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章 第一三「20120605-0608fragment■///名づけの魔力」第一幕

挿絵(By みてみん)


 ぎい……という重々しい音と共に、密閉されたコクピットに白熱電球の暖かい光が細く射し込む。重いキャノピーをこじ開けて背面部から細い身体をするりと滑り込ませ、丁度左右の手を置く場所に突き出た二本のバーを撫でる。床と平行に立ち上がったそれを掴んですっかり手に馴染んだその感触を確かめると、持ち込んだトランシーバーの電源を入れた。

〈……三六km西南西、ザザ旧市街で敵影複数確認ザ——ッ……警戒レベル:癸……まっすぐ海岸線に向ザッ……す。レイライン到達までおよそ一〇ザザ——ッ……玉前神社への協力要請は保留にしてあります、管制塔からは以上、どうぞ?〉

「こちらフドウ、とりあえず一人で様子を見てみる」

〈ザッ——ッツ——……訳ですね。奴ら、徐々にだがずる賢くなってます。油断は禁物ですよ〉

 トランシーバーから聞き取れるびりびりに破けた若い男性の声の端切れから、接近する標的の情報と共にそっけない労りの気持ちが伝わる。

「雨、降るかも」

〈本当ですか?確かに湿度は昨日より高いようですが、よく晴れています。星が見えるはずですよ。雨雲レーダーを見ても、二〇〇km先まで雲らしい雲もありません〉

「雨が降ると思う」

 出撃前の精神統一。目を閉じてすうっと深呼吸。少し埃っぽい空気と、木質の古ぼけた香りが鼻孔をくすぐる。

 モノコック構造を採用したコクピットのフレームは強度の高い樫材で支えられているが、内装には手触りの良い桧材が用いられている。その爽やかな香りは今でもかすかに匂い立ち、この機械が生きてきた長い年月を偲ばせた。

 再び深呼吸。出撃前の独特の緊張感と高揚感がないまぜになって搭乗者の体内に漲る。かすかな汗の匂いが密閉された空間に混じる。

 かつてここに座った少女がいた。かつて未知の脅威に立ち向かい、散っていった少女がいた。大切な人を守ろうとした少女が、大切な故郷を守ろうとした少女がいた。自分は今、あの子と同じ立場に立ち、同じ場所に座っている。同じ目的を果たすために……

 眼下に広がる景色に目を移す。不用意に敵の注意を惹かないために、信号機を含め一切の灯りが消えた寂れた街並みの角張った輪郭が青白い星明かりに照らし出される。長引く敵の襲撃で避難勧告が発令されたこの町では多くの住民が疎開して、現在の人口は二週間前のおよそ四割程度にまで減っている。無人の町並みに漂う不気味な静けさに、彼女は既に慣れつつあった。

 接近する敵の気配。モニターや、操縦桿や計器類、その他の近代的な設備は木造のコクピット内部には一切なく、目につくのは中央に供えられている一枚の丸い古い鏡だけである。しかし、神の依り代の操縦者たる彼女にはそれで充分だった。

 右腕につけた孔雀色の輝きを放つ数珠を愛おしげに撫でると、決心したように白い帯を頭に結んで目隠しした。そうして「神騎」に呼びかける。不動明王の真言のうちの一つ、火界咒。それが出撃の合図。

「全ての諸金剛に礼拝する。気高き忿怒尊よ、砕破せよ」

 ガキャッ、と噛み合う歯車の音を響かせて高台から颯爽と跳び降りる。

 八鶴湖から子之神社へ移動して以降、蛟は再び沈黙した。この二週間というもの、お社を中心に山全体を覆う結界の中に隠れて配下の雑兵を差し向けるだけで過ぎた。目的不明の敵を前に人間側の警戒感は張り詰める一方であり、当事者の玻那華にとっても焦れったい膠着状態が続いている。

 交戦を重ねる中でパターンが読めてきた。罔象の出没は三日に一度のペース。三日目に現れなければ翌日は二回分の攻勢を仕掛けてくる。東金のなだらかな丘陵地帯から忽然と姿を現すと決まって東へ向かう。決まりきっていた。海へ向かっているようだが、途中でフドウの姿を見つけるや無策にも向かって来るのだ。仔犬が無邪気にじゃれつくように。もし罔象に知性があるのなら、これは不可解だった。

 町へ降り立つと、フドウは東へ突き進む罔象の行く手を阻むように陣取った。舗装されていないあぜ道に六本の槍を突き立ててじっと待ちかまえる。

〈敵は進路を変えていません、まっすぐこちらへ向かっています。五分以内に接触します〉

「うん」

周囲一〇kmはひたすら田んぼが広がっていて、会戦には打ってつけだ。罔象の襲撃に備えるために政府が土地の所有者からから買い上げた場所であり、既に人の手は入らず徐々に雑草が繁茂しつつある。騒動が収束したら元の所有者に返還すると約束しているようだが、再び稲作を始めるには手間がかかるだろう。

