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引っ越してきてすぐお隣さん達と寿司屋へ行くとは人生って何があるか分からない。
まあ私の人生は少々変だと思うからこういうこともあるのだろう。
ネビーが前を歩いて私とルルはその後ろに2人で並んで歩いている。
「ひゃあ、結納中に子持ちになった婚約者ってとんでも物件。愛人と子どもの存在を許して結婚しなさいってそれは私も家出します。花柳界に生まれるって大変なんですね」
嘘は綻ぶし隠し事だらけでは信用されないけど陽舞伎の家とは言わずに舞踊の家ということにしておくのは花街時代と同じ。
彼女達が輝き屋関係者と知り合うことはないだろうけど念の為。
「家は音家になれるかなれないかの瀬戸際だったので家同士の結婚をと」
「音家って何ですか?」
「一座に迎えるって事です。格上の場所で毎公演演奏や独奏もあります。一座の音家を3家にしようと考えているみたいでその3家目争い中です。家の縁結びから逃亡したので姉と手紙のやり取りをして様子見しています」
「音家? 音楽部分を任される家ってことですね。幸せ区に大風屋ってあるんですけど我が家は大風屋の音家みたいに使うってことですよね?」
「ええ。そうです」
ルルは飲み込みが早い女性みたい。伝わらない場合はそこまで説明しなくていいやと放棄するけど伝わるからついつい話している。
「せーの。ネビーさん!」
「どうも! 周りに気をつけて!」
3人娘がきゃあきゃあ言いながらネビーに手を振って彼も笑顔で手を振り返している。長屋からここまででもう3回目。
他にも「よおネビー! 休みか! 俺は仕事だ!」と「お洒落ネビーとは休みか。ゆっくりしろよ」という若めの男性からの声掛けが2回あった。
「よおネビー。相変わらず人気者だな。コホン。ルルさんこんにちは。お久しぶりです」
兵官が話しかけてきた。ルルに見惚れている。そのルルはプイッとそっぽを向いた。
「いやあ。俺もついに浮絵になるかも。あれ、知りませんか? いや話しましたよ。ルルと話したかったら両親にお申し込みして下さい。文通でも簡易見合いでも何でも。先輩といえど贔屓しません。いやルル。顔見知りなんだから挨拶くらいしろよ」
「お顔ではないところを見る方に挨拶をしたくありません。兄ちゃん。お父さん達の長屋がええに付き合ってるとお嬢さんと結婚出来ないよ。長屋に住むお嬢さんなんていないよ」
まあ、隣を歩く私が居ますけどね。お顔ではないところを見るとはその通り。
兵官はデレデレなお顔でルルを上から下まで全身を眺めていた。
「何だ急に。だからいっそ大家さんの隣に家を建てるかって話をしてる」
「そうなの? ルカ姉ちゃんはルーベルさん家の町内会か近くがええって言うてるけど」
「そこなんだよ。デオン先生の近所って話もある。ルルがあっち、レイがそっち、ロカが向こうみたいにバラバラに嫁いだらどこに家を建てるんだって話だ。お見合いの破壊をしてテルルさんに迷惑をかけていないで早く嫁にいけ。いやいくな。いかなくてよかだ」
話しかけてきた兵官に「じゃあな」と手を挙げるとネビーが歩き出したので続く。
これから家を建てるか。昨夜「家族にお金を使うことと貯金が優先」とはきっとこのこと。実に立派。
「お金があればあるほどどういう家にするか考えられるからいっそ浮絵になんねえかな」
「兄ちゃんもう浮絵になってるけど」
そうなんだ。
「嘘をつけ嘘を。版権代? とかで上から話が来て取り分が貰えるらしいぜ」
「自分で見つけて上に報告して取り分をぶんどるんだよ。知らないの?」
「そうなの?」
そうなの?
私もそれは知らなかった。国がそこまで調査するのは大変とか?
「知らないと思って買ってガイさんに浮絵を渡したからそのうち話があるよ。似てるような似てないようなって感じ」
「おおおおお。ルルは頼りになるな。雲丹があったら食ってよかだ。一貫だけな。大食いだから安いのを沢山食え」
「ウィオラさんはお寿司を食べ……」
ルルは私の顔を覗き込んで固まった。
「兄ちゃん居たよ。長屋で暮らすお嬢さん」
話が急に戻ってびっくり。
「女学校の先生だって。お隣だし口説いた方がええ」
「突然なんだよ。口説いた方がよかだなんて本人を前にしてそういうことを言うか? ジンとルカが親父達の面倒を見るから家を出てよかとか、それならテルルさんの紹介で婿入りをとか色々やいやい言われて面倒……すみません、ちょっと失礼します」
斜め右前方へ走り出したネビーはいきなり若い男性を蹴飛ばした。
「スリかな」
そうなの?
