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20210425afterword■///成立の経緯と反『鬼滅の刃』の視点から説き起こす日本人論

 『アサルトリリィ』を知ったのは二〇一五年のことだったと思います。球体関節人形を自力で製作してみようと思い立ち、フィギュア・ドール関係のイベントに遊びに行くようになってアゾン インターナショナルが展開するこのプロジェクトの存在と、六月に小説が発売される予定であると知りました。発売されたその週に、メロンブックス限定の初回購入特典(書き下ろし小説)のために電車を乗り継いで船橋まで行ったのは今でも良い思い出です。

 ノベライズを楽しみにしていたのと同時に、盛り込まねばならない要素が満載のあのコンテンツをどう小説に落とし込むのか?と読み始めるまでは疑問に思っていました。しかしいざ開いてみれば、全体の構成が非常に良く練られていて読みやすく、九人もいるメインキャラクター一人一人が個性豊かに描写されていて純粋に楽しめる作品でした。著者の笠間裕之先生のTwitterアカウントをフォローしてからしばらくして、ありがたいことにフォローバックして頂いて少しだけお話をさせて頂いたりもしました。

 それから月日が経ち、二〇一九年六月から小説家になろうにて笠間先生が『木造ロボ ミカヅチ』の連載を再開されました。早速読み始めたものの、その時はなぜかそこまで刺さらず途中で読むのをやめてしまいました。しかし二〇二〇年一〇月になって、既に完結していた第一章から第二章の幕開けまでの最新更新分を一気読みしました。去年挫折したのが噓のように。小説に限らず、コンテンツにはやはり受け取るべき時機というものがある……そう思います。非常に面白く読むことができたのは、読み手である私の方に変化が生じたからでしょう。読み進める中で、去年は思いつかなかった考えが頭に浮かんでいました。

 この頃、日本のエンターテインメントを席巻していたのは何と言っても『鬼滅の刃』でした。『鬼滅の刃』は面白い、と同時に「日本人としてこの作品を歓迎してしまって良いのか?」という疑念を視聴している間ずっと抱いていました。

 あの作品において注目すべきは、「新しい要素が何ひとつない」という点です。衣装にせよ武器にせよ、話の筋立てにせよ、その魅せ方のセンスは言うまでもなく一流で最高の作品であるのは間違いないけれども、しかしそこに目新しさはない。そこにあるのは言うなれば古ぼけた物語に新たな生命を吹き込む「再話」の面白さ。そのことに気づいている人は、本当は少なくないはずなのです。

 『鬼滅の刃』において、「鬼」は古老のみが語る忘れ去られた存在。「鬼殺隊」もまた、所詮は明治の世に無許可で帯刀する時代錯誤の武芸者でしかない。先の展開は知りませんが、炭治郎はいずれ鬼舞辻無惨を討ち倒すことでしょう。しかし、既に新しい時代を迎えた日本で一体誰が彼らの勇姿を語るのか?これは記録に残らない、歴史の闇に埋もれる物語だ。我々読者だけが真実を知っている……。日本人はとにかくこの手の作品に弱い。それは源義経であり、忠臣蔵であり、白虎隊であり、新撰組です。であればこそ、『鬼滅の刃』を手放しで絶賛する声を聞く度に「日本人の心」、その最後のひとかけらがいつの間にか失われていたのだと思ってしまうのです。

 二〇二一年四月の現在、私は二四歳。私が小学生の頃はまだ『水戸黄門』の新作が毎週放送されていました。その内「時代劇なんてそんなジジ臭いもの、誰も見ないよ」という感じで打ち切られ、お茶の間に家族が集まる時間帯に放送される時代劇はNHK大河ドラマがせいぜいになりました。しかしこの「誰も見ないよ」の中には「誰もがその物語を知っているからわざわざ見る必要がない」というニュアンスが含まれています。それこそが、土地や先祖との繋がりを断ち切られた現代に生きる我々の中にかすかに残った「日本人の心」だったのではないでしょうか。もし我々がまだ日本人であったのなら、炭治郎たちの装いを見て「こんなジジ臭いの、ダサいでしょ」と思うべきだった。

 日本のメジャーシーンが一大ムーブメントに沸き立つ中で一人納得できない気持ちを抱えていた私にとって、笠間先生が発明した「木造ロボ」という概念は私にとって「日本人とは、何か?!」を問い主張する恰好の題材として映りました。それは『ゴジラ』や『宇宙戦艦ヤマト』にも通じるアプローチ。そう、伊福部昭や寺山修司が試みたような……

