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章 第一二「20120520fragment■///玻那華の初陣」第一幕

挿絵(By みてみん)


 あれから数時間経って、長い夜はようやく明けた。玻那華は自分の部屋で目を覚ました。泣き声を聞きつけた相楽が二人を母屋に連れ帰り、それぞれ別の部屋で寝かせたのだった。

 朝食の席でも、玻那華と稚雁は言葉を交わさなかった。別れは刻一刻と迫っていると言うのに、互いに会話のきっかけを掴めずにいた。だから会議の場で稚雁が思いがけないことを言った時にも、玻那華は表立って意見を述べはしなかった。

「長月サネさんに協力してもらって対応表を完成させはしたけど、今回はこれは使わずに済ませようと思うの」

「それはどういうことだい」

「フドウで本来使われている梵字コードでなくホツマ文字コードを用いたパーツで欠損を補う。確かにそれでも問題ないわ。でも、やっぱりそれは飽くまでも応急処置でしかないのよ。今回はかなり大規模な換装になるから、普通の使い方をしている限りは問題なくても機能の一部に制限が生じる可能性がある。それを考えると本来のやり方に則って組み立てるのが一番なんだと思う」

「それは……もちろんそうなのですが」

 幼齢ながら驚くほど聡明な稚雁の言葉に、若い技術者は戸惑った。

「本来のやり方ってのは、あれだろう、八人の高僧が同時に読経するっていう」

「そう、それよ」

「生憎だが、今うちには承一しかいないんだ」

「そう、なまくら坊主の俺しかいない」

「承一さんの手を煩わせはしないわ。誰の助けも不要よ。わたくし一人いれば充分手は足りる」


 稚雁の提案は誰の目にも無茶に映っているはずだった。そうでなければいけなかった。それでもずんずん準備が進んでいく様子に玻那華は恐れを募らせていた。

「さすがはうちの姫様だ。神も仏も関係ない、使えるものは何でも使うんだ」

 フドウの周りにコの字型に組まれた足場を解体する大工衆の中からそんな声が聞こえる。手際良く作業を進める男たちの流れの中で、玻那華はなす術もなく立ち尽くしていた。

 密教高僧の八人同時降霊。文字通り稚雁の身体に僧侶の霊を八人同時に降ろして読経させ、パーツの欠損と共に一部が破壊された曼華鏡の補完を試みる。それが、稚雁が提案した計画だった。

「フドウを造り上げるために曼荼羅を記述した八人のお坊さんの霊魂は今でも曼華鏡の中でお経を唱え続けてる。曼華鏡を覗いた時に話をしたの。フドウが大破したことは自分たちにとっても一大事だって。きっと協力してくれるはずよ」

 相楽を筆頭に難色を示した一同に、稚雁はできると言いきった。全てはシャーマンとしての稚雁の実力にかかっていた。

「用意はもうできた?」

 フドウを見つめる玻那華の横に稚雁が並ぶ。

「うん……って言ってもわたしにできることはなんにもないし……」

「そんなことないわ。はなかの役回りはとても重要よ」

「曼華鏡に住んでるお坊さんたちだけで何とかならないのかな……?」

「フドウは外部からの攻撃で大破したでしょう。そうなると内部構造の再編成は内側から行うだけでは不充分だそうよ。ある程度の用意はできても、外部からの働きかけがどうしても必要なんだって」

「もし……失敗したら……?」

 自信を湛えた表情こそ崩さなかったものの、一瞬の間があった。

「失敗しない。はなかがついてればちかりは無敵なの」


 ついにその時が来た。フドウの半径一〇m以内からはあらゆる物品が撤収された。立ち会う人々が皆万一の事態に備えてヘルメットを装着する中、コクピットにまず玻那華が乗り込んだ。

「始めるわね」

 開いたキャノピーから顔を覗かせる稚雁に玻那華が頷く。

 稚雁はまず、首と胴体の付け根辺りの脊椎骨を開いて曼華鏡を露出させた。両手を筒に添えながら額を接触させ、神騎の内部に働きかける。そうしてそのまましばらくの時間を要した。

 ぶつぶつ呟く稚雁の口から、徐々に真言を唱える男性の低い声が漏れ始めた。いよいよ始まったのだ。フドウ背面部のキャノピーを振り向いても玻那華からは稚雁の足しか見えない。神騎の内部構造を編集するための真言は特殊な文法に基づいて記述されるため、真言には馴染みのある玻那華が聞いていても内容は全く分からない。稚雁を信じて正面に向き直り、フドウとの一体化に意識を集中させる。

