表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北欧電撃戦 ―氷海の参謀総長―  作者: 膝栗毛


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/9

第三章「氷海の逆襲」 ――包囲する者が、包囲される――

引き継ぎお楽しみください

モスクワ、クレムリン。1944年6月。

スターリンは地図を見ていた。

ノルマンディー上陸作戦——オーバーロード——の報告が届いていた。連合軍がフランス北部に上陸した。ドイツの西壁が、崩れ始めている。

東では、赤軍が西へ進んでいた。

ドイツは——挟まれていた。

「同志スターリン」

ジューコフが入室した。

「バグラチオン作戦、順調です。ベラルーシのドイツ軍集団が——崩壊しつつあります」

「知っている」スターリンはパイプを置いた。「ジューコフ、北を見ろ」

「北、とは」

「スウェーデンだ」

ジューコフは黙った。

スターリンは地図の上に指を置いた。スウェーデンの細長い輪郭。バルト海に面した海岸線。北はノルウェーまで続く山岳地帯。

「ドイツが片付く前に——北欧を押さえる」

「それは——時期尚早では」ジューコフは慎重に言った。「現在、西部戦線でも戦力を」

「時期尚早ではない」スターリンは静かに言った。「スウェーデンは空母を作っている。潜水艦を三十隻持つ。英国と密かに接触している」

ジューコフは止まった。

「英国との接触を——知っていたのですか」

「三ヶ月前から」スターリンは言った。「スウェーデンは戦後の世界で、西側につくつもりだ。バルト海を——我々から切り離すつもりだ」

「しかしレーヴェンは——」

「レーヴェンだから、危険なのだ」スターリンは地図を叩いた。「あの男が生きている限り、スウェーデンは厄介な存在であり続ける。今ならまだ——ドイツとの戦争を口実にできる。北欧への進出を、正当化できる」

