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シルバークロニクル  作者: しお
ジルウィンダーシーズン
18/29

18 3-6 ジルウィンダーとローレンシア



 変わらない、青い空と緑の草原の続く風景だった。迎えた訓練会の初日、自らの転移魔法でミナキ高原の第二訓練棟前の転移エリアに降り立ったアルフレッドは、小さく足踏みして草地の感触を確かめた。


 大した準備はできていなかった。教室に行って練習した回数も、また訓練会に行きたいとジオンディーヌに申し出た日から片手で数えられる程度だった。


 それでも彼の師ジオンディーヌは、そんなアルフレッドの様子を咎めることはなかった。師もまたナザリの一住民であり、シアを深く悼む人物の一人だった。思い出を求める彼の心境を感じ取ってか、あっさりと訓練会に推薦した。


 じっと転移エリアで立ち止まっているアルフレッドの横を、数人の子たちが走り抜けて行った。久しぶりに会えた喜びと、訓練会を楽しみにする明るい声を上げながら。


 大発生で没した討伐者の名は、連絡員を通して確かに世界各地の街に届けられた。けれど、誰にとってもその知らせが強く胸に響くわけではない。笑える人もいるだろう。今までと何ら変わらず。


 走り抜けて行く他の子たちを転移エリアの看板のそばでじっと見ていたアルフレッドの、上着の裾がくいくいっと背後から引かれた。枝のように細い腕の先の小さな手で、そっと遠慮がちに。


 アルフレッドが振り向くと、あざやかなマゼンタの髪と瞳が一年ぶりに彼の視界に入った。並行して服の裾を引いていた小さな手がぱっと離れた。


「あ──」


 短い声がアルフレッドからこぼれた。


 忘れてなどいない。思い出すことがなかっただけで。去年の別れ際に遠話石をもらったこともちゃんと彼は覚えていた。その石は彼女の名前、サクラテマリと記してアイテムボックスにちゃんと保存してあった。


「あの──げん、き──?」


 おずおずと相変わらず小さな声で、サクラテマリは聞いてきた。心配そうにアルフレッドを見るマゼンタの瞳は、去年このミナキ高原で過ごした期間のことをきっと覚えていた。アルフレッドがシアと楽しそうに親しげに話していたことを覚えているから、今の彼を思って心配そうなまなざしになる。


「──うん。元気だよ」


 ごまかすような早口でそう答えると、アルフレッドはふっと笑った。下手な作り笑顔だった。


 それからすぐに第二訓練棟のほうに向くと、サクラテマリを待たずして足早に歩き出した。そのまま彼女の推し量るような瞳を見ていると、作った表情が崩れてしまいそうだったのでそうした。


 追ってくる足音は、アルフレッドが第二訓練棟の建屋内に入ってからもしばらくは聞こえてこなかった。




 今年はアルフレッドとサクラテマリは別々のグループに振り分けられた。それぞれで訓練会のプログラムに取り組み、初日は日が暮れた。


 夕食後、食堂棟を出たアルフレッドは自主練習の場所の第二訓練棟には戻らず、自身の光魔法を使って夜のミナキ高原を歩いていた。


 行き先は明確だった。第二訓練棟の隣の小ぶりな第三訓練棟、そのまた隣の場所に向かっていた。草地に大小かたち様々なオブジェが混在している、空中浮遊の練習用の場所。中央にそびえる高い柱が、すぐ近くに見えてきた。


 ふわふわした草地の上、高い柱や様々なオブジェの立ち並ぶ空間を、ふらりふらりと彼は歩いた。


 やがて、ある木箱の前で足を止めた。小柄な子どもが二人入れそうな大きさでフタのない木箱。一年分しか埃の積もっていないその木箱は、周りの他の木箱よりも綺麗だった。


 アルフレッドは右手の人差し指で空中に円を描いて、アイテムボックスをひらいた。右手をボックスの中に入れると、ボックスの中に一番古くから入っているものを取り出した。


 今ではもう小さくてかぶれない、白地に紺リボンの子ども用サイズのカノチェだった。ただ母親に買ってもらっただけのごく普通の帽子は、風魔法で拾ってもらったあの日、世界に一つだけの宝物になった。


 魔法教室に通って収納魔法を習得したアルフレッドが、まだ容量のわずかなボックスに真っ先に押し込んだものがその帽子だった。いつでも取り出せるところにずっと入れている、苦しい時に抱き締めたくなるもの。


 小さな帽子を胸に抱き締めて、アルフレッドは木箱に寄りかかるようにへたり込んだ。


 じんわりと、まぶたの奥が熱くなった。


「…………導く光。トリプルブライト」


 強く、呼びかけるように眩しい光が、閉じたまぶたの向こう側で輝いた。


 アルフレッドが濡れたまぶたをひらくと、正面から少し左の草地に白い大きな光のボールが現れていた。正面から少し右、光のボールの隣には、おそらくこの光のボールを出現させたであろう少女がいた。


「あ、あの──練習の場所にいなかったから──ここにいると、思ったから──」


 誤魔化しきれないほど潤んだ濃紺の瞳は、光のそばで同じ思い出を持つ一人を見上げた。マゼンタの瞳から発せられる視線が、「あ……」という呟きと共に彼の後ろの木箱に止まった。


