紫電一閃
本日は私の元服、16歳成人を祝う日だ。
トルディオ宗家内の舞台上で三味線と琴の演奏に歌と舞も披露して、本格的に婚約者としてお披露目されるはずがここは舞台前の広間。おまけに招待客がいない。
上座にトルディオ家宗主、宗奥、それから次男ジエムが正座で並び下座には祖父と両親と私が正座している。
「結納違反代をお支払い致しますので息子ジエムとウィオラお嬢様の婚約を破棄致します。大変申し訳ございません」
宗主カラザは祖父の前に小箱を差し出して頭を下げ、宗奥とジエムも続いた。私は心の中で小躍りを開始。
紫電一閃。研ぎ澄まされた剣をひと振りするとき、一瞬ひらめく鋭い光のように事態が急激に変化することとはまさにこのこと。
「理由は例の噂が本当ということでしょうか」
父は小箱を受け取って母との間に置いた。その噂は私も知っている。噂を聞いてから既に半分小躍りしていたけどついに完全小躍りどころか大踊り。
「大変お恥ずかしい話ですがバカ息子が女性に手を出しました。申し訳ございません」
「大変申し訳ございません」
こうして私とジエムの婚約は破棄。両家の父親が一緒に役所へ結納破棄届けや契約履行書などの書類を提出をして終了。
女性に手を出しただけではあまり問題にならない。
ジエムはそこらで女性に手を出していて、本来なら婚約破棄案件なのに「陽舞伎役者、しかも人気のある宗家の次男だから許す」みたいな風潮で無視されていた。
しかし今回は違う。噂だとその年上女性は宗家の使用人でジエムの子を先日出産。さらには男児だったそうだ。
結婚して本妻に子が中々出来ないとか無事に嫡男が産まれていてさらに結婚3年以降を目処に愛人を1人作るなら許されるらしいけど18歳の若造が結納の身で子持ち。
遊ぶなら花街で遊ぶか子どもを作るなバカ息子、という会話は私も先週このトルディオ家に来た際に耳にした。
無事に婚約破棄になったからさすがに擁護出来ない非常識さみたい。
4年前に結婚済みの長男にはまだ娘しかいないけど彼はまだ律儀に愛人を囲ったりしていない。
使用人をジエムの本妻に迎えれば生まれた男児は7代目候補。長男と本妻の間に男児が生まれても実力によっては7代目。ジエムの才能を受け継いでいるかもしれないから期待するだろう。
祝言前だったので私とのことはお金で解決して跡取りを確保ということらしい。
その使用人は親戚の未亡人の娘で幼い頃からそこそこ教育されてきたから本妻でも構わない女性だとかなんとか。
そういう話を両親から聞いて「ふーん」と思ったり「我が家はお金を貰えて私は大嫌いな相手と結婚しなくて済んだ」と喜んでいたら残念な事が起こった。
1ヶ月後、女学校を卒業した翌月に父の書斎に呼ばれて父にこう告げられたのだ。
「ジエムさんは幼少の頃から想い続けていたのにウィオラが歩み寄らないどころか男を作ったから傷心。それで寄り添ってくれた女性を、幼馴染を本妻にするということになった」
「……お父様。今何と?」
「ウィオラが男を作っただ」
「逆らえないからですね。娘に悪評がついても良いと?」
「すまない。輝き屋の奏者から追放される訳にはいかない。我が家が音家になる瀬戸際なのはお前も分かっているだろう。家同士が結ばれなくなったけど地盤は築いている。これから正念場だ」
トルディオ家宗主カラザと取引や何やらがあるのだろう。
「ええ。ですから今時ではない古い時代の強制結納に従ったというか幼かったのでよく分からずに結納です。大嫌いなジエムさんとの結納破棄で小躍りしていたのにこちらに泥をかぶれとは……」
「大嫌いか。まあどう見ても親しくはなかったな」
腹立たしいけれどトルディオ宗家に睨まれたら我が家の野望は吹き飛ぶ。
