章 第十七「20120619fragment■///国産み果てて」
海上保安庁が示したポイントへ辿り着いても、救命ボートはおろか難破したという船も見当たらなかった。トランシーバーの向こう側にいるオペレーターもお手上げのようだ。
「本当にこの辺りで合ってるの?何もないわよ」
〈位置に間違いはなザザッと思うんです。この真下が、罔象が目指ザザザとされる第一鹿島海山です。ただ、この周ザ——ッの海域は電波の混信が見られてザザッ、ザ————ッ……まるでバミューダ・トライアンザザザザザザザザザザザ〉
「もう大分混信してるわね……」
もはや騒音しか発さなくなってしまったトランシーバーの音量をミュートにすると、稚雁はキャノピーを開けてコックピットから身を乗り出し外を見渡した。
「うーみーはー広いーなあ、大きーいなあ」
既に陸地は見えず、ぼんやりしていると方角を見失いそうだ。方位磁針を取り出してみても、針が左回り・右回りを際限なく繰り返すばかりで何の役にも立たない。
「うーみーにお舟ーをー浮かばーしーてー、行ってみたいな、よそのー国ー」
学校で覚えた唱歌を口ずさみながら、稚雁はコックピットへ引っ込んだ。使えなくなった道具類をしばし眺めて見切りをつけると、瞼を閉じて一息吸い込み、意識を集中。深く息を吐いて意識を分散させていく。それを三度四度と繰り返していくうちに、神騎に乗り込んでいることで大幅に拡張された霊感が周囲三〇kmの状況を把握した。
「文明の利器も役立たずとなれば、昔ながらの方法に頼るしかないものね」
たゆたう霊威の波に不自然な乱れを察知してまっすぐ向かうと、やがて蛍光オレンジのゴムボートが見えた。向こうもこちらに気づいて手を振っている。
〈お待たせしました、もうだいじょうぶよ!けが人はいる?〉
「ありがとう、乗員は全員避難できてます。誰も怪我はありません」
調査隊のメンバーは一六人と聞いていた。ボートに確かに一六人乗っていることを知って、稚雁はひとまずほっとした。
稚雁がボートを押して砂浜へ戻ろうとした矢先、にわかに波が荒くれてボートが揺れた。転覆しそうになるのを必死に押さえる。
「何、今のは?」
音量を上げたトランシーバーからは、耳障りな騒音に混じって何とも間の悪い知らせが入った。
〈海底で大規ザザ——ッ地殻変動を検出!!ズ——ッ……ザザッ津波の恐れがあザザッザッ、すザザッ避難を!〉
「手すりに掴まって!落ちないように気をつけるのよ。ちかりも気をつけるけど……」
神騎の割に細身の両手で極めて慎重にボートを抱えると、稚雁は急いで海上を進んだ。
再び第一鹿島海山の真下を通り過ぎる間際、海の底から凄まじい地響きが鳴り渡った。
「何が起きてるの?!」
〈ザ——ッ原因が分かりまザザッ……分かりませんが、第一鹿ザザザザザザッッが急速に隆起しています!!〉
「は……?」
「第一鹿島海山が……?!確かにマグマが噴出してできた海底火山ではありますが……そうは言っても、火山活動の兆候なんて観測されてなかったはずですよ!?」
ボートにしがみついている学者先生の誰かがそう叫んだ。
必死に突き進んでいた稚雁も、ざばああんという破裂音と共に大きな衝撃が空気を震わせたことでさすがに後ろを振り向いた。
「これって、一体……?」
海面から岩肌が突き出している。信じがたいことにそれは凄まじい勢いで隆起を続け、見る間に山と呼べる高さにまでせり上がった。海の上を滑っていたタマヨリも追いつかれて、その山の麓に立つことになってしまった。
「よもやよもや、こんなことになろうとはのう」
突然のできごとに年齢相応の戸惑いを見せる稚雁に代わって主導権が玉依姫に移った。
「鹿島海山、とか言ったのう。元の名を知らぬが、いずれにせよこれでは名を改めねばなるまい。差し詰め鬼ヶ島とでも言ったところか。丁度良い、岡まで運ぶ手間が省けたわ。うぬらはここで待っておれ、じきに迎えも来よう」
ボートを降ろすと、玉依姫命は遙か頂上を見上げた。
「瘴気が濃くなりよった。ここが魑魅魍魎の総本山……わらわを小娘どもから引き離したのも作戦の内か?海の底から山を引き摺り出すなどという芸当を見せられては最早何が起きても驚かぬぞ」
おもむろに長弓を取り出して鏑矢をつがえ、真上へ向かってぎりぎりと弓を引き絞った。
「ここが敵の巣の只中ならば、姑息な罠ごと平らげてくれよう。岡は任せたぞ、不動院の娘」
矢は放たれた。空気を切り裂く鏑の音が自身の居場所を敵へ知らせる。
こうして、決戦の火蓋が切って落とされた。
せわしない基地から離れ、海の家で一人テレビを食い入るように見ていた玻那華は、突然映し出された光景にあんぐりと口を開けていた。テレビ局が派遣したヘリコプターから撮影された短い映像が繰り返し流れる。
