6 2-2 ミナキ高原とサクラテマリ
街中よりもほんのり涼しい風にさらさらと揺れるくるぶしの丈の草原。エート山の裾野に広がるミナキ高原には、国内唯一の討伐者としての魔導師養成学校『エゼルフィ魔導師学園』が校舎を構えている。
この学園が所有する訓練棟の一つに、中等学校生にあたる9歳から12歳の子どもたちを集めて実施される、3泊4日の魔法のトレーニング合宿。今では恒例となったこの合宿が『ミナキ高原訓練会』と呼ばれるもので、毎年年度末に実施されている。
年度末に実施される理由は、訓練会のルーツが学園の入学者選抜試験だからだった。まだアルフレッドはもちろんシアも生まれたかどうか、ホウセンカが中等学校生の年齢だった頃のこと。
入学してくる生徒のレベルを上げたい、将来有望な子どもを発掘するためにはどうしたら良いかと学園関係者が会議を重ねていたところに、当時エゼルフィ魔導師ギルドのギルドマスターに就任したばかりのカンツバキという人物が言ったのだった。
「全国各地から評判のある子どもたちをミナキ高原にいっぱい集めて、泊まりがけの訓練会をやればいいじゃない! そうすれば魔導師としての才能も人間性もじっくり見極められるでしょ」と。
カンツバキの提案は間もなく実行された。初年度は受験年齢である12歳のみが集められたが、手応えを感じた学園は次年度から中等学校生にあたる9歳から12歳に対象を拡大した。以降も毎年継続され、シアが対象の年齢になる頃にはすっかり浸透し、近年では幼い魔導師たちにとって訓練会に呼ばれることが目標にまでなってきていた。
風に揺れる草原に建つ、第二訓練棟の手前の一角。膝丈の柵で囲われているエリアに、次々と銀柱が現れていた。転移してくるのは、訓練会に呼ばれた職業魔導師を目指す子どもたち。
「早くいこうぜ。訓練棟の入口まで競争な!」
「おっし、のった!」
「あっ、ハナちゃん! 久しぶり!」
「おおー、久しぶり! 去年以来だねえ」
教室の友人や一年ぶりに再会した友人と共に、転移してきた子どもたちは柵で囲われたエリアから出て訓練棟に入っていく。続いてエリアに現れた銀柱から見えたのは、金メッシュの入った瑠璃色のくせ毛の頭だった。
ミナキ高原に来たことがないアルフレッドが転移魔法で来ることができたのは、シアが送ってくれたからだった。
転移魔法の高度な技術の一つに、「送る」と呼ばれるものがある。送りたい相手の手を握って、社交ダンスのようにくるりと回してやることで、回した相手を自分が踏んだことのある地点に転移させることができる。
今回、アルフレッドの訓練会行きに際して、ジオンディーヌから頼まれたシアが教室に来て彼を送ってくれた。実際のところは、ミナキ高原に行った経験のある教室の他の子どもたちも、シアに甘えて彼女に送ってもらっていたけれど。
アルフレッドが降り立った位置は、膝丈の柵で囲われたエリアの中央付近、看板の近くだった。第二訓練棟前の転移エリアにシアが送ってくれたのだった。転移魔法で降り立つために用意されている場所だから転移エリア。膝丈の柵で囲われていて、場所のイメージがしやすいように地名を書いた看板が囲いの内側に数本立っているエリア。
『ミナキ高原 第二訓練棟前』と書かれている看板をアルフレッドは少しの間眺めていたが、ややあってエリアの外側に向かって歩き出した。
なお、訓練会は3泊4日の日程だが、彼の荷物は手荷物を入れている小型の手提げバッグだけだった。3泊4日分程度の荷物なら、着替え等はアイテムボックスにしまえば良い。
歩き出したが、アルフレッドはすぐに止まった。彼のちょうど目の前に銀柱が現れたので。転移してくる人間とぶつかるといけないので、アルフレッドは数歩後ろに下がった。そのまま下がった位置に留まって、誰が出てくるのかなんとなく見ていた。
最初に見えたのは濃いマゼンタの頭だった。サラサラでつやつやとした濃いマゼンタのストレートヘアが、胸のあたりまで伸びていた。枝のように細い貧相な体つきで、そしてアルフレッドと同じくらい背が低い女の子だった。学校でも教室でもチビだと言われるアルフレッドと同じくらい。
