7 2-3 ミナキ高原とサクラテマリ
「お待たせしました! 緑グループの人たち、僕のところまで集まってきてください!」
お待ちかねの指示が出たので、アルフレッドは他の子たちと同じように指示係のお兄さんのそばまで行った。
「じゃあ、実力測定の説明します。あっ、僕はオオイナバっていいます! 今回の訓練会で緑グループのみんなを担当します。普段は学園で先生やってるんで、イナバ先生て呼んでください!」
指示係のお兄さんことイナバ先生は、そう言うと自分のアイテムボックスをひらいた。そして、パンパンに中身が詰まっている大きなリュックを5つ取り出して床に並べた。リュックには番号と重量を記した紙が取り付けてあった。
「えーと、このリュックの中には重りが詰まってます! なので重いです。今からみんなには念動魔法でこのリュックを浮遊させて動かしてもらいます。リュックによって重さが違うんで、ムリしないで自分に動かせる重さを選んでください。あくまで今の自分がどれだけできるか、という測定なんで」
イナバ先生は続けて言った。
「動かし方は自分の名前です! リュックの動きで自分の名前をつづってください! 終わったら名前とか年齢とか言って、簡単に自己紹介って感じで。じゃあ、トップバッターやってくれる子! 誰かいるかな?」
イナバ先生の呼びかけに、女の子数人のグループがざわざわとした。「ハナちゃん行っちゃいなよ!」「トップバッター決めちゃえー!」という友達の声に押されて、「ええー、わたしー?」と言いながらも一人の少女が前に出た。ゆるく波打つ黒髪に、深い森のようなグリーンの瞳をした、背が高くて手足の長い美少女だった。
背の高い美少女は2番目に重いリュックを選んだ。上級の念動魔法の呪文を詠唱すると、ふわりとリュックを浮かばせて自分の名前を綴った。少しゆっくりした動きで、途中で一度だけ詰まったものの、大きな問題はなく終えてリュックを床に置いた。リュックの動きは「マツリハナビ」と読めた。
「おおっ、上手いね! じゃあ自己紹介してくれるかな?」
「はーい」
イナバ先生に促されて、背の高い美少女は皆に向かって言った。
「えっと。マツリハナビって言います! 11歳です! 去年も訓練会にいました。今年も、えっと、いろいろ頑張りたいし、みんなと仲良くしたいです! よろしくお願いしますー」
そう言うとマツリハナビは元いた場所に戻った。「緊張したあー」と言う彼女を友達の女の子が、「ハナちゃん、やるうー」と言って迎えた。
マツリハナビに続いて彼女の友達の女の子たちが挑戦した。その次は元気で活発な男の子たち。順番に前に出て念動魔法に挑戦していった。大方終わったところで、一番スムーズにやってみせたのはマツリハナビだった。
「ええっと、まだやってない子は……あっ、きみ! そう、そこの青い髪のきみ! まだだよね。やろうか」
参加者名簿にチェックをつけながら仕切っていたイナバ先生が、アルフレッドのほうを見て言った。攻撃魔法の自信の無さゆえ、緑グループの子どもたちの輪の後ろのほうにひっそりといたアルフレッドのほうを見て。
イナバ先生に促されて、アルフレッドは前に出た。この訓練会には師であるジオンディーヌに、「行ってきんさい」と言われたから来ているだけだった。自信はなかったのだけど、だからといって「やりたくないです」とは言えなかった。
「……ダブルキネシス」
アルフレッドは中級の念動魔法の呪文を詠唱して、4番目に重いリュックに手をかざした。彼の手から生じた光がリュックに当たると、リュックがぼんわりとした銀色の光に包まれた。
アルフレッドは手の動きでリュックを浮かばせると、自分の名前を綴り始めた。たどたどしく、詰まりながら、とてもゆっくりと。近くに立っているイナバ先生は「いいぞー、がんばれ!」と応援してくれていたけれど、グループの何人かの子たちはアルフレッドを見ながらヒソヒソと話し出した。
「……ダブルキネシスであんなに手間取る?」
「やばくない?」
「下手すぎじゃね?」
「つーかなんでこの合宿にいんの? ミナキ高原訓練会って、将来有望な魔導師の子どもを集めて、才能を見極めるための会だろ? あんな低レベルがいるとか理解できねえんだけど」
