第ニ話 罪状、一つずつ崩していく
エドワルド殿下の声は、よく通った。
広い宴会場の隅々まで届くように鍛えられた、王族の声。
貴族たちの話し声が消え、音楽が止み、会場がしんと静まり返る中——彼は私の名前を呼んだ。
「アデライード・フォン・ヴェルナー」
名前を呼ばれた瞬間、周囲の視線が一斉に私へ向いた。
好奇、憐れみ、期待。人間というのは、他者の不幸を前にするとこんな顔をするのだな、と前世の記憶が冷静に観察している。
私は表情を変えずに殿下のほうへ向き直り、優雅に一礼した。
「はい、殿下」
我ながら完璧な所作だった。
殿下は一瞬、私の落ち着き払った態度に戸惑いを見せた。
しかしすぐに表情を引き締め、懐から一枚の書状を取り出した。
「今宵この場において、汝に対し三つの罪状を申し渡す」
三つ。ゲームのシナリオ通りだ、と思った。私は静かに待った。
「第一の罪状」
殿下の声が、再び会場に響く。
「男爵令嬢ソフィア・ランブールへの、継続的な嫌がらせ及び脅迫」
ざわめきが起きた。予想していた声ではあったが、実際に耳にすると会場の空気が変わるのがわかった。貴族たちの目が、私からソフィアへ、そしてまた私へと行き来する。
ソフィアは殿下の少し後ろに立っていた。俯き加減で、肩を小さく縮めている。
守ってあげたくなるような、その仕草。
上手いな、と思った。意図的かどうかはわからないが、効果的だった。
「証拠として」と殿下は続ける。「ランブール嬢のもとに届けられた脅迫状、および嫌がらせの指示を記した書状を提出する。筆跡はヴェルナー公爵令嬢のものと一致している」
侍従が書状を掲げた。会場の前列にいる貴族たちが、首を伸ばして見ようとしている。
私は一歩、前に出た。
「拝見してもよろしいですか」
殿下が眉をひそめる。「何?」
「その書状を、直接確認させていただきたいのです」
一瞬の沈黙の後、殿下は侍従に目配せした。
侍従が書状を持ってくる。私はそれを受け取り、丁寧に広げた。
見慣れた筆跡。確かに私の字に似ている。
似ている——だけで、私の字ではない。
「ありがとうございます」
私は書状を返しながら、振り返った。会場の中ほど、背の高い初老の男性に目を向ける。
「コルネリウス先生、いらしていますか」
静寂の中、その男性がゆっくりと前に進み出た。
王立学園の書法教師であり、この国で最も権威ある筆跡鑑定の専門家——コルネリウス・ハルト先生。
今夜ここに来てもらうよう、三週間前に私が直接お願いした人物だ。
「おります」
「今見せていただいた書状と、こちらを比較していただけますか」
私は懐から、もう一枚の書状を取り出した。
私が実際に書いた手紙——先生自身への招待状だ。先生は二枚を並べて、しばらく眺めた。
会場が、息を呑んで待っている。
「……別人の筆跡です」
先生の声は静かだったが、会場全体に届いた。
「アルファベットの『e』の跳ね方、『r』の入り方——細部の癖が異なります。意図的に模倣した形跡はありますが、書き手が違うことは明らかです」
ざわめきが広がった。
私はエドワルド殿下を見た。殿下の顔から、わずかに血の気が引いている。
「殿下」と私は穏やかに言った。「私を陥れた者が誰か、今この場で申し上げましょうか」
殿下は答えなかった。答えられなかった。
私は続けなかった。今はまだ、その必要がない。
「だ、第二の罪状」
殿下は努めて平静を保ちながら、先を続けた。
その声に、わずかな緊張が混じっていることに気づいているのは、私だけかもしれない。
「王国の機密情報を、隣国の商人へ漏洩した疑い」
今度のざわめきは、先ほどより大きかった。
機密漏洩——それは単なる個人の品性の問題ではなく、国家に対する罪だ。
貴族たちの表情が、好奇から緊張へと変わるのがわかった。
「証拠として、ヴェルナー公爵家と隣国商会との金銭的取引の記録を提出する」
