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ロスト・ゲーム

作者: しげはる

「お前もここで朽ち果てるがよい!」

獣の唸りにも似た、低くしわがれた声が響いた。

その声を発した妖術師は不敵な笑みを浮かべながら黒い液体のようにゆっくりと移動する。

ほとんど瀕死といってもいい重傷を負ったわたしの所へ近付いて来る。

うつ伏せのまま顔だけを上げて黒衣の妖術師を睨みつけた。

負けたくはないが体が言うことを聞かない……これはもう助からないかもしれないね。

わたしは敵が繰り出す渾身の一撃をその身に浴びる覚悟を決めた。ああ、悔しいけどまた負けるのか。

 

『敵』であるその妖術師は、少し前までは汚職に塗れた小物の軍人でしかなかったのだが、闇の衣という太古の秘宝を手に入れ不思議な力を得た。その力を使うことによって今は裏社会を支配する妖怪となってこの都市に君臨してしまった憎むべき悪の存在なのだ。

『敵』を追ってわたしたちはロシアのモスクワへ進み、ついにこの『ステージ』である歌劇場へ辿り着いた。しかしここへ来る道中で手に入れた武器、わたしのサブマシンガンと隼人のスナイパーライフルは全く役に立たなかった。銃弾はことごとく妖術師の体を通り抜けてダメージを与えることなく決戦の舞台となった歌劇場の壁や設備に穴をあけ設備を破壊しただけだった。


「隼人、わたしもうだめみたい。ごめん……」いよいよ迫って来た黒い影の向こうにぼんやりと目を移す。わたしを庇って傷つき倒れた隼人がいる。「……隼人?」

隼人の姿が変化し始める。散乱した瓦礫、ばらばらに吹き飛んだ紙屑に彩られた床の一部分が切り取られたように白く霞んだ光に覆われている。

私は吐き気を催しながら前にも見たその光景を無表情に見つめた。彼を覆った光が炭酸飲料の泡のように、たくさんの細かな粒になって次々に浮き上がる。やがて光は薄まり小さくなって消えてしまう。

沙月も、美雪も同じだった。戦いに敗れ、命が尽きてしまうと、やがて光の粒となって消えてしまう。

闇が迫る。もう目前の敵に対峙する気力も無くなってきた……。


「杏奈、杏奈起きなさいよ」

声を掛けられて目を覚ました。昼下がりの教室。窓から入って来たやわらかな風が頬を撫でる。わたしはうつ伏せていた固い机から身を起こして顔を上げた。

「いくら自習だからって居眠りなんかしたらだめだぞ」

学級委員長の沙也加がわたしを軽くたしなめる。そして地味な眼鏡の奥で優しい微笑みを浮かべ自分の席へ戻っていった。

辺りを見渡す。夏服のクラスメートたちが思い思いのグループに分かれておしゃべりをしたり真面目に教科書とノートを開けて勉強したりしている。

ふと視線を感じて目を移す。ふざけている不真面目な男子たちのどれにも属さずに腕を組んで席に座っている隼人がわたしをじっと見ている。少しやせ形で短髪の彼は真面目そうな風貌だが、自習時間にもかかわらず彼の机には何も乗っていない。

チャイムの音がした、昼休みの合図。

それぞれがまたグループに分かれたりひとりになったりしてお弁当を開けたり教室から出ていく。わたしも隼人に少しだけ目を合わすとそのまま教室から出た。


「結局負けちまったのか」

渡り廊下で追いついてきた隼人が後ろから声を掛けてきた。

わたしは窓のほうに近づき、円形に花壇が広がる中庭を見下ろしながら言った「そうね。だめだった」


今回の戦いに隼人がいて、少なからず驚いたのだが、実はわたしはこのゲームで三回ほど負けている。

前回、メキシコのなんとかという土地の暴動鎮圧に挑んだがだめだった。さらにその前には香港の爆破阻止も惨敗。そして隼人がいたさっきのロシアも……。

先程の戦いを反芻する。たまたま始めたスマートフォンのそのゲームアプリは、プレイが進むにつれて現実感覚が無くなり気が付くと戦いの現場に立っている不思議なゲームだった。

その戦いの現場に向かう道中でだいたい二、三名の他のプレイヤーと合流して彼らと共に敵と戦った。でも、決戦に至るゲームの進行途中でパーティーを組むことはないし、なぜ共に戦うのかその理由がさっぱりわからない。

