010(M) 勇者が王都を去った
国王が配下の者に祝杯を与えるということは、褒賞行為の一つになる。
値段の付けようもない話らしいが、中には生活に困窮して売りに出す者もいるようだ。その値段は銀貨20枚を下回ることが無いとジャミルが教えてくれた。
この時代には珍しいガラスのカップだが、落としても割れないように銀で周囲を覆っている。緻密な彫刻が透かし彫りにされているから、緑いろのガラスが外からでもわかるすぐれものだ。
貴族達の多くが部屋の飾りとして、大事に保管しているようだ。このカップでワインを飲むのは、このバラの間に限られた行為ということになるのだろう。
勇者達にワインカップが渡されたところで、彼らに言葉を掛けた。
「時と場所、それに仲間に恵まれたと今でも思っている。貴方達には申し訳ないが、勇者の印は返して頂きたい」
「すでに男爵ということであれば、勇者の肩書も無用ですし、私共には重いものとなりましょう」
リオンが首に下げたメダルを取り外そうとして、顔をしかめた。腕の動きで傷口が動いたのだろう。本来なら同情すべきなのだが、この王国を正すためだ。しばらくは心を鬼にしなければならん。
どうにか外したメダルを、残念そうな表情を浮かべながらテーブル越しに俺の方に滑らせる。
貴族相手には不敬な行為ではあるが、こいつも貴族である以上咎めることはできんな。
それにしても、メダルの割引効果をいまだに羨ましいと思っているのだろうか? かなり貧乏な生活をしていたのかもしれないな。
苦笑いを浮かべながら、カップを手にして立ち上がった。
「王女の帰還を祝して……」
「ちょっと、お待ちください。その前にお聞かせ願いませんか? 私共が勇者として旅立った最後の帰還者と聞きました。コキュートス到達を争った者達の多くが途中で倒れましたが、我等の後ろにも大勢の勇者がいた筈です」
俺の祝辞をリオンが遮った。
奴が遅れてきたのは、コキュートスの探索を行ってきたからだけではなかったのか?
遅れて来ることで、王都の情報をある程度調べていたのかもしれない。
「それを聞いてどうする?」
「別に、気になったものですからどうしたものかと。先ほどの会見で多くが準男爵となったようです。
準男爵は領地を持たず王国から支給される年額金貨5枚ですから、王都の貴族街にも住むことはできないでしょう。
ですが、そのような者達の話を王都で聞かぬものですから、おたずねした次第です」
きつい表情で俺を睨みつける。
「私は知らぬ。彼等はここで杯を干して出て行ったのを見届けている」
動揺せぬように、慎重に言葉を選んで彼に伝える。
声が震えないよにするにも気力がいるものだと自分でも感心してしまう。
俺の心を推し量るようにジッと見つめていたリオンが、不意に笑みを浮かべた。
「申し訳ありませんでした。それでは、私から乾杯の挨拶と言うことでよろしいですかな?」
「構わんぞ」
俺の言葉を聞いて立ち上がろうとしたリオンが、右腹を抱えてテーブルに倒れ込んだ。
「何とした!」
「傷が治りきっておらず、失礼しました。これは……こぼれてしまいましたな。我等は普段あまり飲みませんから、これで十分です。それでは、王女殿下の御帰還を神に感謝して、乾杯!」
両隣の仲間からワインを分けて貰って、簡単に祝辞を述べてカップのワインを飲みほした。
俺は慌てて立ち上がると、カップを掲げた。
まったく、祝いの席の流儀など知らない奴だ。たっぷりと文句を言ってやりたいが、彼らはすでに毒杯を飲み干した。
一人分が減ったとはいえ、一口でも十分に効き目があるらしい。異変に気付くのはもう少し後になるだろうが、この部屋と隣室は魔法の効果は相殺される特殊な部屋だ。
彼等持ち物から毒消しのボトルは全て抜き取っている。
隣室で苦悶の表情を浮かべながらこの世を去ることになるのだ。
ワインをゆっくりと飲みながら彼らを見ると、テーブルクロスに飲み干したカップを丁寧に包み込んでいる。
粗野な連中だが、金になる物を傷つけることがないようにしているのだろう。これだから貧乏人は困ったものだ。
包み終えたところで近衛兵に顔を向けたのは、一刻も早く場違いなところから去りたいということに違いない。
軽く頷いて近衛兵に合図を送った。
「それではご案内いたします」
近衛兵の声は苦々しいものだった。粗野な連中を相手に礼を尽くさねばならないのは腹に据えかねるのだろう。全て終われば酒のビンを届けてやらねばなるまいな。
部屋を出ようとしたリオンが俺を振り返って微笑んだ。
「待て!」
思わず声を掛けるが、彼らは気にせずに歩き出す。
「待て、の声が聞えんか!」
リオンがいぶかしげな表情を作って振りかえる。
「ひょっとして、我等に呼びかけているのですかな?」
「お前達以外に誰がいるというのだ!」
「申し訳ありませんが、マルデウス殿の称号はどのように?」
「男爵……。これは申し訳ない。同等の称号を持つ相手に命令は礼を逸していた」
「分かれば十分です。それでは……」
見透かしているのか?
