章 第十六「20120618-0619fragment■///シャーマンの本分」第二幕
翌日、玻那華は基地を監督している士官から外出の許可を申請する書類を受け取った。この緊急時に稚雁がどう話をつけたのか玻那華には想像もつかなかった。ただ指示されるまま署名すると、その場で受理され、時間制限つきの自由を手に入れたのだった。
「私たちは」「置いてけぼりなの?」
「四人いっしょに基地を離れるわけにいかないってわかってるでしょ?お姉さまたちはお留守番おねがいします」
護送車に乗り込んだ稚雁は慇懃におじぎをすると有無を言わさず護送車のドアを締め、運転席に発車の合図を送った。
「出てきちゃって良かったのかな」
「神騎にとって海水は罔象にも勝る大敵だもの、海の上の相手には手出しできない。海で遊ぶのも飽きたし、動きがあるまでは大人たちに働いてもらえばいいわ」
稚雁の言う通り、実際日付が変わっても新しい情報はどこからももたらされなかった。何ができるでもなく基地で待機したままの四人の巫にしてみれば、海底へ潜ったという罔象の消息が分かるなら情報源は神社本庁だろうと防衛省だろうと構わない気持ちであるものの、政府内部では進展した事態にどこが管轄するかで少々揉めていると里亜が朝食の席で言っていた。
「全てにおいて主導権を握りたい神社本庁と、治外法権が認められているとは言え国民の安全が脅かされる以上状況をコントロールしたい防衛省上層部並びに陸上自衛隊と、妖鬼が海に進出したことで立場上協力せざるを得なくなってあたふたしてる海上保安庁の三つ巴ってとこらしいよ」
「海上保安庁かわいそう」
期せずして厄介ごとに巻き込まれる羽目になった海上保安庁の不運について考えていた玻那華は、ふと窓ガラスの向こう側で流れていく景色に目を奪われた。
罔象の大群によって内陸から海へ向かって押し流された故郷。それは一年前に起きた東日本大震災直後の被災地の映像を思い出すに充分だった。
外の様子は理解しているつもりだった。罔象がレイラインへ押し寄せた時、玻那華は高架橋から直に見ていたし、その跡に瓦礫の山が残されたこともテレビの報道で知っていた。だが今こうして車の中から眺める景色は……
「あれを防ぐことはできなかった。自分を責めちゃだめよ、はなか。今回のことで出た犠牲者の数はゼロなの。罔象に囚われていた人たちも含めてね。罔象の出現が連続で確認されるようになってすぐに避難勧告が発令されたおかげで、町は完全に無人だった。それで充分じゃない?」
玻那華は俯いたまま何も言わなかった。稚雁もそれ以上言葉を重ねることはなかった。
二〇分ほどして、車は停まった。後ろでフドウとタマヨリをそれぞれ載せた二台のトラックも停車している。あの時の反省から、より機敏に行動できるよう神騎二台まとめての搬送は禁止になったのだ。
外へ出ると、そこは山の中だった。
屈託のない笑顔で運転手に礼を述べる稚雁に対して、相手は心配そうな表情を浮かべている。稚雁が指定した目的地に辿り着きはしたものの、そこはただ藪の茂った山の中であり、目的も明かされずじまいなのだから無理もない。
「ここから先は車じゃ入れないから、わたくしたちが戻るまで待っててちょうだい」
「そりゃ駄目だ、女の子二人で山に入らせる訳にはいかない」
「わたくしたちだけじゃないわ。相楽もいる。相楽!」
「はあい!只今ー!!」
小さな主の呼びかけに応じて、タマヨリを載せたトラックの助手席から二mを超える熊男がのっしのっしとこちらへ向かって来る。ただ歩いているだけなのに自衛隊員も後ずさりする凄まじい迫力だ。
「ああ、あの人が一緒なのか。なら心配ない、お帰りを待たせて頂きます」
「ありがとう。それでいいのよ」
こうして玻那華は、相楽に肩車された稚雁が命じるまま生い茂った藪の中へと入っていった。稚雁は、自分が剣を向けている相手が何者なのかを玻那華に知ってほしいと言っていた。行き先も知らされないまま向かう先に一体何があるのか、思い起こす度にそのイメージが恐ろしいものになっていく。玻那華はいつしか想像するのをやめていた。
鬱蒼とした林を一〇分余り進むと、徐々に道らしきものが現れやがて開けた場所に出た。木でできたかなり古い柱が二本、門のようにそびえてその先に昔建物だったと思われる遺構が見えた。土壁がぼろぼろに剥がれて剝き出しになった構造材が、長い年月の間風雨に晒されて尚そこに残されている。その建物が人が住めるほど大きなものではなくこぢんまりとした祠のようなものだったことは玻那華にも察しがついた。
「ここは……?」
