007(R) 毒杯
ガラス製の器の縁取り持ち手は銀製なんだろう。持ち帰って良いらしいから、ありがたく貰っておくか。
「時と場所、それに仲間に恵まれたと今でも思っている。貴方達には申し訳ないが、勇者の印は返して頂きたい」
「すでに男爵ということであれば、勇者の肩書も無用ですし、私共には重いものとなりましょう」
マルデウスの言葉に答えながら首に掛けたメダルを外す。結構便利に使えたんだけど、用済みには違いない。
「王女の帰還を祝して……」
「ちょっと、お待ちください。その前にお聞かせ願いませんか? 私共が勇者として旅立った最後の帰還者と聞きました。コキュートス到達を争った者達の多くが途中で倒れましたが、我等の後ろにも大勢の勇者がいた筈です」
「それを聞いてどうする?」
「別に、気になったものですからどうしたものかと。先ほどの会見で多くが準男爵となったようです。
準男爵は領地を持たず王国から支給される年額金貨5枚ですから、王都の貴族街にも住むことはできないでしょう。ですが、そのような者達の話を王都で聞かぬものですから、おたずねした次第です」
そう言いながらも、きつい表情でマルデウスを睨みつけた。
周囲の兵士は動かない。マルデウスの配下とは異なるのかな?
「私は知らぬ。彼等はここで杯を干して出て行ったのを見届けている」
マルデウス以外に勇者殺しを計画している者がいるんだろうか? とはいえ、動揺しているのも怪しい限りだ。ここは早いところ去った方が良さそうだな。
「申し訳ありませんでした。それでは、私から乾杯の挨拶と言うことでよろしいですかな?」
「構わんぞ」
その言葉を聞いて立ち上がろうとした時、右腹を抱えてテーブルに倒れ込んだ。
「何とした!」
「傷が治りきっておらず、失礼しました。これは……こぼれてしまいましたな。我等は普段あまり飲みませんから、これで十分です。それでは、王女殿下の御帰還を神に感謝して、乾杯!」
俺達の飲んだワインは最初の量からすれば微々たるものだ。ほとんど形だけになったわけだが、理由が付けば問題あるまい。俺達の状況を無視して帰還命令を出したのは国王だからな。
素早く杯をテーブルクロスに包んで魔法の袋に入れる。
これで儀式は終了だ。さて、どう出るかな? 俺達を案内してくれた近衛兵に視線を移す。
「それではご案内いたします」
苦々しい表情だけど、そう言う外にないだろうな。
俺達が先ほどの部屋に繋がる扉を開けようとした時、「待て!」と後ろから声が掛かった。
気にせずに歩き出す。
「待て、の声が聞えんか!」
マルデウスの声だな。いぶかしがるような表情を作って後ろを振り向いた。
「ひょっとして、我等に呼びかけているのですかな?」
「お前達以外に誰がいるというのだ!」
「申し訳ありませんが、マルデウス殿の称号はどのように?」
「男爵……。これは申し訳ない。同等の称号を持つ相手に命令は礼を逸していた」
「分かれば十分です。それでは……」
今頃は歯ぎしりしてるんじゃないかな?
そんな事を考えながら部屋のテーブルに目を向ける。やはりね……。俺達の装備はどこにもない。
「私共の装備が見当たりませんが?」
「死に行く者達に装備はいるのですかな?」
言葉と同時に長剣が俺を襲う。
素早く体を捻って斬撃を避けると、腰に手を伸ばして鎖を引き抜いた。
「なるほど、男爵を殺めると……。死罪確定ですね」
「宮殿から出られると思っているのか!」
「思ってますよ。たかが人間相手でしょう。魔族の宮殿突入から比べれば温いものです」
「ほれ、お前の長剣だ。鎖よりは良いじゃろう」
バドスが近衛兵から奪った長剣を投げてくれた。長剣を左手に持って、右手で鎖の中ほどを握る。ケーニッヒや女性達も準備ができたようだ。
「王宮を破壊しますか? 俺達なら簡単ですよ。穏便に辺境で暮らしてあげようとしているのですがねぇ」
「王位争いには興味が無いと?」
「だまし討ちをするような連中は、元々興味の対象外ですよ。ですが、相手の技量も考えぬような者達であれば、魔族と同じように始末しても構いませんが?」
俺達全員の笑みを見て、近衛兵の手元が震えている。
扉を開き回廊に出ようとした時だ。
「終わったか?」
再びマルデウスの声が聞えた。
回廊に出ようとする俺達と視線が交差する。
「しくじったのか! 何としても生かして王宮を出すわけにはいかん!」
長剣を振り上げて迫ってきたが、これでは魔族の下っ端でも倒せるんじゃないか?
振り下ろした長剣を持つ腕を握って逆に捻り上げる。
「これは、マルデウス殿。何が終わったんでしょうか? じっくり聞きたいところですが、我等も所領に向かわねばなりません。
これは忠告ですが、コキュートスに兵を派遣するのはお止めになった方がよろしいかと……。離宮の勇者達は背後から襲われたようですな。私の知る限り魔族は背後を襲う事はありませんよ。
それと、約定は絶対ですので隣国に動きがあれば直ぐに王宮に知らせましょう。誰が王座に座っていようが私共の構う事ではありません。それでは、善政を期待していますよ」
マルデウスの耳元でそれだけ呟くと床に投げ出した。椅子に頭を打ち付けているがそれは俺の知らん事だ。
さて、どこまで争わずに移動できるかな?