 金属同士がこすれ合う不快な鳴き声が辺りにこだまする。罔象はいずれも暗闇に融ける色をしていて目視できないが、全部で四体いると神騎に乗って拡張された玻那華の第六感が告げている。ついでに雨雲の出現も。サーッと通り過ぎていくような雨音がフドウの朱色の装甲を打つ。

「ほらね、やっぱり雨」

〈ええ、お見事です。最先端の技術も長月さんの勘にはかないません〉

「雨は好き。雨の滴はものの輪郭を鮮明にしてくれるの。いつもより早く片がつくかも」

〈不思議なものでしょうね、目を閉じているのに何もかも見えているというのは——とは言え油断は禁物ですよ。今日の敵が今までと同じとは限りませんから〉

「須崎さん、毎回そう言ってくれるよね」

 六本の槍の内の一本を手にすると、玻那華は構えの姿勢を取った。敵は間近、装備は充分。心身共に異常なし。トランシーバーが合図を告げる。

〈二〇時四七分、会敵〉


「何?香取神宮?いいよ、あんたの近況は分かったから、それで何か新しい情報はないのかい?」

 仕事を終えた玻那華が家に戻ると、祖母の忍海が電話をしていた。忍海が椅子に腰掛けている時は、相手は長電話を覚悟しなければならない。話の内容からして神社本庁の和泉だろう。玻那華は小さくただいまと言って、荷物を置くと再び玄関を出た。戸が締まる音を聞くと忍海は声をひそめた。

「新しい情報は」

〈新しい仮説ならあるわよ。罔象に知性があることは既に確証を得た事実。であるならば、膠着状態に持ち込んだことがそもそも相手の策謀なのではないかと、今は考えている。自分たちに注意を惹いておくのが目的なのではないかと〉

「それで、相手が痺れを切らすのを待ってるとでも?だとしたら大成功だ」

〈自分たちの同胞を数体差し向けたところでフドウの敵ではないことは相手も分かっているはず。それでもこの作戦が継続できるということそれ自体が敵の結束の固さを物語っている〉

「大きな目的のためなら個人の犠牲を厭わない、そんな高潔さを奴らが持っていると言うのかい」

〈我々もそうありたいわね〉

「あたしの孫娘が命懸けで戦ってるって言うのに、呑気なもんだ……」

〈勘違いされても困りますわ。私が各地の神社を巡っているのは観光のためなんかじゃない。直接顔を出して仲間を募っているのよ〉

「香取神宮……経津主神か。確かに神騎が一台や二台あっても不思議じゃない。場所も近いし、加勢してくれればさぞかし頼りになるだろうねえ」

〈ええ、詳細不明ながらかなりの武術の腕前を誇る適合者がいると事前の情報で掴んでいたのだけれど……でも一足遅かった。既に神騎を率いて鹿島神宮に行ってしまっているそうよ。目的は……大体察しがつくでしょう?〉

「ああ……」

 忍海は溜め息混じりに唸った。建御雷槌神が動きを見せたとあっては経津主神も黙ってはいられまい。

「まさか、神代の諍いが未だに続いているとはね……」

〈武芸に秀でた神様に力を借りられるのが一番だけれど、どうにも血の気が多くて駄目ね。神様同士で争っている場合ではないと言うのに……〉

 二人は同時に溜め息をついて、どちらからともなく電話は切れた。


 がみがみと電話で話し込む忍海から逃げるように外へ出ていた玻那華は、伊能家の墓前まで歩いた。罔象の出没は真っ昼間の時もあれば深夜、早朝の時もある。それでもその後は必ず彩雲に戦果を報告することにしている。

 ポケットに入れていた線香を取り出してライターで火を灯し、墓前に供えて手を合わせる。調伏した罔象の数と助けた人の顔を思い出しながら。そんな時、ふとある考えが口をついて出る。

「やっぱり、待ってるだけじゃだめなのかな」

 それは一週間ほど前に頭に浮かんだ考えだった。だがその時はすぐに消えた。それがさっきの忍海の言葉で急に再浮上したのだった。

「こういう時、あやちゃんならきっと迷わないんだろうな……」

 涙で滲んだ目をこすって母屋に戻る。時が止まったように静かに立ち並ぶ御影石の群れの中で、線香の煙だけが細く棚引いて空へと昇っていった。

 その日の深夜、ぱちりと目を開けた玻那華はベッドを抜け出し、家中が寝静まったことを慎重に確認すると履き慣れてきたローファーを突っかけて外へ出た。気づけば中学校へ入学してから二ヶ月が経っている。その時はまさかこんなことになるとは思いもよらなかったな、と慣れない制服を着て出席した二ヶ月前の入学式を思い出した玻那華の頭に、懐かしさでも寂しさでもない乾いた感情が湧き起こってすぐに消えた。

