ポロンクセマ
49作目です。悩んでます。
1
町立図書館の奥深くまで潜れば、埃に隠匿された禁書の類いがあちこちに見つかる。表面上は几帳面で知られる司書たちだって、人目のない地下の本まで整頓はしない。ましてや、そこにあるのが伝統的に忌み嫌われてきたり、呪われているとされるものばかりなら尚更である。
一般人の立ち入りは禁じられてはいない。だが、普通に入れるわけではない。司書の許可、簡単な合言葉のようなものを伝えれば、地下室へ誘導してもらえるのだ。
黴臭さが溢れ出すように流れて、未知との遭遇を期待させる。忌み嫌われたもの、呪われたもの、確かに老人たちが囁く陰湿な噂の書物もあるにはあるが、大したほどではないし、実際のところ、呪われてもいないだろう。地下書庫の突き当たりにある、この町の歴史についての方が背筋の凍るものがある。今、手に取った「怪の歴史」に関しては忌み嫌われたものと言える書物で、大昔から町に現れたとされる神や悪魔の類いが記載されている。神すら「怪」に含めた先人には脱帽である。
大昔からの真偽不確かな歴史が記された「怪」で、一際気になったのは西暦一六四五年に幼い少年ふたりが失踪した話についてだ。
少年ふたり、敢えて愛称で呼ぶが、ユーグとマッシュはともに六歳になったばかりだった。六歳ともなれば、段々と明瞭な自我が目覚めるか否かの境界線である。健康的なユーグと少し病弱なマッシュ。教会のミサに毎週しっかりと通っていたのは共通している。彼らが失踪したのは、先述の通り、一六四五年である。日にちは十二月二十六日。簡単に言えば、聖なる日の翌日である。世界宗教から距離を置き、特有のものになった昨今の町とは違って、昔は遍く信仰される形式に則っていたらしい。
ふたりが消えたのは夜で、それも日付が変わる寸前のことだった。細かく言えば、双方の親が気付いたのがその時間というだけで、実際にはもっと早かったものと思われる。ふたりが口裏を合わせて家を出たというのは考えに難くなかったが、それにしたってどうして六歳児にそんな知恵があっただろう。親の眼を盗んで失踪計画を企てるのは六歳児の仕業とは考え難かった。だからこそ、親や町の大人たちは頭を捻った。
まず、人として堕落したジェイフォルという若者が捕らえられた。過去に人買の真似事をしていたからというのが根拠である。ユーグもマッシュも顔立ちはそこそこで、そもそも、六歳程度の子供なら何処にでも需要はある。労働に回すには早いにしても、食肉としての価値なら年齢が若いほどあるのだから。
しかし、大人たちの見解は町外れの半壊した小屋に住む老人の言葉で覆った。結果として、ジェイフォルは解放されたのである。完全な白としてだ。その老人の言葉は、アッサ・リーが連れ去ったというものだった。
大人たちは当然ながら困惑した。アッサ・リーなどという聞き慣れない存在についてである。人なのかそうでないのかすらわからない、簡単な予測では、ある種の神話的な、異教的な伝承のものだと思われた。事実、そのものは、この地に古くから伝えられてきた神話上の存在だった。この老人の家系、つまりは祈祷師的立ち位置にあった家系で代々伝えられてきたものらしく、老人の半壊した小屋には、そのものの詳細を記載した書物さえもあった。
その書物は、現在、町立図書館の地下書庫にある。「怪の歴史」が置いてあった傍にあったので、そのアッサ・リーの詳細を説明する。
古より伝わる名もなき書物に長い年月を掛けて記されたことによると、アッサ・リーは千年近く前、不明確だが、紀元前から存在が知られているとする記述もあり、この書物の内容が一概に一貫して正しいとは限らないようだ。細かに記載されている限界は六七八年の夏の夜まで辿ることができ、一六四五年の特徴と共通性があった。
アッサ・リーの体長は三フェムド。フェムドはこの地で昔に使われていた単位で、現在の単位に戻せば、十五フィート程度だと思われる。体色は概ね白く、所々に灰色や黒が見られるが、それはアッサ・リーのキメラ的性質の関係らしい。
