5 2-1 ミナキ高原とサクラテマリ
両親はすんなりと魔法教室通いの許可をくれた。そうして晴れてジオンディーヌ魔法教室の門下生となったアルフレッドは、現在9歳となっていた。
エゼルフィで9歳というと、中等学校の1年生にあたる。
初等教育が7歳から8歳までの2年間。学ぶ内容は文字と言葉、買い物のための計算、街で暮らすために必要な知識と礼儀。
中等教育は9歳から12歳までの4年間。初等教育で習うものより難しく多彩な言葉、大陸地理や文化、各学問の入口といえる知識を学ぶ。また、それぞれ基礎的な内容であるが、剣もしくは短剣・槍・弓・魔法を運動の時間に習う。
中等学校を卒業すれば高等学校に進めるが、進学しない者も多くいる。職人等志望の子は、関係ない分野の学問を学ぶくらいなら、さっさと親方に弟子入りして修行を積むほうが有意義だと考えている。
進学する場合は、奥まで踏み込んだ学問と深い教養を学ぶ普通高等学校と、討伐者を目指して戦闘技術を磨く武器別専門学校に分岐する。
なので、魔導師になりたい9歳というと、魔法の専門学校に入学することを目標として、学校帰りに地元の魔法教室に通っている年頃だった。そろそろ街近くの弱い魔物を倒し始める年頃でもあるが、アルフレッドの魔法の習熟具合といえば。
「コントロールが甘い! どこに撃つかもっと正確に狙い定めてから撃てい! もう一回!」
「ふえっ……ダ、ダブルシャイン!」
「弱い! 威力不足! そんなんじゃ魔物に食われよるわ!」
「ふええええ……」
ナザリの街、オース通りの魔法教室にジオンディーヌの指導とアルフレッドの泣く声が響いた。
シルヴァール大陸に存在する魔法は全部で11種類。
火・水・氷・風・光・念動の6属性の攻撃魔法と4種類の補助魔法、それから空中浮遊の魔法。
このうち魔法による戦いの要ともいえる攻撃魔法を、アルフレッドは非常に苦手としていた。初級魔法はようやく一通りできるようになったが、中級となると比較的簡単な属性の光や念動でも、上手く決まらないことが多かった。魔物討伐にもまだ行ったことがなく、教室で的に向けて練習するのが日常だった。
「泣くんじゃない。泣きながら依頼こなす魔導師がどこにおるか」
「ふええええ……」
「ったく……」
魔法の才に乏しい者からすれば、初級でも攻撃魔法が一通りできるだけで羨ましいものだけど、討伐者として活躍するレベルには程遠い。ジオンディーヌは上着のポケットからタオルを取り出してアルフレッドの顔に押しあてると、玄関を指差して言った。
「表出て顔でも洗ってきい。その後は体力作りだがね。役場の裏の緑地まで走って2往復」
「ふええ……はい……」
「終わったら戻ってきんさいよ」
ジオンディーヌに指示された通り、アルフレッドは玄関へ向かって行き教室の庭に出た。
アルフレッドは教室の庭先の木の陰で、初級の水魔法で少量の水を出して顔を洗い、ジオンディーヌに渡されたタオルで顔を拭いた。その後、顔を拭いたタオルを左手に持つと、右手を指差しの形にして、人差し指で空中に朝食の皿くらいの大きさの円を描いた。
人差し指で空中に円を描く行為は、補助魔法の一つである収納魔法を発動させる動作である。
利き手の人差し指で描いた円の位置に、縁取りが銀で内側が透明感のある波紋状の水色をしている亜空間の入口がひらいて、亜空間に物を収納することができる。熟練するほど大きな入口がひらけるようになって大きな物が入れられるようになり、亜空間の収納容量も増える。また亜空間はアイテムボックス、あるいは単にボックスとも呼ばれている。
アルフレッドは、収納魔法含めた補助魔法の類は、攻撃魔法よりは上手くできた。
彼はひらいたアイテムボックスの中に、ジオンディーヌのタオルを入れた。それから、周りをキョロキョロと見回した。先のように上手くできないことがあったとき、そっと抱きしめたくなるものが彼のアイテムボックスにはいつも入っている。
けれど、今それを取り出すことはやめにした。見回した教室の庭の一角に、大人の背丈ほどの銀色の光の柱が現れるのが見えたので。
銀色の光の柱。銀柱とも言われるそれは、転移魔法で転移してきた人間が現れる前兆だった。大陸の子どもたちが親や学校から、「出てくる人とぶつかると危ないし、誰が出てくるか分からないから、見かけたら適切な距離をとりなさい」と、それこそ轢かれるから馬車の前に飛び出すのはやめなさいと同じくらいの感覚で教えられるもの。銀柱の現れた位置に、転移魔法で転移してきた人間が現れる。
アルフレッドは水色の波紋の銀縁を人差し指でなぞって、ひらいていたアイテムボックスを閉じた。目元の水気を手早くぬぐって、銀柱の少し手前の位置に行って待った。
誰が転移してくるかは、たとえば役場前の中央広場であれば全く分からない。だけど、ジオンディーヌ魔法教室の庭先にふらりと、それでいて毎回同じ位置に正確に転移してくる人なんていったらきっと彼女だった。
光がおさまり姿を現したのは、アルフレッドが期待した通り同じ教室出身の大先輩だった。
