章 第十五「20120618fragment■///警戒レベル:庚」第一幕
「あの二人のこと、どう思う?」
任務を終えて自衛隊の特殊車両に護送される帰り道、稚雁はいつになく物憂げな様子で玻那華に尋ねた。
「あの二人って……」
「はあっ……とぼけないでよ、ゆあとりあのことに決まってるでしょう?」
もちろん分かっていた。言葉を濁したのは返事を考えるための時間稼ぎに過ぎない。彼女たちが現れてから四日が経った。稚雁が二人について快く思っていないこともよく知っている。女の質問は相手の意見を知りたい気持ちからではなく、自分の意見に賛同して欲しいという欲求からするのだと数日前のテレビで見た。そんな複雑な女心が自分にも具わっている実感は玻那華にはまだないものの、自分よりもよっぽど大人びた一面を持つ稚雁がどんな答えを欲しているのか、それなら分かった。
「一言で言うなら圧倒的、かな。二人の連携プレーにはほんとに隙がなくって、合わさると三人にも四人にも見える時があるくらい。わたし、武術には自信あったんだけど、あの二人には高校生になってもずっとかなわないままな気がする。そうだね、でも……」
「でも?」
「やり過ぎだなって思う時とかあるよ、やっぱり。戦意を失って降参してるような相手にも容赦がないでしょ?さすがにかわいそうって言うか……」
「ほんとに?はなかもそう思う?」
深い光を湛えた琥珀色の瞳が玻那華の心を奥底まで覗き込む。稚雁に嘘は通用しないので内心落ち着かなかったものの、しかし小角の二人にむざむざ倒される罔象に対して同情の気持ちがあるのは事実だった。
「……神騎の操縦は土地に愛着のある子がやるべきなのよ、やっぱり。そうじゃないと、あんなことになっちゃう」
夕焼けの照りつける窓の景色に目を移して稚雁がぼそりと呟く。玻那華も今日の任務でのできごとを回想した。
稚雁が言う通り、由亜と里亜の遠慮のない荒々しさは土地への思い入れが関係しているのかも知れない。玻那華自身、故郷の町に対してさほどそういう気持ちを抱いている自覚はないが、それでも二人の闘いからは「守りたい」という気持ちが感じられない気がする。標的に対する張り詰めた殺意。純粋であるがゆえに何より鋭いが、それしかない。思い返せばフドウが向かい合っている横から罔象に喰らいついていくのも当たり前のようにやってのけていた。相手が温厚な玻那華でなければ喧嘩になっていそうなものだ。
「此岸と彼岸の狭間でさまよう者たちを偽りの生から解放する方法は苦痛を伴うものであってはならない。それは常に救済でなければならない」
「ええっと……?」
「罔象は、この世に恨みつらみを遺して亡くなっていった人々の魂の残滓が凝って生まれるの。あの人たちが抱えている哀しみや憎しみを晴らしてあげないと、調伏にはならない。それどころか、あるいは……」
突然、車両がブレーキをかけて停まった。急な挙動にシートベルトが作動して投げ出されかけた身体が強く座席に拘束される。
「あれは一体何なんだ?!」
運転していた自衛隊員の動転した声で目の前の現実がただ事でないと分かった。
〈こちら管制塔、たった今レーダーが特異干渉を検出した。警戒レベル:辛、警戒レベル:辛〉
必死に応答を試みる隊員をよそに、玻那華と稚雁はフロントガラスの景色を後部座席から覗き込んだ。だが一目見ただけでは、それが一体何なのか全容を把握することは困難だった。
「あれは……あれも、罔象なの……?」
玻那華が戸惑ったのも無理はない。従来の蟹に似た構造を持った癸型及び壬型の罔象は自動車や二足歩行重機を寄せ集めた鉄クズを外骨格として、その内側に自身の筋組織を張り巡らせることで機械の身体を機能させていた。だが、今目の前で車道の中央で直立の姿勢を保ったまま静止した異形のシルエットは、その正体がもっと高度な存在であることを示していた。
「二人は逃げてください」
いくらか冷静さを取り戻した運転手が静かに告げる。
「うん。逃げようよ、早く車を出して、もと来た道を引き返せば」
「逃げれば必ず追って来るでしょう。そんな気がします。そうなれば三人とも助からない。この車両はバックドアが内側から開くようになってます。敵に見つからないように車両の陰に隠れて進めば神騎を載せたトレーラーまで安全に進めるはずです」
「でも運転手さんは……?」
「俺はこういう時のために厳しい訓練を受けてます。……へっちゃらですよ、新手の敵が現れたくらいで自衛隊員がうろたえてちゃいけないでしょ」
