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章 第一三「20120605-0608fragment■///名づけの魔力」第二幕

挿絵(By みてみん)


「あやちゃん……よかった、ここにいたんだね……」

 罔象の亡骸に向かってふらふらと歩き出す玻那華をぐっと引き戻す者がいた。

〈はなか、よく聞いて。あれはあやもじゃない。あんなのがあなたの親友なはずないでしょ?〉

「あやちゃんが呼んでる……さびしい思いさせてごめんね、よく顔を見せて……」

〈はなか!鳥居をくぐって戻って来て!ここはあなたがいていい場所じゃない、最初から来るべきじゃなかった。ちかりの声が聞こえないの?!はなか!〉

 鳥居によって額縁のように切り取られた元の世界に立ち込めていた雲が晴れ、太陽が昇る。その光は木々に覆われて常に薄暗いこちら側にまで届くほど激しく、逆光で黒く染まった玻那華を瞬く間に呑み込みその視界を眼球の裏側から光で満たした。


——「罔象を食べる罔象っていうのは何であれ最悪の手合いよ。わたくしたちは生きるためにものを食べなければいけないけれど、生きていないものたちには必要ない。何かを食べるっていう行為は理由を必要とするの。分かるでしょう?つまり」

 その声が誰のものだろうと疑問に思うまでしばらく時間がかかった。言葉が意味を離れて耳の中で転がっていく。玻那華はそれを歌のように聴いていた。やがてそれが稚雁の声だと分かると安心して、まどろむ玻那華の意識は再び遠のいていった——


 目覚めた瞬間、強ばった身体の緊張が解け何度も大きく息を吸い込んだ。無呼吸状態に陥っていたらしい。感覚が消えて冷たくなった手足に急速に血が巡るのを感じる。見飽きた白い天井。間違えようもなく自分の部屋だ。

「今のは……?」

 何か、忘れてはいけない大切なものを見た気がする。だが天井が白いのと同様に、玻那華の頭は大きな空白で占められていて何も思い出すことはできなかった。

「フドウは?!」

 寝間着のままローファーのかかとを潰して境内に出る。急に心配になったものの、どうと言うこともない、朱塗りの神騎は何事もなく待機していた。

「夜中家を抜け出してフドウに乗って……うん、まちがいない、フドウに乗ったとこまでは信じていいはず。でもその後は?……そう、そう、なにかを見たんだ。なにを見たの?なにか……なにか重要なものを……」


 その日は週に二日だけの登校日だったが、授業の間もそうでない時も、学校にいる間中ずっとそのことが頭から離れなかった。窓の外の景色を眺めながら、記憶から何かがぽっかり抜け落ちた後に残された空白についてじっと考え込んだ。それは夢の領域と地続きで、時間が経てば経つほど何かを見たという確信さえ薄れていった。

「聞……えてる?……月さん?長月さん?もう……はなはなちゃん!」

 窓の外の景色から目を戻すと、クラスメイトの女の子二人がぼんやり座ったままの玻那華の前に立っていた。既に多くの生徒が疎開した教室では、誰の表情にも寂しげな色が浮かんでいる。

「……それ、小学生の時のあだ名……」

「何回も呼んでるのにシカトするんだもん、傷つくよー」

「そんな、シカトしてたわけじゃなくて……ごめん、掃除の時間だね。今どくから」

「いいのいいの、違くて」

 他の机は全て椅子を乗せて後ろに片づけられている。いつの間にか放課後だ。立ち上がろうとする玻那華を二人が慌てて引き留める。

「放送委員の子に昼休みに流すリクエスト曲がないから何かリクエストしてほしいって頼まれたんだけど、ほら、うちらの世代って基本iTunesとかでダウンロードして聞くのがふつうじゃん?だからCD音源って持ってなくて、協力してあげたくても無理なんだよね」

「それで、長月さんはCD持ってたりしないかなーって思って」

「ありそう?」

 変わり果てた世界で演じられる何気ない日常の再現。多感な彼女らにはこのままごと遊びが束の間の安らぎになっているようだった。二人の眼差しにまっすぐ見つめられて、玻那華も期待に応えたいと思った。

「ある……と思う」

「あるの?どんなの?」

「えーっと……ジャズとかかな」

「ジャズ好きなの?」

「わたしはぜんぜんわかんないけど、お父さんが好きで昔よくいっしょに聞いてたから。今もまだあったはず」

「へえー、いいなあ。ジャズってかっこいい、オトナって感じ?」

「何枚か持ってくるね」

「いいの?助かるよ。イチカも喜ぶと思う」

 神騎の出動が日常の一部と化して以来、皆から尊敬の眼差しを向けられていることに、玻那華自身も何となく気づいていた。玻那華が学校から忽然と姿を消したかと思うと、しばらくして防災無線で罔象の出現を知らせる警報が鳴り響く、ということもごく当たり前のことになりつつあった。校庭には自衛隊の車両がフドウを載せて常駐している。玻那華の私生活に干渉しないよう配慮されてはいるものの、そんなものを気にしないでおくというのもやはり無理な相談だ。自分たちの地域が現在未知の敵との交戦状態にあり、彼女がたった一人で立ち向かっているという事実を生徒たちは、あるいは大人よりも重く受け止めていた。

