ヴァン3
「モニカ、店主殿!」
「…お?」
クロノティアの王国の宿屋に入るとドレスを着た綺麗な女性に声をかけられる。
長い金髪も、今は下ろしており緩やかなストレート。
騎士の姿の頃は化粧っけもなかったが流石に綺麗に化粧もされている。
…なんというか、印象が本当に変わるなぁ。
今や英雄とも歌われる、口調も性格も硬そうな騎士クレアには見えない。
「わぁ…クレアさん綺麗!」
「モニカにもドレスを用意してあるから着ると良い。貴族の出るパーティーにドレスコードは基本だからな」
それは嬉しいな。
オレの稼ぎが少ないから基本的にモニカは近所の人から譲ってもらった服ばかり来ているし、少しお金があっても気遣いのできる妹様はもっと別の事にお金を使おうと言ってくるのだ。
だから、たまにはオシャレをさせてやりたいと思うのが兄心というか親心というか。
「ど、どうだろうか店主殿。やはり私にドレスに似合わないだろうか?」
「いや、すんごく綺麗だよ。綺麗だけど…クレアさんの雰囲気には合わないかなぁと思うが」
「ちょ、お兄ちゃん!」
「いいんだモニカ。…やはり私は動きやすい服や騎士鎧の方がしっくりくる。むしろそう言ってくれると本当の私を見てくれているみたいで嬉しいな」
クレアさんがドレスの感想を聞いてきたので素直に返事をする。
…気恥ずかしかったから少し捻くれた返事をしたのだが、本人はお気に召したらしい。
そんな会話を見ていたモニカは…なんというか複雑な顔をしていたが。
「それにしても本当によく来てくれた。…私の知り合いは他に誰も来てきれなかったから本当に嬉しい」
「…そうなんですか?」
「家族も、騎士の仲間も貴族と一緒にパーティーだなんて恐れが多いと言ってな…」
「…い、言われてみるとそうですね。なんだか緊張してきちゃいました」
「今更何言ってんだが」
まぁ、普通はそうだよな。
モニカは貴族というのが雲の上の存在だから今まで気にしてなかったみたいだが…まぁ貴族の機嫌をそこねたらどうなるか分からないし普通は来たがらないだろう。
オレは…まぁ周囲によく図太いとか言われる事もあるくらいだし、あんま気にしていなかったが。
むしろ貴族に顔を売れれば商売につながるかも的な?そんな打算にもならない適当な考えでやってきた。
「まぁ貴族もよっぽど機嫌損ねたりしないだろうから大丈夫だろ。向こうからしたらオレ等みたいな平民は逆に雲の下の存在だから馬鹿やっても『これだから庶民は』程度で気にしないと思うぞ」
「…お兄ちゃんって図太いよね」
早速妹にも図太いと言われてしまいました。
まぁ注意するにこした事はないが、気にしすぎる必要もないだろう。
モニカには綺麗なドレスを着てもらって素直にパーティーを楽しんでほしいものだ。
「…と、オレはホテルのチェックインを済ませてくる。モニカはクレアさんとゆっくり話してるといい」
「はーい」
ホテルに入ってすぐにクレアさんに声をかけられたからまだチェックインもしていない。
入り口で会話していたから気づかなかったが…流石王都の宿屋というか。
しかも貴族も参加するようなパーティーの客人として呼ばれた人達が止まる宿屋という事もあって綺麗で広い。
入り口には噴水があったり、喫茶店があったりもするくらい広く…むしろホテルに近い印象だ。
基本的に昔ながらの石造りだが、とにかく盛大だ。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
「ん。この招待状を渡せば話しが通るって聞いたんだけど」
「拝見させていただきます。………はい、確かに。ではお名前だけお伺いしてもよろしいでしょうか」
フロントにいた執事風の黒服を来た40代くらいの男性。
…筋肉が結構ごつく、ただのフロントマンじゃないだろと思わずにいられない。
多分、客人が事件に巻き込まれても対処できるように元傭兵とかを雇っていたりするんじゃないだろうか。
「…そういえば、店主殿の名前をすっかり聞きそびれてしまっていたな。初めて会った時は私も余裕がなかったし、二度目に挨拶に伺った時は忙しく…いや、言い訳だな。騎士として情けない」
「あぁ…気にしないでいいですよクレアさん。お兄ちゃんは失礼の塊みたいなもんですし、ちゃんと自己紹介しないのも悪いです」
…モニカって、本当に失礼な妹だな。
いやまぁ、確かにその通りだしすっかりモニカに世話になってる身としては卑下されてしまっても仕方ないがお兄ちゃん悲しい。
「名前はヴァンで。連れは妹のモニカです」
「ヴァン様とモニカ様ですね、かしこまりました。お部屋はコチラの鍵で。もしクレア様とゆっくりお話しをされるのでしたら喫茶店もおすすめしております」
…ごっつい傭兵みたいなオッサンだけど営業トークはしっかりしているなぁ。
ちなみに今回のパーティーは主催者がオレ達客人をしっかりもてなしてくれるようで、宿屋内の施設は全部タダらしい。
請求は主催者の方に全部行くらしくて…貴族様の懐半端ねぇっすわ。
「…ヴァン殿か。今まで大変世話になっているというのに本当に失礼した。改めて…」
「あぁ、そんなかしこまらないでくれ。というかヴァンっていうのは偽名だし、むしろ店主殿とかで全然かまわないよ」
「…は?」
クレアさんはポカンと間の抜けた顔をする。
まぁ…そうだよな。突然しれっと偽名使ってますと言ったら困惑する。
「オレの名前はすんごく発音し辛い名前でさ。基本的に好きに呼んでもらう事にしてるんだ」
「だ、だからといって偽名まで用意するのか?」
「―――――」
「?」
「オレの名前。発音どころか聞き取るのも困難だろ?」
オレの本名は本当に聞き取りずらい音をしているのだ。
むしろ口パクしてるんじゃないかと疑われるが、ちゃんと口から音を発している。
なのに聞き取るのが困難。
だからオレはヴァンという偽名を使う。
由来とかはまったくなく、名前を必要とされた時に咄嗟に名乗った名前をずっと使ってるだけだ。
「…名前を記入しないといけない場面も多いと思うのだが」
「記入も…まぁ大変な名前でな。頼むからヴァンで済ませてくれ」
その辺の事情を話してもいいんだが…面倒くさい。
隠しているとかそういうワケではないが、オレの生まれについての話しとかをしっかりしないといけなくなるからな。