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ネビーの家族と夕食はワイワイしていて話を聞いていて楽しかった。今夜はルルとレイが来ているからルカとジンとジオの3人も同じ部屋で食事ということでぎゅうぎゅう。
ネビーはジオの隣で「作法はこうだ」みたいにちょいちょい指導。私はにんまり顔でネビーの隣にされることはなくて安堵。
混ぜものご飯には花街で慣れたし、アサリ出汁のお鍋は春だから少し熱いけどウツドンという謎の白身魚のお刺身しゃぶしゃぶはほんのりだけ脂っぽくて絶妙な美味しさ。
この鍋は単にアサリを入れて出汁をとっただけではない。
炊事は出来る、は授業や菊屋で少し練習をしたという自惚れでしかないと気がついた。レイに教わりながら炊事に参加は楽しかった。
皆でお鍋は家出後初だししゃぶしゃぶというものも知らなかった。レイ曰く川の魚は刺身にしないから。
南地区へ来てからの食事は遊女達と菊屋内の食堂ばかりでたまに街中のお店へ行ったりで鍋を囲ったことはなし。
作ってくれた胡麻タレと醤油系の少し酸っぱいつけタレも美味。
たけのこなどの野菜の煮物に青菜のおひたし。かなり豪華だけどたけのこは掘ったし青菜も詰んできたそうだ。
それでアサリも掘ってきたもので変なウツドンも釣ったもの。ちなみにウツドンは蛇みたいな魚で牙もある怖い顔の魚らしい。
食材採りと保存食作りと漁師から買うために定期的に行くという海釣りに興味が湧いた。
節約と趣味と色々な料理を作れるから楽しいらしいけど日焼けは敵だとか。
夕食後にネビーは「身支度して仮眠する」と部屋に帰宅。0時から夜勤なのでその前にルルをルーベル家に送るそうだ。
今夜は警兵と共に6区方面に行ったり南西農村区の見回りをするように言われているという。春は旅行をしやすい季節なので警備強化の依頼があったと聞いた。
18時の鐘の音が微かに聴こえたので彼は3、4時間寝るのだろう。仕事中も様子をみて仮眠出来るらしい。大忙しだと8時までほぼぶっ続けで働くこともあるとか。仕事はなんでも大変だけど危険だし大変な仕事。
この長屋は22時まではわりとうるさくしても良い。0時までは畑より下流で騒げ。それ以降なら林へ行けというのが暗黙の約束らしい。仮眠出来るのかな。
今夜はお片付けや洗い物のお手伝いは要らないと言われたのとルルに「お礼にまた演奏して下さい。他の家族にも聴かせたいです」と頼まれて演奏会になった。
天気が良いので外。そう言われた。光苔の灯籠と提灯が集められて長屋と長屋の間机の上に敷物と座布団が用意された。割ととんでもない場所だけど舞台慣れしているので特に気にせず。
聴衆人もかなり集まってしまった。この長屋だと私はわりと流され女かも。
ここは舞台。舞台には慣れている。演奏自体に不安はない。
エルに「挨拶回りはもうしたから自己紹介とか挨拶とかしなくてええ。ルルが自慢する演奏を聴かせて」と笑顔で頼まれて演奏し易くなった。
「ご要望をいただいていますので1曲目は積恋歌です」
ネビーは仮眠しているのに邪魔にならないのかな。沢山拍手をしてもらえた時に嬉しいよりもそっちが気になった。
「あなたに会えない日を数えて」
他の地区ではどうか知らないけれど「せくらべ」の主役2人が無言で雨宿りをする場面でこの曲が流れる。
この歌はまた別。女学校時代の友人が作った。
会えなくて切ないけれどまた会えて幸せ。どうか私を見て、自分を見てという場面だ。
「ひふみと過ぎて恋とは苦しく甘くて」
一瞬目を閉じたら「恋人のウィオラさん」としれっと口にしたネビーの横顔が浮かんで慌てた。集中集中!
