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この長屋の欠点の1つは時の鐘の音が聞こえにくいことだということも判明。神社の鐘が少し聞こえるくらい。時間から時間で働く私のような者には厳しい。
早寝早起きを心がけるのと鳥とかの鳴き声で起きるらしい。ここらの人達の仕事だと出勤時間に厳しくないから気にならないそうだ。
公務員は基本時間厳守だけどネビーは出退勤自体が「お前の出退勤は見回りみたいなものだから勤務時間」と許可されていて徐々に南西農村地区側へ向かって行交道で警兵に協力しながら出勤らしい。走りと徒歩で警兵が彼を見かけるし行交道は交易や旅人用の道でお店は何もない。
屯所や小屯所で馬を借りてそこそこ駆けて良いのでそれで出勤。
彼の出退勤は往復でほぼ終わるらしい。何か意味あるのか? 警兵の勉強? と思っていたら地元に返り咲き。おそらくそれが上の狙いだったのかもとはルルとルカの推測。
1区までかなり遠いのにどうやって出勤? と思ったらそういうこと。
最近ネビーの見回りを見ない、不安、どこかへ配属変えしたなら返せと騒がれて6番隊へ出向。来月から帰ってくるそうだ。
地区本部での勤務期間は1月から今月までのわずか4ヶ月。地元で叩き上げの地区兵官だとちょこちょこあるらしい。
遅刻しても「お前ならええ」と勤務時間が増やされるだけ。遅刻理由書は提出。事件が理由なら調査が入る。地区兵官も完全に贔屓社会だと知った。
ネビーは朝8時から8時間区切りで日勤、凖夜勤、夜勤だけど朝7時からとか朝11時からとか人によって違うそうだ。
そのようにルルとルカにネビーの個人情報を流され続けてしまった。
歓迎会は明日の夜になって今夜はネビー家族と一緒に夕食。それでその前に「混むからお風呂屋へ行きましょう」とルルとルカに誘われた。
他の人達は夕食後に行くそうだ。花街暮らしで裸の付き合いはなんのその、だったけどモタモタ着物を着替える時間というか場所がないと言われて恥ずかしいことに簡単に脱ぎ着出来る肌着に浴衣で歩くことになった。恥ずかしすぎる。
日没前で帰宅やら何やらで人が多いから危なくないので女3人で問題ないそうだ。
ルカに今日購入した朱色の薄帯揚げに鱗柄の帯留めを縫い付けられた髪飾りで髪を飾られた。
縫ってくれたのは彼女達の祖母。祖母は針子で最近は元気がないから家族や長屋住人の繕い物を細々として後は寝たり散歩をしているそうだ。
エルに「ここは姑の部屋。気分屋に拍車がかかっているから自ら出てこない時は私は訪ねない。最近遅めの朝と昼しか食べない。食事配達で死んでないか確認してる」と告げられてまだ会っていない。
ルル曰く「嫁姑問題だし年をとって偏屈になっちゃったからばあちゃんはお母さんに食事作り以外放置されてる。ルカ姉ちゃんが気にかけてる。機嫌が良いと昔みたいに優しい」らしい。
老人問題も嫁姑問題も大なり小なり家柄関係なくあるんだなと思った。
さあお風呂屋へ行くぞ、というところにネビーが帰宅。
「ただいま。ロイさんに将棋でボコボコにされた。風呂に行くのか。俺も行こうかな」
ネビーの行き先はルーベル家で当主はガイという名前みたいなのでロイがおそらくリルの夫だろう。
エルと一緒に帰ると言って帰ってこなかったと思ったら将棋指し。私は将棋の規則も分からない。
「いつもみたいに夜勤中に宿舎の風呂じゃないの?」
「歩けば誰かに会うからウィオラさんのことをザッと話す。それで後は勝手に広まるだろう。もう頼れる人がいて安心とか、恋人とか結婚相手が見つかったらバカな俺が浮気して袖にされて他の部屋に引っ越されたとか言えばいいんだよな? ロイさんにも確認したけど」
「そのような話をしたらネビーさんの悪評になります。そこまで配慮していただかなくて大丈夫です」
卿家跡取り認定狙いなら悪評って困るはずだけどな。まあきっと失恋くらい良いのか。むしろ可哀想ネビーさんって女性が集まりそう。そういう計画?