ガタン、と大きな音が響いた。彼の名前、アルフレッドの「レ」の音の字を綴っている途中で、宙に浮かんでいたリュックが床に落ちた。アルフレッドの集中力が切れて、念動魔法が途切れてしまったからだった。
「うん、頑張った、頑張った! じゃあ最後に自己紹介だけしてくれるかな。みんなもやってるから」
何も浮かんでいない宙に手をかざしたまま呆然としているアルフレッドの肩をトントンと叩いて、イナバ先生が言った。
「……アルフレッド・オーウェンです。9歳です。よろしくお願いします」
それだけ素早く言うと、アルフレッドはグループの輪の一番後ろに戻った。今は、視線が背中に刺さる所にいたくなかった。
「あとは……あれ。きみもやってないよね。やろうか」
イナバ先生は、今度はマゼンタの髪の少女のほうを見て言った。少女は自分に注目が向いたことでビクッと体を跳ねさせたけれど、イナバ先生に「前まで来てねー」と促されてそろりそろりと前に出た。そして、一番重いリュックの前に立った。
「えっ。それにする? 大丈夫? きみの体重だとたぶん上級じゃないと動かないよ?」
イナバ先生は心配して声をかけたが、少女は一番重いリュックの前から動かなかった。そして、誰にも聞こえないくらい小さな声で、上級の念動魔法の呪文を詠唱した。
「……伝わる念。トリプルキネシス」
ふわりと、リュックが浮かび上がった。用意されたなかで一番重いリュックは、空中をスイスイと動いて少女の名前を綴った。実際に筆で書くときのようになめらかな動きでサラサラと動いた。「サクラテマリ」と綴り終えて、少女はリュックをそっと床に下ろした。
「すごいね、きみ! お名前は?」
イナバ先生も少し驚いた調子で少女に名前を聞いた。「うまーい!」「すげえ!」という声が上がっていた。
「…………」
「んっ? ごめん、もうちょっと大きな声で言ってもらっていいかな?」
イナバ先生は腰をかがめて聞き耳を立てた。少女の口は動いたので何かしゃべったことは確かなのだか、あまりに小さい声だった。
「…………サクラテマリ・キャンベル、です。9歳、です」
近い距離で集中して聞いたイナバ先生が、ギリギリ聞き取れる程度の音量だった。名前を言うだけなのに、ボールぶつけて人の家の窓ガラス割りましたと同じくらい言いづらそうに恥ずかしそうにしゃべった。それだけで、マゼンタの髪の少女サクラテマリは耳まで真っ赤になっていた。
「……はい! サクラテマリちゃんだそうです! 拍手!」
彼女自身の声が他の子たちに聞こえるのは無理だろうと判断したイナバ先生が、何とか聞き取った名前を代弁して伝えた。パチパチという拍手。「すごーい!」という声。それらはもちろん、称賛の意を示すものだった。けれど、それらは慣れない注目というものと一緒にサクラテマリに届いた。
すでに顔が真っ赤になるほど恥ずかしがっていたサクラテマリは、前で突っ立ったまま目線をキョロキョロとさせて、そして。
くるりと、その場で一回転した。
「えっ。サクラテマリちゃ……あっ、いた」
一瞬にして静かになったホールで、サクラテマリの姿を見つけたイナバ先生が言った。グループの輪から離れたところ、ホールの隅に生じた銀柱からマゼンタの髪が見えた。サクラテマリはそのままホールの隅でしゃがんで縮こまっていた。
「えっ? ちょい待って? あいつなんで今転移したよ?」
「恥ずかしかったんじゃね?」
「えっ、急にあんなとこに転移するほうが恥ずかしくね? バカなの?」
「やべー、ウケるんだけど」
「ワクワクする子だねえ。おしゃべりしたら楽しいかも? んふふふ」
「ええ……。私はちょっと……。ああいう子は変な子っていうんだよ……」
拍手は失笑になった。「すごーい!」はサクラテマリの行動を面白がる声に変わった。
失笑の輪の外側にいるアルフレッドは、ホールの隅で縮こまっているサクラテマリをただ見ていた。
一緒になって笑うことはできなかった。
急に転移したことは確かに不思議だったけれど、それでも彼女は一番重いリュックをスイスイと動かしてみせた。たとえ少しばかり変な子だったとしても、きっと彼女は才能のある子だった。訓練会に呼ばれることが、ふさわしいくらいの才能が。
「えっと……他にまだやってない子! いるかなー?」
前例を見ない空気のなか、イナバ先生がワントーン明るい声で呼びかけた。学園教師2年目の彼にできる、精いっぱいの対応だった。