章 第十九「20120619finale■///鹿島海山決戦」第三幕
玉依姫命の放った矢が仲間の頭を刎ね飛ばしたにも関わらず、八雷神は意に介す様子もなく呪詞の奏上を続けていた。胡坐をかいたまま無様に倒れ込んだ雷神に近づいてよく見てみると海水に浸蝕された機械の身体は相当に傷んでいて、矢を射かけるまでもなく今にも崩れそうなほど脆くなっていた。名のある神がなぜそんな頼りない依り代に宿ったのか、玉依姫には不可解に思えた。
突然、頭を失って倒れた一柱が平然と息を吹き返して再び座に加わった。まるで時間が巻き戻ったかのよう。但し刎ね飛ばされた頭は元に戻っていないが、何の支障もないらしい。
「わらわの破魔矢が利かぬと申すか……?!」
じきにそれが仲間が唱える歌の効果だと分かった。何度壊しても切り刻んでも、恐るべき早さで回復して元通りになってしまう。玉依姫の力を以てしても三柱を倒すのが限界だった。八柱全てを同時に倒すのは不可能だ。
そこへやって来たのが頭部を失った罔象姫だった。虚空に渦巻いた黒い迦楼羅炎から顕れ出たその姿を見た瞬間、玉依姫の中で全てが繋がった。
「ようやく分かったぞ、そなたらの目的が……」
鳥居へ向かって悠然と歩く罔象姫の姿に玉依姫は絶望した。フドウ・フトダマ・ヒリトメの三騎はいずれも力尽きてしまったのだろうか?
「させぬ……わらわ一人でも止めて見せる。此度の国譲りは前ほど容易くはゆかぬと覚悟せよ」
一度に五本も六本も矢を取り出し、狙い澄まして躊躇なく連射した。が、一本残らず黒い大剣に弾かれる。罔象姫の歩みは緩まない。タマヨリは長弓を捨てて二本の脇差しを取り出し姿勢低く踊りかかる。
罔象姫は全ての動きを読んでいた。打点の低いタマヨリの連撃を読み切った上で敢えて避けようともせず、大剣の大振りで相手を弾き飛ばした。八雷神が唱える呪詞の効果は、味方に対しそんな戦い方さえも許容する。
地面に倒れ込んだ騎体を起こすのにタマヨリはいくらかの時間を要した。たった一撃食らっただけで右脚が不調を来している。元々肉弾戦を想定していない華奢な騎体には負担が大き過ぎた。それでも抗戦の意志を見せるタマヨリを歯牙にもかけず、罔象姫はまっすぐ三柱鳥居へ向かった。その速度にタマヨリは追いつけない。
ふと、突き進む罔象姫の腕が何かに引っ張られた。タマヨリではない。振り向くと、そこには迦楼羅炎を背にしたフドウが立っていた。罔象姫の左腕に巻きついていたのはフドウの持つ羂索だった。残った右腕で引き剥がそうとしてもなぜかほどけない。
「ちかちゃん?お姫さま?どっちかわかんないけどだいじょうぶ?!」
〈遅いぞ小娘、一体今まで何をしておったのじゃ……〉
その声には嬉しい気持ちが見え隠れしていた。
「なんか鳥居の方に大勢いるけど、とりあえず罔象姫を倒せばいいの?」
〈いかん、八雷神が先じゃ。あやつらの歌を止めぬ限りわらわらに勝利はない……人手が要る、残りの小娘二人は連れて来なかったのか?〉
「大けがしてるんだもん、戦える身体じゃなかったから休んでもらってる……それよりどうすればいいの?!いつまでもこのままってわけには……」
思いがけず引き留められたことで業を煮やした罔象姫が不快な金属音を撒き散らしている。まだ様子を伺っているようだが、至近距離で離れられない一触即発の状態を自覚して玻那華は身震いした。
「……分かった。わらわが何とかする。そなたは罔象姫を鳥居から遠ざけることだけに専念せよ」
「りょうかい!」