「怪の歴史」にある、民俗学者エズワルド・ウィンチマンの言葉を借りると、それは東洋で秘密裏に崇拝される無名の神々や西方のグリモワールで見られる悪魔フルフルに近しいものであるとされた。
まず眼に飛び込むのは馴鹿の如き枝分かれした角で、黒鉄のようであり、幽かに青白く輝いているとされる。顔は馴鹿よりも一般的な馬に近く、その眼は魚目であり、虹彩の色素欠乏により、黒ではなく青く見える。青さは普通の魚目の馬よりも遥かに色鮮やかで魔術的な雰囲気があるという。体は白と灰の入り雑じった色で、どうやら馴鹿の特徴を備えているようだ。鬣はなく、尾は地上では視認することが不可能である。ここまではまだ辛うじて有り得る、薄いにしても現実味を保持した特徴である。
異常と言わざるを得ないのは、次に挙げる特徴で、そのやけに緩やかな傾斜の背中には、世にも美しい比率で一対の翼がある。翼は天使を模倣したかのように白い。そして、足だが、後肢は駝鳥のものに似ていて、非常に力強い。前肢は何とも表現のしようがなく、現在は知られていない生物の特徴を有していた。鳥のようではあるが、明らかに鳥ではない。また、爬虫類でもない。何かに引っ掛けるために特化したような形状をしているが、書物、つまりは老人の家系の言葉によれば、前肢は夜を満たす霧を掴むためのものだとされた。
アッサ・リーは古くから「神」として扱われてきたが、如何なる人種も説明不可能で唯一の存在を神格化するのは自然なことである。つまり、アッサ・リーは説明不可能で同種が確認されない存在であると断定されているのだ。そして、その「神」たる性質は、邪神とも言えるものを有していたのである。
アッサ・リーが現れるのは、過去の記録を振り返っても夜しかない。人々が寝静まった深夜に、小高く、見晴らしのよい丘に現れる。この町の近辺には該当するような場所が四ヶ所あり、いずれでもアッサ・リーが確認されている。この「確認されている」というのは、誰かが神格たる存在を見たとかではなく、あくまで事後の痕跡から確認されたことだ。
アッサ・リーは幼子を拐う。これは過去の記録、ユーグとマッシュの例からもわかることだが、確実に幼子ばかりを狙っている。その目的は大人の知る由のないことである。というのは、アッサ・リーは大人、ここでは「無垢」を欠いた人間を指すのだが、それらは拐わない。書物によれば、無垢でない人間を見ると詆毀の言葉を繰り返すそうだ。その言葉は未知の言語、記述されているところでは言語とも断定できない唸り声であるのだが、罵りの言葉だと誰しもがわかるという。この記録は一二一九年の春の夜のもので、大人がアッサ・リーと直接対面した唯一の例である。
連れ去られた幼子の行方は大抵が判然としなかった。見つかったとしても殆どが死体であり、生きている例は少数だった。しかし、生きている例でも、その大抵は精神と肉体に異常が付与されていて、過去の例を挙げるなら、心を失ったりだとか、盲目、或いは失語症に陥っていたなど、重大な欠陥に苛まれてしまうのだ。この書物の記録は、そういった生き残りたちから掻き集めたもので、幼子たちの間で共通していることから信憑性の高いものだと見なされている。
その幼子たちの記録の繋ぎ合わせにより、アッサ・リーの大体の行動パターンは推測された。出現するのは夜。これに限る。太陽が地球の真裏に存在する時に姿を現すとも言われるが、これに関しては本当に推測でしかない。しかし、夜であるのは確定である。そして、前述の通り、この町で出現するのは四ヶ所の小高い丘だ。これは完全にランダムだと思われ、何処が出現しやすいかは不明である。前述した、一二一九年の出現の際、場所は丘ではなかったそうだが、それは奇妙な点で、そのために信憑性は薄い。何しろ、正確な場所が記録されていないのだから。
老人の家系が代々綴ってきたアッサ・リーの記録は詳細ではあるが、不完全な部分も多い。継ぎ足しで記されたために、矛盾が生じる記述もある。特にアッサ・リーと類似する存在を仄めかす記述は明らかに信憑性が薄く、老人の家系随一の夢想家が記したものと思われる。