「男はアホだから色恋遊びをするもので女性よりも笑い飛ばされるから平気です。あちこち手を出したではなくて他の方を好いたみたいな話なら噂で足を引っ張られることはないです。それでウィオラさんはなぜルカとルルの後ろにそのように隠れているんですか?」
それは浴衣姿を男性に見られるなんて恥ずかしいことだからだ。ルカもルルもケロッとしているからこれは育った環境というか教育という名の洗脳による感情。慣れるしかないのだろう。
「お嬢さんだから浴衣で出歩くのは恥ずかしいって」
「うおっ。それは覗かなくて良かった」
チラチラ私を見ようとしていたネビーは後退してくれた。
「羽織でも着ていけばいいんじゃね? 前の地味な隊服羽織をあげますよ」
そう告げるとネビーは部屋へ入っていった。
「姉ちゃん。ほらおかしいでしょう?」
「うん、変だね。あんな顔したことあった? 優しいけど照れたような笑顔」
「ひっつかれて口説かれそうになると苦楽を共にした大事な隊服羽織に気安く触るなよ、とか言ってたのにさ。寒いよって言われても周りの誰かから羽織を剥ぎ取るし」
「そうそう。配属が変わってもう使わないなら欲しいな、とか上目遣いでチラチラ胸を見せられてもキチッとしろって笑い飛ばして俺の防寒具の予備だからやるかとか言うてたのに」
「結構狙われたよね。あの羽織」
「私はネビーの女って一発で分かるから?」
「ネビーじゃなくて兵官かも。私は兵官の女。たまにいるよね」
そうなの?
私は両手で顔を隠した。何も知らなかったら「親切で優しいんだな」くらいなのにそういう話を聞いたら本当に惚れられたかもしれないと思ってしまう。
「洗って干してあるんで大丈夫かと。どうぞ。ルカ、渡して」
「うん。随分親切だね。この隊服羽織いいの?」
「新しい羽織を見せびらかすからもう使わない。だからいいだろう。何言ってるんだ? 行こうぜ」
ふふふん、みたいに鼻歌混じりで歩き出したネビーについて行きながらルカに渡された隊服羽織を着た。着たというかルルに着させられた。
「……これはこれで恥ずかしいです。少々ハレンチではなくなりましたけど」
よく考えたら自分の羽織を着たら良かった。
「梅屋さんではお風呂はどうしていたんですか?」
「住み込みで敷地内にお風呂がありました」
「そうですか。それにしてもバカネビーはやっぱりバカそう。何言ってるんだ? ってネビーこそ何言ってるんだか。まっ、ウィオラさん。とりあえずネビーの隣を歩いて下さい」
「ええっ。いいです。この格好で恥ずかしい上にさらに恥ずかしいです」
「今後の防犯の為ですよ。その為に嘘をつくことになったんですから」
ルカとルルにネビーの隣の方へ背中を押しされて転び掛けた。両腕を掴まれて停止。自分でも分かる。
私は今照れた。顔が熱いし胸の真ん中がやたらバクバクうるさい。
「下駄で転ぶなら草履がええですよ。見栄えは悪くなりますけど。足元のお洒落は男はそんなに見ないかと」
ひょいっと体を持ち上げられて真っ直ぐ立たされた。力持ちだし手が大きい気がする。
「ありがとうございます」
「思ったよりその髪飾りは目立ちますね。最近は頭の上にお団子が流行りらしくてその髪型というかりぼん結びは何年か前らしいです。そういえば見ないなあって。頭の上にお団子はあんまりかわゆくないと思うんですけどね。餅みたいだし子どもっぽいというか色気がない」
「そうですか」
背は高くないと思っていたけど兵官の中ではだ。通り過ぎる男性達と比べたり自分と比べると決して低くない。
見上げなければ顔を見なくて済むし向こうにも赤くなっていそうな顔を見られなくて済む。
ネビーが歩いている体の右側が何だかくすぐったい。
風呂屋へ向かう途中もネビーは通行人に声を掛けられた。
「ネビーが女性と2人なんて珍しいっていうかあったか? どちらさま?」
「恋人のウィオラさん」
そういう設定になったけど本人の口からしれっと言われてケホッという咳が出そうになった。
チラッと後ろを見たらルカとルルが少々離れたところにいる!
