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私はなるべく自分で決めた範囲のお金しか娯楽に使いたくない。貧乏の真の恐ろしさを知っていき貧乏性になっていったからだ。
手頃な値段のお寿司屋で自分で引っ越し祝い、新生活のお祝い代と思えば払える額内で食べられそうなので一安心。
「このお店にはよく来るのですか?」
「たまにです。お祝いの時にごちそうしたり先輩にごちそうになったり。手頃で美味しいので」
「私はこのお得なおまかせ海鮮丼にする」
「おい。寿司を食えよ寿司を。海鮮丼ならレイが釣ってきた魚を食べるだろう? 釣ってこなそうなものを食べろ」
「そうだった。兄ちゃんのど忘れがうつった。安くて沢山食べられるもので釣ってこなそうなもの……」
ルルは熱心にお品書きを見始めた。
「遠慮なくって言うと遠慮するでしょうし俺にも予算があるので2大銅貨まででお願いします。さっき話していたように家を建てるために貯金しているんで」
高くない寿司なら10貫以上食べられるし高いものだと数貫で満腹にはならないというような絶妙な値段。
引っ越し祝いなら、と思って考えた予算と同じ。
「いえ、お気持ちだけ受け取ります」
「それならその2大銅貨でちび饅頭を沢山買って長屋中に配りましょう」
大家に聞いたら「そういうことはしなくて大丈夫」と言われたけどした方が良いみたい。
「私も2大銅貨まで出します。妹の先生にすり寄っておかないと。兄ちゃん、釣ってこなそうなもので安いものって分からないよ。リル姉ちゃんがまた釣ったものを漁師と交換したり色々安く買ってきてくれそう」
すり寄っておかないとってあけすけない。
「雲丹とかサザエを食え。季節ものでしらすは?」
「高いじゃん。サザエはたまに買ってくるよ」
「代わりに安いあら汁を飲んどけ。あとここの名物特製いなり寿司。前に誰かが毎月中身が変わるって言ってたぜ」
「いなり寿司は食べようか迷ってた。中身の工夫が気になる。そうでなくてもお揚げさん大好き。とりあえずいなり寿司とあら汁を食べてから考える」
「俺も同じものを頼もう。いなり寿司は家じゃ食えねえし。ロイさんの出稽古弁当にたまに入ってるから1つもらったりしてる」
「家だとお揚げさんを刻んで混ぜちゃうからね。私はリル姉ちゃんのいなり寿司を食べてるけどね。リル姉ちゃんのお揚げさんと味比べをしたいし工夫盗みをして作ってもらおう」
ロイとはまた新しい人物。家族なのか友人なのか不明。すみません、とネビーが従業員を呼んで注文をした。
「いなり寿司2人前とあら汁2つ。ウィオラさんは決まりましたか?」
「同じものをいただきます」
「いなり寿司3人前とあら汁3つでお願いします。食べ終わった頃にまた頼みます」
「かしこまりました」
一旦注文終了。
「そうそう。私が親戚の家に居候している理由なんですけど、私も家族や親戚の為になる結婚をしてくれって言われているんです。元服してから親戚の家で勉強や礼儀作法を習いつつ役所で雑務仕事をしています。職場へ通う都合とか地域に住む男性達の身分がええので姉が嫁いだ家にお世話になっています」
役所で雑務って親が役所勤めで偉くないと出来ないはずだけど親戚なのに出来るってその親戚は何者?
「妹はこの通りの見た目なので両家というか向こうの家に良い相手が釣れるかもって期待されていて。本人も勉強などに興味があるのでお世話になっています」
「そこらのゴロツキと結婚したら困るって連行されました。すこぶる楽しいです。子ども好きだし家守りより仕事に生きたい! とかないんで早く結婚したいけど理想が高すぎて家族を困らせています」
「家族っていうかテルルさんな。妹の義母です。女学校の勉強の範囲や茶道。それからご近所さんに頼んで琴と花道とうんとお世話になっています。お見合いをしてまたすぐ断ったらしいけどルルの理想って何なんだ? 遠慮してそうだから聞けって言われてた」
次女のリルはかなり良い家に嫁いだようだ。ネビーは顔が広いようだし、叩き上げで地区本部所属の兵官になるくらいだから妹に良い縁談を引っ張ってこれそう。
これが噂の気が合う人と会えるまでお見合をする今時の縁談。
ロカは現在女学生。ルルが女学校に通える歳には家計に余裕がなかったとか?