忌々しい連中だが、命の灯はすでに尽き掛けている。
これで、勇者狩りは終わった。トルガナン王国の勇者は俺一人ということになる。ハイレーネン公爵の思惑通りではあるが、このままでは公爵が王国の実権を掌握しかねない。次の計画の準備はすでに終盤に差し掛かっているはずだ。
クリスティの状況を確認するか……。
クリスティは王宮の1室を手に入れている。
王宮魔導士の肩書は長く不在のままだった。今回の王女救出の功績を持ってクリスティが任命されたのだが、その裏ではハイレーネン公爵の貴族間の根回しがあったことは聞かずともわかる話だ。
それほど遠くない彼女の部屋を訪れると、2人の配下の魔導士と窓際の大きな机越しに話をしていた。
「これは男爵様、直ぐにこちらは終えますから、ソファーでお待ちください」
「あぁ、突然の訪問だ。私の非礼を先ずは詫びたい」
ソファーに腰を下ろしてクリスティ達の話が終わるのを待つ。
直ぐに会話が終わり配下の者が部屋を出ると、クリスティがテーブル越しのソファーに腰を下ろした。
まだ若い身でありながら、凝った刺繍を施した黒いローブで全身を覆っている。ローブの光沢は絹のようだ。そんなローブに黒い絹糸で刺繍をするのはどうかと思うが、魔導士の世界は俺達とは感性が異なるのかもしれないな。
「状況は?」
「ほぼ、確認できました。上位貴族、中位貴族の全てを失脚させることができますが、下位貴族の3割ほどは失態を起こしておりません。準男爵に至っては全てを闇に葬ることも可能です」
やはり腐ってたか。それでも下位貴族の3割はその地位に見合った仕事をしてきたわけだ。こいつらの地位を引き上げたらどうなるのだろう?
やはり腐ってしまうのだろうか? それとも、王国の為にこれまで以上に働いてくれるのだろうか……。
「調査結果を2部複製してくれ。先ほど最初の計画が終わったところだ。公爵の計画が動き出す前に次の計画を発動させる」
「了解しました。それと、王宮医師団に動きがあります。国王の容態が変わったと彼らもようやく気付いたようです」
「気付いても直しようがあるまい。すでに70歳近い御歳なのだ。心労による体力の衰えと思わせておけば十分だ」
後をクリスティに託して部屋を出る。そろそろ遺体を運ばねばなるまい。
ジャミル配下の元近衛兵達の腕は信用が置けるが、確実に亡くなったことを確認するのは俺の仕事でもある。
何の装飾も無い部屋の扉が急に開いた。
通路に人がいないことを近衛兵が確認しようとしているのだろう。
「終わったか?」
俺の声に、部屋から出てきた連中がこちらに顔を向ける。
驚いたことに、そこにいたのは先ほどバラの間で毒杯を空けた連中だった。
「しくじったのか! 何としても生かして王宮を出すわけにはいかん!」
長剣を引き抜いてリオン目掛けて切りつけたが、相手は軽く体を捻って俺の斬撃を避けると俺の腕を掴んで逆に捻り上げる。
こいつ、重傷を負っているはずなのだが……、仮病だったのか!