 そうして『木造ロボ ミカヅチ』を読了した直後の一〇月五日、笠間先生に長文の感想を送りました。盛り上がる会話の中で「ミカヅチの世界はチャンポンなので仏教とか他国の神話から登場させるのもアリ」との言葉を頂いて具体的な形を取りつつあったアイデアを作品に仕立てることに決めたのでした。この時点で既に、自分の地元を舞台にするならそれは浪切不動院より他にないと思っていました。


 ところで、「木造ロボ」という概念を日本のアニメーションが辿ってきた歴史と照らし合わせてみると興味深いことに気づきます。以下は岡田斗司夫さんの論説に依ります。

 そも日本の漫画・アニメにおける巨大ロボットの先駆けは『鉄人28号』、その後発表された『マジンガーZ』が少年たちの心を鷲掴みにしました。しかしここから始まる巨大ロボットブームは、1954年に公開された映画『ゴジラ』による怪獣ブームなしでは起こり得なかった。ごく初期においては、巨大ロボットは飽くまでも怪獣の派生ないしは延長に過ぎず、その証拠に当時の巨大ロボットはその内部の機構についてざっくりとでも説明されることはなく、また機械でありながら必ず吠えた《・・・》(吠えるロボットと言えば『エヴァンゲリオン』もありますが、実はロボットではなく中に人が入っているという設定と、庵野監督が特撮に対して並々ならぬ思いがあるということを照らし合わせてみるとその意図が少し読み取れるような気がします)。

 その後、高度経済成長の終焉と共に怪獣ブームが下火になり、『仮面ライダー』などの新時代の特撮と『宇宙戦艦ヤマト』などの本格的なアニメがそれに取って代わりました。

 巨大ロボットを機械として描いた初めての作品は初代『機動戦士ガンダム』でした。ここから、内部機構不明のファンタジーなロボット作品から派生する形でリアル志向のロボット作品の歴史が幕を開けました。以後、巨大ロボット物においてはこの二派が並存して発展し今に至ります……

 という概略を踏まえた上で、では我々の「木造ロボ」は一体どこに属するのか、と考えてみると……驚くべきことにどこにも当てはまりません。産業革命が起きる遥か昔から日本に存在していた、という時点で一般的な機械として扱われることを拒否しており、またフドウもそうですが原作のミカヅチも吠えているところを見ると初期の作品群に風合いが似ていますが、では完全にファンタジーかと言うとそうとも言い切れない。例えば神機の全高が四m前後であるという設定。これは現存する布都御魂剣に釣り合う大きさを検討した結果と思われますが、実は全高四mのロボットが登場する作品は既に存在していて、それは『装甲騎兵ボトムズ』です。

 全高一八mの『ガンダム』から始まった富野由悠季監督のリアルなロボットを模索する旅は、作品を重ねる度に小さく、コンパクトになり『ボトムズ』に至って四mになりました。その狙いは、通常の銃火器でも打ちどころが悪ければ死んでしまう危なっかしさと、例え戦地で故障しても乗り手である兵士が独力でメンテナンスできる利便性が描写できる点にあります。まるでガレージで車いじりをするかのようにロボットをいじる……。そのリアリズムによって『ボトムズ』はリアルロボット作品のひとつの到達点と呼ばれる地位にまで押し上げられました。

 『木造ロボ ミカヅチ』には『ボトムズ』に見られたような、作品世界が日常生活と地続きになっていると感じられる描写が多く盛り込まれています。どんな巨大ロボット作品も、現実の物理法則に従って考えれば巨大ロボットそれ自体が空想の産物でしかあり得ない以上ファンタジーが入り込む訳ですが、こと「木造ロボ」においてはリアリティとファンタジーの入り混じり方が他とは大きく異なっているのです。

 以上のようなことに考えを巡らせた上で、「木造ロボ」の特異性を活かして二次創作していくにはどうすべきか。

 最も苦戦したのは、敵を作ることでした。『ミカヅチ』における「五月蝿なすもの」は、謎のテクノロジーによって現代に召喚されたオバケのようなもので、機械に寄生する性質を持っている。それらに対抗するべく神機は造られた……。良くも悪くもそれ以上の情報は第一章では語られなかったため、それだけをヒントに「神機は何と戦うべきか?」を考えました。当初、舞台の上には九十九里浜一帯を守護する神騎たるフドウが戦う相手もいないまま手持ち無沙汰に立っているだけの状態でした。そこから逆算して『罔象ミヅハ』と呼ばれる敵の姿を浮かび上がらせるまでに、そのネーミングも含めてかなりの時間を要しました。