〈第一鹿島海山は日本海溝の房総沖にある海底火山です。およそ二〇万年前から海溝の底へ引きずり込まれつつあり、その西半分は既に呑まれて消滅しています。専門家によれば隆起によって海面から確認されているのを見る限り、残っていた東半分ということで間違いないとのことです……。先生、これについていかがですか〉
〈まず言いたいことは、これによる津波はないものと見て間違いありません。まずは落ち着いて頂きたい。プレートの運動としては極めてユニークで、そのエネルギーは凄まじいものでしたが一連の活動がかなり地中深くで起きていたのが不幸中の幸いでした。震源が通常の地震より遙かに深かったことで日本列島への影響は今のところ最大震度四の地震で済んでいます……勿論充分大きな地震ではありますけれども〉
〈皆様、油断はせず余震に備えて警戒を怠らないでください。……と、早速気象庁が会見を開く模様です。始まり次第中継を繋ぎます……〉
ものものしい雰囲気の中、専門家による解説が続く。
「ちかちゃん……なにしちゃったの……?」
「いや、あの子がやった訳では」「ないんじゃない?」
「恐らくはこれが、海を渡った罔象どもの目的なんだろう」
「第一鹿島海山はいずれ大地震を引き起こす山として以前から警戒されてきた。一説には東日本大震災も、この海底火山が原因とか。罔象の活動と自然災害発生の相関関係を立証する根拠を、我々はひとつ手に入れたことになりますね?」
いつの間に基地に来ていたのか、和泉が忍海との会話に割って入った。
「罔象は災害を自ら引き起こそうとする元凶か、自然が発する警鐘か……。重要なのはそこだよ」
突然現れた和泉に由亜と里亜が駆け寄る。色々聞きたいことがあるという以上に、二人は和泉を慕っているようだった。
「……ほんとうに、倒さなきゃ……いけないのかな……」
元凶か警鐘か。ことはそう単純な問題なのだろうか?打ち捨てられた社で怯えていた少年神はそのどちらとも思えない。
再び警報が鳴り響いた。防災無線が罔象の出現を告げる。基地に残された三人の巫が目を合わせ頷く。心の奥に生じた迷いに気づきながらも、玻那華はこの数週間で染み着いた習慣に従ってフドウの許へ走った。
〈敵は多くありません。海上であんなことが起きてる以上、陽動作戦の可能性もあります。それでも油断はしないでくださいね〉
「りょうかい」
トランシーバー越しに返答しながら、玻那華はフドウの背面部に開かれたキャノピーの前で立ち止まったまま動けずにいた。コックピットへと続くその狭い通用口には、さっき井戸を覗き込んだ時に見たほんとうの闇が湛えられていた。そこへ入っていくことに、玻那華は恐怖を感じた。こんなことは初めてだった。
玻那華がためらっている横からフトダマとヒリトメが早くも出撃した。残るはフドウ一台のみ。意を決して、身体を滑り込ませる。
白い帯を巻き付けて目隠しすると、玻那華はすぐさま火界咒を唱えた。だが、
「……あれ?どうしちゃったの……?」
異変にはすぐ気づいた。普段なら玻那華の呼びかけに応じて起動してくれるフドウがびくともしない。
「気高き忿怒尊よ、砕破せよ……砕破せよ!もう、どうしちゃったの?!よりにもよってこんな時に!」
「神騎はただの機械とは違う」
コックピットの外側から忍海がそう言った。
「あんたの迷いがフドウに見破られてるんだ。フドウが動かないのは、あんたが立ち止まってるからだよ」
人の祈りを神に伝えると同時に、神の願いを聞き届けるのが巫の役目なのだと小角家の二人が言っていた。であるならば、今の自分にはそれができていないのだろう。玻那華にはフドウの心が分からなかった。だが、今までだって分かっていたと言えるのだろうか?
〈小角由亜・小角里亜、会敵。応戦しています……情報来ました、敵の内の一体は変異した壬型、罔象姫で間違いない模様〉
その言葉に、玻那華は反射的に感情を揺さぶられた。罔象姫に乗っているのが彩雲ではないと頭で言い聞かせてみても、やはり心のどこかではまだ諦めきれずにいる。
——個人的な復讐心で戦ってるあなたとは違う——
——神騎はこの国を守るために造られたの。大多数の幸福のためにあるの。それを個人的な動機のために使うというのなら……あなたは神騎の乗り手として失格よ——
罔象に対して一切容赦のない由亜と里亜の剣が、彩雲に向けられようとしている。二人の戦闘スタイルを思い出して一層焦った心が、彼女たちに浴びせられた過去の言葉に強く牽制される。動くこともじっとしていることもできないまま、玻那華はもどかしさを募らせた。
「わたしの想いは、自分勝手なものなんかじゃ……ない……お願いだから、動いてよ!ねえ!ねえってば!」
次回予告
立ち塞がった自身の影。その大きさに怯える少女の許へ、見知った顔が現れる。前線に立つは巫のみにあらず。
次回!木造ロボ フドウ「忘れてたなんて言わせないぜ」
今こそ、全ての諸金剛に礼拝せよ




