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第82話 姫と魔王

 それは未だかつて誰も見た事のない、大陸の一つや二つぐらいなら容易く消し飛ばせるほどの規模の超爆発だった。暴風によって波がうねり、砂嵐が吹き荒れ、木々が舞い上がる。遥か上空での爆発にも関わらず、それは地上のありとあらゆる物を損壊させた。

 その爆発を至近距離で受けたベルーゼは、そのまま地上に向かって一直線に吹き飛ばされ、かろうじて原形を保っていたベルーゼ城の外壁を突き破った。その衝撃が止めとなり、城は遂に耐えきれずに全体に亀裂を走らせ始めた。やがてガラガラと音を立てて崩れ、瓦礫となって中に取り残された城主を埋めていく。


「ベルーゼ様ぁぁぁーー!!」


 タオは悲鳴にも似た絶叫を上げ、血相を変えてベルーゼの元へ飛んだ。レオンもすぐに後を追う。

 その様子を、ネイクスは呆然と眺めながら真下の山に着地した。今の爆発によるエルカへのダメージは、当然ながらゼロ。最後の切り札を使ったにも関わらずだ。ネイクスの頭にカッと血が上り、地団駄を踏み鳴らす。


「くっっそおおお!! 何なんだよあいつ! 邪魔すんなよ! くそ! くそ! 弱いくせに! ボクの小指一本分の力もないくせに!」


 ネイクスが、鼻息荒く怒りに身を震わせる。ネイクスの苛立ちが頂点に達したのだ。

 遊びは既に終わっている。本気でエルカを殺したい。なのにいくら手を尽くしても殺せない。またしても……またしても自分の思うようにならなかった。


「……!」


 ネイクスが気配を感じて振り返る。いつの間にか、エルカがすぐ傍に立っていた。ネイクスは、慌てて後ずさり身構える。しかしエルカは攻撃する事はなく、ただネイクスを蔑視するだけだった。


「いい気味ね。あいつを見くびった奴は、最後には必ず痛い目を見るのよ。あいつに止めを刺し損ねたのが、あんたの運の尽きよ」


 ネイクスが、屈辱のあまり拳を思い切り握りしめた。手の平に爪が食い込み、青い血が滴る。ネイクスにとっては取るに足らない雑魚に、ものの見事に一杯食わされたのだ。心中穏やかでいられるはずがない。


「……だから何だって言うんだよ。確かに今のは失敗したさ。でもだったら普通に殺すだけだよ。そっちだってボク以上に満身創痍じゃないか。こんなんで勝ったと思ってるんなら、とんだお笑いぐさだね」


「なら殺してみなさいよ。出来もしないくせに」


 その一言に、遂にネイクスがキレた。雄叫びを上げながら牙を剥き、蛇が蛙を丸飲みにするかのようにエルカに飛びかかる。大鎌を両手で握り締め、上半身を目いっぱい捻り、エルカの首目掛けて渾身のフルスイングを仕掛ける。

 しかし次の瞬間、大鎌が砕け散った。続けて繰り出したヤマタノオロチも、その牙がエルカに届く前に全ての頭が爆散する。最後に突き出したネイクス自身の拳も、エルカの手で完璧に止められていた。


「なっ……!?」


 信じられないという表情を浮かべる。ネイクスにとっては、まるで悪い夢でも見ているかのようだ。だが夢ではない。偶然でもない。今この瞬間、確かにエルカは実力でネイクスを止めた。

 ベルーゼの決死の覚悟は、エルカの心に確かに届いた。それがエルカがネイクスのパワーを上回る、最後の一押しとなったのだ。


「……さあ……死ぬ準備は……出来てるんでしょうねぇ……?」


「うぐ…………う、うあああああーーー!!」


 ネイクスがもう片方の手で魔法を撃とうとした瞬間、ネイクスの視界はエルカの無数の拳で覆い尽くされた。秒間一万発を超えるその拳の弾幕は、ネイクスの体も、心も、全てを打ち砕いていく。

 エルカは打った。さっきの続きだと言わんばかりに、打って打って打ち続けた。脳裏に過ぎるは、ネイクスに殺された者達の顔。ノット、アルマ、フロッグの人々、カゲト、スパーダ、スケ夫、そしてヤドック。自分だけではない、全ての者達の思いをその拳の一発一発に乗せ、エルカは拳を繰り出し続ける。


