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貴方を愛し続けて

作者: 山神伸二

 私がこの地に着いた途端に雨が上がり、日が姿を見せていた。雨に濡れた道が古ぼけた鏡のように霞んで紅葉の色を映していました。

 万平ホテルホテルのカフェテラスに立ち寄った私はジョンレノンが好んだアップルパイを頬張り、庭に色鮮やかに涼しさを見せてた紅葉を眺めていました。

 空はまた曇りその影を見せた白い雲が画用紙のように紅葉を魅せていました。

 秋に覆い被せられた軽井沢は紅葉と落ち葉によって朱色に染められ、落ち着いた色合いに人々の服も派手ではないデクレッシェンドを感じさせるものになっていました。

 貴方は昔、私がこの場所で興奮しているのを笑っていたのを思い出します。

 あの時は夏と秋、喧騒と静けさを思いながら、過ごしていましたね。

 あの後私はオノヨーコの別荘の前を通りました。あの時は私が必死に写真だけを頼りに探し、やっと見つけた時はホテルからあまりにも近くにあり、拍子抜けをしたのを覚えてますか?ジョンレノンとオノヨーコとショーンの息遣いがここで静かに今でも聞こえます。それは風によって奏でられているのです。

 広々とした庭にぽつんと寂しく聳える小屋が小鳥の声と共になんとも言えない揺らぎを感じるのです。

 その後は車で十分の時間を掛けて旧三笠ホテルに行きました。

 旧三笠ホテルは改修工事が終わり、新しい美しさを息吹いていました。私もかつてこのホテルをモデルに二つほど作品を描きました。そのホテルに足を踏み入れ、千重と秋陽が泊まった部屋、壮史が泊まった部屋を想いながら歩いていた。

 ホテルには虫が何匹がいました。ただ、不快に思うこともなく、自然の調合であると思い、感情を持つことは許されないと心の中で言い聞かしました。

 決して広くないホテルでしたが、それでも昔はもっと広かったようです。秋陽や壮史がいた時はもっと広かったのでしょうね。そして頭の中でイーグルスのホテルカリフォルニアを聴きながら、ホテルの静かな空間に身を委ねておりました。

 そして、ロビーは恐らくは昔はパーティに使用されていたのでしょう。細野晴臣と高橋幸宏はここで出会ったそうです。イエローマジックオーケストラはこの地が無かったらできてなかったかもしれないのです。

 そして私は再び万平ホテルに戻り、ジョンレノンのつま弾いたピアノを眺めていました。弾いたわけでもなくつま弾いたと書かれてるので、そうなのでしょう。何を弾いたのか、チャックベリーやプレスリーなどのロカビリーでしょうか。

 その時にバーでALL MY LOVINGが流れていました。ジョンが撃たれて病室で亡くなった時に病室で流れていた曲である。その偶然さについ笑ってしまった。そしてその後に流れたのはタックスマン、そしてWith a Little Help from My Friends、ポールの歌声、ジョージの歌声、リンゴの歌声が順に流れるのにジョンの歌声が流れないのがまたしてもおかしかったのです。

 次の日の朝はフランスベーカリーでパンを食べました。昔も貴方とよく通ったあのパン屋です。店内にジョンの写真がでかでかと飾ってあり、私はそれを見て、彼の人間らしさをひしひしと感じました。店内で食べたのですが、窓からの日差しが強く汗が止まらず。空は雨雲がよく見えているのに、私はサングラスをつけて、パンを食べました。クリスマスシーズンだからか、クリスマスソングが流れ、その中にジョンのハッピークリスマスが流れたのは偶然だったのでしょうか。

 外を出ると、晴れてはいるが風に流れた小さな雨が少しばかり体に触れた。ただ、それも次期に止み、つるや旅館へとついた。私はその前で美しい村を読み、堀辰雄の足跡を辿りました。

 その先には美しい紅葉の道、なんとも秋を感じさせてくれる優しい道でした。道が前日の雨に濡れていたからか、紅葉の色が輝くように光り、私を秋の世界に歓迎しているかのように思える程で、私は自分よがりの優越感を感じておりました。