 その日は夜になっても静かなままだった。ひょっとすると今日はこのまま出撃せずに済むかも知れない。

 夕食の後で、玻那華は父親の書斎に入った。明かりを点けてまず壁一面を埋める本棚が目に入る。少し埃っぽいもののさっぱりとしているのは玻那華が月に一回掃除しているおかげだ。掃除を済ませた後で父が遺した蔵書を読み漁るのをささやかな楽しみにしている。本棚の一番下の一角は幼い日に父から譲り受けた玻那華のスペースで、その時から読み終えた本をそこに納めることが習慣になった。間もなくそこは幼児向けの絵本で埋まり、上へ上へと棚を占拠していくうちに徐々にステップアップして今では胸の高さほどの段にその頃よりは幾分難しい本が並んでいる。

 そんな父親との思い出が詰まった本棚から離れて、CDが納められた棚に目を向け、その中から何の気なしに一枚選んで自室から持ち込んだプレイヤーで再生する。

「んん……?なんか変な曲。ジャズだと思ってたけど違ったんだ」

 ぶつぶつ言いながら、玻那華は物色を続けた。

 およそ六年前に止まってしまった時間の堆積は、書籍のラインナップよりも整然と並べられたCDの方が遙かに強く感じさせた。

「こんな時間にケイト・ブッシュ(※)なんか聞いてるのは誰かな?」

 承一が身体を扉にもたれかからせてノックする。その似合わないキザな振る舞いに玻那華が笑みをこぼす。

「入っても?」

「いいけど?」

 英語で埋め尽くされたCDケースの背を承一がひとつひとつ指で撫でていく。

「兄ちゃんの部屋に遊びに行くと、いつでも音楽がかかってた。何が流れてるかで今ハマってるものが分かったりして。話を振るといつでも嬉しそうに話してくれた」

 玻那華の父の兄の子である承一にとって玻那華の父は叔父に当たるが、年齢差がわずか六歳しかないおかげで叔父と甥と言うよりは兄弟のような関係だったらしい。僧侶になる道を選ばなかった玻那華の父・瞭一は大学を出て企業に勤め、じきに家庭を持ち、玻那華が生まれ、死んだ。両親の亡骸と共にこの家にやって来た六歳の玻那華を、養育すべきだと強く主張したのは承一だったらしい。長勝寺総代の忍海と、当時住職を務めていた自分の父はその頼みを受け容れ、幼い玻那華は何不自由なく過ごせる家を手に入れたのだった。

「最近は、どう?」

「どうって、なんのこと?」

「色々だよ。つい二ヶ月前とは何もかも変わってしまったから」

「そうかな」

「そうだろ。玻那華ちゃんが命懸けで闘わなきゃならないこと……俺は責任を感じてる」

「どうして」

 承一が見せた沈痛な表情の意味を玻那華は汲み取ることができなかった。

「神騎に乗るって、自分で決めたんだよ。なのに……どうして承さんが責任を感じるの?」

 ためらう承一の表情の逡巡を、玻那華は興味深く眺めた。辺りを見回して忍海がいないことを確かめると、承一は訥々と語り始めた。

「瞭一兄ちゃんと聡美さんが交通事故に巻き込まれて亡くなって、一人残された玻那華ちゃんをばあちゃんは最初里子に出そうとしてたんだ。俺が説得してそれはなしになったけど、その時にひとつだけ条件があった」

「……どんな……?」

「……この家で長月家の息女として暮らす以上、時期が来たら責務を全うしなければならないと」

「それって……」

「六〇年余りの人生を生きたが、私は戦わずに済んだ。だが次の六〇年も平和な時代が続くとは限らない。私は自分の孫が争いに駆り出されるのを見たくない。養育権を棄て、孤児院へ送るのは私にできる最大の慈悲だ。それをお前が残酷だと言うのなら、私は鬼にならなければいけない。お前にこの意味が分かるかと、そう言われたんだ」

「……」

「俺には分からなかった。瞭一兄ちゃんを慕ってた。兄ちゃんの子どもが不幸な目に遭おうとしてるのを止めないとって、手放しちゃいけないって思った。玻那華ちゃんを見捨てておいて、それを慈悲だと言ったばあちゃんが許せなかった。その時の俺にはそれしかなかった……。知らなかったんだ。まさか、俺がばあちゃんに言われて整備してたフドウが兵器だっただなんて……それが今でも必要になるようなものだったなんて……」

 顔を背けて見せなかったものの、涙を浮かべていることは声の震えで分かった。

「わたしになにができるんだろうって、ずっと思ってた。わたしは男じゃないからお父さんの代わりにはなれない。必要にされてないって思ってた。でも何もかもが変わったの。影に隠れて息を潜めていた敵を知った。女にしかできない戦いがあるって知った。親友を亡くした後ではなにもかもが手遅れだったけど……。わたしは長い間おばあちゃんの言いなりだったけど、もう違うよ。なにをやらなきゃいけないのかがはっきりしてるだけ、今の方がずっと楽だよ」


■注釈

 ケイト・ブッシュ……イギリス ロンドン出身、一九五八年生まれのシンガーソングライター。イギリスの月刊音楽雑誌Qの「歴史上最も偉大な一〇〇人のシンガー」第一九位。早熟の天才であり、一九歳でデビューした当時こそアイドル的な見方もされたものの、その高い歌唱力と独自の世界観によってアーティストとして高い評価を得るようになった。デビュー曲「嵐が丘」はバラエティ番組「恋のから騒ぎ」のオープニングテーマとして使われていたり、芸人の鳥居みゆきがモノマネをしていたりもするのでネタとして知っている人は多いとは思うが、一度きちんと見てみてほしいところ……。おすすめは三枚目のアルバム「Never for Ever」です。

次回は8月20日(金)更新です

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