第三話 無力な置物
「つ!疲れたーーー!」
家に帰った瞬間ベットにうつ伏せになった。現在まだ10時だが、すでにこのまま床につきたい気分だ。たった2時間しか働いていないのにも関わらず、今日一で半月分ほどの体力と精神力を使ったと思う。ベットに俯きながら、今日一日を振り返ってみよう。
6時間前
私は麗の家を出発してから駅で店に向かい、店に到着後すぐに担当のヘアメイクさんに髪形を整えてもらった。すると瞬く間に夜の世界で働く者の雰囲気を一段と漂わし、自分でも分かるくらい大人びた雰囲気をかもし出していることがわかる。
「うふふ、その反応は可愛いけどいちいち反応すほどでもないわ、すぐなれるわよ。じゃあまずお店の料金システムから説明するわね」
しかしその感動もつかの間、麗は相変わらず自分のペースで話を進める。私はバックの中からメモ用紙を取り出す。
「まず【セット料金】はセット(1時間)の値段のことね。これはお客さんが入った時間によって変わるわ。ウチの店は19~20時までは5000円、20~22時は6000円、22時以降は7000円になってるから。あと延長料は30分ごとに加算されていくから。そして【指名料】、これは本指名と場内指名があって、両方とも2000円ね。」
「あ、あの、本指名と場内指名ってなんですか?」
「本指名ってのは、客が入店する前にキャストを指名すること。場内指名は、客が入店した後でキャストを指名すること。または、本指名されたキャストのヘルプに指名されることね。ちなみに本指名だけはキャストにバックされるんだけど、貴方は今日はよくても場内指名だからこれは関係ないわね、後それとお客さんの支払いについてなんだけど・・・」
私は細かい料金設定や酒の注ぎ方、接客マナーなど、基本的なキャバ嬢のスキルを学んで行った。
「あ、そうだ、大事なこと忘れていたわ。貴方の名前は聞いてなかったわね?あなたの源氏名なんだけど、基本は本名から少し弄った名前にするわ。」
そういえば今更だが、私は名前どころか履歴書すら出していない。そんな人間雇っていいものかと疑問が湧いたが麗にとっては些細な問題なのだろう(本当はいけないのかもしれないが)」
「田中井麗華です」
「麗華か、そのままでも使えそうな名前ね、でも本名は避けたほうがいいから、じゃあ【レイ】なんてどう?」
「じゃあ、それでお願いします」
「よし、じゃあ【レイ】よろしくね。今は6時50分だからもうすぐお客さんがくるわ。気合入れて頂戴ね」
そうして私のキャバ嬢の接客が始まった
「お客様いらっしゃいましたー!」
ボーイの人の大きな声が店内に響いた後、男性三人組が入ってきた。一人は四十前後のぷっくりした男性、他の二人は後ろに控えており、一人目の男性より歳は低く見える。おそらく上司と部下、先輩と後輩のような関係だろう。
「あらいらっしゃい常務さん。今週で三度目ね。いつもありがとう」
「なぁ~に、麗ちゃんのためならいつでもくるよ。あ、今日は二人連れてきたから」
「あら、嬉しい!お連れのお二人方も今日はよろしくお願い致します」
麗はすぐに男性の元に向かい全員に会釈する。
「あ、常務さん、もしよかったらこの子もいっしょにどうですか?」
麗は私の肩を寄せ自分の頬と私の頬をくっつける。
「お!新しい子かい?ずいぶん若いようだけど、キミ歳いくつ?」
「え、あ、18です。レイと言います。よろしくお願いします」
「へー!若いねー!これはどんな話が聞けるか楽しみだよ」
こうして私は麗と一緒に席に着いた。
「今日はいい天気でしたね。最近寒くなってきたと思ったらまた熱くなって、この温度の変化で常務さんは営業大変じゃなかったですか?」
「いや~こんなもん対した事ないよ!体調管理は万全だからね!」
「それはよかった。相変わらずお体の方は本当にお元気ですね。秋になると食べ物が美味しいですけど、常務の体は相変わらずスタイルいいですね。ホント羨ましい!!!」
「そんなあからさまに褒めないでくれよ~嬉しくなっちゃうじゃないか!」
「ではどうですか、さっそくピンドンいきますか?今日は若い子もいるので可愛くパーっとやっちゃいましょうか!」
「え!?いきなり!?!?!?怖い!麗ちゃん怖いよ!!!これは今夜は気が抜けないな~~~というか、ここでは常務はやめてくれ!アフターの時みたいでいいぞ!」
「分かりました。では猛さんと呼ばせていただきますね!」