「シアちゃん! おかえりなさい!」
にこっと笑顔でアルフレッドはシアに駆け寄った。さっきまで目元を濡らしていたことは、悟らせないようにできるだけ明るく。
「アル! お庭にいたの?」
「うん! これから走りに行くとこだから!」
「そうなんだ! 頑張るね!」
「えへへ……ねえ、シアちゃん、今度はどこの国に行ってたの?」
小さな体の背すじをぴんと伸ばしてアルフレッドは尋ねた。
国内の有力魔導師による団体『エゼルフィ魔導師ギルド』に所属するシアは、ギルドからの指示を受けてエゼルフィ国内のみならず、大陸中の魔物を討伐する生活を送っている。そんな忙しい日々のなかで時々ナザリに里帰りしては、幼い後輩たちの様子を見に来てくれるのだった。
「カガシナの国だよ! 山の上のドラゴンと戦ってきたの!」
「ドラゴン! ドラゴン強かった?」
「ちょっと強めだったかな? でもラドっちやみんなと協力して倒してきたよ!」
「すごい! シアちゃん、ほんとに強いんだね!」
「えへへー。シアだけじゃないよー。みんな強いんだよー」
時々里帰りしてくるシアが話してくれる、知らない街や大陸各地の個性的な魔導師、彼らと力を合わせて魔物を倒す戦いの話。それらはアルフレッドにとって、毎日の練習を頑張る力の源だった。いつかは彼女が話してくれるような冒険物語の一部に自分もなりたい、と。
「そうだ、今日はお土産があるんだよ! ちょっと待ってて」
シアはそう言うと右手の人差し指で空中に円を描いてアイテムボックスをひらいた。なお、人がひらいたアイテムボックスは、入口の波紋は見えるが手を入れることはできない。
シアはアイテムボックスに手を入れると、中から白の飾りリボンがついているガラスのビンを取り出してアルフレッドに渡した。ビンの中には、カラフルで丸っこい物体がたくさん詰まっていた。
「はい! これ、今カガシナで人気のキャンディーなんだって。先生やみんなと食べてね!」
「わあ、ありがとう!」
アルフレッドは受け取ったキャンディーのビンを自分のアイテムボックスにしまった。
「じゃあ、そろそろ行くね! カンツバキさんに討伐完了の報告して、その次はノクテレオムからの依頼だから」
「シアちゃん、相変わらず忙しいね……」
「そうだねー、でも楽しいよ! あっ、あと先生に今夜ミナキの訓練会のことで遠話ちょうだいって伝えといてほしいな。じゃあねー!」
そう言うとシアはくるりと一回転してアルフレッドの目の前から消えた。「うん、分かった!」というアルフレッドの返答が、シアの耳まで届いたかは定かでない。
アルフレッドはしばらくの間はシアのいた位置をふやけた顔で眺めていたが、やがてパチンと頬を叩くと教室の庭を出て役場裏の緑地への道を走り出した。いつか行くつもりでいる、世界のあちこちに続いていると信じている道を。
奥まで続く迷いの森。大口あけた深い谷。頂に竜の住まう高い高い風の山。この広い世界の果てまでも行けるように。困っている誰かの力になれるように。力になれる強さを身につけることができたなら。
2往復を終えたアルフレッドは初級の風魔法で汗を乾かすと、息を整えてから教室に入った。教室には彼の他に11歳の子と12歳の子がそれぞれ何人か通っているが、魔物討伐のため街近くの平原に出掛けているか、あるいは今日はお休みかで今は教室内にいなかった。13歳以上の子は通っていなかった。ジオンディーヌは中等学校生以下の子どもの育成を専門とする指導者だった。
アルフレッドは教室内の師範室のドアをノックして部屋の中に入った。ジオンディーヌは師範室での定位置である、ゆったりとした椅子に座っていた。
「先生、走ってきました」
「そうかい。お疲れさん」
「それで、これシアちゃんからのお土産です」
アルフレッドはアイテムボックスをひらくと、先ほどシアにもらったキャンディーのビンを取り出してジオンディーヌに渡した。ジオンディーヌはビンを受け取ると、さっそくフタをあけてオレンジっぽい色の粒を取り出して自身の口に放り込んだ。
それから、フタを開けたままアルフレッドにビンを差し出してきたので、「ありがとうございます」と言って彼もビンから白っぽい粒を取り出して口に入れた。
「あと、先生。シアちゃんが『今夜ミナキの訓練会のことで遠話ちょうだい』って言ってました」
「ミナキ? ああ。もうそんな時期だったか」
アルフレッドはキャンディーのビンをジオンディーヌに返しながら言った。ジオンディーヌはビンを受け取るとフタを閉めてから机に置いた。それから束の間は二人の歯にキャンディーがあたるカリコリという音がしていたが、ジオンディーヌがはたと言った。
「アルフレッド。あんた、今年度は9歳だったろ」
「えっ? はい。でも……」
彼が答えるより先に、カリコリ音混じりでジオンディーヌは続けた。
「いい経験になる。あたしが推薦してやるから、今年はあんたも行ってきんさい」
「えっ」
カリコリというキャンディーの音が、アルフレッドの口の中でぴたっと止まった。