マゼンタの髪の少女は、目を閉じたままつま先で地面を控えめに叩いて足元の感触を確かめた。それからゆっくりと目をあけると、顔を下に向けて足元の草地を見て、顔を上に向けて広がる空を見た。
アルフレッドは少女の行動をなんとなく見ていた。理由があるとすれば、少女が自分と同じくらい小さかったので少しの親近感を覚えたこと。カチコチと動く様子がぎこちなくて奇妙に見えたこと。それから、これは彼が言葉として知覚することは難しいけれど、緑の草原と青い空の続くミナキ高原の風景に、あざやかなマゼンタの髪はよく映えていて目を惹いた。
だから、少女が転移エリアの看板を確認しようとして右を向いたとき、髪の毛と同じ濃いマゼンタの瞳から発せられた視線が、アルフレッドの濃紺の瞳にぶつかった。
「……びゃっ」
少女が発したのは、風に木の葉が擦れる音よりも小さい音量のか細い声だった。アルフレッドの耳までは届かず、口の動きとびくっと跳ねた体の動きの視覚情報だけが伝わった。
少女はそのまま走り出して、転移エリアの外側に向かった。たぶん、見知らぬ男の子と急に目が合ったことが恥ずかしくなって逃げた。大人の膝丈の柵は彼女の身長ではジャンプで軽やかに飛び越えることは難しかったようで、一度止まって、半ばよじ登るようにして突破した。そして第二訓練棟に小走りで入って行った。
それを見ていたアルフレッドはぼそりと呟いた。
「……出入口……あったのにな……」
転移エリアには柵が途切れている出入り口の部分がちゃんとあった。なんというか、風変わりな子だというようにアルフレッドの目には映った。ともあれ彼も転移エリアを出た。もちろん柵の途切れている出入口の部分から。そして、訓練会の行われる第二訓練棟に入っていった。
集合場所である第二訓練棟のホールに集まった子どもたちは全員で80人ほどいた。彼らはホールで訓練会の開校式に参加した後、係員によって4つのグループに分けられた。
入試の受験資格を持つ12歳の子どもたちのみで構成されたグループが2つと、11歳以下の子どもたちで構成されたグループが2つ。人数はどのグループも20人程度だった。
グループ分けが終わると、子どもたちにはグループ毎に色の異なるカーディガンが配られた。赤・青・黄・緑のうち、アルフレッドに配られたのは緑のカーディガンだった。先ほど彼が遭遇したマゼンタの髪の少女も、緑のカーディガンを配られていた。カーディガンはグループ分けの目印なので、訓練会中は羽織っておくようにと指示があった。
大体の子どもたちが袖を通し終えたところで、主に指示を出していたホールの前のほうにいる係員のお兄さんが言った。ほんのり垂れ目の優しげな顔立ちで、右の眉尻に楕円形のほくろがあるお兄さんだった。
「みんな、準備は大丈夫かな? ここからは各グループごとに行動していくんで、よく指示を聞いてほしいです! まず赤グループと青グループの人。ホール出て隣の部屋に移動してください。入試についての説明があるんで」
指示を受けて赤グループと青グループの子どもたちが、係員の先導でホールを出て行った。どちらも12歳のみで構成されているグループだった。続いて指示係のお兄さんが言った。
「次、黄色グループの人! 黄色グループの人たちは外に行ってください。体力増強のトレーニングからやります! 後ろで手を上げてるエカテリーネ先生についていってください」
黄色グループの子どもたちも移動を始めた。魔導師にとっての体力増強トレーニングは、山や森を駆ける体力をつけるためだけのものではない。魔力は、体力に依存している。体力の一部を魔力に変換することによって、華やかな攻撃魔法や便利な補助魔法、人類憧れの空中浮遊が繰り出されている。
周りの子どもたちがいなくなりアルフレッドはそわそわし始めたが、彼の属する緑グループについては、「緑グループの子はこのままホールに残っていてください! みんなは簡単な実力測定からのスタートです」と指示が出たので、おとなしくホールで待っていた。