「つのる、積もり、つのる、積もり、つのる、積もる……」
手を伸ばせば触れられる距離にいるのに動けない。龍峰の龍歌に近い曲だと思っている。
想いが徐々に増えて淵のようになっていく。そういう気持ちはわたしがまだ知らない感情。
……そうだろうか?
昨夜なんだか気になって、美人だなんて褒められてお世辞だろうけど嬉しくて、話していて楽しいなと思い、今私の視線はチラチラ彼の部屋の玄関扉を捉えている。
「雨の雫になりたい」
雨ならあなたを、君を、濡らせるほど触れるのに。濡らすは暗喩なのよ、きゃあ、なんて友人が言っていたなと思い出す。
触れるのにか。これはまだ知らない気持ち。
次の場面は女主人公が遊女としてお披露目される行列。せっかく集まってくれたので楽しんでもらいたいから小舞台。
琴と三味線だけではなくて舞も習わされてきたしトルディオ家でかなり稽古させられた。
あの家も両親も私に期待していたのに色狂い次男のおバカが台無しにした。私はそれで助かったけど。
この長屋なら机の上を足袋でなら歩いて良い気がする。三味線に持ち替えて花魁行列——旧称華蝶道中——の真似。
年齢を問わず男性は恥ずかしいけど無視せず全員に流し目。本物は何度も見たので表情の練習を何度も鏡で練習した。
もう必要がないのに琴や三味線以外の稽古や勉強に研究を続けるのは好んでいるからだろう。
机半分を往復。静かだけど惚れ惚れしているという様子なので満足。
教える方になりたいと思っていても舞台は舞台で好きだな。日雇い芸妓とか学校で披露とか友人知人に頼まれた宴席で披露とか何かはし続けたい。
「せくらべより積恋歌の女学校風と初華蝶行列でした。ご挨拶した通り来月から女学校で臨時講師として働きます。特技はこのように音楽です。読み書きなどでもお役に立てると思います。皆様、右も左も分かりませんがこのウィオラをよろしくお願い致します」
琴の前に戻ってしっかり正座をして私としては最上級のお辞儀。
顔を上げたら部屋から出て玄関扉脇に立って腕組みをして寄りかかっているネビーとパチリと目が合った。
いたんだ。いたの? 急に恥ずかしい!
ネビーは前髪をちょんちょん触ると私に照れ顔っぽい笑顔で手を振って部屋に入っていった。
身体中に汗がどばって出た気がする。熱い。とても熱くてならない。
「ほ、本物です! おひねりは要りますか? 立見の安席で陽舞伎を見たことがあるけどこういう感じでした! あれより凄いです!」
「ちょいとあんた、私の子に何か教えてくれたりしないかい?」
「ウィオラさんは10時から16時まで仕事だからなかなか難しいよ」
エルがそう言ってくれた。
「そんなの家事をこっちでするしその費用をさっ引いて手習代も出したりとか交渉次第だろう?」
「何抜けがけしてるんだい!」
「月に1回今みたいに舞台風を披露してくれないかい? 子ども達が喜ぶよ。長屋長さん、何か彼女に得になることとか交渉してくれ」
ワイワイ色々な話が始まった。エルが「生活に慣れたら私が頼むから私に言いな! 私が身元引き受け人だからね!」と叫んで賑やかなのは終了。
「ご好評なようなので明日開いて下さる歓迎会でご挨拶を兼ねてもう何曲か披露したいです。どうでしょうか?」
賛成みたいな会話と拍手をしてもらえた。嬉しい。
「縁起が良くなるという龍神王様と岩贄乙女などはいかがですか? 明日の夜までに軽く練習しておきます」
ネビーの仮眠の邪魔になりそうなので今夜は終了。
何? 何の話? と始まってしまった。私の近くを陣取っているルルが「私は知っているけどこの辺りの人は知らないです。せくらべも誰も分かっていないですよ」と口にした。
「初獅子踊りにしましょうか。何も知らなくても楽しいと思います。お正月などのお祝いの日の舞台です」