ネビーが「財布が無くなっている方は居ませんか!」と叫んだ。蹴飛ばした男を片足で踏んづけて彼に木刀を向けている。
夜中から仕事で今は仕事外の時間なのに長屋を出る時に木刀を腰に差したから「なぜ?」と思ったけど時間外でも働くからだと判明。
周りの者達が足を止めて懐や手提げなどを確認し始める。
「私のお財布が無いです!」
「俺は見ていたぞ。あの女性の財布を出せ。懐に入れただろう」
「難癖つけるな! さてはグルだな! 離せ! 暴行罪で訴えてやる!」
「ああっ。お前、前にも逮捕した奴じゃねえか。反省しろって言うたのにまたしたのか。小指の次は薬指が無くなるぞ」
「げっ! あの時の兵官! お前のせいで俺の人生めちゃくちゃだ! 離せ!」
「いや職場を紹介したのにお前逃げただろう」
ネビーはスリの頭をベシリと叩いた。ピー、ピーと笛の音。
彼が仲間を呼ぶために笛を吹いた。しばらくして先程ネビーとルルに挨拶をした兵官と他2名が到着。スリは連行されていった。
「お疲れ。でも兄ちゃんと出掛けると目的地までなかなか着かない。その着物で暴れるのもどうかと思う。まあ見過ごせないのは分かるし自慢だけど」
「ガイさんと将棋でもと思って着替えたんだけど制服に着替え直せば良かった。制服ばっかり着てるとお前はいつ休みだってそこらで心配されるから悩む」
「ガイさんはリル姉ちゃんやレイと早朝から釣りだよ。昨日出掛ける前に教えたじゃん」
新しい名前が登場。次女と4女の関係者。
「あー……そういえば夜勤明けだから間に合わない話をしたな。さっきもリルとレイは釣りって聞いた。2人じゃいかないよな」
再び歩き出したのでついていく。またしても「ネビーさん」という若い女性達からの掛け声と手振り。
他にも「やあネビー君」とか「よおネビー」と通りすがりに挨拶する人がちらほら。
その次は蕎麦屋前の外席に座って食事中のネビーと同年代に見える男性が「よおネビー! 今日はお洒落ネビーか! 似合ってねえよ! 休みなら夜飲もうぜ!」という声掛け。
「夜勤だから夕方から仮眠して出勤だ。また今度な。嫁さんに……飲みに行かない方が良くね? 2人目生まれたばっかだよな」
蕎麦食い男は丼を持ったままこちらへ近寄ってきた。
「ル、ルルさんこんにちは。俺のこと覚えていますか?」
「こんにちは。兄のご友人の方。申し訳ありませんが覚えていません。兄とご近所さんとお寿司屋へ行くので失礼します」
ルルって辛辣。彼は妻子持ちで子どもが生まれたばかりみたいなので惚けたお顔は印象が悪い。
「ご近所さん? おお、もう1人いたのか。すみません。ネビーとルルさんのご近所さん、こんにちは。大工のガントです」
顔が広いらしいネビーと目を惹く美女ルルの隣に存在感の薄い私が並べば気が付かないのは当たり前。
「こんにちは。ウィオラと申します」
「俺の隣に引っ越してきたロカの女学校の先生になる方だ。ウィオラさん、雨漏りとかあったらこいつとか他の大工の知り合いや親父の知り合いに頼むんで言うて下さい。大家に言うより早くて腕がよかなので。あそこの大家は少々高飛車だけど小心者なので住人にブツクサ言っても大抵口だけです」
「そうそう。仕事が遅いし仲介料をガッポリ取ろうとするから誰も大家に修繕を頼みません。長屋内の喧嘩も知らんぷり。頼りになるのは長屋長と副長。あとで紹介します。あと両親。特に母。2人ともあそこでの暮らしが長いです」
「そうなんですか。ありがとうございます」
長屋暮らしは悪くない予感。ネビーがガントに別れを告げて少しして寿司屋に到着。
「そういえば寿司を食べたことはありますか? 母に言われるがまま寿司屋に来ましたけど西風料理がよかとか好みを聞いていませんでした」
「私も言いそびれていましたが南地区へ来てもう5年経つので海の幸は何度も食べていてお寿司も大変好みです。海もです。なので親と仲直りして東地区へ帰ろうという気はまだないです」
「ご、5年も親子喧嘩をして1人で生活をしてきたんですか⁈ あそこで芸妓をして5年ですか⁈」
「芸妓? ウィオラさんって芸妓だったんですか? あそこで芸妓って兄ちゃん前から知り合い? わざとか。わざと自分の隣を紹介したんだ! あそこはずっとケインさん夫婦が住んでいたけど町屋に引っ越したから狙ったんだ!」
ニヤニヤ笑いを浮かべたルルがネビーの周りをぐるりと回った。
「違えよ。そういうことなら隣になんて住まわせるか。俺を諦めて嫁にいった奴も多いけど若いのがまだいるから喧嘩とかイジメとか大変そうだろう。昨日本部隊の歓迎会で琴を弾いてくれていたんだ」
モテている自覚はあるんだ。なのに昨夜の発言。お嫁さんが出来たら好きなだけ触りますってそのお嫁さんは選び放題みたいなのに未婚。
家族のために家を建てるから勤務時間外も働いて活躍して出世を優先している?
世界は広いというか色々な男性がいると改めて感じた。良い意味でそう思うのは初めてかもしれない。
「ネビーさんはあの後飲みに行くと言っていましたよね」
「飲んで帰ろうとしたら暴れ組同士の喧嘩に遭遇して仕事みたいになったから上司にそのまま夜勤って言われて。かなり飲んだ後に朝8時まで仕事だったからさっきまで爆睡です。休みが変わって今夜働いたら明後日と明明後日は休みと気楽です」
「つまりウィオラさんは置き屋の従業員から学校の先生に転職ってことですか? 神社で奉納演奏とかしていましたか? 見たことあったのかなあ。芸妓はええ仕事だけど女学校の先生もええです」
花街内の置き屋ですと言ったらルルはどういう反応をするんだろう。そもそも長屋育ちの女性は花街を知っているのかな。
それで彼女はなぜ姉の嫁ぎ先に居候なのか気になった。
「ええ転職で来月からは音楽の先生です。ルルさんはご親戚の家に居候と聞きましたけど何故ですか?」
「店の前で立ち話になってしまうからお店に入りましょうか。南地区に5年も住んでいて海の幸が大好きなら寿司も好きですね。俺も大好きです」
ネビーにニコッと笑いかけられて昨夜みたいに胸の真ん中がザワザワした。
大好きですか。私もお寿司をとても好んでいる。