「ねえ」わたしは隼人に聞いた。「あのゲームはいつから始めたの?」

隼人は少しの間黙ったままだった。そしてスマートフォンを取り出して画面を弄びながらゆっくりと答える。

「昨日……かな。夜中の日付が変わる頃だったから、今日かも知れない。……まあ、つまんねーゲームだなって思ってやってたけど、お前のスマホの画面たまたま見た時にそのゲームがあったから知っただけで、実は意外と面白いのかもしれないと思ってどんどん先に進んでみただけだよ」

あ、そう。としか思わなかった。同じ学校で同じクラスであるにも関わらず、ゲームの中で一緒に殺されるまで、特に意識もせずにお互い空気の存在でしかなかったわたしたちだ。さっきは庇ってくれたけれど、それでも死ぬ順番が逆になっただけで、結局は同じことだったし。


「あれ? ロシアで内戦が起こったらしいな」隼人はスマートフォンの画面に配信されたニュース速報を読み上げた。

「反乱を起こしたとされる勢力の拠点地区にロシア軍が無差別の爆撃を行って、死者は推定二千人。反乱の理由や内容は公表されず政府でも調査中だって」

「そうなの」わたしも制服のポケットから自分のスマートフォンを取り出した。

隼人は画面を親指でフリックさせながら、誰に言うともなしにつぶやいた。「物騒だよな。このあいだはメキシコの暴動で二百人ぐらい死んだし」

「え……」わたしは自分のスマートフォンの画面から隼人に目を移した。それからすぐに画面に戻り過去のニュースを検索する。


『香港で爆破テロ。商業施設で爆弾が爆発し死者二十名……』


「はは、そんなの偶然だって」わたしの考えを伝えると、隼人は呑気に笑い飛ばした。


あのゲームで敗北すると、そのステージでの被害が現実になる。


そうわたしは思い至ったからだ。たしかに偶然かもしれない。

けれど、何か。どうにかしたいがどうにもならないもどかしさというか、得体のしれない恐れの前にさらされている不安のようなものが胸騒ぎとなって、不愉快な絡みつく糸くずのようにわたしの意識の片隅をいつまでも支配し続ける。

いてもたってもいられずゲームアプリを起動してプレイを始めてみる。次のステージは日本……。


……数十秒後、わたしは何とか気力を振り絞ってゲームを中断する。そこに表示されていたミッションは。


『サイバーテロリストのシステムアタックを阻止せよ。失敗すれば、漏洩した機密情報に刺激された某国より核ミサイル攻撃が行われる』


駄目。なにこれ、ゲームでも現実でも攻略の糸口がさっぱり見つからない。そもそもアタックの方法とか内容とか全然理解できないよ。国相手? どう戦うの? どうやって勝つ? なんなのこの無理ゲー。


