3.アイナの扱い
「あんな強気で良かったの?」
「良いとも。我々の利益を狙おうという連中に遠慮する必要など毛ほども無い。サービスすることと利益を諦めることはまったく別のことだ」
それは解る、とクノウに従って本社を歩くアイナは、腕組みをして大きく頷いた。
彼女にしても、それが次の大きな儲けに繋がるならまだしも、ただ立場を盾にまけろと言われても納得はできない。
「でも、王国を怒らせたら本気でこの国と戦争になるんじゃ?」
侵入者(未遂)の自分が言うのも変だけれど、とアイナは不安げだ。
「王国の戦力は王国直属だけで五十万人。臨時の徴兵や貴族の私兵とかも合わせたら百万を超えると言われているのだけれど……」
「ふむ……その話は聞いたことがある」
クノウの反応でアイナは少し安心した。百万の戦力について知っているなら、商業国家の国防体制は問題無いだろう、と思ったからだ。
しかし、クノウの言葉は彼女の期待を裏切る。
「百万とは大したものだなぁ、流石大陸を二分する大国。我が国なんて全国民を合わせても五万人弱だぞ」
「ちょっと待って」
「どうした?」
「ご、五万!? 兵力が五万とかじゃなくて全人口で五万!? いや、それでも全然足りないけれど!」
この世界的に五万と言えばちょっとした都市クラスだが、所詮は都市レベル。一企業としては大規模とは言えるが、戦力としては心許ない。
果たして五万人のうち戦闘員として計上できるのは何割くらいだろうか。他の都市部などを考えて二割も行けば良い方だ、とアイナは頭の中で試算する。
「た、戦えるのは一万弱……?」
「まさか。成人の多くを徴兵してしまっては、会社の円滑な運営に支障を来す。専門の警備部隊員が居る。それで充分だ」
くらくらする頭を抱えてアイナは問う。
「その警備部隊って、人数はどれくらい……」
「三千ちょっとだな、たしか」
「さ、さんぜん……」
アイナの常識から考えると、三千人というのは小規模な都市の常駐警備兵員程度だ。
「国の規模としては順当な兵数なのかも知れないけれど」
「充分な数だとも。といっても納得はできまいがね」
そう言ってクノウがアイナを連れて来たのは、広い室内訓練場だった。土を固めた硬い床に、いくつかの衝立のような壁が立っている。
「ここは第一室内訓練場だ。主に本社勤務の連中が使っているんだが……」
訓練場と聞くとアイナは木製の人型に鎧を着せたものなどを思い浮かべるが、それらしいものは見当たらない。
代わりに、うすっぺらいシンプルな人型のボードが置かれている。
「この世界での戦い方しか知らないなら困惑するのも無理はない。まあ、三千で充分だと納得してもらうためにも、見せた方が早いか」
クノウが両手を叩くと、どこに隠れていたのか十数名の黒づくめの男たちがどこからともなく集まって来た。
「うえっ……」
警備部員たちと同じであるその姿は、アイナにとってトラウマになっているようで、彼らが集まると、彼女は素早くクノウの後ろへと隠れた。
「おいおい、警備の意味が無いだろう……」
やれやれ、と頭を掻いたクノウは、アイナと向かい合った。
彼の背後に武装した警備部員たちが立ち並ぶ姿に、アイナは思わず後退る。
「怯えている暇はないぞ。王国はきっと……いや、必ず間もなく動き出す。その時はアイナ、お前にも役立ってもらわなくちゃならないんだ」
クノウが銃を抜く。
懐から取り出したのは黒光りするオートマチックのハンドガンで、彼が生み出した物質の一つであり、常に携帯し、愛用する武器『Px4』だ。
「それ……」
「お前が撃たれたのは、麻酔銃。これは違う。四十口径の銃弾を撃ち出す、人を殺すためのものだ。この威力を知り、扱い方を覚え、会社に貢献する」
言葉の終わりと同時に発砲。
ポリマー製で特徴的なカッティングデザインのスライドが交代し、ややくぐもったような音と共に薬莢が吐き出される。
絶句、という言葉そのままの状況でアイナが見ている先では、人型の板に大きな穴が開いていた。
「う、わ……」
銃の威力。暴力的というにはあまりにもシンプルな破壊の結果。
アイナはうわごとのように意味の無い声を漏らし続けているが、クノウは彼女の精神が回復するのを待つつもりはなかった。
「さあ、決めろ。この会社で金を稼ぐことには同意したな? そして俺がまず提示するのはこの役職。警備部だ。会社の利益を守り、社員を守り、自分を守る」
いつの間にか、クノウの顔がアイナの視界一杯に広がっていた。
「はっきり言っておこう。危険だ。特にこれからは、王国との戦いが始まる。状況によっては帝国の方も動き出すだろう。しかし、その分この部署は稼ぎが良い」
「やるわ!」
報酬の話が出た途端、アイナの目から怯えの色が消えた。
「何をすれば? まずはそれを使えるようになれば良いのね!」
「おっと、これは駄目だ」
アイナが手を伸ばしてクノウのPx4に触れようとしたが、彼はひょいと手を上げて阻止する。
「お前が憶えなくちゃならないのは、これの使い方じゃない。あっちだ」
「うわ……」
促されたアイナの視線の先には、アサルトライフルやショットガンを抱えた警備部員たちが立ち並んでいた。
その威圧感に一瞬だけ息を呑んだアイナだったが、すぐに自分の頬を叩いて、笑ってみせた。