他人みたいな位置にいる!
「……はあああああ⁈ 夢のお嬢さんはどうした⁈ 下街女……下街女性さん?」
「無理強い結婚が嫌で家出した少々逞しいお嬢さん。どおりで俺は下街女にも単なる本物のお嬢さんにも興味がなかったわけだ。中間が良かったみたい。見かけたら彼女を助けたり送ってくれ。特に夕方。じゃあな」
話しかけてきた名前も分からない驚いている男性を放置してネビーは歩き出した。
「まあこんな感じで話が広がればわりと1人で歩いても問題ないかと。そういえば海はもう行ったことがありますか? 5年も南地区にいれば行っていますよね。明日の夜に歓迎会なら知り合いの漁師からあれこれ買ってこようかと。かなり安いんで」
「はい。海は何度か行きました。だいたい年に1回です。初めての時は日焼けで痛くなったのでその後からは垂れ衣笠を使っています」
「乗馬許可証があって空いていれば乗りますけど一緒に行きますか? 天気が良ければです。桜並木とか楽しいと思うんですよね。そうそう。今度桜吹雪を聴きたいです。嘘つき防犯のお礼として頼みます」
距離は保たれているけどヒョイっと顔を覗き込まれて停止。これさ、普通に口説かれてない?
それで私は——……。
「はい。見たいです。桜も海も。桜吹雪は花見の席にでも」
「おお。それはよかです。夜勤中に馬の手続きをしておきます。いやあ、出世と評判上げをして得です得。許される業務上の横領。天気が悪かったら中止で馬の空きがなかったら立ち乗り馬車です」
「はい」
モテて女性をあしらってきたから涼しい顔を出来るみたい。全く恥ずかしくなさそうだし優しい柔らかな笑顔だけど照れ顔には見えない。ルカやルル曰く照れ顔疑惑だけど。
あとさ、このお誘いはなに?
「夕食は昼間みたいに遠慮せずにたくさん食べて下さい」
「お昼はたくさんいただきました」
「少食ですか? 女性はぽちゃぽちゃしている方がよかだと思いますけど食べられないなら仕方ないですね」
「えっ?」
私はふっくら気味だけどさらにぽちゃぽちゃして欲しいってこと?
それはもう「でぶでぶ女」みたいな言葉遣いの悪い陰口を言われそうだけどな。
「まあ、たぬき美人は別にそういうのは気にしなくてよかですね。ガリガリが好きな男もいるしムキムキがよかとか足首こそ至高とか男は十人十色のアホですアホ。アホしかいない。足袋を履いて浴衣には羽織みたいに隠したほうがアホ男の目で犯されないしかわゆいですから長屋風には絶対に馴染まないように。危険です危険」
たぬき美人再びだし、犯すとか言わないで欲しいし愛くるしいと大通りで褒められるのも困る。
宴席はそういう場だし仕事中で私は遊女とは違って売るのは腕や技術だったから羞恥心が少なかったようだけどこれは恥ずかしくてならない。
「ん? 俺何かバカなことを言いました?」
「び、美人とか愛くるしくはないですし……。目でおかなんたらとはあけすけなくて」
「慎みって怒られるんですけどまた忘れた。これでも控えめなんですけどすみません。男は8割の女性が美人やかわゆく見えるから褒められたらありがとうってニコニコしとけばよかですよ」
長屋男とはそういうもの、慎みがあまりないものだと思っておく。
花街で遊女達から卑猥な話は山程聞いたけど男性の口からはあまり聞いてきていない。床に入る遊女だったらあれこれ耳にしていたんだろうけど。
「ネビーさんもそうですか? 10人の女性が通り過ぎたら8人を良い女性だなと目を向けるってことですよね」
「俺は変なのでそうではないです。赤子や幼女やオババ過ぎるのは無理」
……赤子と幼女?