「グボォッ! あ……ぐぁ……は……」


 エルカがラッシュをピタリと止めると、ネイクスは血反吐を吐きながら、焦点の定まらない目で、フラフラと前後左右に足を出し始める。

 絶好のチャンスだが、エルカは落ち着いて腰を落として右腕を大きく引いた。引いた右腕に左手を添え、強く握りしめる。そして、体全体を纏うソウルファイヤを、右の拳に一点集中し始めた。

 倒れまいと踏ん張っていたネイクスだが、遂に足の力を失って前のめりに倒れ込んだ。エルカは、そのタイミングを狙っていたのだ。


「おおおおぉぉ…………っらあ!!!!」


 最後の一撃。エルカの残る力の全てを乗せた、最大最強の右ストレートがネイクスの胸部をぶち抜いた。衝撃はネイクスの背中を突き抜け、前後から血を噴き出しながら吹っ飛んでいく。

 その先には、円錐形に近い一つの大きな山が、城の近くにそびえ立っている。その頂上にネイクスは落下した。攻撃の反動で激痛が走る肉体に、エルカは更に鞭打ってネイクスを追って駆け出した。



 *



「うぐぐ…………痛い……痛いよ……」


 体中の骨という骨を全て砕かれ、胸に空いた大きな風穴からは、今も血が溢れ出ている。

 因果応報……だが、これでもネイクスが今まで他者に与えてきた苦しみや悲しみに比べれば、まるで足りはしない。もちろんネイクスにはそんな自覚はなく、唯々たった今己の身に降りかかっている理不尽を嘆く。そして生まれて初めて味わう、地獄の苦痛に悶える。


「何で……どうしてボクがこんな目に遭わなきゃいけないんだ……。こんなの非道すぎる。ボクが……一体何をしたって言うんだ。ボクはただ、楽しく遊んでいただけなのに……うぅ……」


 ふと、どこからか熱を感じた。しかしそれはおかしい。山火事になっている山脈地帯は遙か向こうだ。流石にここまで熱が来る事はないはず。

 頭を起こすと、すぐ近くに直径六百メートルぐらいの大きな穴がポッカリと空いていた。更にその穴を覗き込むと、下の方でマグマがぐつぐつと煮えたぎっているのが見えた。

 熱の正体はこれで、そしてここは火山だという事をネイクスはすぐに理解する。そして、もう少し落下地点がズレていたら、下のマグマに沈む事になっていたという事も。それはつまり、まだかろうじて命運は尽きていないという事だ。


「……とにかく、早く身を隠さないと。こんな状態でエルカに見つかったら、今度こそ…………うっ!」


 ネイクスが青ざめた。目が合ってしまったからだ。山肌を一歩一歩踏みしめ、ゆっくりゆっくりと登ってくるエルカと。ネイクスは冷や汗を滝のように流し、震えながら歯をガチガチと鳴らした。

 しかしエルカはネイクスを素通りして、火口の縁に足をかけて中を覗き見る。エルカが今何を思うのか、ネイクスにはさっぱり分からないが、嫌な予感だけは止まることなく膨れあがっていく。


「へえ、ここって火山だったのね。初めて知ったわ。だから城の近くに温泉が湧いてるのかしらね」


 のんきな口調でエルカが呟いた。そしてネイクスに視線を送ると、ネイクスはビクリと体を震わせる。


「安心しな。もう私にあんたを殺しきる力は残ってないわ。正真正銘、あれが私の最後の一撃よ。それでもまだ生きているなんて、ホント恐れ入ったわ」


 安心など出来るはずがない。いくらエルカに力が残っていないからといって、身動きも満足に取れないネイクスを、このまま放置するわけがないからだ。案の定、エルカがネイクスに近寄り、首根っこを掴んで自分の目の高さまで持ち上げた。


「ところであんたさ、炎が好きって言ってたわよね?」


「……!」


「まあ、ちょっと違うけど、似たような物よね? 炎も……マグマもさ」


 エルカの考えが読めた。ネイクスは必死に抵抗するが、全身の骨が折れているせいで芋虫のように体をよじらせる事しか出来ない。魔力も完全に尽きているのだ。


「や、やめろ! ちくしょう、ふざけんな! 離せ! 離せぇぇ!!」


「それが人に物を頼む態度? 躾のなってないお子様だわ。『エルカ様お願いします、助けてください』でしょ? 私だって鬼や悪魔じゃないのよ。あんたの頼み方次第では、助けてやらない事もないのよ」