羂索をぴんと張って罔象姫に向き直り、玻那華はフドウと共に最後の戦いに臨んだ。覚悟を決めて肩部の特徴的に張り出した厚い装甲をパージする。ここで終わらせようという気迫は相手の側からも感じられた。足下の影から長大な剣を抜き取ると、フドウに酷似した敵はフドウと同じ構えを取った。それは幼い頃から幾度となく繰り返してきた彩雲との剣術の稽古を玻那華に思い出させた。彩雲が剣を構えるのはいつも玻那華が構えてからだった。
フドウが罔象姫を引き留めている隙に、タマヨリは充分に動かなくなった騎体を引き摺ってやっとの思いで鳥居をくぐった。三柱鳥居が創り出す空間の中央に座ると、玉依姫命は作業に取りかかった。
鹿島神宮と香取神宮には、要石と呼ばれる神代の遺物がある。地表から確認する限りでは取るに足りないつまらない石のように見えるが、その石は実は途方もない長さで驚くほど深く埋まっている。一説には、鹿島と香取それぞれの要石は共に大地震をもたらす鯰の頭と尾を杭のように打ちつけて鎮めていると云う。
玉依姫は、大地震の元凶として人間が警戒している第一鹿島海山それ自体が、むしろ地震を鎮める巨大な要石であることを知っていた。八雷神であればそれを引き抜くことが可能であることも。封印を完全に解除するには、巫の力が不可欠だ。思いがけず入手した伊能彩雲を使うつもりなのだろう。それが成就された果てに何が起きるのか、海神の娘には想像がついていた。
「安心せい、稚雁。そなたの身体じゃ、粗末に扱いはせぬ。じゃが今は少し耐えておくれよ……」
要石の操作は巫力を激しく消耗する。現世に身を置く者では途中で死にかねない。それを考えれば八雷神が唱える黄泉返りの呪詞にも合点が行く。強制的に蘇生を繰り返すことで力ずくで操作を完遂させるつもりなのだろう。命を弄ぶ神の所業に、想像しただけで虫酸が走る。
何としてもここで終わらせることを決心すると、玉依姫は祝詞の奏上を開始した。鳥居の内側の空間で跪いて八雷神の歌を中和する。開きかけた彼岸との通行路を締め切ることさえできれば、勝算はあるはずだ。
フドウと罔象姫の間では両者を繋ぐ羂索と共に、見えない緊張の糸がぴんと張り詰めたまま長い静寂が続いていた。互いが互いの一瞬の隙を突くべく意識を研ぎ澄ませ、じりじりと時間だけが過ぎる。じっと動かないままなのに汗が止まらないのが鬱陶しい。
突然フドウがぐらり体勢を崩す。先に動いたのは罔象姫だった。腕に巻きついた羂索を強く引っ張って相手をよろめかせた後、前転して不動の懐にもぐり込みそのままタックル。地面に叩きつけられるフドウ。激しい衝撃に見舞われて内部の玻那華も頭をぶつけて額から血が流れる。だがその痛みが玻那華の意識をより鮮明にした。
倒れたフドウに覆いかぶさってすぐさまとどめを刺すべく再び影から剣を召喚する罔象姫に、フドウが相手の左腕に絡みついたままの羂索をたぐり寄せて思いきり引っ張る。罔象姫が両手で構えていた剣は狙いを外して岩肌に突き刺さり消滅。フドウは罔象姫を張り飛ばした。
頭の中は真っ白。倒れ込んだ罔象姫にすぐさま掴みかかる。体勢を逆転して押し倒すと声にならない叫びを発して、玻那華はフドウに敵の胸部を無我夢中で殴らせた。
興奮から醒めて我に返ると、玻那華は相手の胸がぐしゃぐしゃに潰れているのを知った。それだけではない。胴体までもがぺしゃんこになって装甲に守られていた内側の筋組織が押し出されて露出し、漏れ出す血が地面を赤く染めていく。途端に冷静になった玻那華は地面に突っ伏して過呼吸に陥った肺を落ち着かせようと努めた。
「わたし……今、なにを……?」
頭の中は真っ白なまま、まとまった考えが浮かばない。脈絡なく浮かんだ印象を繋ぎ合わせて何をするつもりだったのか思い出そうとする。