「これってさあ、勝ってもいないのに勝手に難易度上がってないか?」隼人も一応は気にしているようだ。同様にゲームアプリを中断して少し青ざめた顔をしてわたしを見る。

「駄洒落が出るぐらいだから攻略法もわかったんだよね?」わたしは少し食い気味に真顔で返す。

「はあ?」

「勝手に勝って、って。なんでもないわ。ちょっとパニック中なのよ」厄介者を追いやるようにスマートフォンを窓枠の所に置いて腕を組み片手で口元を覆う。そして考える。

しかし何も浮かんでこない。とりあえず動くしかないのか。少なくとも、わたしは運動音痴のくせに体育会系気質であると今さら自覚する。

「とりあえず行くわ」わたしはスマートフォンに手を伸ばす。

「おい、待てよ」

「行くしかないの。次は勝てるわ、そんな気がする」

「いや、そうじゃなくて。もうすぐ昼休みも終わるだろが。続きは放課後にでもやれよ」

意外とまともに冷めたことを言う隼人に対してわたしはこれといった明確な理由もないままにいやほとんど反射的というか発作的に猛然と反発した。

「核ミサイルだよ? サイバーテロだよ? これで本当に攻撃されたら一体何人死ぬの? 本当に死ぬかもしれないんだよ? わたしもあなたも死ぬかもしれないんだよ?」

体がぐいっと前に引っ張られて両腕の自由を失った。ぎゅうっと締め付けれてわたしの呼吸が一瞬止まる。

「落ち着けよ」隼人の声が頭上で聞こえる。わたしは隼人の両腕で頭をぎゅう、と抱きしめられていた。

すぐに体を離されてわたしは自由になる。頬が上気して熱い。

「隼人……」上目遣いに見上げると、隼人は意外と真面目顔だ。目は少し怒っている。

「いいか杏奈、これはゲームだ。現実とは違う。仮に現実とリンクしているとしても、俺たちが体験したあの感覚……あれが本物だったとしても、ゲームが進まなければ何も起こらない。そうだろ? さっき俺たちはゲームの中で一緒に死んだ。でも現実での俺たちは生きている。だから何も起こらない、何も」

わたしは抱きしめられた衝撃からようやく落ち着きを取り戻した。少し俯きながら言う。「じゃあ放課後になってから一緒にこのゲームを……」

隼人はあきれたように首を横に振った。「違うだろ? 俺たちは学生だ、やることは他にも一杯ある。勉強やら掃除やら運動やら……俺だってそんなもん進んでやっちゃいないけど、今の杏奈なら俺だって上から言ってやれるよ。明日も学校に来たいのなら、俺たちはやるべきことをやらなくっちゃならないんだ。なあ、もうそのゲームはおしまいにしないか? お前がどうしてもそれを続けるというんだったら、俺はもう付き合えないよ」

隼人はくるりと背を向けて教室へ戻っていった。わたしは自分のスマートフォンを握りしめてその背中を見送った。何故か涙が溢れ出していた。


『ここは日本。あなたは首都東京にあるビル群の一角にある防衛省管轄の情報処理施設へ向かっています……』

わたしは自宅の自分の部屋でゲームを再開した。

あれから放課後を迎えたけれど、あのやり取りのすぐ後では学校でこのゲームを始める勇気が無かった。

授業が終わってしばらくの間、わたしは自分の席にじっと座っていたままで。内心は声を掛けてもらうのを待っていた。でも隼人はわたしのほうを見向きもせずにさっさと帰ってしまった。

それからわたしもとぼとぼと家に帰って、味のしないご飯を食べて、お風呂に入って、自分の部屋でずっと待っていた。待つことに意味は無いけれど、待っていた。わたしは隼人の電話番号もアドレスも知らない。クラスメートという以外は、お互いに何の接点もない。

あてのない待ちぼうけの中で色々と考えていた。今なら、隼人の言いたいことも何となくわかるつもり。けれども、それでもわたしは戦うことを選ぶ。このゲームの中で、わたしは、戦う。だってゲームごときに訳の分からない理不尽な結末を突き付けられて、負けっぱなしで終わるなんて嫌だもの。

「ふわぁー」わたしはベッドの上でうつぶせになってそのまま伸びた。左腕に頬をのせてスマートフォンを起動する。


ゲームが進行してゆく。王家の首飾りという呪いのアイテムを手に入れた借金まみれのシステムエンジニアが不思議な力の手引きで某国のスパイとなり本国の防衛情報を売ってしまおうと企む。わたしたちはそれを追って決戦の地へと向かう。

わたしたちと言っても、今回は沙月も美雪もいない。もちろん隼人も。

目の前に決戦のために用意された武器が三つあらわれてその中からひとつを選ぶ。オートマチック拳銃、紋章の刻まれた手錠、両刃ナイフのような形をした二本の手裏剣。わたしは手裏剣を手に取って先ヘ進む。


人気のない通りに巨大なビルが立ち並ぶ。あり得ない光景だった。人の気配が全くない。車が一台も走っていない。

ここはゲームのために封鎖された空間なのだ。広い道路と大きな建物が徒労の果てに訪れる絶望や有無を言わさず威圧する恐怖をわざとらしく演出しているのだ。


冷静になれと自分に言い聞かせ、意識をゲームと現実の狭間に彷徨わせる。

ここは私の部屋、画面に表示される道路脇の街路樹、エントランス前のささやかな植え込み。細かなディテールが脳裏に浮かぶ。

あれはなに? 植え込みの中に黒く四角い箱。電動髭剃りだろうか、そのぐらいのサイズのものが入っていると思しき黒い皮のケース……出張続きのサラリーマンが携帯電話で話しながらここで荷物を出し入れして、戻すのをすっかり忘れてそのまま行ってしまった……そんなひとこまを想像する。どうでもいい、そんなディテール。