 そしてショー教会は奥の方にしっとりと隠れるように立っていました。その日は結婚式があったようで中には入れず、別荘の方も冬季休館で入れず、その姿だけを見ているだけでした。結婚思うと貴方と結婚できずにいた事を残念に思います。ただ、それは仕方のない事で、お互いに悔いの残る事でしたね。心の中で私は貴方と繋がっていたいと思います。きっと神様は見ていてくれるでしょう。あの悲劇を起こしてしまったけれど、お互いに最期まで涙を見せずにいたことは意地の張り合いのおかげです。

 ショー教会は「映し出す二人」でも出てきた教会です。聖サンパウロカトリック教会は私の中では出てきたのかは不明なのです。「清く吹き荒れ」では教会は出てくるのですが、それがどちらの教会であったのか私はすっかり忘れてしまいました。私のそんなだらしのない所を貴方は呆れながらも笑っていましたね。そんな事をたった今思い出しました。「美しい村」には確かにこの教会は出ていました。私は自身の作品ではなく堀の作品に触れてただ、立ちすくんでいました。

 駐輪場へ歩いて戻り、自転車に乗って私は雲場池へと向かいました。その途中のロータリーに雲場池への道に迷いはしましたけれど、無事雲場池に着くことができましたが、雲場池はたくさんの人で溢れてました。自転車を止めるのも一苦労で、ただ、その変わりに紅葉は見事に映え、池に映る赤い色が絨毯の模様のように思えたのです。

 あの時、貴方と来た時は夏でした。秋の雲場池は私も初めて見るのです。

 千重と秋陽にもこの景色を見せてあげればよかったのかもしれません。映し出す二人はとても美しいのでしょう。

 雲場池を後にすると、私はしばらく、サイクリングを楽しみ、誰もいないような美しい家々が並ぶ道を走り、迷い掛けた時に駅の方まで走って行きました。しかし、日当たりの良い場所に木の影が当たり、膝くらいまでの小さい濃い緑色の苔がよく生えた石の塀が左右に並んでいる道はどうして、軽井沢を思わせるのでしょうか。その景色を見るたびに、私は貴方と歩いたあの時を思い出さずにいられないのです。

 自転車を返し(しかし、随分と返すのが早かった)私は車に乗って塩沢の方へと走り出しました。紅葉が美しく、遠くの山までもがよく見えたのです。信号待ちをしている時にその幸福感に私は涼しさの中に暖かみを常に感じたのです。

 そして、迷って道を引き返したりしながらもなんとか離山房へ着くことができました。私はここへは初めて伺いました。離山坊を知ったのも急だったのです。

 離山坊はジョン・レノン達がよく訪れていた場所でもあり、まず私はその紅葉に囲まれた店に心を奪われました。客は私以外おらず、私は寒さすらありましたが、テラス席に行き、ジョン一家の座ったお気に入りの席に腰を下ろしました。ああ、ここでジョンはこの景色を眺めていたのだと、時期は違えど、この景色に変わりはないのです。私はブルーベリージュースとホットケーキを頼みました。ブルーベリージュースはしゃりしゃりとした口あたりがよく、冷たくもおいしく、ホットケーキの甘みがまた口の中にほろほろと流れて行きました。

 途中に、一組の男女がやってきて、ジョンの話などをしておりました。私は一人でしたので、ただ、その言葉に耳を傾けながら、秋の寂しい風に同調するように目をやっていました。

 この店は名前は水上勉が命名したそうです。店の中にはジョンとヨーコの描いた絵やジョンの使用したカップの他に水上勉や横溝正史のサインがあり、音楽と文学は実に心に映る繋がりがあるのだとしみじみと思いました。

 庭にある木はショーンの背を測った木だそうです。それが残っているのが私はとにかく嬉しかった。そして東屋は三人が座って写真を撮った椅子までもがあったのです。私は三つの椅子に腰を掛け、彼らの残影に浸っていました。彼らはこの東屋で食事をしていたこともあったそうです。今はできないそうですが。