 基本の設定として、神機が日本神話の神の依り代である以上、その敵はかつて大和民族にあだなした他の民族・別の伝承の神々でなければなりません。神機の前に立ちはだかるのは侵略者に消された歴史、体制に恭順した人々に忘れ去られた歴史そのものなのだ。かつて日本は多民族国家だった、ということを忘れてはいけない……

 そこだけがクリアできれば、後は苦労するところは特にありませんでした。『ミカヅチ』は、笠間先生ご自身がコメントしているように「自分が一番やりたいことをやる、王道をやる」という言葉通りの作品です。であるならば当然スピンオフの『フドウ』もそうでなければならない。しかし、王道というのも一本道ではありません。世代が違えば、触れてきた作品が違えば思い描く王道も異なります。その違いを楽しんで頂ければ幸いです。


 登場人物について少し。不動明王の眷属・八大童子の七番目「矜羯羅キンカラ」と八番目「制吒迦チェータカ」をモデルに「長月玻那華」と「伊能彩雲」という二人の主人公が生まれました。矜羯羅は「何をするべきかを問い、その命令の通りに動く者」、制吒迦は「不動明王の真の心を知らない衆生に対して忿怒の心を込めて接する者」と考えられているそうです。その性格を踏襲しつつ、守られるべきお姫様が逆に王子様を助けに行ってしまう……そんな典型的なおとぎ話の異曲を作るつもりで基本的な話の筋立てが決まりました。

 「稚雁」には特にモデルはいません。ただ、彩雲の退場直後で傷心の玻那華を癒すことのできる強いキャラクターが必要でした。それにしても、まさか小学生の頃に読んだ『日本神人伝』(著:不二龍彦)の知識が役に立つとは思いもよりませんでした。何だか最近になってリニューアルされたらしいですね。2017年発売の『新・日本神人伝』。いずれ読むつもりですが、それはさておき。

 そもそも『フドウ』にはそこまで強いキャラクターは出さないことにしています。武神であるミカヅチやミナカタ、フツヌシに比してフドウやタマヨリは三つも四つも格下として設定しています。それは原作をリスペクトしているという以上に、泥臭い戦いを好む私自身の趣味でもあります。しかし稚雁の巫女としての図抜けた能力だけはひょっとしたら原作のキャラをも凌駕するかも知れません。とは言え、稚雁は木刀片手に手合わせを挑みに行く性格ではないので腕比べになることはないでしょう。一応、華奢な騎体を庇って弓しか持てないタマヨリに乗せることで稚雁の規格外の強さに制限をかけました。次回は果たしてどうなるでしょうね。お楽しみに。

 「由亜」と「里亜」のモデルはずばり『アサルトリリィ』シリーズに登場する船田(きいと)・船田(うい)姉妹です。2020年に公演された舞台『アサルトリリィ League of Gardens』と『アサルトリリィ The Fateful Gift』は素晴らしかったですねー!その時のパッションが多分に注がれています。この二人も、稚雁と同様必要があって生まれたキャラクターです。高校生の二人は玻那華が知らない世界(意味深)を知っている……というのは半分冗談で(半分だけね)、作中唯一の神社本庁寄りの巫女であることに意味があります。奈良出身にしたのは修験道の本拠地が奈良だから、という理由もありますが関西にも神騎を操る巫女が当たり前にいることを示すためでもあります。元々双子ちゃんにする予定だったものの、あまり派手な出番がなさそうだったので双子属性は温存することにしました。双子好きの諸氏は今後にご期待頂きたい。


 そんなこんなで一〇月初め頃にプロットを書き始め、一一月八日に書き終えました。そこから小説本編を書き始め、翌年三月三一日に書き終えました。初めての小説『天体運航韻律再現譜』が、何度も挫折を挟みながら書き終えるまでに二年を要したことから比べればかなりの進歩です。webでの公開へ向けて慣れないイラストを描いている今、頭は既に次回作の構想に向かいつつあります。


 では最後に、今後の展開について。もはやお馴染みの次回予告風に――


 第一鹿島海山という巨大な要石の解放を目指した尸童ヨリマシの計画は失敗に終わったかに見えた。しかし、日本海溝沖から顕現した新たな脅威「来訪神マレビト」によってフドウと玻那華は再び命懸けの戦いに明け暮れることになる。

