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いらっしゃい。…ア?


ハハ、マジか、おめさんがまた来てくれるたぁ思ってなかったよ。


久しぶりだね、『トザメ』。


ニャハハハッ!そんな怖ェ顔すンなよ!アタシが信者じゃねェのは前回で知ってるだろうに。


名前を呼ばれんのは慣れねェかい。ニャハ、おめさんも難儀なモンだねぇ。


で、どうした。…「カラスがガアガア」。『ミケさんはニャンと鳴く?』「きっとこれも世迷い言」。はい、確かに。


おめさんがアタシの話をそんなに気に入ってくれてたとはねぇ。ンで?お代は?


『翼に爪を立て』…ウワ、どこで手に入れたんだこんなモン。「信者の一人が持ってた」?なんだ、押し付けに来ただけかよ。


「話を聞きたいのも本当」だって?どうした、いやに素直じゃねェか。


マァ、良いさ。ここは三味線堂、ただの雑貨屋さ。ちょいと店主がお喋りなだけのね。


おめさんのために取っておいた話があるんだ。聞かせてやるよ。




そいつはぼんやり生きていた。ぼんやり日々を生きていた。目標を持つでもなく、何かに人生を捧げるでもなく、ただ漫然と、日々を過ごしていた。


やる気を失うような出来事があったわけじゃない。それは最初っから無気力だった。何もしなくても生きていけたからさ。


そいつの実家は金持ちだった。有名な資産家の子だったそれは、息を吸うだけで金が入ってきた。跡継ぎには自分より有能な弟ができたから、それからはことさらに怠けた。


起きる、食う、遊ぶ、食う、呑む、食う、寝る。その繰り返しを苦には思わない。人生楽に生きてこそだ。努力しなくて良い環境に、それは存分に甘えた。


で、父の跡を継いだ弟に、とうとう愛想を尽かされた。マァそりゃあなァ、自分が頑張ってる隣で何もせずだらだらと兄が悠々自適に過ごしてりゃ、腹立つモンだろう。それは縁を切られ、家を追い出された。


だがなぁ、それで何か変わったかといえば、何も変わらなかった。手切れ金として一生遊んで暮らせる額を受け取っていたからさ。多分、この兄を着の身着のままでほっぽりだしたら、絶対に野垂れ死ぬって分かってたんだろうな。それじゃ寝覚めが悪いってんで、十分な金を渡してそのまますっきりサヨナラってワケさ。


そんな弟の慈悲があったからこそ、極端な浪費家ではないそいつは、やっぱり日々を自堕落に過ごしていた。


が、ここで一つ問題が。そいつは家事ができなかった。


実家に寄生していた頃は家の手伝いがいたからそれで良かったんだが、追い出されたらそうもいかねぇ。自分で雇わにゃならん。


メンドクセェナァとは思いつつも、身の回りのことを自分でやる方がメンドクセェ。結局一人のバアさんを雇い入れることにした。特に理由はねェ。ただ斡旋所が薦めるままに雇っただけ。仮にそのバアさんが使えなかったとて大した痛手でもなかった。


そいつはバアさんを家に迎えた。おっ()んじまったらまた斡旋所に行かねェといけねぇのが面倒だな、なんて最低なことを考えながら。


「貴方、家事はできるの?」


思考が別のことに飛んでたわけだから、一瞬何を聞かれたか分からなかった。


「なんだって?」


「若いのにもう耳が遠いの?家事はできるのかって聞いたの」


「家事をやるのはあんただろ」


「私が聞いてるのは家事ができるのか、できないのか。答えなさい」


話が通じねぇバアさんだ。そいつはイライラして思わず怒鳴った。


「できねぇよ!できねぇからテメェを雇ったんだろうが!」


「私を雇う手続きは自分でできたじゃない」


そいつは思った。バカにしてんのか、と。そんくらいちゃんと手順を踏んでやりゃ誰だってできる。思ったことをそのまま叫び散らした。普段は面倒だと適当に流すことなのに、このときばかりは苛立ちが止まらなかった。きっと、慣れない手続きなんてモンをしたせいだ。これが終わればこんなメンドクセェことをしなくて済むと思っていたのに、このババアがメンドクセェこと聞いてくるせいだ。


「家事だって手順通りにするものでしょ。貴方はやりたくないだけ」


そんなこと知っている。でも、なにもしたくないやりたくないでそれは今まで生きてこれたんだ。ならもう良いじゃねェか。


「私のことは師匠と呼んで。全部教えてあげるから」


雇われてる分際で、バアさんは図々しくもそう言った。


少なくとも、最初に教わったモンは決まった。


感情の起伏に乏しかったそいつは、大抵がメンドクセェに塗り固められていたそいつは、そこで初めて、怒りを知った。


しょうもねぇことさ。でも、停滞よりは遥かにマシさね。怒りがどれほどの動力を生むか、おめさんも良く知ってるだろう?


そんなこんなで怒声を響かせながらも、師匠との日々は続いていた。怒声が罵声にならなかったのは、欠片だけ残ってた良心のおかげか。防音のしっかりした家だったのが救いだね。


起きる、作ってもらう、食う、遊ぶ、片す、喧嘩する、作る、食う、また喧嘩する、作る、食う、一緒に呑む、洗う、寝る。


一日ですることが格段に増えた。メンドクセェことばかりさ。けど、無機質な日々が、何か別の物に変わっていくような気がした。


あぁ、そうさ、そいつは少しだけ楽しくなり始めた。教わり、実践し、身に付く。たったそれだけのことが、何だか嬉しくて、とても尊い物のように思えた。


そんな矢先、師匠が死んだ。寿命さ。珍しくもない。なんせバアさんだ。こうなることくらい分かってた。


分かってたはずなのに、そいつは泣いた。悲しかった。あぁ、悲しかったんだ。


でもな、悲しくても、きっと前までのそいつなら泣いてなかったんだ。泣くのもメンドクセェって、あくびをしてたはずなんだ。


泣いたのは師匠のせいだ。


一人で生きていけるように家事全般を、友達の作り方や遊びの誘い方を、一人のときは何をすれば良いか、嬉しい時は笑えば良い、悲しい時は泣けば良い、その全てを教えてもらった。そのせいで、そいつは涙が止まらなかった。


メンドクセェなァとは、今でも思ってる。けれど、メンドクセェからって、師匠から教わったモンを捨てたいとも思わなかった。


そいつは今も、ちょっとつまらなくなった、相変わらずメンドクセェ日々を過ごしている。偶然再会した弟が言うには、それはまるで、普通の人みたいだったとさ。めでたし、めでたし。




ニャハ、ちょいと思うところがあるだろう。だから、この話はおめさんに聞かせたかったんだ。


なァ、別れは終わりじゃねェと、アタシは思うんだがね。おめさんはどうだい?


…うん。おめさんが受け継いだ物も、覚えてる内にちゃあんと確かめておきな。

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