今ではアッサ・リーの存在は町民の間では一種のお伽噺として伝えられている。子供が幾度も聞かされる、「夜更かしをするとアッサ・リーに連れていかれちまうよ」という言葉が良い例である。故に、現在の町民にとって、アッサ・リーは畏怖の対象ではあるが、その大半が夢紛いのユーモアに満ちた視線を向けている。怯えているのは、特に年を食った老人たちだけで、狂信的な者になると、名前を出すことさえも恐れてできない始末だ。それには一六四五年の例、その凄惨な結末が関係しているのであるが、その結末については「怪の歴史」にも、老人の家系の書物にもない。抹消されているのかもしれない。
だから、探究は無駄だと思われた。
ある一冊の本を見つけるまでは。
その本は町立図書館の地下書庫の突き当たりではなく、西の隅にある、錆びた金庫の中にあった。その金庫の中身について館長はまったくとして知らなかった。勿論、知らされてこなかったからである。そして、その金庫が開けられたことすら館長は知らない。恐らく、知りたがらないだろう。その人間の皮で作られた本のことは。
勿論、内容はアッサ・リーに関する、それも一六四五年の出現、それに伴うユーグ、マッシュの失踪についての事細かな記録である。それは漏洩すべきでないもので、狂信的な老人たちが口にしたくないのもわかる気がするものだった。誰が記したか、そんなことは考えるべきでない。そんな本が、この「ポロンクセマ」である。
2
一六四五年十二月二十六日。
聖なる日が過ぎ、町は再びの静けさに戻った。幽かな鐘の音すらもなく、今は無音で降る雪があるのみだ。マーシェルの家では誰かが死んだらしい。交流は大してないのでわからないが、恐らく、あの盲いた爺さんだろう。もう長くないことは歩調から明確だった。
私としては火葬を推奨しているが、旧套墨守、無知蒙昧なる町民どもはしたがらない。プロッペルの娘が結核で死んだ時はこっぴどく叱られたものである。あの夢想家の娘は神の救済など二の次だった筈なのに。
シャンバーテルの傲慢な門を横切り、ラニの橋の氷に気をつけて渡り、新しい匂いを探すのである。腐臭が鼻を刺激する中、甘美な匂いがふわふわと漂っているのを感知し、私はそちらへ歩く。出所はリーゲルベッケの家であった。なるほどと私は煙突から入り、あの可愛らしい、小さく丸い鼻のユーグをそっと起こした。ユーグは眼を擦りつつ起き上がり、私はその手を引いて窓から出た。垂れ下がった氷柱は宛らマンゴーシュのようで、ユーグが傷つかぬように慎重に出た。
外に出れば、また甘美な匂いがする。それを辿ってみれば、ヴィックのところからで、また煙突から入り、ひとり息子で赤髪のマッシュを連れ出した。彼らが寒そうにしていたので、私は伝統的な衣装を手渡した。
道を戻り、ラニの橋を渡る。途中で年老いたエヴォンが酒瓶を片手に歩いているのが見えた。老人は欄干に凭れて高笑いをしていたが、雪に音は掻き消されていた。私は隠し持っていたナイフで殺してやろうかと思ったが、私はあくまで善良なる町民なので止めておいた。問題は、この酔っ払いが記憶保持の能力を備えているかで、念のためにもユーグとマッシュを私の外套に隠して通らなければならなかった。
シャンバーテルの傲慢な門、サミルトの静かな家、マーシェルの死の香り漂う窓、道には雪がうっすらと積もり、ギリュメウンドの彫った模様が見えなくなりかけている。プロッペルの赤い屋根が見えて、その角を右に曲がる。すると、道は傾斜が特徴的になる。ギリュメウンドの彫った模様はここまでも続いている。彼は職人だが、狂人の類いでもある。そう私は思っている。
傾斜は幼子にも問題はない。ギリュメウンドの弟が、土壁に打ち込んだ杭にロープを通しているのだ。これはなかなか画期的なアイデアだった。あの弟は精神疾患さえなければ良い男だったのだが。
丘からは雪を降らせる凍てつく夜が一望可能であり、そこには無数の星が輝いている。月は見えず、夜の黒い幕の裏でにやにや笑っているのだろう。幼子たちも普段は滅多に見ることのない、遅い夜空の深く宝石のような煌めきに眼を輝かせていた。マッシュの方が詩人向きであるらしく、何やらずっと口ずさんでいる。