ジューコフは長い沈黙の後、言った。

「兵力は」

「三個軍。フィンランド経由で南下する。バルト海からの水陸両用作戦と同時に」スターリンは言った。「二週間で——ストックホルムを取る」

ジューコフは地図を見た。

フィンランドからスウェーデンへの国境。山岳地帯。森林。そして——

「冬ではありません」ジューコフは言った。「夏の北欧は——スウェーデン軍に有利な地形です」

「だから速く動く」

「レーヴェンは——要塞線を作っています。五年かけて」

「三個軍で押し潰す」

ジューコフはもう一度、地図を見た。

嫌な予感がした。

この男——スターリンが、珍しく急いでいる。

急ぐ者は——計算を間違える。

だが、言えなかった。

「……御意」


ストックホルム、参謀総長室。1944年7月3日。深夜。

ファルクがドアを開けた。

ノックなしだった。

レーヴェンは地図の前にいた。いつものように。

「来ます」

一言だった。

レーヴェンは振り返らなかった。

「いつだ」

「七日以内。おそらく——五日」ファルクは言った。「フィンランド国境に三個軍が集結しています。同時に、バルト艦隊が動き始めた。水陸両用部隊を搭載して」

「規模は」

「陸上部隊——推定四十五万。水陸両用——推定三万。合計、約五十万」

部屋が静かになった。

スウェーデン軍の総兵力は——三十二万。

「予測は当たっていたな」ノルドストロームが静かに言った。

「当たってほしくなかった」レーヴェンは言った。

それが——この男の、珍しい本音だった。

「全員、呼べ」


三十分後、作戦室に全員が集まった。

リンド中将。エーク中将。スンドベリ大将。シェルベリ少将。ベルイマン少佐。ファルク少佐。ノルドストローム大佐。

レーヴェンは地図の前に立った。

「ソ連が侵攻してくる。五日以内に」

誰も驚かなかった。

全員が——いつかこの日が来ると、知っていた。

「兵力差は——約一・六倍。だが」レーヴェンは地図を指さした。「地形と気候と補給、そして——準備において、我々が上だ」

「作戦を聞かせてください」リンドが言った。声が、いつになく静かだった。

レーヴェンは地図の上に手を置いた。

「ソ連は二方向から来る。北——フィンランド経由の陸上侵攻。西——バルト海からの水陸両用上陸」

「その二方向を、同時に受ける、と」

「受けない」

全員が、レーヴェンを見た。

「受けない、とは」ノルドストロームが言った。

「戦争は速度で決まる。守る側が速度を持てば——攻める側の計算が狂う」レーヴェンは言った。「ソ連は我々が守ると思っている。要塞線で守ると。それを——逆手に取る」

ベルイマンが、静かに息を吸った。

「……まさか」

「ベルイマン、お前ならわかるな」

「わかります」ベルイマンは言った。「ソ連が来るなら——こちらから迎えに行く」

「攻勢防御だ」レーヴェンは地図を叩いた。「ソ連軍がフィンランドから国境を越えた瞬間——我々は引く。引きながら、両翼を伸ばす。ソ連軍を前進させながら、補給線を延ばさせる。そして——」

「包囲する」リンドが言った。目が変わっていた。

「逆包囲だ」レーヴェンは言った。「攻めてきた敵を、こちらが包む」

「具体的には」ノルドストロームがペンを構えた。

「北部戦線——エーク中将が要塞線を使って遅滞戦闘。ソ連軍の前進速度を殺しながら、両翼に誘い込む。リンド中将の機械化部隊は——隠密行動で東側に迂回。ソ連軍の左翼を、後ろから包む」

「隠密行動で、機械化部隊を動かす」リンドが言った。「どうやって」

「森の中を動く」レーヴェンは言った。「夏の北欧の森は——装甲車両を隠せる。ソ連軍の航空偵察を、シェルベリの部隊が妨害する」

「制空権を——」シェルベリが言った。「ソ連空軍と正面から戦うのは」

「正面では戦わない」レーヴェンは言った。「偵察機を狙え。爆撃機は後回しでいい。ソ連軍の目を潰す」

「海上からの水陸両用部隊は」スンドベリが言った。

「そちらが——本命だ」

全員が地図を見た。

「水陸両用部隊は、バルト海岸に上陸を試みる。そこに——スンドベリの潜水艦隊が待っている」

「輸送船を——」スンドベリは地図を見た。「上陸前に、沈める」

「全部は無理だ。だが——三割沈めれば、上陸戦力が致命的に減る。残りが上陸してきたところで、沿岸要塞部隊が受ける」

「それから」ファルクが言った。

「それから——包囲が完成する」レーヴェンは言った。「陸上侵攻部隊は、補給線を切られ、両翼を包まれ、後退路を失う。水陸両用部隊は、上陸前に戦力を削られ、沿岸で足止めされる」