 離山坊を後にすると、すぐ近くの塩沢湖へとやってきました。

 駐車場から入り口に入り、すぐ近くに睡鳩荘が立ち、その姿をやっと見ることができた私はつい、水辺の方まで足を伸ばしました。秋の晴れやかな心地良さが気持ち良く、時間を忘れて、歩いていました。風は清く吹き荒れておりますが、日の暖かさがあり、それほど気になりません。離山房でのジョンの暖かさがそうさせたのかもしれません。

 塩沢湖は私の小説でも、綾乃の家がある所です。雑誌で朝吹山荘の美しさに魅了された私はこの地をモデルに作品を書いてました。

 湖の周りをぐるりと周り、睡鳩荘に着くと、その壁の色合いが遠くで見た時よりも鮮やかで力強いことに私は驚きました。繊細さだけを感じていたのですが、なんとも文化的なものがあったのです。優しさだけではない守るべきものがあるのでしょうか。

 私の作品の壮史と綾乃は自分自身と貴方を思って書いたのかもしれません。そう思える程よく似ているのです。ですが、私はすっかりと言っていいほどその事を覚えてないのです。ただ、憧れをその地に当てはめて書いたに過ぎないのですから。

 家の中は思っていたよりも狭く、これは壮史と綾乃が過ごすのにはちょうど良いのかもしれません。

 この日は風が強く、靡く風によって私は反対に暑さを感じておりました。

 二階に行くと、一つの広い部屋に入れてそこからベランダへと出られるそうでした。私は壮史が絵を描いた場所に出てみました。

 小説の中ではここで壮史は浅間山を描いていましたが、実際には浅間山は見えず、作品のことは私の想像へと変わっていったのでした。風が強く、開いた窓が勝手に強い音を立てて閉まってしまうこともあり、私は何度かベランダに立ちながら、ゆっくりとその時間を過ごしていました。そこで壮史と綾乃の存在を感じ、文章や台詞を読みながら、この言葉がここで響くのを思い、現実に近づくのを楽しんでおりました。

 私達もここで過ごしていたらどんなに幸せだったでしょう。金があり、失う心配もなければ世界一の幸福者であったでしょうね。

 そして、私は隣の軽井沢高原文庫へと足を運びました。風が吹く中、道を渡り、林の影に入るのは涼しさに身を投じるようなことでした。館内に入る時にどう入ればいいのか悩みながらもなんとか玄関に辿り着き、館内の方に優しくしていただきました。この優しさが不意なもので涼しさとは真逆な印象を与えてくれました。軽井沢に滞在した文豪の遺品を見た後に、堀辰雄の別荘を見学しました。「美しい村」にも書かれた別荘。この印象が私の堀に対するものへと変わり、やがて、私が書く軽井沢小説の物へと変わっていったのです。それは貴方に対するものでもあり、この地で永遠の愛を感じた時、ここが軽井沢でなかったらまた違うものになっていたことでしょう。

 おまけと言ってはなんですが、野上弥生子の書斎も見たのですが、私はこの方を存じ上げず、ただただ、その質素な美しさの家に感動したのであります。

 もう帰ろうかと思ったのですが、最後に有島武郎の浄月庵に寄りました。私は有島武郎の作品を読んだことはなかったのですが、私は貴方が読んでいたのを思い出します。それだけを読んでいたように思います。軽井沢は他にも有島生馬や里見弴など彼らに関係する場所が沢山あるように思いました。そして有島武郎はここの家で心中を遂げました。現在はカフェと記念室があり、この家で頂くミルクコーヒーは不思議なほど甘く、死というものを悲観的なものに捉えてしまうのをおかしく思ってしまうほどでした。しかし、心中はやはり、悲観的なもので、私はミルクコーヒーを飲み終えると二階の記念室を覗いてこの場を後にしました。清々しさにやられ、私は貴方といたこの地を今離れようとしています。この後は高崎に寄り、祖母に会い、友人と夕食の約束があります。

 夕陽が眩しく刺す中、それがすぐに暗くなることの暗示だと私は思うと、一度軽井沢の山々に目をまわし、どこかに貴方がいるのかと思いながら、貴方の幻影に追いかけてられてる想像をして、貴方を追い回していました。

 思い出はいつまでも私が生きている限りは残るのです。そして私がいなくなっても、記録として残るのです。

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