一座の公演にムーシクス家関係者は参加させないとか、下手するとツテか何かで姉と姉婿が地区楽団から追放までありそう。
でもこちらも向こうの悪評を流せるから事業拡大は諦めることになっても元々の事業に影響はそんなに無いだろう。そちら方面にはトルディオ家の影響力は乏しい。徹底的に潰されることはまずあり得ない。
「お父様」
「すまない」
謝罪されたということは事業拡大をしたいから家業のために泥を被ってくれという意味。
我が家は悪評持ちの娘のことで陰口を言われるという惨めな気持ちで音家を目指す道を選ぶということ。
娘1人よりも門下生や未来のムーシクス琴門のための選択。1人より多数。それも大多数。なのでこの判断は理解出来る。
「お父様。嘘をついて己を貶めてこの地域で生きていきたくありません」
どう考えても「娘は叩き出しました」と言うはずなので破門追放は決定。なので自分から口にすることにした。
「その通りだ。何も悪くないお前が指をさされるなど忍びない。3区のコルヌ家へと思っている」
母の実家へ行きなさいか。隣の区って近過ぎ。
「お父様。私はもう東地区で生きていけません」
私は20歳の祝言日前に家出しようと思っていた。
ジエムが派手に遊んでいるのは知っていたのでゴネて無銭の婚約破棄を勝ち取ろうと思っていたけどかなり勝率が悪そうなので最悪は家出だと決意して計画や下調べをしていた。
同じような家柄の若い女性達どころか私自身がジエムから身を守るために過剰に見張ってもらってきたので相手なんていないけど「駆け落ちします」と置き手紙を残す予定だった。
破門、追放しましたと話して下さい。違約金支払いになるけどすみません。稼いでいるからその額くらい我慢して下さい。音家への地盤は出来たはずだからあとは頑張って下さい。
そんな風に思っていたけど同じような状況になった。私は何も悪くないという立場で。
勝手に家出は家不幸だったけど今の状況だと破門と追放を受け入れてコソコソ生活することは家の為になる。
「ウィオラ、何を言っているんだ。他の地区には親しい知人がいない。日陰者にするが我が家がなんとか守る。約束する」
それなら正々堂々と「娘は悪くない。私達は一座に必要だろう!」と野望を叶える道を選んで下さい。それは私の我儘な考え。
「与えられた芸者としての腕でどうにか生きていきます。憧れの海を見たいので海のある南地区へ去ります。同じ海のある中央区は家賃などが高いですし関係者と遭遇しそうで嫌です」
しがない豪家の娘なのに陽舞伎の婚約者なんて生意気だとか何とかと女学校でも町内会でもいびられた。
我が家は門下生を大勢抱える大豪家だけど、言いたい放題やりたい放題なのは女世界の世の常。
味方もいたから友人もいるし大好きな姉や愛犬と離れたくないけど父は娘より事業拡大を選ぶなら非情になるべき。
「な、何を言っているんだ。どうにか生きていくなんてどうにもならない」
「芸者という特技を与えていただき立派な女学校を出していただいたので問題ないです。結納破棄の違約金を少々下さい。仕事を探しますけど無ければ花街で芸妓になります。腕には自信があります」
下げたくないけど頭を下げた。仕事が無ければではなくて最初からそのつもり。
我が家より下の一門やそこらの置き屋では私の実力をひがまれていびられるのは必須。
社会勉強をしたいし後ろ盾なしで稼ぐなら花街で春を売らない実力勝負の芸妓。
置き屋で芸妓だと演奏が主体だけど花街の置き屋だと舞や歌などの陽舞伎稽古も役立つらしい。実際の花街を見たこともない世間知らずの箱入りお嬢様調べ。
「仕事が無ければ花街で芸妓⁈ ふざけるな! は、は、花街なんで何で知っている!」
文学や舞台話で出てくるからそりゃあ調べる。
