンは座ったままだった。

隣のローゼンが囁いた。

「立たなくていいのですか」

「私が立つ場面ではない」

「しかし——今日の結果は、あなたの——」

「スウェーデンの結果です」レーヴェンは言った。「私個人の結果ではない」

ローゼンは何も言えなかった。


サンフランシスコ、夜。

太平洋に面したホテルの部屋。

レーヴェンは窓の外を見ていた。

太平洋が、暗かった。

ノックがあった。

「どうぞ」

ファルクが入ってきた。

「本日の結果について——ベルリン、モスクワ、ロンドン、ワシントンの反応をまとめました」

「要点だけ言え」

「ベルリンは——もうありません」ファルクは言った。「モスクワは、複雑な反応。ロンドンは、満足。ワシントンは——驚いています。拒否権を自ら放棄した国が、初めて現れたことに」

「ワシントンは何と言っている」

「理解できない、と」ファルクは言った。「なぜ自ら弱い立場を選ぶのか、と」

「弱くはない」レーヴェンは言った。

「わかっています」ファルクは言った。「しかし——わからない人間には、説明が難しい」

「説明しなくていい」レーヴェンは窓の外を見た。「十年後に——わかる」

「十年後、ですか」

「拒否権を持つ国が、それをどう使うか。そして——拒否権を持たない国が、どれだけ信頼を積み重ねるか。十年後に——どちらが正しかったか、見えてくる」

ファルクは手帳を閉じた。

「閣下」

「何だ」

「一つ、個人的なことを聞いてもいいですか」

「珍しいな」

「……はい」ファルクは言った。「閣下は——この五年間、常にこの結果を目指していたのですか。最初から、国連常任理事国まで、設計していたのですか」

レーヴェンは少し間を置いた。

「設計していた部分もある」

「どこまでが設計で、どこからが——」

「わからない」レーヴェンは言った。「設計通りに動く世界はない。毎日、修正している。毎日、作り直している」

「では——」

「だが」レーヴェンは続けた。「最初から変わらなかったことが、一つある」

「何ですか」

「スウェーデンを——生かすこと」

ファルクは黙った。

「国でも、軍隊でも、個人でも——生きていれば、やり直せる。死んだら終わりだ。だから——どんな状況でも、生き残ることを、最優先にした」

「それが——全ての判断の基準だったのですか」

「そうだ」

ファルクは窓の外を見た。

太平洋の暗い海が広がっていた。

「……それは」ファルクは静かに言った。「冷たい基準のように聞こえますが」

「冷たいか」

「はい」

「そうかもしれない」レーヴェンは言った。「だが——生きていなければ、温かいことも、できない」

ファルクは答えなかった。

だが——何かが、胸の中で動いた気がした。

感情を持たない女だと、思われていた。自分でも、そう思っていた。

だがこの五年間——

死んだ者たちの名前を覚えている男の隣で——

何かが、確かに動いていた。

「ファルク」

「はい」

「明日の会議の準備を、頼む」

「……御意」

ファルクはドアに向かった。

ドアを開ける前に——振り返った。

「閣下」

「何だ」

「スウェーデンは——生きています」

レーヴェンは窓の外を見たまま、答えなかった。

だが——

ファルクには、見えた気がした。

窓ガラスに映った男の顔に——ほんの一瞬だけ。

何かが——あった気がした。

ドアを閉めた。

廊下に出た。

太平洋から来た夜風が、窓の隙間から入っていた。


ストックホルム。1945年秋。

スウェーデンが帰ってきた。

サンフランシスコから、レーヴェンたちが帰ってきた。

街は静かだった。

凱旋パレードなどなかった。

レーヴェンが望まなかった。

ただ——街の人々は知っていた。

この国が、どれだけのことをやり遂げたかを。

小さな国が——大国の狭間で、生き残った。

戦い、守り、交渉し、設計した。

そして——国際社会の場で、力を持ちながら力を振りかざさなかった。


参謀総長室。帰国の翌日。

レーヴェンは地図の前にいた。

ノルドストロームが出勤すると——いつも通りの光景があった。

だが今日の地図は違った。

世界地図だった。

国連加盟国が色分けされた、世界地図。

その中心に——小さなスウェーデンがあった。

「閣下」ノルドストロームは言った。「おかえりなさい」

「ああ」

「今日の予定は——」

「その前に」レーヴェンは言った。

「はい」

「全員を、呼んでくれ」

「全員、ですか」

「全員だ」


三十分後。

作戦室に全員が集まった。

リンド。エーク。スンドベリ。シェルベリ。ベルイマン。ファルク。ノルドストローム。

レーヴェンは地図の前に立っていた。

「報告する」

全員が黙った。

「スウェーデンは——国連安全保障理事会の常任理事国になった。拒否権なしで」

部屋が静まった。

「拒否権なし、とは——どういう意味ですか」ベルイマンが言った。

「文字通りの意味だ」レーヴェンは言った。「スウェーデンは、常任理事国の中で唯一、拒否権を持たない」

「……それは」ベルイマンは少し考えた。「弱い立場では」

「逆だ」

「逆、とは」

「拒否権を持つ国は——常に、自国利益のためにそれを使うと疑われる。疑われる国は、信頼されない。信頼されない国は——長期的に、孤立する」レーヴェンは言った。「拒否権を持たない国は——決定を覆せない代わりに、常に誠実だと見られる。誠実だと見られる国は——信頼される。信頼される国は——求められる」