侍従が今度は帳簿らしき書類を掲げた。
私は少し考えるような間を置いてから、口を開いた。
「殿下、一つお聞きしてよろしいですか」
「……何だ」
「その機密情報は、どのような経路で私のもとに渡ったとお考えですか」
殿下が眉を寄せる。「何が言いたい」
「機密情報というものは、それを扱える立場の者しか知り得ません。私は公爵令嬢ではありますが、王城の機密文書に触れる権限は持っておりません。では、誰が私にその情報を渡したのか——あるいは、誰が私の名を使って情報を売ったのか」
静寂。
「調査をお願いしたところ」と私は続けた。
「その商会がやり取りをしていた相手は、ヴェルナー公爵家ではありませんでした」
懐から、今度は別の書類を取り出す。三枚。調査員が先月まとめてくれた、商会の取引記録の写しだ。
「この商会が定期的に接触していた人物は——王城の東棟に出入りする資格を持つ、特定の人物です。そしてその人物と、ここ一年の間に頻繁に会っていたのは」
私は視線を上げた。
ソフィアを見た。
「ランブール嬢、あなたが通っていた刺繍教室の師匠は、この商会の関係者ですね」
会場が、凍りついた。
ソフィアが顔を上げた。その目に、初めて動揺の色が走った。
「そ、そんな、私は何も——」
「知らなかったのかもしれません」と私は静かに言った。
「あなたが道具として使われていたとしたら、それはあなたの罪ではない。ただ——」
私は殿下に視線を戻した。
「調べるべき方向が、違ったようです」
殿下の表情が、今度はっきりと歪んだ。
怒りなのか、混乱なのか、あるいは恐怖なのか。
おそらくその全部だろう、と私は思った。
彼は今、自分が用意した舞台の床が、一枚ずつ剥がれていくのを感じているはずだ。
「第三の——」
殿下が声を絞り出す。
「第三の罪状を、申し渡す」
私は待った。
「王太子たる私に対する、呪詛の疑い」
今度のざわめきは、また種類が違った。
呪い——目に見えないものへの恐怖と興味が、会場を包む。
侍従が運んできたのは、小さな布で包まれた人形だった。
藁と布でできた、粗末な作り。それがそっと広げられると、会場のあちこちから息を呑む声がした。
人形の胸には、細い針が刺さっていた。
「ヴェルナー公爵家の書庫の奥から発見されたものだ。この人形に巻かれた布には、王家の紋章が縫いつけられている」
殿下の声に、確かな怒りがあった。これは演技ではない。
彼は本当に、私がこれを作ったと信じているのだ。
私は静かに頷いた。
「拝見しました」
そして、もう一度懐に手を入れた。
取り出したのは、同じような人形だった。
しかし作りが違う。丁寧で、愛情がある。布地は上質で、小さな花の刺繍まで施されている。
そして——巻かれた布に、金色の髪が一房、結ばれていた。
ソフィアの、髪の色だ。
「こちらは先週、殿下のお部屋の書棚の裏から発見されたものです」
私は人形を静かに掲げた。
「針は刺さっておりません。ただ、大切に包まれていました。愛しい人を想って作られたものを——呪いと呼ぶかどうかは、解釈の問題かもしれません」
会場が、水を打ったように静まり返った。
誰かが笑いをこらえる気配がした。誰かが隣の人と目を見合わせた。
殿下の顔が、赤くなっていた。
「それは——」
「殿下のお気持ちを責めているわけではございません」と私は穏やかに遮った。
「ただ、呪詛の証拠として出されたものと、構造が酷似していることを、ご確認いただきたかっただけです」
殿下は何も言えなかった。
三つの罪状が、崩れた。
会場は静寂というより、緊張の中にあった。貴族たちは誰も声を発しない。
しかしその目が、雄弁に語っていた。——この断罪は、失敗した。
私はゆっくりと息を吸った。
まだ、終わりではない。
本当に言わなければならないことは——ここからだ。




