章 第一〇「20120512-0519fragment■///姫巫女の見る夢」第三幕
「新しいパーツの材質・仕上がりのクオリティ、搭乗する巫の素質共に問題ないとなれば、原因はハードではなくソフト面にあると見て間違いないでしょうね」
翌朝、八時半。フドウについて会議が催された。土曜日なので玻那華も出席している。玉前神社が今回のために予め招聘していた真言密教に明るい技術者は到着してフドウを一目見るなり、フドウの前に立って話し始めた。
「私は造作の工程を見てはいませんが、これは恐らくもっと根本的な問題で、文字コードの違いが作用してしまっているかと」
「文字コード?」
「ざっくり言えば、本体のフドウと新造したパーツとでそれぞれ異なるプログラミング言語を使っているためにエラーを出してしまっていると思って頂ければ。神道では神を招く儀式で祝詞を奏上しますが、それは飽くまで儀式のために行われるもので、効果も一時的です。神騎の場合は神を常に呼び寄せたままにしておかなければならないので、祝詞を物質化して封じ込める仕組みを神騎の内部に組み込んでいるのです」
「言葉を物質化する……その方法が文字ってこと?」
「ご明察です。神を招くにあたっては通例非常に古い文字体系を用います。タマヨリの場合はホツマ文字です。フドウの基盤に使われているのもホツマ文字ではあるのですが、ここからが厄介でして……」
三〇代後半と言った雰囲気の若く優秀な技術者は困ったような、嬉しいような気持ちの悪いニヤニヤ笑いを浮かべながら解説を進めた。
「フドウは紀州人から伝来した神騎の製造技術を応用して不動院の僧侶たちが設計したとされています。で、どうやら設計の時点でホツマ文字コードを独自のルールで変換して梵字コードに転写したようなのです」
「それはつまりどういう……?」
承一がたまりかねて更なる解説を要求する。仮にもこの寺のお坊さんともあろう人が少し情けないなと玻那華は思った。
「ホツマ文字はア・イ・ウ・エ・オ五種類の母音にK・S・T・N・H・M・Y・R・W九種類の子音を掛け合わせてできる合計五〇種類の音それぞれに独自の意味を持たせるという、表音文字と表意文字の特徴を併せ持った世界的に見ても特殊な文字な訳ですが、梵字はこれとほぼ同じ構造を持っていますから、変換するのは比較的簡単な部類です。不動明王は元を辿ればインドにルーツを持つ神格なのでその方が都合が良かったのでしょう。しかし技師たちはここで深みにはまってしまいました……。先を続けても?」
一同が黙ったまま頷く。技術者の語気は一層熱を帯びる。
「梵字、つまりサンスクリット文字を神騎に適用する……それはつまり、古代インドで培われた深淵な思想体系に容易にアクセスできるようになることを意味しており、神騎の拡張可能性を大きく広げることに繋がる訳です!これは紛れもなく革命ですよ!そうして恐らく、密教僧たちは不動明王を招くこの装置を用いて、自分たちの思想を余さず記述することを決意してしまったのです。神騎に選ばれたお二人なら、この意味が分かるでしょう。さ、ヘルメットをかぶって」
テンションが最高潮に達した技術者に促されるまま、稚雁と玻那華は足場へ登り、コクピットの前に並んだ。技術者がフドウの頸椎を覆っている装甲を何枚か外す。フドウの脊椎骨が露わになる。赤みを含んだ濃い焦げ茶色で、他の部位とは明らかに色が異なる。
「背骨はウリンでできています。別名アイアンウッド。その名の通り世界有数の硬度を誇ります。赤っぽく見えるのはこの木に含まれる油ですね」
そんな解説を挟みながら、慣れた手つきで背骨のヒンジ部分を開き、隠されていた八角形のへこみにある中央の取っ手を九〇度捻って引くと、筒状の箱が取り出された。幅二〇cm前後。非常に長く、一m近く引き出してもすっぽ抜けることなく差し込まれたままだ。
