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おじさん社員の長話もおもしろかった。
中国が長い人たちは、日本にいる時には聞けなかったような現地の興味深い話題をたくさん持っている。
帰るのは遅くなってしまったが充実した時間を過ごすことができた。
しかし、はじめは楽しかった飲み会も、さすがに毎日となると多少つらいものがある。
毎夜毎夜飲んでは帰りが遅くなりを繰り返して、よくもまあ他の人たちは元気でいれるものだ、と、二十代のくせに思う。
しっかり残業もしているのに。
忙しくて休日出勤を余儀なくされた土曜日の終業時、さすがに疲れてしまって今日は早く帰ることにした。
食事はまたホテルでとればいいだろう。
久しぶりに早くホテルに着いたので、祐子に電話してみることにした。
ロクに連絡していなかったのでひょっとしたら怒っているかもしれないが。
……しかし、残念ながら祐子はちっとも寂しがってなどいなかったようだ。
「もしもし?」
と祐子の携帯電話に出たのは野太い男の声だった。
番号を間違えたのだろうかと、一瞬電話を耳から離して、画面に表示される名前を確認するが、確かに祐子にかけている。
電話を耳に戻すと、遠くから祐子の声が聞こえた。
「ちょっと! 勝手に私の電話とらないでよ! 誰からの電話?」
「丸山優斗っていう人」
電話口で男が祐子に答えた。
「え、嘘! もしもし?」
電話口の声が祐子に変わった。
もしもし、と俺はようやく声を出した。
「あのね、違うの。優斗の家にいるけど、別に今、ふたりっきりなわけじゃなくて、友達と何人かで飲もうって……」
俺はまだ「もしもし」しか言ってないのに、祐子は慌てて何か長々と言い訳をしはじめた。
ふーん、そういうこと。
彼女の浮気は今日が初めてではない。
女のくせに嘘が下手で、残念ながら祐子が何を言おうとしらじらしかった。
「急に電話して悪かったな。頼むから俺のベッドだけは使うなよ」
俺は返事も聞かずに電話を切り、そのまま携帯をベッドに叩きつけた。
叩きつける場所にベッドを選んだのは多少の冷静さが残っていたからだ。
ウソの下手な祐子の浮気など、なんとなくわかっていたことだった。
相手の男だって、俺の存在は端から知っているのだろう。
そうでなければ男からかかってきた電話なぞにわざわざでない。
「とりあえず、飯でも食うか……」
異国にいて、すぐにはどうしようもない今、うだうだとしていてもしかたがない。
決着をつけるのは帰国してからだ。
ホテル内のレストランでメニューを選んでいると、
「ご一緒していいですか?」
と声をかけられた。
角谷さんだ。
イライラしながら一人で食事をするところだったが、人と話をしていれば気も紛れるだろう。
「角谷さんも今日は飲み会に行ってないの?」
「ええ。ちょっと疲れが溜まったのか、あのノリについていけるほどの元気がなくて……。丸山さんも?」
俺が向かいの席を勧めると、彼女はお礼を言って座った。
「うん。居酒屋メニューにも飽きてきたし……。ここでは一応、普通の食事というか、定番の中華が食べれるから」
青椒肉絲や麻婆豆腐など、日本で定番のメニューのことだ。
ちなみに、酢豚は日本独自のものなので実は本場に同じものはない。
角谷さんは、漢字を見ても魚だということ以外、内容がよくわからない料理を頼んだ。
チャレンジャーだ。
角谷さんの魚料理を一口もらってみると、これが残念なことにおいしくない。
土臭いというか、ハズレの鮎や鯉のような味だ。
「うーん。中国で食べる料理って、結構口に合わないものも多いんだよな。中華にしても日本料理にしても。味付けの好みなのか、食材や水のせいなのかわからないけど、俺はおいしくない物を無理して食べたいとは思わないなぁ」
「あぁ。だから、あの時丸山さんは。結構残してましたよね」
「あの時?」
「飛行機の中です。機内食、半分くらい残してませんでした?」
「だって、あれは不味かったよ。角谷さんは全部食べていたみたいだけど」
「確かにおいしくなかったですね、機内食。でも、私はせっかく異国に行くなら、美味いも不味いもその国の料理、文化として体験したいって思います。そりゃ、おいしいものが食べたいのは当然ですけど。それにしても、この魚おいしくないですね……」
角谷さんは、まずい魚を食べながら笑う。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
彼女にとっては不味い料理も旅の楽しみなのだ。
馴染みの食材でも調理される国によって様々な味付けになり、それが口に合うか合わないかだけの事。
そんな話から発展して、角谷さんの得意のおしゃべりがはじまった。
話を聞いていると、彼女がとても好奇心旺盛で興味の範囲が非常に広いことが感じられた。
俺が振る話題にもだいたいついてくる事ができるし、思えばおじさん社員たちの扱いも上手かった。
ついさっき祐子のことで悩んでいたことなんてすっかり忘れて、俺たちはいつのまにかレストランの閉店時間まで話し込んでいた。
従業員のあからさまに迷惑そうな顔を見て、あわてて勘定をしてレストランを出る。
「じゃ、俺の部屋ここだから。おやすみなさい」
部屋の鍵を開けながら、俺は角谷さんに言った。
「おやすみなさい、今日はありがとうございました」
角谷さんは、笑顔でぺこりと礼をする。
しかし、おやすみの挨拶は終わったのに、俺の部屋の前で角谷さんは、ずっと立ち止まっていた。
彼女は何か、言うか言うまいか迷っているようだ。
俺は部屋に入るのをちょっととどまった。
「丸山さん、もしよかったら、明日一緒にでかけませんか?ご迷惑でなければ、ですけど」
彼女は意を決したように言った。
初日に俺を食事に誘った時の人なつっこい感じとはちょっと雰囲気が違う。
もちろん断る理由はないし、むしろホテルの部屋に一人籠もっているより角谷さんと外出するほうが絶対に楽しい。
俺は即答でその誘いにのった。