「求められる、とは」

「米国とソ連が対立するとき——どちらも、スウェーデンに話を持ち込む。なぜなら、スウェーデンはどちらの側でもないから」レーヴェンは言った。「それが——最強の外交カードだ」

部屋が、静かになった。

リンドが腕を組んだ。

「……俺には、難しい話だが」リンドは言った。「一つだけわかった」

「何だ」

「あなたは——戦争を終わらせた後も、戦っている」

レーヴェンは答えなかった。

「形が違うだけで——戦い続けている」リンドは言った。「俺たちも——戦い続けるということだな」

「そうだ」

「では——」リンドは立ち上がった。「俺には、どこをぶち抜けばいい」

部屋に、笑いが広がった。

レーヴェンも——今日は、口の端を動かした。

「それを、これから考える」

「任せる」リンドは言った。「あなたが考えた場所なら——必ず、抜ける」


その夜。

全員が帰った後、レーヴェンは一人だった。

机の上に、白紙があった。

今夜は——すぐにペンを取った。

書いた。

長い時間、書き続けた。

夜が更けた。

ストックホルムが眠った。

バルト海が静かになった。

書き終えた時、外が白み始めていた。

レーヴェンは立ち上がり、窓を開けた。

秋の朝の空気が入ってきた。

手に、書いたものを持っていた。

燃やさなかった。

封筒に入れた。

引き出しにしまった。


後年、スウェーデン国立文書館。

研究者が、一通の封筒を発見した。

カール・レーヴェン少将の遺品の中に、あった。

開封すると——便箋が十数枚あった。

最初の一行に、こう書かれていた。

「この戦争で死んだ者たちへ。名前を、ここに記す」

そして——名前が続いていた。

北欧電撃戦の二百十七人。

訓練中のパイロット二人。

ソ連との戦いで死んだ者たち。

全員の、名前が。

最後のページに、一行だけ書かれていた。

「あなたたちが死んだから、スウェーデンは生きている。私はそれを、忘れない」


ストックホルム。朝。

レーヴェンは地図の前にいた。

新しい地図だった。

国連加盟国の地図。

これから——戦場は、この地図の上だ。

銃ではなく、言葉で。

戦車ではなく、信頼で。

「閣下」

ノルドストロームが入ってきた。

「今日の予定は——バルト三国復興委員会、英国大使との定期協議、それから——国連事務局からの連絡が三件」

「わかった」

「閣下」ノルドストロームは言った。「一つ、聞いていいですか」

「何だ」

「……満足していますか」

レーヴェンは少し間を置いた。

窓の外、バルト海の方角に光が見えた。

朝の光が、海の上に広がっていた。

「まだ、やることがある」

「それは——満足していない、ということですか」

「いいや」レーヴェンは窓の外を見た。「やることがある、ということは——まだ、進める、ということだ」

ノルドストロームは黙った。

「スウェーデンは——生きている」レーヴェンは言った。「生きている間は——進む」

窓から入った光が、地図を照らした。

世界地図の上に——朝の光が、広がった。

小さなスウェーデンの上にも。

確かに。


――了――


後記

カール・レーヴェン少将は、その後二十年間、スウェーデンの外交・安全保障政策の中心にあり続けた。

拒否権なしの常任理事国という前例のない立場は、当初「弱さ」と批評されたが——冷戦が深まるにつれ、東西両陣営が対立を仲介させるために、スウェーデンに頼る場面が増えていった。

彼が設計した「どちらの側にも属さない、信頼される国」という戦略は——小国が大国の狭間で生き残るための、一つの答えになった。

北欧電撃戦から始まり、ソ連の逆包囲撃退、バルト三国の解放、英国との同盟、そして国連常任理事国入り——

それらは全て、一人の男の頭の中で、最初から——設計されていたのか。

それとも——毎日、修正され、作り直され、積み重ねられた結果だったのか。

答えを知る者は——一人しかいない。

そしてその男は——最後まで、地図の前に立ち続けた。


『北欧電撃戦 ―氷海の参謀総長―』 完

最終話までありがとうございました

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