三
いらっしゃい。
「ミケさんの爪研ぎがほしい」?ニャハハ、『どこにやったかニャア?』。
「明日天気になあれ」…ン?これ、お代かい?『魔法の鞄』なんて随分珍しい。先払いなのも分かってるじゃないか。
…んふふ、いやね、最近おかしな客が多かったから、マトモな客が嬉しいのさ。一応確認だが、話をする方で良いんだよな?
「逆にそれ以外あるのか?」って、あぁもう、おめさんってば最高だな。
最高の客にゃ最高の語りで望ませてもらおう。ここは三味線堂、ただの雑貨屋さァ。店主がちょいとお喋りなだけのね。
そいじゃ、早速。
由緒正しい一族のお屋敷にそぐわぬ一匹の道化師がいた。それは雇われていたというより、ペットとして飼われていた。
そんな道化を飼う物好きは、その一族のご令嬢。美しくて、可愛らしくて、気立てが良いお嬢さん。そんな本家当主の愛娘が道化を飼ってるなんざ、良い噂の的になったもんさ。
とはいえ、鳥籠の中で大事に大事に育てられた深窓のご令嬢に口さがない噂が届くわけもなく、ご令嬢は今日も今日とてペットを愛でていた。
「今日は何をしてくれるの?」と、小鳥が歌うように言う。
その可憐な声に道化はいつも舞い上がって、おかしな動きでおどけてみたり、ホラ話としか思えん奇想天外な物語を語ってみたり、あの手この手でご令嬢を笑わせようとする。
道化は誇らしかった。ご令嬢が顔をほころばせるのは自分の前だけなのだ。他の使用人にさえ見せない笑みを、自分だけに。
「退屈で何もない日々が、少し楽しくなったの。あなたのおかげよ」と、これまた小鳥が歌うように言う。
道化はウットリとして、またまたおどけて見せた。
二人の間ではこの繰り返しだったが、道化がご令嬢を飽きさせることがなかった。それがまた道化に自信を付け、ことさらに芸を磨いた。
舶来品を使ってマジックをした。図書館に入り浸って文学を勉強した。ひたむきに、切実に、道化は賢くも愚かなペットとして振る舞い続けた。
全ては、ご令嬢のために。
全ては、ご令嬢の笑顔のために。
全ては、叶わぬ恋のために。
分不相応な願いさ。ペットじゃ恋仲にゃなれねェ。でも、ペットじゃなけりゃ屋敷にすら入れねェ。
ペットに恋されてると気付かれちゃ、きっと気味悪がって側に置いてもらえなくなる。道化は必死に隠した。
かわいらしい声に毎日恋して、きれいな心根を毎日愛して、美しい笑みに跳ねる鼓動を毎日隠した。
その甲斐あってか、道化はご令嬢が嫁に行くまで、ずっと隣でおどけられたのさ。
ご令嬢は名家に嫁に行く。嫁ぎ先にペットは連れていけねぇ。だから、ここでお別れだ。でも、悲しんじゃいけねぇ。ご主人様の幸せはペットの幸せさ。そうだろ?
思ってはいけない。自分だけのご令嬢がどこかへ行ってしまうなんて、思ってはいけない。
道化はおどける。心の内で涙をはらはらと流しながら、面の外では笑ってみせた。
ご令嬢は笑う。ころころと愛らしく笑う。あぁ、ご令嬢、あなたは美しい、美しいあなたに醜い自分はふさわしくない、あなたに拾われて幸せでした、この思い出だけで自分は生きていける、どうか、どうかお幸せに──
──ご令嬢と目が合った。哀れむような目をしていた。
「ごめんね」
ご令嬢のその一言で、機微に聡い道化はすぐさま気付いた。ご令嬢は道化の想いに気付いていたことを、気付いていてなお、道化を飼い続けていたことを。
そうと分かって、ご令嬢に失望できりゃ良かった。責め立てることができりゃ良かった。騙していたのかと、内心嘲笑っていたのかと、怒鳴り散らせりゃ良かった。
できやしねぇさ、そんなこと。隠して隠して溢れた恋が、それを許しちゃくれねぇ。
元より、想いに応えてくれるとは思っちゃいなかった。気色悪いと頬を張られなかっただけ上等さ。
失恋に泣き喚くことすらできず、道化はひきつった笑顔でご令嬢を見送った。知らない男の元へ嫁ぐご令嬢の背中を、ただ、ジッと、見つめていた。
ご令嬢が嫁いだ後、道化は屋敷から追い出された。そして、ただの野良となった。
煮えたぎった恋心が空っぽになって、決して埋まらない穴となる。
誰にどんな芸を見せようとも、笑顔と拍手喝采で称えられようとも、見世物小屋で一番の演目になろうとも、道化はこれっぽっちも満たされなかった。
道化は笑う。恋に現を抜かさねェ完璧な笑みで、乾いて渇いて仕方のねェ笑みで。
こんなことになるなら、恋なんてしなきゃ良かった。
道化はどこまでも道化でしたとさ、めでたしめでたし。
…「この話のどこがめでてぇのか」って?そりゃ、下手に愛を告白して、振られてバカを晒すこともなかったんだ。ペットの間ずーっと素敵な夢を見れたんだ。めでてぇだろう?
この悲恋の成り損ないみてぇな滑稽さがアタシは気に入っててね。"面白い"話だろう?
──「期待外れ」だァ?………あァ、そうかい。そうかよ、マ、そう思うのは自由だ。お代は返さねェからな。
サァ、帰ぇれ帰ぇれ。おめさんが話を聞かない客にならないことだけを願ってるよ。