「そう……、そうだ。あの中にあやちゃんが。助けなくちゃ」
蟹のような構造をしていて装甲をむしり取りやすい癸型と異なり、より上位の壬型から派生した罔象姫の装甲をバラす手順について玻那華は迷った。この騎体の内部に何より大切な人が囚われていると思うと尚更だ。ぺしゃんこに潰れた装甲と装甲の継ぎ目を広げるようにこじ開けている内に、玻那華は自分が犯した重大な過失に気づかされた。
捕らえた人間が格納されているはずの胴体部分が今更どうしようもなく潰されているのを改めて眺めて、玻那華は青ざめた。
「わたし……わたしが?そんな……あやちゃん、あやちゃん!」
罔象姫の亡骸に取りすがって玻那華は泣き叫んだ。
嗚咽に苦しみながらも、吐き戻さないよう必死に口を抑えた。苦い吐瀉物で喉が詰まる。それまでに味わったことのない激しい絶望に襲われた玻那華は、味方の歌で息を吹き返した罔象姫によってフドウの横腹にナイフを突き立てられたことに気づかなかった。
鳥居の内側に座して一部始終を見ていた玉依姫は、倒れるフドウに声をかけることもできないまま祝詞を唱え続けなければならないことをもどかしく思った。平然と立ち上がった罔象姫は、重大な負傷をものともせず再び三柱鳥居へ向かって歩みを進めた。その左腕には相変わらず羂索が巻きついている。元々鳥獣を捕らえる罠の一種だったその法具は、使用者の意思に自在に従う。玻那華が諦めない限りほどけることはないものの、しかし罔象姫が進むまま起き上がることもできずに地面を引き摺られるフドウの中で玻那華が一体何を思っているのか。それは神にさえも分からなかった。
とうとう三柱鳥居に辿り着いた罔象姫がタマヨリに向かって激しく威嚇する。間近に迫った罔象姫が送り込む邪気を、祝詞の奏上で手一杯の玉依姫はまともに食らった。思わず歌が止まりそうになる。要石の解除は神代より海底に封印されてきた魑魅魍魎が地上に解放されることを意味する。天照大神が天岩戸にこもったことで太陽が昇らなくなった暗黒の時代の記憶が脳裏をよぎった。
(もはや、これまでなのか……?)
邪気に毒された姫神はそれ以上祝詞を続けることができなくなった。墨がぽたぽたと垂れるように視界が黒く滲んでいく。鹿島海山全体が激しく震動しながら再び隆起を始めた。
キシキシキシキシ……だが突然、罔象姫の潰れた頭から漏れる不快な笑い声が悲鳴に変わった。見上げると、そこには激しい炎に包まれる敵の姿があった。理由はすぐに分かった。フドウが残された力を振り絞って放った浄火が羂索を伝わって罔象姫を灼いている。それは、最後まで彩雲の生存を信じていた玻那華の諦めの発露でもあった。
呆気ない幕切れだった。機械の身体に宿っていた罔象姫は灰になって消滅し、黒い筋組織によって接ぎ合わされていたスクラップの残骸が残された。その一部始終は他の罔象と何ら変わりなかった。
気づけばいつの間にか八雷神は姿を消している。罔象の計画は失敗に終わったようだった。
フドウに乗り込んだまま、玻那華は一言も発しなかった。羂索をほどくとそのまま山を下りようとして足早に三柱鳥居を離れた。罔象姫にはもう近寄りたくないとでも言うように。
〈待ってはなか!〉
トランシーバー越しの声は稚雁のものだった。振り返る玻那華に、稚雁は嬉しそうに告げた。
〈こっちに来て!はなかのお友達、まだ生きてるよ!〉
次回予告
脅威は去った。だが少女の闘いは終わらなかった。望まぬ奇跡、恐れていた再会。犯した罪の告白は今度こそ許されない。
次回、「祭礼の誕生」。
木造ロボ フドウ第一部、これにて幕引き