「任せて! みんなが持っているのは全部武器なんでしょう? それもクノウが生み出したやつ」
クノウが同意するように頷いた。
「色々と説明したいことはあるけれど、あとは他の連中に聞いてくれ。では、訓練を頑張って」
背を向けて訓練場を出ていくクノウの耳に、気合いを入れるアイナの声が聞こえた。
☆
「少し入れ込み過ぎではありませんか?」
社長室に戻ってくるなり、クノウはイメルダから小言を言われている。
アイナの扱いに関してだ。
「社長と同じ考えの持ち主……というのは高評価に過ぎますね。同じ価値観とは言えるかも知れませんが、いくら何でもいきなり専属というのは……」
イメルダがこうなると、途中で口をはさんでも仕方が無いと知っているクノウは、黙ってお説教に耳を傾けていた。
自分自身でも、妙に彼女のことが気になっているのはわかっていたし、それが恋愛のそれであるとは思っていないが、かといって何が理由かまでは自分でも不明なままだった。
ひょっとすると、第三者の目からは何かがわかるかも知れない。
「彼女は準社員です。訓練課程をこなしたあとは、しばらく本社ブロック以外の場所で警備業務に就かせるべきでしょう。他の社員の目も有りますし」
それに、とイメルダは一枚の書類をクノウの目の前に差し出す。
「王国は早々に動き始めています。今は探りを入れる程度のものですが、本格的な戦闘になるのは時間の問題です。その間は、あの子を本社エリアから離しておくべきでしょう」
イメルダの提案を受けて、クノウは目を閉じる。
本社エリアは、商業国家にとって首都のようなもので、行政の中心地となっている。利便性のために他国との接触を行うエリアは隣接している。
他国が攻め入るのに目標とするのであればまずそこで、万が一にも侵入を許せば、本社エリアはかなり危険な場所になるのは彼にもイメルダにも共通する認識だった。
「警備状況は?」
「問題ありません。全て予定通りに手配が済んでおりますし、予測される兵数である一万程度であれば、一時間程度の戦闘で“殲滅”できる見込みです」
それでも、イメルダはアイナを異動させる案を推す。
「女性の警備部員が居ないわけではありませんが、それでも危険が予測される地域からは離しているでしょう。彼女だけを例外にするには、他の社員が納得できる材料がありません」
ゆっくりと開かれたクノウの目は、イメルダの姿を捉えていた。
「わたくしごときが出過ぎたことを言っているのは承知しております」
視線が絡み、イメルダは頬を染めて逃げるように目を逸らした。良かれと思って言っている自信はあっても、いざクノウに「そうする」と言われれば否応も無い。
「……いや、イメルダの意見はわかる。訓練の間は警備任務につけず、終わってからの配属先も、しばらくは別エリアにしておこう」
「お聞き入れくださり、感謝を……」
イメルダが頭をさげた直後だった。
けたたましいブザー音が鳴り響き、本社内放送で王国側から軍隊が接近していることを知らされる。
単なる通過などでは無く完全に武装しており、臨戦態勢であることから、目的はこの商業国家であることは間違いないようだ、と社長室への内線で連絡が届いた。
既に即応部隊は予定の配置に向かっており、他の警備部隊員たちも順次配置に付くだろう。日ごろからそういう訓練をしているし、間違いなく動いてくれる、とクノウは社員たちを信じている。
だが、本番は初めてのことであり、また予想外に早いものでもある。
「恐らくは、交渉がうまく終われば即座に通過し、不調に終わった場合はすぐにでも武力で押し通るつもりで用意していたのでしょう」
諜報で情報を得られなかったことをイメルダは詫びたが、クノウがいた現代日本と違って衛星などを利用するわけにもいかず、人手不足であることも考えれば無理も無い。詫びは不要だと伝えた。
「俺がもっと大量に物を生み出せるなら良かったんだが」
嘆いても仕方がない、とクノウは立ち上がった。
「指令室へ向かう。初めての戦闘だが、我が社の利益を守ることよりも自分と社員の命を守ることを厳命しておいてくれ」
「かしこまりました」
全ての指示はクノウから発されるが、イメルダもそれに準じた権限を持っている。
国家である前に一企業である以上、秘書室長であるイメルダは軍に等しい存在ではあるが一部署という扱いの警備部へは指示権があるのだ。
「会社の立ち上げ、そして成長へのステップは順調にきている。あとは競合とのしのぎ合いにどう対応するか、だな」
クノウは足早に指令室へと向かいながら、背後で彼に付き従いながら携帯電話で各部署に指示と確認を行っているイメルダを見遣った。
長かった、と思い返す。
クノウはこの世界に来てまだ五年。
しかしその間に起きた濃密な時間は、彼に多くの業績と仲間、そして富を与えてくれた。恐らく、自由になる金額でいえば、小国の王に過ぎない彼でも両脇に存在する二国の王と遜色は無いだろう。
「金は力であり、力は金になる。王国に恨みは無いし、良い顧客でもあるけれど、ここはひとつ、我が社の実力を測る実験台になってもらうとしよう」
廊下を進むクノウの表情は、一言で言えば「悪い笑み」だった。
彼にしてみれば、準備が整った今の状況で行う戦闘は、資金も必要だがそれ以上に勝てばたっぷりと稼げるチャンスでしかないのだ。