「補給線を切るのは」

「ファルク——フィンランド国内のソ連補給拠点を、開戦前夜に叩く」

「事前破壊工作を、ですか」

「三日前から——もう始めろ」

ファルクはうなずいた。

「リンドクヴィスト少佐の潜水艦隊は」スンドベリが言った。「演習ではなく——本番になる」

「彼は——やれるか」

スンドベリは少し間を置いた。

「やります」

断言だった。

レーヴェンは全員を見渡した。

「この作戦に、名前をつける」

「何という名前を」ベルイマンが聞いた。

「オペレーション・ミョルニル」

ノルドストロームが呟いた。「トールの鎚、ですか」

「雷神の鎚は——振り下ろされるまで、見えない」レーヴェンは言った。「では——始める」


フィンランド国境。1944年7月8日、午前四時。

ソ連軍第十八軍が、国境を越えた。

三十万の兵。五百両の戦車。砲兵部隊。航空支援。

圧倒的な力が、スウェーデン領内に流れ込んだ。

スウェーデン軍は——引いた。

「敵が逃げる」ソ連軍の前線指揮官、アレクサンドル・ゴルバトフ大将は言った。「追え」

「追うのですか、将軍」参謀が言った。「偵察報告では、前方に——」

「偵察機が全滅した」ゴルバトフは言った。「スウェーデンの戦闘機が、偵察機を集中的に狙ってくる。前方の状況が——見えない」

「なら、慎重に——」

「慎重にしている間に、敵が逃げる」ゴルバトフは命令した。「全速前進。スウェーデン軍を捕まえろ」


エーク中将の司令部は、移動式だった。

要塞線の後ろで——陣地を変えながら、指揮していた。

「ソ連軍、予想より速い」副官が報告した。

「わかっている」エーク中将は地図を見た。「だがこのペースなら——三十時間で、袋の中に入る」

「閣下、本当に引き続けるのですか」副官は言った。「兵たちが——」

「わかっている」エーク中将は繰り返した。

引くのは、辛い。

防衛の専門家が——引きながら戦う。

「攻めは一時、守りは永遠だ」自分の言葉が、頭に浮かんだ。

だが今夜は——引くことが、守ることだ。

参謀総長が、そう設計した。

「信じろ」エーク中将は部下に言った。「三十時間後に——形勢が逆転する」


森の中。同日午後。

リンド中将の機械化部隊は、動いていた。

音を殺して。

北欧の夏の森は、濃かった。白夜の光が木々の間から差し込む。装甲車両は偽装網をかけ、エンジンは低回転に抑え、無線封止。

二万の兵と、三百両の装甲車両が——森の中を、東へ迂回していた。

「見つかっていませんか」副官のストレーム少佐が言った。

「見つかっていれば、もう砲撃が来ている」リンドは言った。「シェルベリが、偵察機を全部落としてくれている。ソ連の目が、ない」

「このまま——後ろに回り込む」

「そうだ」リンドは前を見た。「ソ連の奴らは今、一生懸命前を走っている。後ろは——ガラガラだ」

「難しい話はいい、どこをぶち抜けばいいか——ですね」ストレームが言った。

リンドは笑った。

「お前も覚えていたか」


バルト海。同日夜。

霧だった。

リンドクヴィスト少佐は潜望鏡を覗いていた。

ソ連のバルト艦隊——輸送船三十二隻。護衛艦十四隻。水陸両用部隊三万を搭載して、スウェーデン海岸に向かっていた。

「距離、四千」

「魚雷管、全門——用意」

「艦長」副長が言った。「相手は護衛が厚い。下手に動けば——」

「動かない」リンドクヴィスト少佐は言った。

「動かない、とは」

「待つ」少佐は静かに言った。「忍耐が——勝つ」

ビョルンは動かなかった。

霧の中で、ソ連艦隊が近づいてくる。

三千。

二千五百。

二千。

「距離、一千八百——」

「撃て」

静寂が、破れた。


最初の魚雷が命中したとき、ソ連艦隊は混乱した。

どこから来たか、わからなかった。

護衛艦が動き始めた——その瞬間、別の角度から第二波が来た。

スウェーデン潜水艦は、一隻ではなかった。

ビョルン、ウルフ、ビョルン二世——三隻が、三方向から同時に攻撃していた。

「司令官!」ソ連艦隊司令官のニコライ・ユマシェフ中将の幕僚が叫んだ。「輸送船——四隻被弾。二隻が沈没中」

「潜水艦の位置は」

「特定できません。水中聴音機が——霧の中では——」

「爆雷を投下しろ。全方向に」

「どこに向けて——」

「全方向だ!」

海面に爆雷が降り注いだ。

だが——潜水艦たちは、すでに深く潜っていた。


リンドクヴィスト少佐は深度七十メートルで、爆雷の音を聞いていた。

船体が揺れる。

だが——直撃ではない。

「浸水、なし」副長が報告した。「損害——軽微」

「再装填、完了まで何分だ」

「十五分です」

「十五分後に——また浮上する」リンドクヴィスト少佐は言った。「もう一度、やる」


夜が明けるまでに——

ソ連輸送船、九隻撃沈。七隻大破。