 用心しないとガラガラと音を立ててしまう引き戸をゆっくり締めて、境内に停めたフドウの許へ足早に向かう。

 寝間着にパーカーを羽織ったままコクピットに乗り込む。トランシーバーは持って来ていない。今からやろうとしていることについて邪魔は入らないだろうが、警報も鳴っていないのにフドウを移動させたことはきっと神社本庁には察知されるだろう。あまり時間はない。

「さあ、行くよフドウ」

 そう呼びかけてみたものの、フドウを立たせるのは一苦労だった。頑なに回ろうとしない歯車がきりきりと音を立てて抵抗し、向こう見ずな玻那華を引き留める。

「ふーん、つき合ってくれないの?ならいいよ、降ろして。子之神社まで歩いてくから」

 そう言って頭上のキャノピーを開ける素振りを見せると、渋々と言った感じでようやく立ち上がったのだった。

 長勝寺と同じ旧道に面する子之神社まではわずか二〇分足らずの道のり。こんなにすぐそばに敵の本拠地があるのに今まで危機感がなさ過ぎたかも知れないと思いながら、正座させたフドウから降り立つ。実のところ、この場所を訪れたのは初めてだった。さほど歴史を感じない白っぽいコンクリート造りの鳥居を塞ぐように、立ち入り禁止を警告する真新しい看板が掲げられている。ぽつりぽつりと咲いているのは季節外れの彼岸花。人の出入りを封じるために山を囲うように設けられた金網の柵越しに玻那華はその全容をまじまじと眺めた。

 ひなびた街並みにぽつんとそびえる小高い山に、こじんまりとした神社が築かれている。取り立ててどうと言うこともない、どこにでもありそうな至って普通の神社だ。ただ、そこに社があることがあまりにも当たり前のことに思えるので今までその存在に気づいていなかった。

 彩雲の命を奪った仇がこの鳥居の向こう側にいるはずなんだ、と玻那華は自分に言い聞かせた。不気味なほど動きを見せない罔象の親玉が一体どうしているのか、自分の目で確かめるために玻那華はここへ来た。

 柵と柵の狭い隙間に瘦せっぽちの身体を滑り込ませるようにして、玻那華は敵地に侵入した。

 鳥居をくぐった瞬間、激しい叫び声で鼓膜がびりびり震えた。結界の外に音が漏れない仕組みになっていたのだろう。今までこんな騒音を聞いたことはない。その不協和音は金属の機体を得た罔象のそれによく似てはいるものの、音に生々しさがある。姿こそ見えないが蛟で間違いなさそうだ。

 少し階段を登った先にある社には何の気配も感じなかった。裏手に回って道を進むと、山頂へと続く階段が現れた。白っぽい石でできていて、丈の高い草がそこだけは茂っていないために月明かりに照らされて浮き上がっているかのように見える。さっきよりもずっと急勾配で一段一段が高い。辺りを見回しても、道は他にはないようだ。

 階段を登り終えると、道が徐々に険しくなった。叫び声も大きくなっているようだ。声の主に近づいている。薙ぎ倒されて横倒しになったまま放置された木々が目に留まった。この先にいる者の仕業なのだろうか。いつの間にか道は消えて、辺りと変わらない荒れ野になった。声のする方向と倒れた木々を頼りにして更に進む。

 そうして、それはそこにいた。

 山頂の手前に広がる平坦な空き地に、とぐろを巻くようにうずくまった蛟がいた。激しく上下動する腹部から呼吸の荒さが生々しく感じ取れる。

「これが蛟……わたしからあやちゃんを奪った……」

 フドウに乗っている間感じていた怒りの感情が玻那華の全身を包むが、当然ながらフドウに乗り込んでいる時のようにそれがかたちを取って外に現れたりはしなかった。身ひとつの今の状態では何もできることはない。蛟の方はまだ玻那華に気づいていないらしかった。

 遠巻きにしばらく観察していると分かったことがあった。蛟は明らかに弱っている。蛇のように器用な動き方をするものの鱗は魚のそれであり、長い間陸上に留まっていたことで乾燥し空気から身を守るぬめりが失われている。白く濁った両眼は既に視力を失って、歯のない口がぱくぱくと閉じては開いてを繰り返す。すっかり体力を枯らしながらも、もがくような仕草だけはやめないでいる。衰弱して尚、蛟が水辺に戻らない理由は何なのだろう。

「戻らないんじゃなくて、戻れないとか……?」

 その時、蛟が見せていた腹を掻きむしるような仕草の意味を玻那華は直観した。

「食べたものがまだ生きてる……お腹の中で暴れてる……?もしかして、あやちゃんが……?!」

 蛟の腹部から突然血が噴き出す。激しい断末魔の末に全身から風船がしぼむように見る見る内に生気が失われていった。そうして巨大な図体が丸太のように折り重なるとその後はぴくりとも動かなくなった。その後にそこに立っていたものは人の姿をしていた。どす黒い魚の血を浴びていてはっきりとは見えなかったものの、玻那華はその正体を信じて疑わなかった。

次回は8月18日(水)更新です

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