ギリュメウンドが彫った彫刻群が丘の上に並んでいるのは周知の事実である。町民は狂人の奇行には寛容であるのだ。彫刻群はどれも二メートル近いものばかりで、人を象ったもの、雷神トールを象ったもの、人間蝙蝠を象ったものなど、多岐に亘った。共通するのは、どれにも悍ましい邪気が漂っていることである。
その狂人の彫刻群のいくつかが薙ぎ倒されていて、その中心に白と灰とで彩られた幽玄の世界の存在が佇んでいた。容姿の記述は最早不要だろうが、少しだけ記すなら、馴鹿の体に奇怪で凶悪な鳥らしき脚を備えている。この姿を見て、ふたりの幼子は眼に涙を浮かべた。
この異形の獣の名前は「アッサ・リー」である。私が名付けたわけではなく、アッサ・リー自身が伝えてきた名である。
幼子を異形の背中に乗せ、私も乗った。私の背なら軽々と届くのである。幼子たちの浮かべていた涙は渇き、既に期待さえしているようだった。私はアッサ・リーの翼に操縦桿を取り付けて、離陸の準備を開始した。
操縦桿を動かせば翼が動き、体が浮き上がる。ギリュメウンドの彫刻群の成れ果てが転がっている。彼は彫刻が壊される度にまた作り直しているのだ。狂人たる所以である。
アッサ・リーが飛翔する際には、普段は視認できない鬣がオーロラのようになって見える。エネルギーの放出である。特に熱などを発するわけではないが、少なからず人体に悪影響を及ぼすことはわかる。私には関係のないことだが。
幼子のうち、ユーグは未知なる世界への旅立ちを期待しているようだったが、陰気なマッシュは下ばかり見て怯えている。だから、私は励ましてやった。すると、少しは気が晴れたのかもしれない。ユーグと会話を始めた。主に高度の話だった。
町の灯はもう見えない。時間が時間だからである。輝くのは無数の星とオーロラのような鬣である。アッサ・リーは着実に、前肢で夜の霧を掴んで昇っていく。実のところ、翼は夜では働かない。それが役立つのは霧がない青い空なのである。
やがて、石造りの建造物が見えて、アッサ・リーを着陸させた。ここと地上の間はポロンクセマ程度であるが、それはアッサ・リーが長距離を移動したがらないためである。
幼子たちを降ろしてやると、彼らは見慣れない夜の、見慣れない建造物に燥いでいた。内向的なマッシュもユーグと跳ねたりしていた。
この建造物の周囲は物理に抗う雲で覆われているので、彼らが落ちてしまうようなことはない。だから、眼を離しても大した支障はない。困るのは神殿に入られることだが、そこまで彼らが行くとは考えられなかったので、私は熱い紅茶でも飲むことにした。
ギリュメウンドが彫ったかのようなタイルの模様を見る度に、あの狂人が見ている世界を不思議に思う。ここは無垢なる者だけが踏み込める限定された隔絶の地。狂人というのは無垢であるのだろうか。何しろ、この狂気的な美しさを湛えるタイルの模様を人間が脳内で創造するのは考えられることではないからだ。
紅茶がカップから消えたので、私は幼子たちを連れて行くことにした。彼らは反物理的な紫の雲に入って出てを繰り返している。この雲はそういう性質なのである。私は幼子たちの手を引き、歩かせた。アッサ・リーは既に神殿内にいるらしく、影も形もなかった。幼子たちは少しずつ怯え始めた。特にマッシュの方だが、歩くことさえ堪えるようになったらしいので、例外的に私の背中に乗せた。これは一四三八年の臆病な幼子バリエラ以来のことである。
神殿まではギリュメウンドのような模様が施された石の庭園を通る。橋があるが、下に水は流れておらず、甘美な雲が浮いているばかりである。道の両側に植えられている植物は半鉱物的なものばかりで、いずれも地上で見られるものではない。果実の外見は球状にしたサファイアのようで、割ると濃厚な甘い蜜か酷く腐敗した魚の体液のどちらかが出る。見分ける術はアッサ・リーのみが知っている。