水陸両用部隊の上陸可能戦力は——三万から一万二千に、減っていた。


陸上戦線。1944年7月9日、午後。

ソ連軍第十八軍は、三十時間前進し続けていた。

補給トラックが追いつかなくなっていた。

燃料が、薄くなっていた。

そして——両翼に、異変が生じていた。

「左翼と、連絡が取れません」参謀がゴルバトフに報告した。「第三十二師団が——」

「なぜだ」

「不明です。無線が——」

その瞬間、西から砲声が聞こえた。

ゴルバトフは振り返った。

西、だ。

前を向いていた軍が——後ろから音がする。

「なぜ西から——」

「将軍!」別の参謀が駆け込んだ。「後方補給基地が——スウェーデン軍の装甲部隊に攻撃されています!」

ゴルバトフは地図を見た。

地図の上に、状況を描いた。

前進した三十時間。両翼が、いつの間にか——

「包囲されている」

声が、かすれていた。

「いつから——」

「わかりません。スウェーデン軍の動きが——全く見えていなかった」

ゴルバトフは地図を見た。

三十万の兵が——袋の中に入っていた。

「後退しろ。全軍、後退——」

「後退路が——」参謀の声が震えた。「リンド将軍の部隊が、後退路を封鎖しています」

沈黙。

「……包囲が、完成している」

ゴルバトフは地図を見た。

見事だった。

敵ながら——見事だった。

引きながら誘い込み、両翼を包み、後退路を断つ。補給線はファルクの工作で既に三日前から機能していなかった。

「スウェーデンの参謀総長は——」ゴルバトフは呟いた。

「将軍?」

「何もない」ゴルバトフは言った。「……降伏交渉の使者を、出せ」


スウェーデン軍前線司令部。同日夜。

リンドが駆け込んできたとき、レーヴェンはすでに地図の前にいた。

「包囲完成!」リンドは言った。「ソ連第十八軍、三十万——完全に袋の中です!後退路封鎖、補給線遮断、確認済み!」

作戦室に、静寂があった。

それから——ノルドストロームが、静かに言った。

「……やった」

誰かが息を吐いた。

誰かの肩が、落ちた。

リンドは珍しく、声を荒げなかった。

「閣下」リンドは言った。「あなたの言った通りになった」

レーヴェンは地図を見ていた。

「水陸両用部隊は」

「沿岸で足止め中です。上陸した一万二千は——沿岸要塞部隊が封鎖しています。スンドベリ大将の潜水艦隊が、海上補給を遮断して」

「降伏交渉の使者が来るはずだ」レーヴェンは言った。「丁重に扱え」

「……丁重に、ですか」

「捕虜は人間だ」レーヴェンは言った。「それだけだ」


モスクワ、クレムリン。1944年7月10日。

電話が鳴った。

スターリンは受話器を取った。

「……何だと」

声が、低かった。

「第十八軍が——包囲された。降伏交渉を——」

スターリンは受話器を置いた。

部屋に、誰もいなかった。

三十万の兵。

包囲されていた。

スウェーデンに——たった三十二万の国に。

スターリンは地図を見た。

レーヴェンの顔を、彼は知らなかった。

だが——

「……化け物だ」

声に出たのは、それだけだった。


バルト三国。1944年7月〜9月。

停戦交渉は、まだだった。

レーヴェンは——止まらなかった。

包囲したソ連第十八軍を無力化した直後、スウェーデン軍は東へ向かった。

エストニア。ラトビア。リトアニア。

ソ連支配下のバルト三国。

「なぜ今——」ノルドストロームは地図を見ながら言った。

「ソ連が混乱している間だ」レーヴェンは言った。「三十万を失ったソ連に、北欧への再侵攻能力はない。少なくとも——六ヶ月は」

「六ヶ月以内に、バルト三国を」

「押さえる。そして停戦条件に入れる」

「ソ連は——」

「飲む」レーヴェンは言った。「飲まなければ——包囲した三十万の捕虜を、どう扱うか、わからない」

「人道的に扱う、と言っていましたが」

「ソ連には——そう言わない」

ベルイマンが、静かに笑った。

「やっぱり、あなたは——」

「続きは後で聞く」レーヴェンは言った。「リンド、動けるか」

「いつでも」

「エストニアから始める。首都タリンを——三日で取る」


エストニア、タリン。1944年7月。

スウェーデン軍が現れたとき——ソ連の守備隊は混乱していた。

本国からの命令が、錯綜していた。

増援は——来なかった。

ファルクが、モスクワへの通信線に「雑音」を入れていた。

命令が届いた時には——タリンは、スウェーデン旗が翻っていた。


ラトビア、リガ。二週間後。

ソ連守備隊司令官は、降伏条件を読んだ。

「軍の名誉を保証する。市民への危害は加えない」

デンマーク、フィンランドと——同じ条件だった。

司令官は署名した。


リトアニア、ヴィリニュス。さらに二週間後。

最後の守備隊が、武器を置いた。