「これが、これこそがフドウの中枢です。曼華鏡、と設計図には書いてありました。神道の神騎ではまずあり得ない構造です。こんなものを取り付けたりはしません、必要ないので」
技術者が興奮する理由が玻那華には一向にぴんと来ないものの、稚雁は神妙な面持ちをして古びた筒を見つめている。
「さあ、覗いてみてください」
「えっと、どうやって……?」
万華鏡と言うからには覗き込む穴でもあるのかな、と玻那華が目を這わせる。
「巫であらせられるお二人なら触れるだけで充分のはずです」
稚雁が戸惑う玻那華の手を握る。
「わたくしの後について来て」
稚雁が筒に直接額で触れたのを見て、玻那華も真似をする。瞼を閉じると、意識識識に断断断断断片片片片片が
意識に断片が生じる
断片が意識に生じる
断片に意識が生じる
無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数の断片に無数の意識無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が無数に無数の無数が
強制停止
統合
統合
再起動
再起動
瞼を閉じた瞬間、眼前に眩い閃光が満ちる。次第に目が馴れて辺りを見渡すと、そこには壮麗な神殿が広がっていた。八本の柱と八面の壁。見たことのない神々の姿が見たことのない装飾文字で縁取られている。黄金と宝石で描かれた永遠の世界。床はなく、また天井も見えない。遠くに曼荼羅のような絵画が見える。引力に従ってゆっくり降りていくと、その先にはめらめらと燃える太陽があり、それに引き寄せられているのだと分かった。いくつもの門をくぐり、炎に包まれながら太陽の中へ入っていく。その太陽もまたひとつの門であり、くぐり抜けると神殿は更に広くなった。徐々に曼荼羅に近づいていく。
平面に見えていた曼荼羅は立体的な構造を持った都市の様相を呈しており、全てが妖しく蠢き、都市全体が拍動する度に絶えず相が転移する。その捉え所のない変化はまさに万華鏡のよう。玻那華はその美しさに全く魅了された。
立体曼荼羅に降り立つ間際、玻那華は腕をぐっと掴まれ無重力の空間で停止した。見上げれば稚雁が近づきすぎた曼荼羅から遠ざかるように泳いでいく。都市が再び拍動し、全く別の相が顕れる。もし降りていたら一体どこに消えることになっただろう?そんなことを思って少し恐ろしくなった玻那華は、太陽の門をくぐったところで再び意識が途切れた。
「この世のものとも思われない素晴らしい代物ですが、しかし完全ではありません。ここに表現されているのは胎蔵界曼荼羅のみ。金剛界曼荼羅があって初めて両界曼荼羅が完成され、完全なものとなるはずなんです」
「その辺りはさすがに俺でも分かるわ。釈迦に説法とまでは言わないけどさ」
聞き慣れた承一の声で目を覚ますと、玻那華は曼華鏡に触れる直前と同じ姿勢で足場の上に座っていた。
「今のって、一体……?」
「ようやくお目覚めね。早く降りていらして?」
見れば稚雁は既に目を覚まして作業小屋で緑茶を啜っている。足場にいるのは玻那華だけだった。身体にはいつの間にかハーネスを通して命綱が結ばれており、万一足場から転落しても死なない配慮がなされていた。なされてはいたが、少し寂しいものがある。
「稚雁ちゃん、早かったんだね。いっしょに外に出た気がしてたんだけど」
そそくさと命綱を外して小屋に入る。作業小屋は撤収準備を終えて既に空になっている。
「あの空間は時間の概念を超越しているから、時間の進み方は入った人それぞれの腹時計次第なのよ。はなかはずいぶんのんびりゆったりしてるのね。あんまり遅いから待ちくたびれたわ」
稚雁が壁に掛かった時計を指差す。
「え……一一時……?あの時計合ってる……?」