神殿はシンメトリーで、地上のダイアスポアに類似する鉱物で構成されている。デザインはこれまたギリュメウンドが彫るようなもので、美しくも狂気的であり、それを見たユーグは少しだけ足を進めることを躊躇ったようだ。しかし、好奇心が勝ったのか、光の漏れない神殿へと入ることを選んだ。マッシュは眠っているのか、何も言わなかった。
神殿内部は明るい。いや、暗いとも言える。天井は見えず、全てを夢として片付けるほどのオーロラが舞台の幕のように、或いは深海で踊るクラゲのように揺らめいて、その暗鬱な光を降らせているのである。
中央には深紅の玉座がある。これは偉大なる四界の王の棺を改造したものである。なお、中身は別に保存してある。そこに座るのが大司教だ。名前は既にないので、その時代に化けている姿で呼ばれる。ひとつ前はファラオだった。それが今は大司教なのである。
大司教は建造物全体に施されている模様の入った仮面で顔の上半分を隠している。オーロラの光が眩しいからだそうだ。今は酷く肥えた姿をしているが、本来は不定形なので、時折、身体が透けたり、分裂したりする。そして、あの神の異形、アッサ・リーは、この大司教の一部だ。大司教の左腕から生まれるアッサ・リーはオーロラを旋回してエネルギーを得て飛び立ち、帰ると鈍重な霧となって大司教の左腕に戻る。
ユーグとマッシュは玉座を前に行儀よく並んだ。恐怖。細かく震える足がそれを表現している。何しろ、眼前にいるのは無垢を好む正気でない存在で、明らかに肉食獣的な視線を向けているから、恐れるのも仕方がないことだ。私はオーロラの光に身を隠し、成り行きを見守る。ひとつ言えるのは、ユーグかマッシュ、どちらか、或いは両者が死ぬことである。実際のところ、この遥か昔から続く儀式的な誘拐で、ふたり一度に拐ったのは初のケースなのである。だからこそ、事細かに書いているのだ。嘗て「知り得ぬ事象についての考察」で我々を凶悪な幽鬼と記したローマの貧しい学者でさえも、ここまで詳細には書けまい。
大司教は、まず幼子たちの服を脱がせて観察を始めた。無垢であるかの確認だ。ここで無垢でないと見なされると、即座に途中の橋から甘美な雲に落とされる。甘美な雲には毒のある棘が無数に隠れていることを幼子たちは知らない。今回は視覚によるチェックは切り抜けたらしい。次は学力のチェックである。といっても、調べられるのは、最低限の知性である。ここで障害があった場合も橋から落とされる。知性は品質においても重要な部分なのだ。勿論、そうでないものを好む物好きもいるが。
オーロラの動きが変わり、来客の訪れを知らせた。今宵は別次元のヌーナ大陸より来た、道理の通らない細胞が招かれている。その宴にて幼子が振る舞われるのだ。何故、人間の幼子かと言えば、神の傑作、人間の品質を宣伝するためである。幼子は人間の中でも一番高級で、宣伝には最適で、そうして次元間の取引まで漕ぎ着けるのだ。取引の内容まで私は知らない。これを書くのは、秘密主義の大司教への反発も多少はあると思って欲しい。一番働いているのは私なのだから。
知性のチェックが終わり、最後に控えるは肉のチェックである。肉が知性よりも重要であるのは言うまでもない。食用のメインはそこなのだから。チェックはシンプルで、大司教が触って確かめるのである。幼子からしたら恐怖そのものだろう。理性を留めたままにしておくのも、鮮度の関係らしいが、如何せん可哀想なものである。
肉もチェックをクリアしたらしく、大司教の召喚で三つの影が現れ、哀れなユーグとマッシュを連れて行った。私はオーロラから現れ、大司教に品質について訊ねた。大司教は申し分ないとだけ答えて玉座に座った。眉間に寄った皺が示すのは、今宵の客のことだろう。原始の王である、知性しか持ち得ぬ細胞との取引は些か簡単ではないのだろう。
私は神殿の飾り付けを行うことにした。地上に咲く妖艶な植物、名を薔薇と言うが、それを配った空間を作る。郁々たる薔薇に神殿が彩られる。神経を過敏にする魔力のオーロラが香りを増幅させる。知性の細胞にも伝わればいいのだが。