猛さんと呼ばれる男性と麗の間にワっとした笑いが起こる。一瞬のことで聞き逃しそう担ってしまったが、ドン・ペリニヨン・ロゼというお酒がある。ピンクのラベルのワインで、価格までは正確には覚えていないが、確か10万円以上のお酒だったと思う。そのワインが通称【ピンドン】である。それを冗談に使う度量と、相手もそれを受け止める器量があり、そこには一種の信頼感のようなものがあるようにも思えた。
「そういえば猛さん、この前フットサルに誘っていただいてありがとうございました。久しぶりに体を動かしてとっても気持ちよかったです!あれから私、少しボールを蹴るようになったんですよ!」
「お、そうか!それはいい傾向だ、誘ってよかったよ」
「確かお二人もその時いらっしゃいましたよね?」
「おーよく覚えているな、たった一度あっただけなのに」
「確かゴールキーパーの方とディフェンダーの方でしたよね!お二人ともとってもお上手ですよね、学生時代はやっぱりサッカー部だったんですか?」
「え、いやーまぁ、俺はそうですね」
「まぁ僕は少し齧った程度ですよ」
麗は聞いているだけだった他の二人にも話の矛先を向ける。
突然話を振られて驚いたのか、少し口篭りながら二人は麗に答える。
「そう、この子らは二人ともサッカーやってたんだよ、まぁそれを知ったのは2年くらい前なんだけどな!経験者も是非俺のチームに入れてやってみたかったから声をかけたんだ!佐藤はサッカー暦どんくらいだっけ?」
「俺は中学と高校の6年間ですね」
「田中は?」
「僕は中学で3年、高校で1年だけですね、高校の途中で挫折しちゃって、その後は陸上に転向しました」
「お!そうだったな!佐藤はもちろんのこと田中だって凄く上手かったろ?」
「ホントに!やっぱり経験者なんだなーって思いました!私何回も止められちゃったので!そのせいでポジションまで覚えるほど凄く印象に残ってしまいました。とっても悔しかったんですもの!」
佐藤と田中は少し照れくさそうにお互いの顔を見た。麗の表現は傍から見てもやはり嬉しいと思う。少しオーバー気味だが、対峙した時の実体験を元に話が展開されているので、素直に受け取りやすい。
「あ!陸上と言えばレイちゃんも元陸上部なんですよ!」
そして麗は今度は私に話の矛先を向けた。その瞬間ドっと汗が出たことが自分でも分かる。
「え、あ!・・・えっと、あの・・・」
「ほほぅ、嬢ちゃんは陸上部だったのか、通りでいいスタイルしているなーと思ったよ」
「あ、はい。えっと、あ、ありがとうございます・・・」
何かしゃべらないといけない。それはわかっている。しかしそんなに急に話を振られても何を話していいかがわからなかった。私は必死に頭を回転させる。しかし先ほどの熱気が私の沈黙によって。少しずつ冷めていくのがわかる。お客さんにも気を使わせていることが私にもわかった。その沈黙を破るように麗がまた堰を切って話し始める。
「ちょっと猛さん、それはセクハラにあたりますよ!若い子にそんなことをするなんてちょっと嫉妬しますね、浮気ですか?」
「いや!ホント素直にそう思っただけだよ!?誤解しないで!俺は麗ちゃん一筋だから!!!」
「冗談ですよ、冗談」
また二人の間に笑いが生まれる。その瞬間、少し冷えた湯にまた暑い湯が注がれる感覚があった。その暖かい感じに包まれて少しほっとしてしまった自分がいる。同時に自分の無力感と麗との圧倒的な差が感じられた瞬間でもあった。これがベテランと新人の差なんだと、長年培ってきた技量の差なんだと言われているような感じがした。そう思うと私の中で熱い物が溢れ出てくる。
その後も正直私はその席の隅っこに置いてある置物と化していた。お客さん三人と麗は時折私に話しかけてくれたが、愛想笑いをするくらいしかできなかった。麗以外にもキャバ嬢の隣に付いたことはあったが結局対した成果は出せないまま、ただ同じことの繰り返し、ありきたりな返答をして愛想笑いを振りまく、そんな誰でもできるような対応をするだけで二時間が過ぎていき、気がついたら家に帰る時間になっていた。
以上が私の今日一日の経験なわけだが、今日だけで今まで知らない世界をたくさん経験した。同時に問題も見えた。今の私では、とてもじゃないがキャバ嬢の仕事はできない。すべて麗や他のキャバ嬢の方のおかげだ。これらの課題を今日中に片付けなければ明日からあの場所に私の居場所はない。私は今日初回で同席したお客さんの話を必死に思い返した。
そういえばお酒が回って、最初は口数が少なかった佐藤や田中も少しづつ口をひらくようになり、その頃にいくつか気になる話題があることを思い出した。それは完全に酔っ払った猛を麗が宥めている時だった。