いるの? そんな人いるの?
「あとは妹が5人もいるから似ているとちょっと無理」
「5人もいらっしゃってリルさんはまだお会いしていませんけどそれぞれ少し雰囲気が違いますね」
「服や髪を整えないとブサイクから特別美女まで勢揃いです。母ちゃんと似ているのは特に嫌なので猫顔系は無理。皆わりとちんまり系なのでそれも無理。ルルのあのすらりとした感じも無理。ルルだけどこから発生したのかってくらいおかしいんですよ」
無理ばっかりじゃない?
通り過ぎたわりと綺麗な若い女性を掌で示して見る。わりと無理から遠い気がする。
「あちらの愛くるしい方のような女性が好みということですね」
「ん? 愛くるしい? 気が強そうで難癖つけてきそうだしあんなに裾をはだけさせて慎みがないかと。まあ見る分はよかだけどイマイチというより難癖回避で近寄りません」
分からない。ネビーって分かりやすいのに分からない。難癖回避?
「ルカやリルってつい最近までよよよ、とか踊っていた気がするのに嫁とか妻とか子持ちで時々おおおってなります。親父もこういう気持ちでしょう。ウィオラさんがこの方と結婚することにしましたって実家に男を連れて行ったら殴り飛ばされるかもしれませんね。あはは。そいつ大変そう」
話題がさらっと変わった。娘が可愛かったら私が嫌っていて遊び回るのが芸の肥やしみたいな家の次男と結婚させようとしないと思う。
「手紙すら来ませんからそういうことはないかと思います」
「親戚に連れ戻すと不憫な目に合うとか事情がありそうと言われましたよ。言われてみればそう思います。お姉さんに生活ぶりとか細かく聞かれていませんか? 特にお金のこと」
「……はい。ええ、そうです。自分達はこうだけどどう? みたいに尋ねられていますし姉に心配をかけたくなくて手紙に色々書いています」
「案外こっそり様子を見に来たことがあるかも知れません。家の道具にするなら銀行凍結に身分証明書の使用停止に私兵を雇って連れ戻し。そういう話はよくあるそうですよ」
そうなんだ。つまり私は世間知らずのまま。姉に聞いてみよう。
「娘と勝手に半結納か! って殴られるんですかね。嘘だから殴られ損。鍛錬の癖でついつい避けて怒られそう。なのでお姉さんへの手紙に事情を話して下さいね。醜聞は少ない方が助かるので」
「はい! こちらからそう申し出るべきなのにすみません」
「いえ、これは義兄から俺とウィオラさんへの助言です。義兄はしっかり者で。妹の尻にぺちゃんこに敷かれていますけど」
「リルさんですね。他の妹さん達と同じでお母様似でしょうか」
「根っこは同じだと思うけど外面はあまり。義兄は自分から尻に敷かれています。貧乏娘を嫁に欲しいと我が家に乗り込んできて攫っていったんで。かわゆい息子と娘が出来て嫁にも子どもにもデレデレ。黙っていると威風凛々ってしていて格好よかなのに家の中だと面白いです」
お喋りしていたらというか話を聞いていたらお風呂屋へ到着した。
ルルとルカになにも聞かれずにホッとしたけどまた帰りにほぼ2人きりにされた。濡れ髪なので行きより恥ずかしい。
私は自分からどんどん話すより知らないことや生活などを聞く方が好きなので彼のペラペラお喋りは楽しいと思った。
たまに間が合ってきちんと会話になるから余計に。