それでリルもまだ嫁いでいなかったのだろう。
「ウィオラさん。兄ちゃんはパッと見は軟弱そうだけど脱ぐとムキムキです。うんと強いです。日焼けもええ感じ。人気者なのに硬派。ぼんやりでバカなところもあるし忘れっぽいし自慢屋なのが残念です。なので兄ちゃんの欠点がなくなって義理の兄みたいに優しくて嫁に甘々で教養があって龍歌を作れてハイカラで仕事が出来る人の為に家を守りたいです!」
それは確かに理想が高いというか、そのような男性はいるのかな?
しかしルルには美貌、親戚の娘に職場で雑務をさせることが出来る役所勤めの親戚、地区本部兵官の兄がいるので縁談は多そう。
下街女性だけどルルはお嬢さんということだ。ネビーといいルルといい下街って面白い。
「兄バカだと思っていたけどいるかそんな男。欠点のない奴なんていない。あとそういう優良物件は本物お嬢さんと縁結びする。美人は3日で飽きるっていうだろう?」
「本物お嬢さんと縁結びをするような人が私と結婚生活を出来るわけないでしょう? 私だよ? ペラペラお喋りの暴れ娘。ドタバタ茶道にド派手な破天荒花道にベンベンと豪快な琴。この間は本物お嬢さんが好きそうな人だと思ったから断ったの。理想の高い中途半端娘って厄介者だよね。テルルさんって本当にリル姉ちゃんに甘々の甘々。だから私にも甘い」
ベンベンと豪快な琴とは気になる。パッと見も立ち振る舞いも淑やかそうなのに喋り方や内容は正反対。
私の女学校時代の友人達にも花街にも彼女のような女性はいなかった。
「ふふっ。ベンベンと豪快な琴とは気になります。今日琴を買うので弾いてみて欲しいです。近所の方々が大丈夫ならですけど」
「18時までは大騒ぎして良いんで琴くらい平気です。その後も22時くらいまでなら苦情が来ない限りはその日は良いですよってことになります。私こそウィオラさんの演奏を聴きたいです」
またしても大家の嘘か雑が発覚。
「積恋歌! 何で同じ曲なのに違う曲みたいだったんですか?」
「わあ。積恋歌を弾けるんですね。私は全然。練習時間が足りないのもあるけどベンベン音なので基礎練習と簡単な曲ばっかりです。好きなんですけど下手の横好きで特技になりません。竹細工、花道、茶道、琴と全部イマイチ。家事は得意です。でも気をつけているのに雑って言われます」
「竹細工ですか?」
なぜいきなり竹細工。手習ではない。
「父は職人なんです。ルカが後を継いでくれて父の同僚のジンを婿に迎えて奉公先の分店経営に関与しています」
櫛作りとは何なのかという疑問に答えが出た。職人の長男が地区兵官になるのはこの国では逆風。励まないとなれない。
叩き上げで本部配属だから優秀で実績もあるということ。色々と繋がった。
長男を地区兵官にしてリルに良縁を引っ張ってきてルルはそのおこぼれかな?
身分差があるけど親戚付き合いは上手くいっていると言うことだ。
「私と兄は父似の器用さを受け継がなくてサッパリです。気をつけているのに雑と言われて。私ってせっかちで」
「壊滅的に下手で父と同じ仕事は無理ってことで兵官です。剣術の才能はありました。性格などを考慮して将来のことを考えてくれた両親とうんと苦労して応援してくれた家族のおかげです」
貧乏性と言っていたから貧乏だったのだろう。剣術手習に学費などお金が掛かっただろう。6人も子どもがいて……高く売れそうなルルを売ることも無かった。そこまで貧乏ではなかった?
