章 第十三「20120605-0608fragment■///名づけの魔力」第四幕
「想定しうる限り最悪の状況かも知れないわね」
長い沈黙を稚雁が破った。
「わたくしたちが手をこまねいてる間に、此岸と彼岸とを隔てている膜に生じた亀裂が拡大していたのね……。死者が甦るなんて」
玻那華は長勝寺に集った面々を見回した。玻那華と稚雁の他には忍海、承一、相楽、そして和泉が出席している。誰もが沈痛な表情を浮かべていた。皆、稚雁の言葉に頷いている。納得できていないのは玻那華だけのようだ。
「ちょっと待ってよ、死者が甦ったって……それって、あやちゃんのこと言ってるの?」
誰も答えようとしない。稚雁も俯いている。
「八鶴湖で蛟に襲われたあの日、あやちゃんは死なずに済んでたんだよ。今だってちゃんと生きてる……」
「はなか、よく聞いて。あれはあやもじゃない。あんなのがあなたの親友なはずないでしょ?」
稚雁の言葉に玻那華は青ざめた。その言葉を玻那華は前にも聞いたことがあった。だがそれがいつだったのか、自信がなかった。
「覚えてない?あれは夢なんかじゃない。あの夜見たことはぜんぶ現実に起きたことよ。わたくしも見ていた」
「ちょっと待ってくれよ、一体何の話をしてるんだ?」
「順を追って説明するわ」
何も覚えていない玻那華に代わって、稚雁は二日前の晩に玻那華がしたことを話した。単身子之神社に乗り込んだこと、そこで苦しむ蛟を見たこと、それを見た玻那華が彩雲と呼びかけたことについて。
「蛟の腸のなかで暴れているモノの正体を彩雲だと直観したはなかは、罔象に対して彩雲として呼びかけた。伊能彩雲という名前を得たことでそれは伊能彩雲の姿を取るようになった。その結果があれ」
「うそだよ……」
「彼岸の物理法則はこちらのものとは全く異なるの。なにもかもがあべこべで、常識は通用しない」
「でもあれはあやちゃんだったよ」
「どうして分かるの」
「そんなの……」
「人は都合の良いものを見てしまうものよ。狐を美女だと思い込んだり、枯れ葉の山を黄金だと勘違いしたり……」
言い返そうとする玻那華を突き出した手の平で制して、稚雁は更に続けた。
「あの時、はなかの顔は恍惚に満ちていた。わたくしが耳許で叫んでも聞こえている様子がなかった。あの時ははなかを連れ帰るだけで精一杯だったけど……危険を冒してでも手を打つべきだった」
俯いて黙り込む二人に代わって、和泉が口を開く。
「低級霊にとって、何かを探し求めている人間は都合が良い。認識が実存に先立つ霊界ではそういう人間の求めに応じることで、その人間を媒介にして実体を得ることができる。そうして運良く、そいつが手に入れたのは神騎と感応する資質を具えた適合者だった」
「それって言うのはつまり?」
話について行けない承一が申し訳なさそうに説明を頼む。
「神騎の強さには、適合者の強さが反映される。単純な体力や武術の巧拙だけではない。精神力や巫力の総合計によって、その子がどの程度神騎の性能を引き出せるかが決まってくる。……この原則がもし、罔象にも当てはまるとしたら?」
想定し得る限り最悪の状況。稚雁の言った言葉の意味がようやく玻那華にも理解できた。今まで相対した罔象に囚われていたのはほとんどが男性だった。人間を生命力の供給源としか見なさないのならそれで構わないのだろう。
「でも罔象は神騎とは違うだろ?罔象は捕らえた人間の生命力を限界まで吸収してしまうはずじゃないか」
「そうは言っても罔象に寄生された人間が死んでしまったという例は未だに一件もないでしょ?」
「その通り。まだ、ない。でも彼らは人間の生き死にには無頓着よ。使い切ったら取り替えようとするでしょう。けれど今問題なのは、とある個体が今までとは全く別の反応を示したということ」
「うん、目の前で見たよ。中にいるあやちゃんを守ってるみたいに見えて……気持ち悪かった……」
思い出して、玻那華は身震いした。さっきから二の腕の鳥肌が治まらない。