 二〇分近く経った後で声が止み、しばしの間沈黙が続いた。そうして突然、複数人の声が一斉に真言を唱え始めた。神騎の内部にあって霊妙な働きを続けている曼華鏡にアクセスし、編集可能の状態に移行が完了したのだ。今、稚雁の胎内には八人の霊魂が憑依し、中心から円形に展開する曼荼羅の記述を開始している。ここからが稚雁にとっての正念場になる。

 内部構造の編集が始まるとほとんど同時に、玻那華は異変を感じ取った。残っていた左腕が不意に動きそうになるのを抑える。それはフドウが見せた拒否反応だった。

 曼華鏡に納められた胎蔵界曼荼羅はフドウの中核である。それが造り変えられていくことに、フドウは抵抗しようとしていた。

 コクピットに入ると、自分の意識がフドウに具わる意識めいた何かとシンクロを引き起こすことを玻那華は昨日の時点で感じ取っていた。四〇〇年前に建立された機械が今でも力強く息づいている。自分は今、超常の力で守られているのだとコクピットで佇んでいて強く思った。しかし神騎との関係において巫は守られる存在では決してない。人の世のために善用するべく、荒ぶる神の力を積極的に制御するのが玻那華の役割なのだ。それができなければ、却って災いをもたらしてしまう。

 カタカタカタ……と内部から聞こえる小さな震えが歯車に伝わり、フドウの胴体がぐらりと傾きかける。

「ちょっ、あ……ちかりちゃん!だいじょうぶ?!」

 真言の詠唱は変わらず続いている。問題なかったようだ。

「ちかりちゃんが危ないでしょ!すぐ終わるからじっとしてて……!」

 それでも尚急な挙動は続いた。

 そんな調子で三〇分が経過すると、真っ暗だった視界が徐々に開けた。境内の端で見守っている忍海や承一、相楽、その他ご近所の皆さんまで駆けつけて成り行きを静かに見守っている姿が、密閉された空間にいるはずの玻那華の目に映った。新しく取り付けたパーツが機能し始めている。

 ほっとしたのも束の間、同時に玻那華の頭に嫌な予感がよぎった。

 曼荼羅の改変に抵抗する小刻みな震動が突然、動かなかったはずの右腕に伝わってこぶしを握り石畳を叩いた。左腕に傾けていた意識を分散させて何とか止める。稚雁の試みは順調に進んでいる。であればこそ、力を取り戻しつつあるフドウを押さえつける玻那華の負担はいや増していく。

「……くッ、ちかちゃんと寝てる時の家鳴りに比べたら、このくらい……!」


「玻那華ちゃん、大丈夫かな」

 心配する承一をよそに忍海が携帯電話を取り出す。相手は和泉だった。

「あたしだ、どうした」

〈八鶴湖で急激な霊障の上昇が確認された、蛟が動こうとしてる〉

「何だって?!」

 和泉が告げ終えるのとほとんど同じタイミングで広報防災無線が唸った。聞いた人の注意を引かずには置かない激しいサイレンが町中に響き渡る。

〈只今、東金市、東金高校、付近にて、巨大不明生物が、観測されました——〉

「なになに、火事?地震?」

「これって何の警報?」

 戸惑う人々を押し退けて忍海がフドウへ駆け寄る。

「よりにもよってこんな時に……!あんたたち、あとどのくらいなんだ」

「おばあ!こっちに来ちゃ危ないよ、離れてて」

 光の射し込まないコクピットの中から玻那華が叫ぶ。稚雁の方はと眼を向けると、五〇分前と変わらず一心不乱に真言を唱え続けている。帯びている熱の立ち昇っている様が見えそうなほどの真剣さで、額からは大粒の汗がぽたりぽたりと垂れている。

「こっちはまだ無理だ、あんたらで対応できないのか」

〈今の警報は我々神社本庁の敗北の印よ。想定していた防衛ラインは既に突破されてしまった〉

「泣き言なんてあんたらしくもない。偉そうなことを言っていても結局はあたしら頼みとはね!」

〈あなた方が頼みの綱よ。この一〇日間、ただ手をこまねいていたつもりはなかったけれど……。気をつけて、蛟は前よりも遙かに強大になっている。我々が配備させていた神騎は二騎を残して全て潰されてしまった〉

「それって……」

 忍海の顔から血の気が失せる。

〈搭乗者は皆軽傷よ。取り返しのつかないことになる前に退避させたから……我々はこれより民間人の避難を第一目標として行動する。……我々にはもう、被害を最小限に食い止めることしかできない……長月さん?一体何の音?〉

 和泉が不審がったのも無理なかった。目の前の光景に、忍海は携帯電話を手にしながら我を忘れていた。そこには甲高い警報に呼応するかのように雄叫びを上げるフドウの姿があった。

次回は8月11日(水)更新です

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