「もーほんとね!俺にはもう麗ちゃんしかいないのよ!ほんっともう存在してくれるだけでありがたい!麗ちゃんばんざーい!」
「ちょっと猛さん、飲みすぎよ、そんなに言われるとさすがに私も恥ずかしいわ」
「ほんと離婚なんて経験するもんじゃないよ!独り身でこの世の中は寂しすぎる!どうすればこの悲しさから抜け出すことができるのか知りたい!本当に知りたい!」
猛は麗の膝の上で泣くようにうつ伏せる。
「お前らもそう思うだろ!佐藤!お前最近あの綺麗な彼女と別れたんだろ!俺は知ってるんだぞぉ!」
「ちょ!なんで知ってるんですか常務!」
「だって死んだような目をして出社してただろ、上司はなぁ!いつでも部下のことを見てるんだぞぉ!舐めるなよ!」
そして麗に膝枕をしてもらいながら佐藤を睨みつける。佐藤は「まいったなぁ~」と言いながら頭をポリポリと掻く。
「あ、あの?もし差し支えなければ分かれた理由をお聞かせ願えませんか?」
その時の私は会話についていくのが必死で、少し失礼とは思いつつも佐藤に話を振っていた。
「ん?あ、別に対した理由じゃないよ、前から彼女さ、少し金銭感覚がおかしくてさ、それに俺がついていけなくなってすれ違いになったんだ。彼女二年前に一流企業に就職したんだ。それで急に俺よりハブリがよくなっちゃって、それで暮らしも少しづつ違っていってさ。だからよくある環境の変化からくる価値観のすれ違いみたいなもんよ」
私は以前この店の近くにある公園で大喧嘩をしていたカップルが頭に浮かんだ。あのカップルも平たく言えば環境の変化によるものだ。社会人の恋愛とはひょっとすると私が想像している以上に難しいのかもしれない。
「ほんとうまくいく恋人の見分け方ってないのかな?そもそも付き合う前に相手を見極める方法とかあったらいいのにね」
佐藤は少し寂しそうな目をして目の前のグラスを傾ける。
「そうか!佐藤!お前も辛かったんだなー!よーし!今日はたくさん飲め飲め!」
「いや!もう俺はさすがに無理っすよ常務!」
「わははは!よし!!!じゃあ次は田中!お前の番だ!」
「え!?ぼ、僕ですか!!?何がですか!?」
「何って!この流れならわかるだろ!?お前からは浮いた話の1つも出てこないじゃないか!田中は恋人の一人や二人おらんのか!?」
「いや、僕なんてそもそも女性と話すこと自体苦手なんですよ。まずそこからですよ」
「ばかもーん!だからお前を今日ここに連れてきたんじゃないか!ほら!レイちゃんにもっと話かけてみなさい!」
「えー!えっと、でも、何話したらいいか・・・」
この田中という男性は少し私に似ているような感じがした。だから今日出合った人の中では一番質問を投げやすかった。
「あ!あの!田中さんはなんで女性が苦手なんですか?」
「え、あ、うん、正直苦手、かな。ずっと男子校で女性とは縁がなかったし。まぁ僕も男だし、女性とは仲良くなりたいんだけどさ、どうもうまくいかなくて」
「ばかもん!なんでそんなに距離を開けているんだ!心の距離が開いているから会話が成立しないんだ!なら物理的な距離をなくせばいいだけだろー!」
猛は持論を述べつつ、無理やり田中と私をくっつけようとする。田中自身は「ちょ、常務やめてくださいぃ~」と弱弱しく反論すると同時に私と自分の間に手で壁を作る。
以上が私の中で印象に残っているものだ、それを踏まえでどうすればいいかを考えた。それらの悩みをノートにまとめみるとこのようなになる。
1.佐藤、29歳(未婚)女性とうまくいく恋人の見分け方はないものか?そもそも付き合う前に相手を見極める方法はないものか?
2.田中、24歳(未婚)異性と話すことに抵抗がある。
3.猛、37歳(未婚、バツ1)離婚から抜け出せない。破局をバネにする方法はないものか?
「私には何ができる?彼らを満足させるためにはどうすべきだった?どう返答することが正解だった?」
家に帰ってから必死に思考を回す。すると先ほどの疲労感よりもドキドキ感の方が勝っていることがわかった。あの場でのドキドキ感をもっと味わいたい。もちろん不安もある。しかしそれ以上に私の好奇心が私を休ませない。そう、私は好奇心旺盛な好奇心モンスターだったのだ。
一時間ほど悩んだ結果、突然「はっ!」ある閃きが頭の中で浮かんだ。今まで読んだ本を粗探し、同時にパソコンの電源をつける。そして答えがまとまった瞬間、携帯を開き、閃いた内容を麗に相談した。