「寄生するにしてもより強い宿主を探し求めていると考えれば不自然ではないわ」
無言のまま忍海が立ち上がった。会議はまだ終わりそうになかったものの、既に聞き終えたと言った様子で部屋を出た。会議の間中、ついぞ意見を口にすることがなかったことに、その時になって全員が気づいた。
「もう中に入りましょう、虫に刺されてしまいますよ」
夕暮れの縁側でもの思いに耽る玻那華に相楽が声をかける。熱い緑茶を淹れた湯飲みを間に置いて隣に座る。
「お風呂は一緒にお入りにならないのですか?」
お茶を受け取った玻那華はむすっとした表情を隠そうともせずに不遜な大男から離れる。その様子に相楽が慌てた。
「配慮に欠けたことを訊いて申し訳ありませんでした、決してやましい意味ではなく……ただ姫様が、気にされていたものですから……」
きゅっと胸が痛む。いつものように泊まることになった稚雁との入浴を避けたのはついさっきの会議での気まずさから顔を合わせたくなかったからだった。誰よりも洞察力に長けた稚雁が、そんな玻那華の心境を察しないはずがないことに今更気づかされて、早くも後悔の念が押し寄せた。
「時々、稚雁ちゃんのことが分からなくなる……。今日は特にそうだった」
「姫様は……とても複雑なお方ですから。他の人には感じ取れないものを見通せることがあの方の助けとなりますが、同時に人を遠ざけてもしまう。姫様は誰にも理解されないことには慣れていますが、しかし玻那華様に避けられるのは堪えているようです」
「え……」
「玉前家は代々霊的感応に長けた人物……いわゆるシャーマンを輩出してきた家柄です。それでも稚雁様ほど才能豊かなお人は八〇年近くいなかったと言われています。昔を知る方の中には稚雁様を曾祖母の生まれ変わりだなどと仰る方もおられますが……。それはそれとして、生まれ持った才能のために特別扱いされ続けてきた稚雁様にとって、同じ立場で気兼ねなく話のできる友人はとても貴重なのです。玻那華様にお会いするまで、そんな方は一人としていませんでしたから」
「……」
「私は、私だけはどんなことがあっても常に稚雁様の味方でいるつもりです。ですが玻那華様は、必ずしもそうされなくても良いと私は思っています」
「え……?」
「意見をぶつけ合うのも結構、喧嘩も結構です。それは年の近い友人としかできないことですから。それでも後味の悪い別れ方だけはしてほしくない。もし、今日のことがあった後でも稚雁様とお友達でいてくださるのなら、稚雁様に謝るチャンスを与えてあげて頂けませんか」
「そんなの……そんなの……」
黙り込んでいた玻那華は、ぶつぶつ言いながらばっと立ち上がると一目散に浴室へ駆け込んだ。
「わっ!はなか?!急にどうし……わかったわ、わかったから、今日のことはちかりもわるかったと思ってるし……とりあえず服を着させてッ!!」
にわかにいつもの明るさを取り戻した賑やかな声を聞きながら緑茶を飲み終えると、相楽は湯呑みを下げに台所へと向かった。
会議の後、すぐさま立ち去るふりをして玄関先に出た和泉はそこでしばし立ち止まり、タブレットを操作した。会議の録音をメールに添付して送信。宛先は相棒の山岸だ。その操作には二分とかかっていない。だが返事はそれよりも更に早かった。バイクに跨がってフルフェイスヘルメットをかぶった瞬間、インカムが着信を告げた。
「早いのね。聞いた?ええ、思った通りよ。手をこまねいている時間はないわ、我々も静観するのはやめにしましょう。」
アクセルの踏み込みに応じてエンジンが吹き上がる。寺に背を向けて境内を後にする。
「特別災害対策本部を通して官房長官に連絡を。今日、五月蠅なす者との闘いは新しいフェーズに突入した」
次回予告
悪化し続ける事態を前に現れた新顔。強まる敵との緊張状態に、少女の苦悩はますます深まる。
次回!木造ロボ フドウ「安房よりの来訪者」
今こそ、全ての諸金剛に礼拝せよ
次回の更新は8月25日(水)更新です