「これは、マルデウス殿。何が終わったんでしょうか? じっくり聞きたいところですが、我等も所領に向かわねばなりません。
これは忠告ですが、コキュートスに兵を派遣するのはお止めになった方がよろしいかと……。離宮の勇者達は背後から襲われたようですな。私の知る限り魔族は背後を襲う事はありませんよ。
それと、約定は絶対ですので隣国に動きがあれば直ぐに王宮に知らせましょう。誰が王座に座っていようが私共の構う事ではありません。それでは、善政を期待していますよ」
俺の耳元でリオンが呟くと床に投げ出した。頭を何かに打ち付けた様だ、視界が暗くなり意識が遠ざかる。
次に意識を取り戻したのは、ジャミルに抱えられて強い酒を飲まされている時だった。
「奴らは?」
「まだ王宮内部です」
「至急、弓隊を集めて奴らを狙撃しろ。理由は後でどうにでもなる。生かして野に放つ方が問題だ」
ジャミルの指示で、直ぐに近衛兵が部屋を出ていく。
奴らは5人だったな。場合によっては何人か取り逃がすこともあり得る。ジャミルに顔を向けると直ぐに頷いてくれた。
部屋に残っていた近衛兵に少し長めの指示を与えている。
ゆっくりと体を起こして立ち上がった。
まだふらふらするが、この場にいるよりは一旦執務室に下がった方が良いだろう。
ジャミルに抱えられながら、執務室に向かった。
どうにか、執務室にたどり着いた俺を待っていた人物がいる。
会いたくもない奴だが、向こうから来たとなれば追い出すのは難しくなるな。俺は男爵で中位貴族だが、向こうは公爵様で上位貴族になる。
ソファーに腰を下ろして、棚から持ち出した俺のワインを飲んでいる。
その後ろに2人の従者がいるのだが、彼らは公爵の私兵達だ。従者を装っているがそれなりに戦うことができる。
俺が座ったのを見て、苦々しい表情を向けてきた。
「近頃はとんと顔を見せんが、ワシを裏切ることなど無いであろうな? 宿敵のハイデマン家に取り入ろうとするなら、ワシにも考えがあるぞ」
「ハイデマン家が王都のどこにあるかも知りませんよ。公爵殿の計画を実行しているのは私ですからね。あれだけ勇者のメダルを乱発したのですから仕事がある間は疎遠にもなります」
「そうであったな。ご苦労だった。準男爵とはいえ敵方の家に組みするようであれば暮らし辛くなるのは必定、傷は浅いうちに直すのが一番じゃ」
「どうにか、先ほど最後の勇者に毒杯を飲ませることができました。……ですが、何の効果も無く、彼らは王宮を去っている状況です」
俺の報告を嬉しそうに聞いていた公爵が、突然驚いて立ち上がった。
「何じゃと! 毒杯に間違いはないのじゃな」
「彼らに公爵殿から賜れたワインだと言って、国王からの盃に満たして飲ませました。公爵殿から渡されたワインに間違いはありません」
公爵の顔が青ざめている。
そんなことは一言も言っていないが、ここは状況を上手く利用しない手はない。
「ワシからのワインと言ったのだな?」
「帰還した全ての勇者の健闘を祝って用意した品だと……」
「それは余計な一言じゃ。となると……、刺客を放っているのか?」
「私にそのような部下はおりません。王都内では近衛兵の一角を動かせますが、王都を囲む城壁までです」
唸りながら公爵の顔色がだんだんと赤くなっている。
脳溢血であの世に行きそうな表情だ。
「もうよい! 後は我等で何とかせねばなるまい。5日後にワシの屋敷に来るのだ。時刻は……、月が出てからでよいぞ」
従者を引き連れて俺の執務室を駆けだすようにして出て行った。
俺とジャミルは公爵の行為を呆れて見ているだけだった。
「何ですか、あれは?」
「尻に火が点いたのさ。棚からカップを2個持ってきてくれ。公爵が後を引き継いでくれるとは助かるな」
ジャミルと上等のワインを飲みながら、これから起こるであろう王宮内の騒ぎを教えることにした。
「勇者殺しの全責任は公爵が被ってくれる。リオン達が何もせずに王宮に来るとは考えにくいな。たぶんあらかじめ毒消しを飲んでいたんだろう。王宮に向かった勇者が王都に誰もいないということを知っていたんだろう……」
となれば、王都内に噂を広める位の事はしているだろう。その状況下でリオン達に刺客を放つのだ。そいつらが公爵の手の者だと知れれば、王宮内も無視できない。
「彼らは逃げおおせるでしょうか?」
「それなりの準備をしているだろうよ。俺達の企みを知った上で王宮に乗り込んできたんだ。彼らが本当の勇者かも知れんが、王国に2人の勇者はいらん。いずれは葬ることになるんだろうが、今の状況下では俺達に都合が良いことも確かだ」
上手く逃げおおせてほしいところだ。できれば刺客を始末してほしいが、これは俺達でもなんとかなりそうだ。
ジャミルとその辺りの打ち合わせをしておいた方が良いだろう。