「これで終わりかのう?」
「まだまだ手を打ってくるかも知れない。だが、その時はその時だ」
「【メルダム】なら3回は可能よ」
「【メルト】なら20回は行けます!」
皆楽しそうだな? ひょっとして期待してるのか。
俺達の会話が聞こえたんだろうか? 遠巻きに見ている連中は多いのだが、向かってくる者は一人もいない。
拍子抜けの状態で王宮を出た時だ。
「放て!」
見上げると、何百という矢が俺達めがけて降って来た。
「【メルダム】」
ユーリアの呟きと同時に、俺達の真上に紅蓮の炎が広がると、ぱらぱらと矢が燃え尽きて落ちてきた。
「この程度なの? 思い切って王国を亡ぼしたほうが良くない?」
「いや、急に亡ぼしたら周囲の王国が雪崩れ込んで来る。そうなると路頭に迷うのは民衆だ。愚王を抱くことになるんだろうけど、直ぐに王国が無くならなければ良い」
まったく困った連中だ。貴族制の弊害なんだろうな。貴族の勢力争いが勇者の凱旋で急に活性化したみたいだ。
王宮を振りかえることも無く俺達は歩みを進める。
鉄柵の警備を任された者達も、俺達の接近を知ってあたふたとどこかに逃げていったようだ。
そのままの歩調で、大通りに出ると人ごみに紛れて東門へと向かう。
「追手は来るんでしょうね?」
「来なければ自分達の非を知らせるようなものだ。今夜辺り、王都の巷で噂が広がるよ。帰還した勇者を王女救出の勇者は全て殺してしまったとね。
帰ってきたことは大勢が知っている。庶民街に顔を見せないのは貴族の端くれに加えられたぐらいに思ってるんじゃないか」
「そうじゃない可能性もあると言う事になると、おもしろくなるわね」
自ら撒いた種だ。刈入れも自分でしなければなるまい。
すでに死んだ人間を生き返らすことも出来ないし、噂を広げる王都民を罰することも出来ない。適当な役職を与えて辺境の町や村に派遣すれば良いものを、墓穴を掘るとはこういうことなんだろうな。
東門が見えてきた。特に変わった様子も無い。
今頃はさぞや悔しがってるんじゃないか? 腹いせに犠牲者が出るようでも問題だな。
「勇者様御一行でしょうか?」
「いや、リオン男爵である。帰りの遅い馬車の具合を見ようと、従者と共に来たのだが……、東門に入った馬車は無かったか?」
「いえ、気が付きませんでした。東の街道は道が悪いですから途中で車軸を折ったのかも知れません。何でしたら、私が……」
「それにはおよばぬ。たまに城壁の外も見てみたいものだ。しばらく外にいるぞ」
そう言って門を出たのだが、門番の1人が走り出したぞ。
「知らせに行ったぞ。だいじょうぶなのか?」
「問題ない。このまま歩くぞ。城壁が見え無くなればこっちのものだ」
1時間も歩いただろうか。俺達の後ろに付かず離れず歩いて来る行商人が数名現れた。
荷を背負う行商なら数人が纏まって行動することもあるだろうが、あきらかにおかしな動きだ。俺達が休憩すると、向こうも休憩する。行商人なら足が商売道具になる。少し歩いたぐらいで休むなんてね。
そろそろ2回目の休憩をしようかと思っていた時だ。
太い立木の傍に3台の荷馬車が止まっている。俺達を見て手を振っているのはミーシャだな。ちゃんと待っていてくれたようだ。
焚き火を消して出発の用意をしているのはミーシャの仲間なんだろうか? こちらを不安そうな表情で見ている連中は親子連れに見える。彼等が貧民街から来た連中ということになるんだろう。
俺達が荷台に乗ると同時に、荷馬車は走り出した。
俺達を追い掛けてきた行商人達が、呆然とした姿で街道に立っている。
「真っ直ぐに廃村で良いんだよね」
「そうしてくれ。仲間の紹介は皆が揃ってからで良いだろう」
「でも、その前に……。はい。ワインよ。毒入りとは言え美味しかったよね」
ミレニアがワインのカップを配ってくれた。
ありがたく頂いてゆっくりと味わう。これで王都ともお別れだ。二度と来ることも無い。
「だが、あの島の話には国王も呆れていたな。本当にやるのか?」
「やるとも。あの島でなら問題なく暮らせる。何といっても陸から離れてるし、大軍を向かわせるには隣国に近すぎるからな。だが、もしかしたら、隣国から使者が来るかもしれないぞ」
「ワシ等を勧誘するって事か?」
「いや、出て行けって事になるはずだ。だから丁度良いんだ」
開発できるような地では無い。とはいえ軍事上の要衝であるという認識は、互いの王国が持っているはずだからな。
途中で野営をしながら7日掛けて俺達は廃村にたどり着いた。
廃村の教会の空き地には3台の荷馬車が置いてあった。ハリウス達も農民の勧誘を頑張っていたみたいだ。少なくとも2家族は何とかしたって事だろう。
荷馬車の音に気付いたのか、ロディが教会の裏手から現れると、俺達の姿を見て急いで教会の扉を開けると仲間に知らせに行った。