私は影の元へ行き、幼子たちの最期を見た。いや、最期を迎えたのはマッシュの方だけで、ユーグは呆然と台座に置かれていた。マッシュは既に単なる肉の塊となり、甘美な頭部は切り落とされ、銀のプレートにあった。影たちは胴体の皮の剥離に取り掛かった。頭部の皮は剥がないらしい。
剥がされた皮は雑に捨てられた。私が、皮は使わないのかと影たちに訊ねると、全員が黙って否定した。どうやら今宵の客の好みの問題らしい。この不要な皮だが、影たちも欲しがらないので、私が引き取った。どうせ不要なものの処分は私がしなければならない。ついでにユーグももう不要らしいので、私が引き取った。必要なのは幼子ひとりだったらしい。客の気紛れで数が変わるのは厄介なことである。
私が立ち去る時、影たちは胴体から内臓を取り出して、空洞に香草を詰める作業をしていた。私は正気を失ったユーグの手を引き、神殿から出た。遠くの星々が爛れたように煌めく中、耳障りな音とともに客の姿が見えた。客が神殿に入るのを確認して、私は建造物の端に立った。そして、ユーグを抱いて跳ねた。
凍った雪の上、地主ハーガスタムの農場付近の森に着地し、放心状態のユーグを地面に置いた。どの道、もうまともな人生は送れまい。私はこの記述を残した紙を紐で纏め、哀れなマッシュの皮をカバーにして、本の形態にした。最後の頁にあの大司教の姿を描いて、その本をユーグに渡そう。ユーグは虚ろな眼で何もない場所を眺めているばかりだった。哀れなユーグ。生まれてきたことが後悔になってしまった。君がもう少し汚れていたならよかったものを。
3
私はこの人皮装丁本を読んだ時、慄然とした。この記述が正しいなら、老人の家系の伝承も「怪の歴史」も眉唾物になってしまうレベルだ。哀れな最期のマッシュと狂気を持ち帰ったユーグ、そのふたりについてこれほどまでに事細かに記されたものはない。そして、アッサ・リー。窺い知ることのできない大司教と、その取引相手であるパラレルの細胞。何の取引かなどわからないし、考えたくもない。これを記したものは良心的であると言えるだろう。
しかし、この記述からはユーグの本当の結末がわからない。それを調査するには、まず彼らが着地した地点を調べなければならない。古い地図を確認すると、彼らが着地したハーガスタムの農場が記載されていて、確かに付近には白樺の森が広がっている。私は現代の地形と照らし合わせて、今、その場所にあるものを思い出した。
教会である。
上階にもあるような通常の歴史書でもわかることだが、ユーグとマッシュの失踪があった一六四五年の二年後には、かの世界宗教から距離を置き、独自の、半ば隠匿された宗教が創始された。元々の教会を改造したのではなく、完全に新しい教会を設立した。そのわけはここにあったのだ。
教会の重苦しいドアを開いて中に入った。司祭は外出していて、何処にもいなかった。私は教会の通路の先、祭壇の上に飾られた、見知らぬ鉱物で作られた彫像に眼を向けた。それは畏怖の念を駆り立て、跪拝しなければならないと思わせる力があった。
私はその像を知っている。
像の作者は狂人ギリュメウンド。
その像のモチーフは、あの金庫に仕舞われていた人皮装丁本のラストに描かれていた、アッサ・リーの本体、凶悪なトレーダー、変幻自在の影である大司教と酷似しているのである。
つまり、当時の町民はユーグを発見し、彼が所持していた不気味な本から、恐るべき事実を掌握し、その恐るべきものを崇め、災いを避けようと、異教を創始して教会を建てたのだ。そして、この教会がここにあるということは、ユーグの巨大な墓であることを示すのだろう。
私は無知であった。気付くべきだったのだ。
この教会は、この町は代々、リーゲルベッケ家とヴィック家が交代制で支配しているということに。
得をしたのは誰だ? 損をしたのは誰だ?
哀れな幼子たちは何のために生まれたのだろう。
しかし、もうひとつの疑問は、誰が「ポロンクセマ」を図書館の地下の金庫に入れたのだろうか。タイトルの文字と内容の文体が違うのも引っ掛かる。人々はどれだけ秘密を抱え込めば気が済むのだろう。私は、すぐ教会に火を点けることに決めた。