ビルの中へ入る。エレベーターを使って地下へ。

『目的地である部屋のセキュリティはすでに無力化され、その先に倒すべき敵が潜入している……』と画面情報が浮かび上がり告げる。

だんだんと、意識の境界がぼやけてくる。ゲームに没頭してるつもりはないのに、自分の部屋にいるという感覚は薄れ、目の前に現れる簡素なグラフィックや文字がリアルな感覚となってわたしの五感を支配してゆく。

いけない……。

中断しようと思った。まだ引き返せる。……でもそうするの? 自分に問いかけて答えは「ノー」

まるで悪夢にうなされながら手足をばたつかせているようにもどかしい。もうどうにもならないのだと意識が告げる。かたや徐々にゲームの世界に没入してゆく高揚した感覚が沸き上がってくる。わたしはその感覚に身を任せる。


目の前に装飾の施された分厚い木の扉がある。こんな近代的なビルの内部にはありえない設備。すっかりゲームの演出に捕らわれている。もう後戻りできない。

少し躊躇ったあと扉を押す。重い扉は軋むこともなく滑らかに、少しずつ動いてゆく。扉は半分も開かないうちにそれ自体の重量を勢いに変えてひとりでに開き切る。


扉の向こうは制御室のような、箱形の機械が並んだ窓のない部屋だった。照明は点いていないが、機械の起動を示すたくさんのLEDランプの点灯のおかげでかろうじて視界を保つことが出来た。

機械の箱に囲まれたロッカールームみたいな部屋。そこを進むと下半分がスチールで上半分にガラスのはめ込まれた簡易型の仕切りに行き当たる。その向こうはオフィスで、それぞれにパソコンの置かれたシンプルなデスクが並んでいる。そこも照明は点いていないが非常口のランプや足元の常夜灯で移動には不自由しない程度の光源がある。仕切り同じように上半分にガラスのはめ込まれた簡易ドアを開けてオフィスへ入る。


カチヤカチャカチャ……。せわしなくキーボードを叩く音が聞こえる。広いオフィスの向こう側に一台だけ電源の入ったモニターが光を放っている。その前に座って一心不乱にキーを叩く人物が『敵』だ。こちらに背中を向けていてかなりちょろい相手に思えた。

「あー、拳銃にすればよかったかな……」わたしは小声でつぶやくと手裏剣を構えてそろそろと距離を詰めた。近付いていくとその『敵』はパイレーツなんとか、もしくはゲームに出てくるファンタジー盗賊のようないかにもそれだ、という恰好をしている。前回の訳の分からないローブのようなもので身を守っている風でもないので防御力は低いだろうと見積もる。


わたしは息を潜めて距離を詰め、敵のすぐ背後に立った。もう絶対に外さないと確信して手裏剣を振りかざす。


「無駄だよぉ、お嬢ちゃん。まずは挨拶くらいさせてくれよなぁ」背を向けたままの敵が声を発した。驚いたがそのまま手裏剣を振り下ろす……。

わたしの手裏剣は空を切って、勢い余って誰も座っていない高価そうなオフィスチェアの座面に突き刺さった。わたしは前のめりにバランスを崩して倒れ込むようにデスクのへりに体をぶつけるとその反動を借りて体勢を立て直した。

今まで目の前にいた敵が影も形もなく消え去っている。急いで辺りを見回すと、先ほど通って来たばかりの通路の、デスク一つを挟んた所に敵が立ちニヤニヤと余裕の笑みを浮かべながらこちらを見ている。


「残念! その武器は外れだよ。それじゃぁ俺は倒せない」

敵は中年の男で、無精髭を生やした浅黒く精悍な顔つきをしていた。

胸元の開いた白い長そでのシャツを着ている。その胸元には銀色の装飾されたプレートをぶら下げたネックレスが見える。あれが王家のネックレス……。下半身は黒いレザーパンツとロングブーツという出で立ち。軽装で身が軽いのか、それでも先程わたしの攻撃を一瞬で躱した素早さは人間業とは思えない。

「本当残念だわ。じゃあ、教えてよ。どの武器が正解だったの?」動揺と恐ろしさを誤魔化すようにわたしは声を出した。あんな動きをされたらとてもじゃないけど勝ち目はない。

