ケツのライン
――念仏。
みんなが、お経を唱えている間。
俺はケツを眺めていた。
仏壇の前には、袈裟を着たお寺関係者が二人。
住職らしき筋肉質な方と。
もう一人は。
黒髪ロングで目つきが鋭い美少女だった。
無論、俺が眺めていたのは住職のケツではない。
俺の前には美少女が座ったので、ケツのラインを眺めていたのは不可抗力であった。
眼前にあるのだ、仕方がない。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
チーーーン……!
足の痺れとケツのラインに気を取られていて、どうやらお経は終わっていたようだ。
お寺関係者たちは、こちらに向き直っている。
お経後の法話が始まるのだろうか。
だが俺は、ある事が頭の中で渦巻いていて――心ここにあらずだった。
それは、姉ちゃんの姿。
さっき部屋で見た。うちの猫を、モニカを撫でる姉ちゃんの幻視。
いや、幻覚だろうか。
それが脳内にこびり付いて離れなかった。
だからだろうか。
俺の目は、姉ちゃんの姿を無意識に追って認めてしまう。
仏壇の中央には――母さんの遺影。
その横に、姉ちゃんの遺影が掲げてある事を。
前髪クロスで黒髪おさげの姉ちゃんが、にぱーっとした感じで笑っている写真。
そう、姉ちゃんの遺影。
……俺はいまだ、この感覚に慣れなかった。
もう姉ちゃんがこの世にいない。
そんな腐った現実が押し寄せて来る感覚に――。
(ふえぇ……。やっとこ、線香の香りには順応してきましたよ? 流石にお経、念仏を唱えている間はこっちには近寄れませんでしたが)
その感覚が押し寄せてくる前に、また姉ちゃんの声。
幻聴がしてきた。
(あとですねぇ、蒼司? 遺影について意義があります。人に見られるのですから、もうちょっとキリッとしたまともな写真を選定してくださいよぉ。もう)
「(……姉ちゃんには笑顔が似合う。証明写真みたいな真顔よりも――いい意味で、能天気に笑ってる写真が似合うんだ)」
俺は、いつのまにか会話をするように。
幻聴に、小声でそう応えていた。
(ちょ、そういうとこですよ。蒼司、もう)
あれ?
なぜだか幻聴は照れているような声色。それは気のせいだろうか。
そのような声色まで再現できるとは、幻聴だとしても俺の脳内再生力たけーな。
そう思っていると、ふと視線を感じた。
鋭い眼光で睨んでくるのは、姉ちゃんに勝るとも劣らないケツのラインを持つ美少女僧侶。
(あわわ……蒼司。美少女さんに睨まれてませんか? なにやらマッチョなお坊さんの法話も途中ですし、今は集中しましょう!)
もう姉ちゃんの声には慣れてきた。最早、脳内ボイスといっても過言ではない……!
そう思う事にした。
「……さて、法話が済んだし。お暇しようかしら」
なんやかんや思慮を巡らしていると、いつのまにか法話すら終わっていた。
今気づいたらイカつい体格の坊さんは、喋るとオネエ系だったようだ。
「さぁて、帰るわよぉ? My cute!」
「お、お父さん! 娘をそう呼ばないでといつも言っているだろう!!」
「いけずねぇ。ウチの娘は……あら、貴方。守護られているわね? 微笑ましいわあ」
おっさん――もとい、オネエ系の坊さんは俺を見つめて意味深な事を呟き、頬を染めた。
一方で美少女僧侶も、まだ俺を見つめている。
こんなに見つめられる機会はそうそうない。
モテ期かなにかでも到来したのだろうか?
「……お父さんは先に帰っていてくれないか。――私は、この少年に興味がある」
美少女僧侶はそう言って、俺を見つめ続ける。
(!! あのですねぇ、蒼司。コレが俗に言うモテ期ですか? 弟がモテるのは複雑ですが嬉しいですけれども、まだ蒼司は中等部なんですからね!? 恋愛は早いですよ!!)
なにを言ってるのだろうか、この脳内ボイスは。
◇◆◇◆
やがて坊さんは娘さんを置いて一人、モデル歩きで帰っていった。
かくして、法要が終わる。
姉ちゃんの四十九日というものは、終わってみると割とあっさりしたものだったかな……。
(ふーむ。自分の四十九日というのは、感慨深いですね……なんだかポエムか詩でも思いつきそうですよぉ)
そんな姉ちゃん声の脳内ボイスに耳を傾けつつも、8月31日の午後が過ぎていく――。
居間では叔母さんが、スマホを手に慌ただしくしていた。
「ああもう! こんな日に学園に呼ばれるなんて、教務主任のおばさんめえぇぇ!!!」
そのような事を言いながら、バタバタと支度している。教師は忙しいらしい。
美人なので忘れていたが、叔母さんも年齢的にはアレだ。
おばさんというカテゴリーに、片足突っ込んでるような気もする。
その叔母さんが、財布を手に俺の前まで来る。
「ごめんね、蒼司くん。今日はこれで何か食べて頂戴。余ったのは使ってもいいのだけれど、ソシャゲや課金は程々にね?」
叔母さんは、一万円札を俺に差し出した。
おお、有り難い。
先程の思考は撤回する、叔母さんは美人なお姉さんです!!
(ちょ!? 一万円は大金ですよ!? 叔母さんも忙しいからって蒼司を甘やかしすぎです! まったくもうです! もうー!!)