ぎゅっと力強くサムズアップして見せる青年に頷くと、稚雁に従って車を降りた。
後ろは振り返らなかった。腰を屈めてなるべく姿勢を低く保ち、六〇〇m先の後続車両へと急いだ。さほど遠くはないはずだが、辿り着けるか不安に駆られるほど遠く感じる。そんな矢先——
「気づかれた!こっちに向かって来る!!走れ走れ!!」
「えっ……?」
「いいから!振り向かないで走って!!」
背後からの叫び声が命じるまま、二人は全速力で後続のトレーラーへ向かった。助手席へ跳び込むと、待っていた隊員が二人を引っ張り上げる。予めバックにギアを入れていたトレーラーが白煙を巻き上げながら猛スピードで後退する。敵はまっすぐこちらへ向かっている。自分たちを狙っていることは疑いようもなかった。途中、ついさっきまで乗っていた特殊車両が小石のように蹴り上げられて横転した。
「停まって!」
「それはできない」
「我々は、遺書を書いてここに来ている。覚悟ならとっくにできてる。彼もそうだったはずだ」
〈こちら管制塔。これより警戒レベルを庚に引き上げる。速やかにレイライン対岸まで撤退せよ。繰り返す、レイライン対岸の基地まで撤退せよ。最短経路を案内する〉
外付けのカーナビに経路が示される。長勝寺と玉前神社とを結ぶ見えない防波堤までは一五kmの道程だ。意を決した運転手は急停止して左の道に入り、後ろ向きのまま進み続けていたのを元に戻した。速度を出せるようになったことで幾分敵との距離を広げられたものの、しかし神騎を二台も載せたトレーラーが出せる速度には限界があった。
「今、庚って……」
現在想定されている警戒レベルが癸・壬・辛・庚の四段階であり、辛・庚については未知の脅威が出現することを見越して作られたに過ぎない。それが、いきなり最大レベルだと言う。だが確かに、これまでのどんな戦いよりも今が一番危険な状況であることは認めざるを得なかった。
「レイラインに着いたその後は」
「態勢を整えて迎撃を図る。フトダマ・ヒリトメ両騎については既に招集をかけてある。何しろ未知の相手だ、四台での一斉攻撃でこれを叩く」
「あぶない!」
稚雁の叫びに応じてトレーラーが敵の攻撃を避ける。一瞬ではあったが罔象の腕がトレーラーの横をかすめた。間近に見た有機的な筋組織に覆われた肉体の黒光りした表面は、蛆虫が湧いているかのように不気味に蠢いていた。敵との距離は常に四〇m前後を保っていたが、しかしそれでは不充分のようだった。
「もっとスピード出ないの?!」
「これ以上は無理だ!」
焦りから、互いに語気も荒くなる。ふと玻那華は、隣でぎゅっと手を握り合っていた稚雁の身体から力が抜けていっていることに気づいた。
「ちかちゃん?!」
「時間を稼げないか試してみる。ちかりの手を離さないでいて。それが命綱になるから」
何ごとかを呟きながら、トランス状態に入っていく。しばらくすると稚雁の口から吐き出された乳液状の物体が空中を漂い始めた。
「その子なんなの!?手品なんかやってる場合じゃないでしょ?!」
「運転に集中できない!やめさせてくれ!」
「これ、ちかちゃんが寝てるときによく出してたやつだ……。安心して!種もしかけもないから」
「はあッ?!」
蚕が糸を紡ぐように、祝詞の奏上と同時に途切れることなく編み出された一条のエクトプラズムはトレーラーの背面の壁を通り抜け、まっすぐタマヨリの内部へと流れた。
祝詞は更に続いた。それは、どこからともなく応じた龍笛の音でついに途切れた。
しばらくの沈黙の後、神騎を載せた荷台の方で突然がくんと何かが動いた。運転手が車両の揺れを必死に抑える。
「一体どうなってる!」
相手の混乱を察知した罔象が再び猛接近を図る。跳び上がってその鋭い爪を振りかざした瞬間——
思わず目を瞑った玻那華が次に見たのは、痛みに悶える敵の姿だった。首の辺りには長い矢が一本刺さっている。屈み込んだ罔象の姿が見る見る遠ざかっていく。
「今のは一体、誰が……?」
「ちかちゃんだよ!タマヨリを遠隔操作して矢を撃ってくれた!」
「この子が、そんなことを……?」
未だ半信半疑の自衛隊員二人をよそに、玻那華は意識を失った稚雁を抱いたままはしゃいだ。
しかし、今までに類例のない新型の罔象がたったの一撃で倒れるはずもなかった。自力で矢を引き抜いた後再び猛然と走り出す。それでも稚雁のおかげで四人は無事にレイラインの向こう岸へと脱出できた。