男は大げさに両手を広げて右手のひらを自分の胸にあてると恭しくお辞儀をした。「教えてやりたのは山々ですが、それはできませんよお嬢さん。それにあんたはもう死ぬからね」

ふわりと男の身体が浮いたと思ったらそのままデスクを飛び越えてわたしの前に着地する。「さようなら、おやすみなさい。いや違うな……さようなら、永遠にさようなら」そう言いながらわたしの側を通りすれ違う。

キン! と金属のぶつかる音がしてわたしは男の反対の方向へ弾け飛んだ。


デスクの上を転がりモニターをなぎ倒して床の上にすべり落ちる。わたしはそのまま簡易仕切りのある機械室の方向へ走った。右腕に鈍い痛み、切られたらしい。仕切りドアを開けてもと来た場所へ逃げ込んだ。


あの男が入って来れないように、ドアノブをしっかりと押さえて備える。ガラスの向こうには男が優雅に踊るようにこちらへ向かってくるのが見える。ドアノブをさらに力強く握るとぬるりとした感触、右腕から夥しい出血がありドアノブを濡らしてゆく。


先程のやりとりが頭をよぎる。男はすれ違う刹那、ナイフのような刃物でわたしの首筋を切りつけた。同時にわたしは二本のうち残ったもう一方の手裏剣を自分の首筋のあたりにかざした。ナイフも攻撃も全く見えなかったが、その動きで男のナイフを受け止めて命拾いをしたようだ。わたしの咄嗟の行動で何とか首筋は切られずに済んだが、その刃物の軌道にあった私の右腕は深い傷を負った。


ドアノブを左手に持ち替えて押さえる。仕切りガラスを挟んで男がわたしの真正面に立つ。

「ちちちち……」男は犬か猫をあやすように口をすぼめて舌打ちしながら首をゆっくりと左右に振った。

「素晴らしい防御だったね!」嬉しそうに笑う「二本あった手裏剣をうまく使いこなしたな、おめでとう! でも残念ながらアイテムの効力はそこまでだ、すぐにそちらへ行くからおとなしく待っててねぇ」男はおどけたような表情で人差し指を立てて上方を指さした。


簡易仕切りは壁のように天井までつながっておらず、約二メートルの衝立でしかない。ドアをこじ開けるまでもなく上はがら空きだった。男がジャンプの予備動作で少しだけ屈む。男はそのまま消えた。


右腕の感覚が無くなってきた。流れ出る血が衣服に浸み込んで重たさを感じる。どのみち助からないのか……意識も朦朧としてきた。

ゆっくりと振り向くと男が目の前に立っていた。胸元で光る銀色のネックレス、その装飾に刻まれた不気味な紋様を見てわたしは膝の力が抜け、座り込む。

「跪け、いやもう膝をついちゃってるな。ははは、すばしっこいんだなぁお前。はは、死ねよ。いやほっといても死んじまいそうだなぁ、なあ死ぬのかい? それとも殺される?」男は満面の笑みを浮かべてわたしに顔を近づける。わたしも負けないように男を見上げた。勝利を確信するその男の笑みは吐き気をもよおすほど不快だった。実際、血を流しすぎて気分が悪い。わたしってなんでこんなところへ来てしまったんだろう、きっと目の前にいるこんな悪党が嫌いだから。悪党を成敗すれば爽やかな気分になれるから。でも、それってこいつと似た者同士になってしまわないかな。もういいや、終わろう。


わたしは観念して男の最後の攻撃を待っていたが、突然男の笑顔が凍り付いた。男の背後からにゅっとオートマチック拳銃があらわれて、それがそのまま男の頭部に突き付けられたからだ。男はそのまま目だけをぐいっと左へ動かしてこめかみの拳銃と背後の何者かを確認しようとしている。