「これでもしばらくの間は隣で待っててあげてたのよ?」
会議を始めたのが八時半だから、足場に登ったのはどんなに遅く見積もっても九時前のはずだった。どうやら二時間以上もあの足場の上で眠り込んでいたらしい。
「それはさておき、おかげでいろいろ分かることがあったわ。密教の思想を表現しようとすれば必然的にこういう構造になるということも。本来、神を招くための装置では如来の化身を招くことはできないということ。天神なら天上から降臨を仰ぎ、地祇なら地上から呼び寄せる。でも如来はそのいずれでもなく、搭乗者の内的世界から呼び寄せることになる。はなか、不動明王はあなた自身の心の中からやって来るということよ。あの筒……極楽浄土と直接繋がる抜け穴を通して……ね」
「さすがです、姫様」
技術者の男は稚雁の洞察に感嘆したようだった。
「フドウを再び動かすためには、曼荼羅を形成する中心から八方向に広がる梵字コードを新しいパーツにも適用して馴染ませてやる必要があります。しかし我々は真言を専門としてはいないので、ホツマ文字コードで組み上げた祝詞を本体との結節部でのみ梵字コードに変換する方法が精一杯だと思います。しかしこれにもネックがありまして……」
「何がまずいの?」
稚雁に問われて、技術者は古い巻物を広げた。
「古文書を拝見させて頂いた限り、肝心のホツマ文字コードと梵字コードを変換するための対応表が散逸しており、虫食いの状態でしか残っていないのです。曼荼羅というのは全ての答えを予め知った上で初めてその全容を理解することができる、ある種の入れ子構造になっているので、答えを得る鍵となる対応表を手がかりのない状態から復元するのは言うなれば量子暗号を電卓ひとつで解こうとするようなものでして……」
「要するに、とても難しいってことね」
「極めて困難です。密教の高僧でもできるかどうか……。鍵を持たないまま問題を解くことが、本来の答えを歪めて構造そのものを崩壊させてしまう危険さえあります。それに、現実的な問題として八方向の広がりを持つ曼荼羅を組み上げるには八人の高僧が真言を一言一句違わず同時に詠唱する必要があります。そんな離れ業を成し遂げられるお坊さんが、今の時代に八人もいるかどうか……」
「そんな根本的な問題がありながら、ガワだけ造っちまったのかい」
「タマヨリのようなもっと型の古い神騎なら、基盤になる文字コードさえしっかりしていれば後はフィーリングで動かせるので、フドウもひょっとしたら大丈夫かなと思ったのですが……文字コードによるプログラミングそのものを必要としない神騎もあるので……」
苛立つ忍海の前に立たされて技術者は小さくなってしまった。一体どうなるのだろうと玻那華はきょろきょろ辺りを見回すばかり。解決の糸口の見えない問題を前に、沈黙が垂れ込めた。
破れかぶれ虫食い状態の対応表を見つめたままじっと考え込んでいた稚雁が突然、ぱっと笑顔を咲かせた。
「みんな、今日はご苦労様。たった一週間足らずで仕上げてくれるなんて思いもしなかったわ。みんな溜まった疲れが顔に出ているし、今日はもう休んで」
「しかし、姫様……」
「対応表、借りていくわね。わたくし、パズルが得意なの。まずはじっくり考えてみないことには始まらないわ」
稚雁は巻物を丸めて懸崖造りの本堂への石段を登っていった。玻那華も後を追う。打つ手なしと言った様子で沈んでしまった大人たちは、無邪気で不敵な童女に圧倒されていた。
「あの宇宙的に不可解な古文書をパズル呼ばわりとは……いやはや、底知れませんな」
次回予告
忘れ去られたテクノロジー、失われたパズルのピース。解読の鍵は最も見慣れた場所に在り。
次回!木造ロボ フドウ「ごせんぞさま」
今こそ、全ての諸金剛に礼拝せよ
次回は8月6日(金)更新です