「もう地図にも載ってない場所。戦時中に打ち捨てられてそのまま忘れ去られた神社ね。お祀りしていた神の名前ももう分からない。でも見て、この柱。昔は立派な鳥居だったのよ。今はもう柱だけになってしまって見る影もないけど、それでも機能は失われてない」
「それってつまり……」
玻那華は夜中一人で子之神社に行ったことを思い出した。今では夢のようにしか覚えていないが、鳥居をくぐった先の異界に漂う鼻を衝く臭いははっきり覚えている。
「今日はへいきよ。ちかりもいるし、悪いことはなにも起きないから。相楽」
肩車から降ろしてもらうと、稚雁は玻那華の手を強く握って鳥居の前で深々とお辞儀した。玻那華もそれを真似る。
「くれぐれもわたくしの手を離さないでね。神隠しに遭っちゃうかも知れないから」
「それは……わたしが?」
「わたくしが、よ。前にも言ったでしょう?はなかはわたくしにとっての命綱なんだから、きちんと自覚を持ちなさい?」
「う、うん……わかった」
よくは分からないが、とにかく稚雁が無事でなければ自分も無事では済まないだろうことを思って玻那華も稚雁の手を強く握り返した。その感触に満足したのか、稚雁は先へ進んだ。
「姫様!私はここでお待ち申し上げておりますから」
「ええ、すぐ終わるから。先に帰っちゃいやよ、相楽」
鳥居をくぐると、悪性の気配が一層強くなった。それは何度も戦ってきた相手と同じものだ。確かにここにいる。歩きながら、玻那華はすぐにでも神騎を取りに戻りたい衝動に襲われた。
「……怖い?」
「うん……」
無理もない。無防備な状態でわざわざ自分から接近したことは今までなかった。だが気遣う言葉とは裏腹に稚雁はビクビクしっぱなしの玻那華を引っ張ってとうとう廃れた社の前までやって来た。
「ここにいるのは力の弱ったものが一人だけ。注意すべきことはひとつだけよ。知っているでしょう?」
「力の弱った罔象に、名前を与えてはいけない……」
「一〇〇点満点。それさえ気をつけてくれれば後はこっちでやるから」
「やるって、なにを……?」
習うより慣れろが信条の稚雁は軋む引き戸を開け放った。社の隅で何かがうずくまっている。日光を避けて暗がりに隠れているようだ。目が馴れてくるとそこにいるのが青白い少年であると分かった。みすぼらしいぼろを身にまとってひどく怯えた様子で骨の浮き出た細い肩を震わせている。
「この子は……?」
「罔象よ」
「えっ……」
「わたくしたちが囚われた人の救助を優先して取り逃がした罔象のうちのどれかでしょうね。調伏を免れた罔象は、こうやって忘れ去られた聖域に逃げ込むの」
「でもまだ子ども……」
「ええ。でもずっと昔に人ではなくなっている。もしかしたらどこかに社を構えて神として崇められていたのかも知れない……。でも今は違う。放っておくと力を回復してまた人の世に災いをもたらすことになる。だから、祓う」
一歩退いて賽銭箱があっただろう辺りに戻ると、左手で玻那華の手を握ったまま空いている右手で帯と着物の間に挟んでいた神楽鈴を取り出し、神妙な面持ちで振り下ろした。暗い気配に満ちた社に清浄な鈴の音が凛と鳴り渡る。それを合図に、稚雁は祝詞の奏上を始めた。手を繋いだままの玻那華はその経過を固唾を呑んで見守った。
巫の歌に反応して、社の奥に隠れていた少年が開け放たれた引き戸から顔を覗かせた。不思議そうな面持ちでこちらを見ている。やがてこちらに敵意がないことを見て取ると、そろりそろりと這い出て社の遺構に腰掛け、稚雁の声に耳を澄ませた。嫌がっていたはずの日光に晒されているが、その表情は不思議に安らいでいる。その柔和さに見ている玻那華まで幸せな気持ちになった。他人の笑顔を見てこんな気分になったのは初めての体験だった。確かに昔、その少年は福の神だったのだと玻那華は確信した。
一〇分余り続いた祝詞が終わり、最後にしゃんしゃんしゃんしゃん、と神楽鈴を連続で打ち鳴らすと少年は霧散した。
「……さ、おしまい。もう手を離しても平気よ。おつかれさま」
「あの子は、消えちゃったの?」
「成仏したの。……成仏って言うのは適切じゃないかも知れないわね。でも神道にそれを言い表す言葉はないから。とにかく、世界に仇なす荒神も福の神としてもてなせば円満に彼岸へ辿り着けるってこと」
手を繋いだままの帰り道、玻那華はさっき感じたことを言った。
「あの子は、いい神様だったんだと思う」
「……そうね。でもね、はなか。神様には善いも悪いもないのよ、本来は。世の中善い人間も悪い人間もいない、みんなただの人であるようにね」
稚雁の言葉を理解できているか、玻那華には自信がなかった。それでもいつか理解できるようになった時に思い出せるよう、しっかり心に刻んでおこうと思った。