同級生で売られてしまった子がいるからかなり調べたとは言いにくい。
途切れそうで途切れなくて手紙もやり取りしている。それもあって私は見知らぬ世界を知りたい。
「春を売る訳ではありません。そもそも男性が色狂いをするから存在している場所です。嘲ったり蔑むのなら死ぬまで利用されずにいっそ廃止運動をされることですね。お父様は深夜に花香りを漂わせて帰宅されたことがあったかと」
「は、春を売るなんてどこで覚えて……。親に向かって何て言い草だ」
有名古典文学に出てくる。なぜ知らないと思うのか不思議。
「娘より事業拡大を取られたお父様に何かを言われたくありません。望み通り破門追放したと言いふらして下さい。16年間お世話になりました」
書斎から出て自室へ向かった。嫌な予感がするから家出準備は解除しないでおこうと思っていたけど正解。
野垂れ死にするかは挑戦してみなければわからない。甘っちょろい娘なのでもう無理となったら帰ってくる。帰って来られないかもしれないけれどそれは自業自得。
部屋の扉につっかえ棒をしてさっそく旅装束にお着替え。
「ウィオラ、出てきなさい! 開けなさい! 話は終わっていない!」
「お父様。私としては終わりました。家を売ったお金と違約金を持って家族で遠くに引っ越して1からやり直そう。皆で幸せになろう。私は子どもで世間の厳しさを理解していないのでそう言って欲しかったです」
娘の名誉のために事業拡大は諦める、くらいで良いけど大袈裟に伝えてみた。
頭では理解出来ても悔しいとか私の名誉を選んでという気持ちは消えてくれない。悔し涙が滲んでいる。
「その通りだウィオラ。お前は子どもなんだ。元服したけどまだまだ子ども。開けなさい!」
春に元服祝い旅行の予定だったけど消滅。
北地区の岩山にある有名温泉街へ行ってみたかった。北地区まで家出する自信はないので温泉街より憧れの海を目指す。
海は中央区と西地区にもあるけど中央区の海は小さな海湖でガッカリらしいからそうなると南地区になる。
(お金良し。違約金を下さいと言ったけどもらってないな。まあお小遣いをかなり貯めてきた。荷物良し。用意してあった家族への手紙は机の上に置いて……。駆け落ちのところは消して少し書き替えて……。あとは……)
開けなさいとか家は捨てられないけど娘は大事に決まっているだろうとか、門下生が大勢いるんだと父が騒いでいるけど無視。
部屋を見渡して少ししんみり。畳の上に涙が落ちそうになったけど父の「親を脅すな! 話はまだ終わっていないから出てきなさい!」という怒声で涙は引っ込んだ。
「恥さらしの娘なので縁を切って破門して追放したら家出しました。特に問題ないかと」
「問題しかないだろう! 出てきなさい! いや出てこなくて良い! 頭を冷やせ! 出てくるまで我慢比べだ!」
結納中の身でありながら男を作って結納破棄された。結婚したくなかったけど裏切られたのはこちらなのに酷い話。
恥ずかしいからではなくて、大好きな家族と門下生達のためだから隣の地区で隠居、破門生活は仕方ないと思う。
でもそれならいっそ自由に生きてみたい。
大嫌いなジエムと交流させられ続けた恨みと「娘を選んで」という気持ちがあるので嫌がらせでもある。つまり私は親不孝娘。
父は扉を開けないと出られないと思っているのだろうけど私は2階からの脱出方法を何度か練習済み。予備の草履も編んである。
三味線と荷物を持って窓から屋根へ出た。
「良い天気」
雲1つない青空。太陽の輝きが美しい。6代続いている人気一座というけれど輝き屋のどこに輝きがあるのだろうか。
父は脅しと思っているみたいだけど私は本気。
もう元服したので勝手に手続きを出来るからまず役所で旅行手形の発行だ。