3 1-3 ナザリの祭りとアルフレッド
「シアちゃん!」
ショーのフィナーレが終わると同時にアルフレッドは駆け出した。後方では彼の母親が、「アル! やめなさい! 迷惑でしょ!」と叫んでいた。けれど母親は、その声に驚いて泣き出した腕の中の赤子をなだめることになり、すぐには追いかけて来れなかった。
広場の人々の足の合間をすり抜けて特設ステージの裏にまわると、役場の入口前の石段に腰をおろしている休憩中のシアが見えた。アルフレッドは「シアちゃん!」と呼びかけると彼女の正面に立ち、両手をシアの膝について、ソフトピンクの瞳を真っすぐに見つめて言った。
「僕もシアちゃんみたいになりたい! シアちゃんと同じのができるようになりたい! どうしたらできるの?」
輝きに満ちたまなざしだった。道行く先にあるものは今日の彼女のような姿だと、信じて疑わない瞳。
「きみは、さっきの……。ぼく、お名前は?」
「アルフレッド! アルっていうの!」
「そっか。アルフレッドくんだね」
シアは自分の右手でアルフレッドの左手を、左手で右手を優しく包むと、アルフレッドの濃紺の瞳をそっと見つめて言った。
「アルフレッドくん。あのね。魔導師って、いつもあんなにキラキラしてるわけじゃないよ。むしろあんな綺麗な服着てみんなの前で魔法を見せることなんて、年に数度のお祭りの時くらいしかなくて、いつもは土まみれになりながら討伐依頼のために山や森を駆けまわっているの。依頼のないときは強くあり続けるためにトレーニングを積む、休みもあってないような毎日だけど、それでもなってみたい?」
「うん! なりたい! シアちゃんみたいにバーンて大きい火を出して、魔物たおすの!」
迷う間もなくアルフレッドは答えた。きっと今なら、世界で一番偉い誰かに「そんなのやめなさい」と言われたって、「なりたい」と答えるに違いなかった。
「……うん。わかった。それじゃ、どうすれば魔法ができるようになるか教えてあげる」
「ほんと!?」
「ほんとだよ。ねえ、アルフレッドくんはこの街の子?」
「そうだよ!」
「そっか。そしたら」
「シア、あんた今日はよーけやりおったな。あたしも鼻が高い」
シアに声をかけたのはメガネをかけている中年の女性だった。差し入れの焼き菓子が入ったカゴを手に持ってにこにこしていたけれど、怒らせたら怖そうな顔をしていた。シアはパッと明るい表情になるとアルフレッドの手を離して立ち上がり、メガネの中年女性に駆け寄った。
「先生、いいところに! ねえ、この子に魔法教えてあげて?」
「はあ!?」
すっとんきょうな返答に構わず、シアは片手でメガネの中年女性の肩をポンポンと叩き、もう片方の手でアルフレッドを手招きして言った。
「紹介するね。シアの小さい頃の魔法の師匠、ジオンディーヌ先生! ナザリで魔法教室ひらいてるの」
「シア、勝手に話を進めるんじゃない! まずあたしに分かるように説明せい」
「あっ、ごめん。えっとね」
お菓子のカゴを差し出しながら説明を求めたジオンディーヌに、シアはアルフレッドの魔導師志望の旨を伝えた。なお、差し出されたお菓子のカゴは、「ラドっち、これ先生から! みんなと先に食べててー」の言葉と共に、銀色の光に包まれながら宙を飛んで近くにいたランドルフの手元に届けられ、「了解、ごち!」の言葉と共に受領された。
シアから一通り話を聞かされたジオンディーヌは、大きく息をついた。
「無茶言うんじゃない。あたしは直に50になる。新しく教えるのはやめたと、あんたにも言ったでしょうが」
「それは聞いたけどー。というか、先生ならまだまだ大丈夫だって! どうしてもっていうなら、この子を見てからにしよ? せっかくこんなにかわいいし」
「アホかいね。魔導師の才能に顔は関係ないがね」
ジオンディーヌはシアの主張を軽くいなすと、アルフレッドの前に立って彼に言った。
「アルフレッド。あんた、魔導師になりたいのか」
彼の濃紺の瞳をじっと見据えて、ジオンディーヌは問いかけてきた。どこか威厳のある風貌に気圧されながらも、アルフレッドは力強く頷いた。彼の頷きを見てジオンディーヌは続けた。
「あいにくあたしは、新しい弟子を取ることをもうやめてるんだ。だけど、ナザリの生まれでシアの頼みっていうなら仕方ない。今ここで」
一呼吸おいて、言った。
「氷でも出してみせなさい。出せたら特別にあんたも教える」
「えっ。氷……こおり……」
氷を出す。
それは多分、ポケットやかばんの中からではなく、手から出せという意味だとアルフレッドにも分かった。先のステージで見たパフォーマンスのように。ステージの上の彼らはどうしていただろうか。両手を前に出して、呪文を唱えて。それ以上のことは、初めて攻撃魔法を見た5歳には思い出せなかった。
詳しいやり方が分からず、アルフレッドがふらふらと両手を遊ばせていると、「もう、先生! そんなの無茶ぶりだってば」とシアが彼の隣にしゃがみ込んだ。
「いい? アルフレッドくん。攻撃魔法は両手の形の組み合わせで、6種類の属性を使い分けるの。ほら、よく見て。氷魔法はこの形。アイス!」
シアはアルフレッドの目の前で、氷魔法を撃つときの手の形を実演してみせた。手の平を上に向けた状態で、小指同士が隣合うように右手と左手を並べてくっつけた、両手で物を差し出すときのような形だった。
「アイス!」の言葉に応じるように、シアの手の平から銀色の光が現れて地面に向かっていった。銀色の光は地面に当たると、大人の頭くらいの大きさのまんまるい氷のボールを形作った。
アルフレッドはシアの手の形を一生懸命に観察して真似をした。途中でシアから「あっ、指と指の間はひらいてね! 閉じてると水魔法になっちゃうよ」と声がかかったので、小さな手の短い指の間を思いきりひらいて、そして唱えた。
「あ……アイス!」
シアの作った氷のボールの隣に同じものがもう一つ──現れることはなかった。ただ、アルフレッドの小さな手の平の上に。
飲み物のグラスに入っているような小さな氷の塊が一つ、ちょこんと乗っていた。「アイス!」と唱えるまでは何もなかった、彼自身の手の平の上に。
「氷……せ、先生! こおり!」
アルフレッドは小さな氷の塊が乗った右手を高く上げて、ジオンディーヌの前に差し出した。それは先のステージで一流魔導師が出してみせた氷と比べたらお話にならないほど小さな塊だったけれど、初めて魔法を成功させた5歳にとっては、全力でアピールしたくなる大きな成果だった。
ジオンディーヌはアルフレッドの手の上の氷をじっと見て、やがて言った。
「……メインストリートからオース通りに入って3軒目。あたしの教室がそこにある。親御さんがいいと言うなら、明日からでも来たらいい」
ジオンディーヌはそれだけ言うとシアに短い挨拶をして帰っていった。
間もなくアルフレッドも母親が迎えに、全力で頭を下げて息子のやんちゃを詫びつつ母親が迎えに来たので、彼もまた帰路についた。
邸宅への帰り道、手の平の上の小さな氷の塊を、小さな手が赤くなるまでころころと転がしていた。