過保護な脳内ボイスだなあ。
「なるべく早く帰るつもりなのだけれど、藤堂さんと至理さん。どうか蒼司くんを頼んだわよ」
「……了解したさ」「ラジャだょ」
……叔母さんも、幼馴染み二人も、過保護だ。
(なんなん……ですか? 妙な空気ですね)
程なくして、ゆうひ叔母さんは胸が強調されるライダースーツに身を包んでいた。
そして、バイクで颯爽と通勤して行く!
(ケホッケホッ……排気量凄いですね。それにしてもあの綺麗なウェーブがかった黒髪。それが、フルフェイスヘルメットに収まっているのはなんだか不思議です。それにつけても叔母さんのライダースーツ姿はカッコいいですねぇ!)
うむ、スタイルがいいとボディラインが際立つ。
「うむ、スタイルがいいとボディラインが際立つ」
(えぅ、蒼司。心の声が漏れてませんか? まあでも叔母さんはスタイル抜群ですからね。お胸が大きいのにお尻は引き締まってますし)
「(姉ちゃんはケツがデカかったからな)」
(ななな、なんですとぉ!!?)
姉ちゃんの声と軽く会話していると、なんだか懐かしい気持ちになった。
「……さて。大人達はいないし、本題に入ろうか」
そう言ったのは、黒髪ロングでツリ目な美少女僧侶。
彼女は茶菓子のせんべいをパリポリと食べ終わると、俺を見つめてきた。
正統派の美少女に、また睨まれている。
「……あの、すいません。そう見つめられると、照れるんですけど。俺、なんかしましたっけ?」
「なにもしてないし、見つめてもいない。――少年、キミを霊視。しているところだ」
……は? 少年て。
あとレイシってなんだ? 霊視か。
今日び、心霊番組やスピリチュアル特番でも出ないようなワードが、艶やかな唇から発せられた。
「うーん。あの美少女、どこかで見たような気がするんだよにぇ。そういやレイシってなんだっけなんだよ?」
「ふむ、レイシといえばツルレイシ。通称ゴーヤ、苦瓜とも言われているのさ」
幼馴染み達はテキトーな事を言っている。
(ゴーヤいいですね。キャベツとかひやむぎと炒めて……あ! お茄子とも相性いいんですよね)
「(ぜんぜんいくない。茄子、あれなるは冥界の野菜。地獄のような色彩を放っているではないか)」
(地獄と冥界がごっちゃになってますよ? あとですね蒼司、それって食べず嫌いの理由付けなんですよ。お茄子は油と相性抜群なんですから、一度食べてみてくださいよぉ)
「……先程から思っていたが、少年は誰と会話している?」
美少女僧侶はそう言いつつ、俺を見つめ続ける。
その鋭い眼光――切れ長なツリ目は更に鋭さを増した。
怪しい女だ。
「私は少し、近視気味なので気にしないでくれ。この霊視によって視え……る。少年の背後に、若い女性の霊が」
!!
若い女性の霊。姉ちゃん……か?
――幽霊。
だとしたら、幻聴にも幻覚にも説明がつく――。
幽霊だとしても、姉ちゃんが帰ってきたのかな!!
「それも、かなり大きい。身長は2メートルを超える……くらい? 胸もかなり大きいぞ」
「八尺様かな?」
「ふむ、宇宙人――フラット・ウィズ・モンスターかもしれないのさ」
幼馴染み達はテキトーな事を言っている。
しかし、俺の姉ちゃんの身長はそんなデカくはない。
特に、胸はない。
俺の姉ちゃんは、おっぱいは、無いのだ。
残念ながら。
「大きい……そっか、姉ちゃんじゃないのか」
(わ、私ですよ私! 浮いているから身長が高く見えるだけじゃないんですか? 蒼司も、なに落胆しちゃってるんですか!? そも、妖怪だとか宇宙人ではありません、ありませんよぉぉ!?)
姉ちゃんの声。
それはより、わちゃわちゃする――!!
(そこの美少女僧侶さん! 私が視えてるんですよね? アレ、アレです。近視だったら眼鏡くらいしたらどうなんですかぁ!? あ! あと弟に言ってください。お姉ちゃんが帰ってきた――いえ、還ってきたのだと!!)
「ウッ……なにか喋っているみたいだが、あまりよく聴きとれない。声にならない声――これが、霊の声? 害をなす悪霊ではないようだけれど、なにか対策をしなければ……」
そのような事を呟く美少女。
側から見たら、この人大丈夫だろうか?
「そうだ! 少年! キミの周りに結界を張ろうと思う。それが良いに違いない!」
え? この人、いまなんて言った?
けっか……い?
荒唐無稽な事を言うが早いか、彼女は俺の胸板に触れてきた。
!?
(ちょ!? なに弟の胸板に触れちゃってんですかぁ!!? 私が触れたいくらいですよ!?)
「これは……? なるほど。少年、私の気を送り込むぞ……破!!!」
!!
胸元を中心に、なにか暖かい感覚がしてきた。
(って。あわわ……蒼司がドーム状の球体に包まれていきます!? なんですかコレ? バリアっぽいですね。ちょっと触れてみてもいいですかね? 触れてみたいです! 触れてみましょう!!)
姉ちゃんの声は、割と向こう見ずな事を言う。
そんな傾向がある人ではあったけれど。
(ゔぇえええええっ!?!? なっ、なんですかコレ!? 触ったら? 私の存在ががが――――うすく、きえ……ちょ……! そんなっ……!!!)
えぇ……姉ちゃんの声は霧散していった。
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次回は仏像が浮かび上がります
またみてね