「楽しかった……」


 埃の積もった何の変哲もない木箱を見て、彼女は「楽しかった」と言った。涙と言葉が、アルフレッドからあふれ出た。


「楽しかった──!」


 胸に抱いたカノチェに涙が滴り落ちた。傍らにしゃがみ込んだサクラテマリを前にして、アルフレッドは嗚咽混じりに言葉を紡いだ。


「この帽子……小さい頃の帽子……。風に飛ばされたけど、シアちゃんが魔法で取ってくれた……。僕、その時に初めて魔法見た……」


「…………うん」


「それで……街のお祭りで、シアちゃんの魔法見て……すごくて……。同じのできるようになりたくて、魔法始めた……」


「うん」


「僕、攻撃魔法下手で……全然できなくて……。でも、シアちゃんが帰ってくると、いつも遊んでくれたから……。だから、がんばってた……」


「うん」


「ずっと、シアちゃんみたいに、なりたいって思って、練習してた、けど──」


「…………」


「けど……シアちゃん、帰ってきてくれなかった……。あんなに強いのに、なのに──!」


 抱き締めたカノチェに涙の粒を落としながら、アルフレッドは心の内を吐き連ねた。傍らに座るサクラテマリは、彼がこぼす言葉をじっと聞いていた。


「……怖いんだ」


 カノチェを抱え直してアルフレッドは言った。


「僕……ずっと、シアちゃんが目標で。シアちゃんみたいになりたくて。でも……みたいに、だったら──」


 憧れて信じて歩いてきた道の先に見た、望まぬ結末への恐れ。不安。動揺。


 信念の否定。


 今のアルフレッドには、それ以上は言葉にできなかった。


 音のない時間が流れていった。


 やがて、サクラテマリが沈黙を破って言った。


「……あのね……それなら、その……私も、一緒にやるの……」


「……一緒に……?」


 思いもよらない言葉について、アルフレッドは聞き返した。サクラテマリは小さく頷くと続けた。


「私も、去年シアちゃんの魔法見たから……すごく強い人なんだって、分かる……。きっと全力なんて、想像できないくらい」


「……うん。そうだよ。すごく、強い人だよ」


「うん。だからね……」


 じっと注視してくるアルフレッドの顔を真っすぐ見れず、視線は斜め下の草地に向いていたけれど、それでもサクラテマリは言った。


「一緒に、目指してみるの。一人じゃきっと届かないほどすごい人だから、二人がかりでやってみる。それで……みたいに、じゃなくて越えてみる」


「────」


「そしたら……その……違うものが見えるかもっていうのか、なんか、あの、ごめん、変で」


「……ううん。変じゃない」


 そう言ってアルフレッドはゆっくりと首を横に振った。


「越えるのか。僕が。シアちゃんより強く」


 決しておしゃべりが得意ではない彼女が一生懸命考えて声に出してくれたことを、アルフレッドは噛み締めるように呟いた。


 類い稀なる才能を持って生まれ、たゆまぬ努力によってその才能を極限まで磨き上げた人を。


 厳しい土地の依頼でも嫌な顔一つせず、どこへでも駆けつけて全力で戦った人を。


 華めく笑顔でナザリのみならず、世界中から深く愛された人を。


 越えていく。


 片手で両の目元に溜まった涙をぐいと拭って、それからサクラテマリを見て彼は言った。


「一緒に……いいの?」


「うん。だからね。今年も、あの、グループ違うけど、一緒に、いてくれる……?」


「うん。うん」


 アルフレッドはそう言うとアイテムボックスをひらいた。抱き締めていたカノチェを今一度顔に寄せてから、ボックスの中に入れた。そしてボックスからタオルを出して、ゴシゴシと顔を拭いた。


 顔を拭いたタオルをボックスにしまうと、水色の波紋の銀縁をなぞってボックスを閉じ、立ち上がった。


「──なってみる。だから……訓練棟に戻って、練習する」


「うん。私もする」


 サクラテマリも立ち上がった。夜に包まれた高原の風景のなか、二つの小さな背中が第二訓練棟の方向へゆっくりと向かって行った。




 それから3日後の昼頃、ナザリの街にあるジオンディーヌ魔法教室の庭先に銀柱が現れた。光がおさまり姿を見せたのはアルフレッドだった。


 ミナキ高原での訓練会を終えたアルフレッドは転移魔法を使って、自宅より先に教室に降り立った。教室内に入り、師範室のドアをノックして、ジオンディーヌの返事を聞いてからドアをあけた。


「先生。こんにちは。いま訓練会から戻りました」


「……あんたか。それはお疲れさん──」


 アルフレッドのほうを見たジオンディーヌは、はたと気がついたように言った。


「……いい表情になったな。訓練会で実のある練習ができたんか」


「はい。練習もそうだし……その、がんばりたいって、思えて。だから先生、また色々教えてほしいんです」


「……そうか」


 ジオンディーヌはアルフレッドの答えを聞いてしばらくはそっぽを向いていたが、ほどなくしてふっと笑みをこぼした。


「……先生?」


「いいや。何でもないよ。10歳のあんたが前を向いているのに、あたしがいつまでもメソメソしてたらざまあないなって、それだけさ」


 ジオンディーヌはアルフレッドのほうに向き直ると、彼がよく知るような調子で言った。


「また通っておいで。明日は……そうだな。上級の氷魔法をやろうか」


「──はい! よろしくお願いします」


 アルフレッドはそう言うと、軽く頭を下げてからくるりと一回転してその場から消えた。


 ジオンディーヌはアルフレッドのいた所を見ながらうんうんと頷き、「あんたはいいとこまでいけるな。その力を持ってる」と呟いた。



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