「それでご家族が大切、という感じなのですね」
「兄ちゃんのせいで1部屋で暮らしていましたしお寿司屋なんて昔じゃ考えられないです。安売り戦争に負けて腹減りとか。でも仲良し家族だし兄ちゃんがいるからイジメからも人攫いからも助けてもらってました」
「そうそう。この顔なんで連れ攫われて売られるところで危なかったです。ウィオラさんも治安が良いなどと油断をせずに気をつけて下さい」
「お母さんは定期的に人売りと喧嘩です喧嘩。売るなら飢え死にするって。代わりに山へ行く、川へ行く、海へ行くと食べ物探し。勉強したらここは王都で土地も豊かだからそういうことが出来ると知りました。悔しいこともあるけど今も昔も楽しいです!」
私が父に告げた我儘がこんな形で「この世界にありますよ」と姿を表すとは思っていなかった。この話も花街では決して聞けないことだ。
「羨ましいです。両親は謝ってくるまで会いたくないけど姉には会いたいです。ずっと心配してくれていて昔から親にも色々言うてくれていましたし今も。甥が生まれたそうなので会いたいけど……」
家が音家になる瀬戸際のところに悪評娘が帰宅しても家族はチヤホヤなんて出来ない。
娘を捨てて家と仕事を選んだのが大手を振ってではないことは理解していて足を引っ張りたくない気持ちはずっとあるからまだ帰れない。
会うなら音家になってその地位が固まってきてから。両親もそうなってから謝る気がしている。というか姉が手紙でそう言っている。
「治安が良いと言っても女性の1人旅は危ないです。同じ地区内ではなくて東地区からわざわざ南地区までとは相当な覚悟です」
「確実に知り合いに会わないし海に憧れて来ました」
「俺は東地区の大河に興味があります。まあでも妹夫婦が旅行をすると刺身が食べたくなると言うているから無いものねだりですね。ここまで来たら家を建てたらしばらく家出しようかなぁと思う時があります。視察とか頼めば職権濫用で行けそうなんで。属国視察部隊も興味あります」
5年前にお世話になった女性花官と似たような台詞。彼女は「私には無理だから出世したい」と言っていたけど地区本部兵官になると可能なのか。
「ええっ。そんなの嫌だよ。寂しいからやめて。属国って危ないかもしれないから王都から出ないで。兄ちゃんだって私達に遠くに嫁ぐのは許さんとかうるさいんだから自分も私達の意見を聞くんだよ」
ネビーの隣に座るルルがペシペシと彼の腕を叩いた。そこにいなり寿司とあら汁が登場。
「ウィオラさん。寿司屋に連れてきてくれてありがとうございます。いただきます!」
「ウィオラさんが兄ちゃんの隣に引っ越してきておかげでお寿司屋に来られました。ありがとうございます。いただきます!」
連れてきてもらったのは私なのに下街だとそういう考え方をするの?
これは素敵なご挨拶だと思う。私も取り入れたい。
「こちらこそありがとうございます。いただきます」
兄妹同時にいなり寿司をパクリと食べてよく似た幸せそうな表情。顔は全く似ていないのにそっくりで私の体は自然と震えた。我慢しないと吹き出しそう。
「しらすと枝豆入りだ。お揚げさんが濃くて嬉しい」
「ん? 俺のは紫蘇だぞ。ルルは濃い味が好きだよな。俺は貧乏舌だから薄めでいいや。倍の飯が欲しい。すみません、茶碗でご飯っていただけますか? 安い混ぜご飯で」
「私のは何もです。お酢ご飯です」
お揚げさんは結構濃い味で私もネビーと同じでもう少し薄くて良いかなと思う。美味しいけど家ならもう少々薄味でもう少し甘めにしたい。
本部兵官なのに安い混ぜご飯とは本当に家を建てるために貯金してるんだな。
あら汁はそんなに濃くなくて白味噌で上品な上に値段の割には具も汁も沢山だったので大満足。