 罔象姫から救出された後、長らく昏睡状態にあった彩雲はある夜、独りでに目を覚ましフドウの核である「曼華鏡」を破壊する。序盤からいきなり戦闘不能に陥り抜け殻と化したフドウから鏡を取り出した玻那華は犯人が彩雲であることも知らないまま、自我を喪失した彩雲を伴って旅に出る。それはフドウを修繕する方法を探るための魂の遍路。共に過ごす中で彩雲は少しずつ記憶を取り戻し、自分自身が罔象でも人間でもないことを知って苦悩する――

 一方その頃、神社本庁は秘密裏に神騎の量産を進めていた。プロトコル・オクタブリス。その発動が現実味を帯びつつあった。徐々に人の道を外れていく巨大な組織の中で、和泉は使命を見出す。その模様を静かに観察していた山岸は――

 日本列島のどこかでは三人の尸童ヨリマシの残り二人による更なる計画が既に動き出していた。待望の新キャラによって戦線は一層拡大する。しかしその背後に未だ姿を現さない大きな影が蠢いていることに、彼らはまだ気づいてもいなかった……


 次回!木造ロボ フドウ【死国十三詣り篇】(仮題)にご期待ください!!


 ……という訳で、次回の敵は来訪神マレビトです。真の黒幕は果たして一体「何」なのか……。ひとまず今は、全ての答えは諏訪にある、とだけ言っておきましょう。

 本家の『ミカヅチ』のラストで暗示されていたように、今後の物語はワイドスクリーンバロック的にますます盛り上がりを見せることでしょう。その波に乗るべく、こちらはこちらで集大成となるべき舞台を用意しました。本家『ミカヅチ』がアベンジャーズなら、こちらはキワモノ揃いのスーサイドスクワッド。いずれにせよ『エンドゲーム』に相当するようなドリームマッチへ向けて、一体どれだけ下準備ができるのか。そこが問題です。私のような物好きがあと四、五人いればもっと盛り上がるのに……とも思いますが。まあ、高望みはいけません。

 今現在は次回作に登場する新しい神騎を選定している最中です。そこで、現時点で登場がほぼほぼ確定している二騎について、ここでだけこっそり予告しちゃいましょう。

●天王社津島神社 素戔嗚尊より、スサノヲ

 スサノヲ信仰の総本社でありながら延喜式神名帳に記載がないユニークな神社。素戔嗚尊が本来大和民族に服属した異民族の神であったという失われた歴史を今尚色濃く残している、暴れる神スサノヲにふさわしい、まさに無冠の帝王。

●アメリカ椿大神社つばきおおかみやしろ 猿田彦命より、サルタヒコ

 まさかの遥々太平洋を越えアメリカからの参戦!アメリカ椿大神社は伊勢国一宮・椿大神社の分社にして、初めて北米に建てられた神社です。アスカ・ラングレー的な帰国子女ポジションの子は絶対にいた方が良いですからね。日本アニメにたまによく登場する元気いっぱいな金髪の女の子になる予定です。

 ……と、いう訳で大見得を切ってみたものの次回作の公開は一体いつになるやら。実のところ、まだ頭には持ち運びしやすいサイズに収まったフドウの「曼華鏡」を膝に抱えた玻那華が彩雲と一緒に電車に揺られているシーンしか思い浮かんでいません。

 最後に、二次創作の制作及び公開を快諾してくださった笠間裕之先生へ。『木造ロボ ミカヅチ』から与えられた鮮烈なインスピレーションがなければこの作品は完成はおろか着想すら得られませんでした。『木造ロボ フドウ』は続きます。今後もミカヅチを中心に発展していくであろう木造ロボシリーズへの多少の貢献ないしは賑やかしを以ってお礼の言葉に替えさせて頂きたいと思います。

 玻那華と彩雲を乗せた電車が一体どこで停まるのか、誰と出会うのか。今は全くの白紙です。それでも古歌が、物語をあるべき方向へと導いてくれることでしょう。


  揺るぐとも よもや抜けじの 要石 鹿島の神の あらん限りは

 以上で『木造ロボ フドウ 再臨の忿怒尊篇』は終了です。お付き合い頂きありがとうございました!

 続編は鋭意制作中!発表時期は未定ではありますが必ず完成させます

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