章 第十六「20120618-0619fragment■///シャーマンの本分」第三幕
「姫様!ご無事で何よりです」
「待たせて悪かったわね、相楽」
玻那華の手を振りほどいて稚雁は一足先に鳥居をくぐった。
稚雁から離れた瞬間、玻那華の頭に聞き覚えのある声がかすかに流れ込んだ。
「……あやちゃん?」
その声に導かれるまま、玻那華は道を外れて膝の高さほどもある草むらを進んだ。そこにあったのは古い井戸だった。石を積み上げて作られた空洞を覗き込む。そこはほんとうの暗闇へと続いていて、全く底が見えない。声はその中から聞こえてくる。だがはっきりとは聞き取れない。もっとよく聞こうと身を乗り出したその瞬間、細い白い腕が玻那華を掴んで草むらへと引き戻した。
「今のは?井戸の中から声が聞こえて……」
顔を真っ赤にして今にも泣き出しそうな稚雁に謝りもせず、玻那華は説明を求めた。その妙な冷静さに面食らったのか、稚雁も顔を拭って答える。
「……いいえ、ここにはなにもない。井戸は異界の通り道になっていることもあるけど、どうやらまだ繋がっていたみたい」
「でも確かにあやちゃんの声が……」
「はなか、ここにはなにもないのよ。よく見て」
稚雁に言われるまま振り向くと、そこにははじめから井戸などなく周囲と同じただの草むらだった。ただ、一本の竹の筒が地面から突き立っている。
「井戸を埋める時は、井戸の神様が呼吸できるようにこうやって竹の筒を刺しておくの。ずっと昔、ここに井戸があったのは間違いないみたいね」
時計は午後二時を回っていた。海辺の基地に戻ると、駐屯している自衛隊員たちが慌ただしく連絡を取り合っている。基地全体が何やらただならぬ雰囲気に包まれていた。
「一体なにがあったの?」
「ついさっき、海上保安庁から連絡があったんだ。調査隊を乗せた船が……制御不能に陥って、沈んだとのこと」
「そんな……どうして?」
「原因は不明」
「乗組員は?」
「通信も繋がらないので確かめる術はないが、我々の精鋭を同行させている。備え付けのボートで逃げおおせていると信じたい。それでもただの救命ボートだ。あれだけ沖に出ていれば自力で海岸に辿り着くのはほぼ不可能。いずれにせよ救助に向かう必要があるが」
「もう誰か向かってるの?」
「いや、まだだ」
「ならよかった、誰も行かせないで。ヘリコプターだろうとお艦だろうと、罔象が関わってる以上同じ結末を辿るだけよ」
「だったらどうする、お嬢さんに何か考えが?」
「姫様!わたくしのことはそう呼びなさい」
踵を返して自分の個室から桑の枝を取って戻ると、タマヨリの前に立ってすぐさま神楽鈴と枝を捧げ持ち玉依姫命を招き寄せる舞を踊った。
「まさかちかちゃんが行くつもりなの?!無理だよ、海の上なんだよ!?神騎は海水が大敵って言ってたのに……」
玻那華の声にも応じず、一心不乱に舞うとやがて天上から龍笛の音が応じた。
「小娘!わらわの力を疑っておるのか?」
「うわっ、ほんとのお姫さま」
「そも、わらわは竜宮城の生まれぞ。色々あって岡へ揚がっただけで、海こそが我が故郷じゃ。そのわらわが海で喘いでおるうぬらの仲間を助けてやろうと言うのに、一体全体何が心配だと言うのじゃ」「玉依姫様、年下いびりはそれくらいにして早く行こうよ」
「待て待て稚雁、ちいっと人間をからかいたかっただけじゃ。許せ許せ」
呆気に取られた玻那華を置いて、稚雁はタマヨリに乗り込みすぐさま出動した。
心配しきりの玻那華をよそに、浜辺の砂を蹴立ててまっすぐ海へ向かったタマヨリは、そのまま海の上を走り続けた——走ると言うよりも両足のつま先だけを海面に浸けて、ヨットのように波間を切り裂いて進んだ。さながらアイススケートのように優雅なその姿に、基地にいた全員がしばらくの間見とれていた。
「あんなのって、ありなの……?」
「ありみたいね」「ありなのねえ」
「ゆあちゃんとりあちゃんも、あれできる?」
「冗談言わないでよ、無理無理」「あれは多分、神そのものを自分に憑かせることができる玉前さんだけの芸当よ」「玉依姫命が海神の娘だからっていうのもあるんでしょうけどね」
「そっか、やっぱりちかちゃんはすごいんだ」
巫としての知識と実力、そして何より人としての思いやり……いずれを比べても稚雁が自分よりも優れていることについて今までもそう感じることは多かったものの、それをはっきり悔しいと思ったのは今が初めてだった。海を渡って水平線へと消えていくタマヨリの姿に、決して追いつくことのできない距離を感じて玻那華は溜め息をついた。
次回予告
遂に始まる敵の計画。地殻変動が告げるカウントダウン。その日、その時、それぞれの場所で最後の試練が始まる。
次回!木造ロボ フドウ「国産み果てて」
今こそ、全ての諸金剛に礼拝せよ