初獅子踊りはお正月に「あけましておめでとうございます!」と踊るだけ。獅子舞や獅子男と子獅子と枝花娘がわちゃわちゃ楽しい舞台。
花街に乗り込んだ時に最初に披露した芸だ。
三味線を弾きながら枝花娘踊り。トルディオ一座だと元服前の娘しか踊らない。
他の陽舞伎ではどうなのか知らない。一座の数だけの初獅子踊りがあるし曲調も工夫されている。
軽く披露して「どうでしょうか?」と尋ねてみた。
「春花踊りみたい! よよよ! よよよ! よいよいよい!」
子ども達が踊り出したので踊りに合わせて弾くことにする。これは楽しいかも。でも仮眠の邪魔になる。
「それでは続きはまた明日……」
「酒がいる! 酒を飲もう! 眼福だ!」
「ここは花街か? 高いらしいから行ったことないけど」
「嘘をつけ! お前は小遣いを貯めて行ったって言うていたぞ」
「冷やかして帰ってきた! 行列に惚れ惚れしたけど今夜は1人なのにあれくらい目を惹くとは凄かった。見た目はともかく負けてない」
一言余計です。
子どもの前で「花街」の言葉を出すなとか浮気は殺すとか妻らしき者と旦那らしき者の喧嘩が始まった。
「明日またよろしくお願い致します。琴も三味線も1つずつしかないのでお稽古は難しいです。来月1日から勤務なのでお子さんが少し触るとか、一緒に歌ったりは出来ますので声を掛けて下さい。蛇や蛙が恐ろしくて洗濯が怖いので助けて下さい。腕力がつくまでは水汲みも大変そうです」
お辞儀をして撤収。ルカに「世渡り上手そうですね」と軽く体当たりされた。ルルにも「ちゃっかりしてる。さすが家出ロマンお嬢様ですね」と笑われた。
姉に手紙を書きたいので挨拶をして帰宅。寝るには早いけど出勤前の朝の炊事時間を考えないといけないので早起きの練習をしたい。これまでは遅めの時間に寝ていたけど今日からは早寝に挑戦。
浴衣にお着替えをして小さな机に道具を広げて向かい合った。
無事に予定通り長屋へ引っ越したこと。ネビーとの出会いは無視して女学校の生徒がいて、家出娘で縁者がいないのは大変なのでと親切にされたこと。
(防犯で嘘をついてくれて、それからネビーさんというかロイさんという義理のお兄さんが気遣ってくれたこと……。そう考える人もいたけどどう思う? 何か隠しているとか本気で帰ってきて欲しくないとかある? みたいな話……)
よし、と手紙を確認。明日出せば1週間くらいで届いて翌週には返事が来るだろう。
そうやって月に2度は手紙をやり取りしてきた。返事は女学校の先生として働き出す前なのか後なのかどうだろう。
「つのる、積もり、つのる、積もり、つのる、積もる……」
封をしながら私は唇を結んだ。歌いながら手紙を書いていた気がする。
「雨の雫になりたい……」
手を伸ばせば触れられる距離にいる。
ポンッとお風呂屋と長屋の往復を思い出してしまった。適切な距離感で並んで歩いただけ。
男性と2人で並んで歩くのが祖父と父親とジエム以外で初だったから思い出しただけだ。
何かにつけて触ろうとしてくるジエムとは違ったな……。彼側の手が妙にくすぐったかった。
(さ、さ、触りたいなんて思っていない! ハレンチ娘!)
布団を敷いて戸締りをもう一度確認して布団に潜り込んだ。
(雨の雫になりたいか……)
手を伸ばせば触れる距離にいるのに。雨ならあなたを濡らせるほど触れるのに。触れるのに⁈
(何考えてるのよ! きゃあああ。私はおかしくなった。自分のことを発育不良や男嫌いなのかと思ってた。…… 。まだ知らぬ人をはじめて恋ふるかな思ふ心よ道しるべせよ……。多分こういう気持ちの龍歌……)
まだ何も知らない人のことを初めて好きになりました。あの方を想う私の心よどうか道しるべになって——……。
寝れないと思ったけど神経が太い私はすぐ寝た。