バルト三国が——スウェーデンの管理下に入った。


ストックホルム、参謀総長室。1944年9月。

「バルト三国、制圧完了」

ノルドストロームの報告。

レーヴェンは地図を見た。

スウェーデンの色が——バルト三国まで広がっていた。

バルト海が——スウェーデンの海になっていた。

「停戦交渉の準備をする」レーヴェンは言った。「ソ連の代表が来る前に——条件をまとめろ」

「条件は」

「一、バルト三国のスウェーデン管理を認める。二、スウェーデンへの不可侵を保証する。三、捕虜の相互返還」レーヴェンは言った。「それだけだ」

「バルト三国の——永久割譲は要求しないのですか」

「要求しない」

「なぜですか。今なら——取れます」

「取れる」レーヴェンは言った。「だがソ連を——追い詰めすぎてはいけない」

「なぜですか」

「追い詰められた国は——狂う」レーヴェンは静かに言った。「狂った国は、何をするかわからない。ソ連にはまだ、何百万の兵がいる。スターリンは——正気を失えば、核兵器を——」

「核兵器?」ノルドストロームが言った。「それは——まだ存在しない兵器では」

「存在しない、とは言い切れない」レーヴェンは言った。「ドイツも、米国も、研究している。ソ連も——している」

部屋が静まった。

「だから——適度に勝つ。完全には勝たない」レーヴェンは言った。「相手に、逃げ道を残す」

「フィンランド降伏の時と——同じですか」

「同じだ」レーヴェンは言った。「人間も、国家も——逃げ道があれば、冷静に判断する」


モスクワ、クレムリン。1944年9月。

ジューコフは停戦条件を持って、スターリンの前に立っていた。

スターリンはパイプを燻らせていた。

「バルト三国の管理権を——認めろ、と」

「はい、書記長」

「三十万の捕虜が、向こうにいる」

「はい」

「……そのレーヴェンという男は」スターリンは言った。「なぜ、これ以上要求しない」

「おそらく——」ジューコフは慎重に言った。「これ以上押せば、我々が何をするかわからない、と——わかっているのだと思います」

スターリンは長い沈黙の後——笑った。

低い、静かな笑いだった。

「賢い男だ」

「……書記長」

「条件を——飲む」スターリンは言った。「だが覚えておけ。ジューコフ」

「はい」

「この話は——終わっていない」


ストックホルム。1944年10月1日。

停戦協定が、署名された。

バルト三国はスウェーデンの管理下に入った。

ソ連の捕虜は——全員、人道的に扱われていた。負傷者には治療が施され、食事が与えられていた。

返還の日、ゴルバトフ大将はスウェーデン軍の将校に言った。

「参謀総長に、伝えてくれ」

「何と伝えますか」

ゴルバトフは少し間を置いた。

「……見事だった、と」


参謀総長室。停戦の夜。

部屋に、全員が集まっていた。

珍しいことだった。

スンドベリが、珍しく酒を持ってきていた。

リンドが、珍しく静かだった。

シェルベリが、珍しく笑っていた。

エークが、珍しく前に出ていた。

ベルイマンが、珍しく黙っていた。

ファルクが——珍しく、全員の顔を見ていた。

ノルドストロームがグラスを持ち上げた。

「……閣下」

レーヴェンは窓の外を見ていた。

「スウェーデンは——生きています」

部屋が静かになった。

生きている。

二百十七人の、北欧電撃戦の死者。

訓練中に死んだ二人のパイロット。

そして——今回の戦いで死んだ者たちの名前が、レーヴェンの頭の中にあった。

全員の名前を、覚えていた。

「飲むぞ」リンドが言った。静かに。

全員がグラスを持った。

レーヴェンも——珍しく、グラスを受け取った。

窓の外、バルト海が静かだった。

ストックホルムの秋の夜が、深かった。

「スウェーデン」

誰かが言った。

全員が——繰り返した。

「スウェーデン」

グラスが、合わさった。


夜が更けて。

全員が去った後、レーヴェンは一人、窓の前に立っていた。

机の上に、白紙があった。

今夜、彼はペンを取った。

そして——書いた。

何を書いたのか、誰も知らなかった。

朝になって、白紙は灰になっていた。

焼却炉の中で。

ただ——

ノルドストロームが翌朝出勤したとき、レーヴェンは既に地図の前にいた。

新しい地図を見ていた。

ヨーロッパ全域の地図。

ドイツが、崩れ始めていた。

戦争は——終わっていなかった。

「次を、考えている」ノルドストロームは理解した。

「閣下」ノルドストロームは言った。「少し——休んでください」

レーヴェンは答えなかった。

地図を見ていた。

北欧の、静かな朝だった。

次回もお楽しみに

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