「隼人!」わたしは驚きと嬉しさの混ざった声を上げた。


「おい、お前も跪けよ。杏奈、遅くなったね。お待たせ」男の背後から抱きかかえるように腕を回して油断なく銃を突き付けたまま、隼人はわたしに軽くウインクした。


「……はは、残念。その武器では俺は倒せないよ……」身を固くしたまま、強気な言葉とは裏腹な気の抜けた声で男は言う。

「わかってる」隼人はあしらうように短く答えた。

「撃ってみるかい? なぁ撃ってみる? 無理なんだよ、無理無理。ほらぁ撃ってみなよお!」

徐々に大きくなる男の声は最後はいらいらしたような絶叫に変わった。

バチン! と男の背後で音がした。男は白目を剥いて膝をつきそのまま前のめりに倒れた。焦げた臭いが漂ってくる。

隼人はすかさず男の首にかかったネックレスを奪い取る。すると男は淡く白い光に包まれた。その光は細かい粒を泡のように放ちながら次第に小さく消えていった。


「あ、それって」男を気絶させたものの正体が隼人の左手に握られていた。銃は牽制のためのおとりで、左手に持ったそれを男の背中に当てていたのだ。

「これ? スタンガンさ」隼人は黒く四角いケースにそれをしまい込んだ。

エントランスの植え込みに置いてあったものだ。


決戦のとき、プレイヤーに武器を選ばせるが、それらは全部ミスリード。『敵』はそのうちの何を使っても倒せない。そう隼人は説明した。


「このゲームは、ただ漠然と進行させてしまうと必ず行き詰まるようになっているんだ。敗北すれば現実に戻される、ただそれだけだからいいと思うだろうが、クリアしたければゲームと現実とのリンクが必要になってくる」

「難しい。わかんない」失血のせいなのか、話がややこしいからなのか、頭が朦朧としてこんな感想しか言えない。

「まあいいよ、とにかくさ。ゲームに完全に意識を持っていかれる前に、ステージがどこかを把握するチャンスがある。把握出来たらその現実の場所にアイテムを用意するんだ。自分で」


つまりこういうことだった。隼人は帰宅しながらゲームを始めていた。進行させていくと『敵』の位置が明らかになってくる。その決戦ステージの近くにに友人から借りたスタンガンを隠しておいてゲームのステージへ持ち込んだというのだ。

「あのスタンガン。わたし見つけたよ……わたしが取らなくて良かったね」

杏奈が取っても何とかなったんじゃないかな、と隼人は笑った。そして少し表情を曇らせてわたしの右腕を見る。「大丈夫?」

「え、うん。やばいかも……でもさ隼人。スタンガンを持っているお友達って何なの? そっちのほうがやばいんじゃないの」

ああ、あいつはそんなんじゃないから。そういう道具を集めるのが趣味でなんというかその、と隼人は気まずそうに苦笑いする。良いお友達だよね、お互いに……わたしは大きく息を吸って立ち上がった。

「お、おい。無理するなって……あっ」隼人は驚いてわたしを支えようとする。わたしの身体が淡く白い光に包まれ始めた。

「……あは。もうだめみたい。なんかね感覚がどんどん失われていくの」目の前の隼人も白っぽく見える。きっとそれはわたしの目が霞み出したからなのだろう。

「ねえ隼人。これってゲームだよね……いまどこにいるの」

「ここにいるじゃないか。あ、そうか。現実の俺はこのビルの近くのファーストフード店にいるよ。俺たちの町から電車で一時間ってとこかな」

「そう……ありがとう。……ねえ、ちょっと試してみたいことがあるんだ。うまくいくかな……」

隼人の胸にもたれかかり顔を近づける。わたしを見つめる隼人の唇へ、自分の唇を近付ける……。


「……杏奈、杏奈起きなさい。学校に遅れますよ」

ドアの向こうから声を掛けられ起こされる。目を覚ますとそこは見なれた自分の部屋。


ベッドの真ん中で、毛布もかけずにそのまま眠っていたらしい。左手にスマートフォンの感触。

真っ黒な画面をしばらく見つめて、起動する。仰向けになったままフリックしてあのゲームを探す。そうだろうと予想していたがそんなゲームはどこにもない。


学校へ行こう! わたしはベッドから跳ね起きた。隼人、まさかとはおもうけど、君はあの教室に行けばちゃんといるんだよね。外は晴れている。わたしたちはどうなんだろう。

元旦から書き始めて、投下出来る形になったのは結局四日を過ぎていました。

年始挨拶の代わりに2ちゃんねる評価スレへ投下しようと思って書いていたのですが、やっぱりやめておきます。

このあとがきのついでに改稿を少し行いました。


読んでくれた皆様有難うございます。本年も宜しくお願い致します。

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