 ネイクスが目をきつく縛り、奥歯を噛み締める。ネイクスの心を埋め尽くす、屈辱、絶望、そしてどうしようもない程の敗北感。やがて力が抜けたかのように俯き、口を開いた。


「……エ……エルカ様……お願いします。た……助けてください……」


 それを聞いたエルカは、満面の笑みを浮かべた。


「よく出来ました」


 エルカが手を離した。もちろん火口の上でだ。ネイクスの体は重力に従い、マグマに向かって真っ逆さまに落ちていった。


「ぎゃあああああーーーッッ!!!!」


 その絶叫は、ネイクスがマグマに沈むと同時に消えた。万全のネイクスならマグマの熱ごときで死ぬはずがないが、空も飛べないほどに弱りきったネイクスにこれを耐える術はない。

 暫くしてから、マグマから何か黒い物が浮かび上がってきた。それは、肉体という宿主を失ったネイクスの魂だ。風船のようにふわりふわりと火口を昇ってくる。魂がエルカの胸の高さまで来たところで、エルカがそれをふん捕まえた。そして、飛んでいる虫にそうするように、力を込めて握り潰した。


「二度とそのツラ見せんな、クソガキ」


 霧散したネイクスの魂は、やがて空気の中で溶けて無くなった。ネイクスという名の災厄は、この世から完全に消え去ったのだ。もう二度と現世に蘇る事はないだろう。


(……終わった)


 張り詰めていた物がプツリと切れ、エルカは仰向けに大の字になって倒れた。エルカの視界には、いつもと変わらない陰鬱な魔界の空が広がっている。

 ネイクスが死んだ事で、山脈で燃え広がっていた炎は、文字通り魔法のように消え去っていた。しかし、殺された者達はもう戻ってこない。だがそれでもエルカに出来る事は、彼らの無念を晴らす事だけだったのだ。そしてそれを成し遂げた。悔いる事は何も無い。


「エルカーー!」


 視線を下に落とすと、レオンが飛んで向かってきていた。エルカの傍らに着地し、エルカを抱き起こした。そして、今なおマグマが煮えたぎる火口に目を向ける。


「……やったんだな?」


「ええ……楽勝よ」


 こんな強がりを言えるならエルカは大丈夫だと、レオンは胸をなで下ろした。しかしエルカはそんな事よりも、ずっと気になっている事がある。


「レオン。ベルーゼは? あいつは生きてんの?」


 エルカの問いに、レオンは目を逸らして俯いた。


「……意識はまだある。でも、もはや……」


 その言葉だけでエルカは悟った。タオは今頃、僅かに残されたベルーゼとの最期の時を過ごしているのだろう。だが、エルカにもベルーゼに言い残した事がある。


「レオン、肩貸して。私をあいつの所へ」


「ああ。そのつもりで迎えに来たんだ」


 レオンはエルカの傷口が開かないように、慎重にエルカを担いで火山から飛び立った。城はすぐそこだ。といっても、城は既に瓦礫と化していた。

 その瓦礫の傍らに、ベルーゼはいた。タオの膝の上に頭を乗せて仰向けに横たわっている。そして、いつの間にか戻ってきていたタルトや手下達に囲まれていた。手下達は涙を流しながらベルーゼの名を呼び続ける。


「ベルーゼ様……ベルーゼ様ぁ!」

「死なないでくだせぇ、ベルーゼ様!」

「ベルーゼ様がいなかったら、俺たちゃどうやって生きていけばいいんですか!」

「俺の命なんかいらねえ! だから誰か頼む! ベルーゼ様を助けてやってくれ!」

「ベルーゼ様、すんません! 俺らの力が無いばかりに……!」


 この馬鹿共が! ウジウジするな鬱陶しい! いつもならそんな風に叱咤されるのに、もうベルーゼには声を張り上げる力も残っていない。それがますます手下達を悲しみに暮れさせた。

 タオが、戻ってきたエルカとレオンに気付き顔を上げた。タルトや手下達もそれに気付き、声を上げる。

 レオンはエルカに肩を貸したままベルーゼの傍に降り立った。ベルーゼが薄目を開け、エルカと視線を交差させる。


「……ふっ……やはりな。思った通りだ。お前に勝てる者など……この世に存在せん」


「でも、あんたがいなかったら、私は確実に死んでいたわ。まさか最後の最後であんたに助けられるなんてね。ネイクスも悔しがってたわよ」


「やられっぱなしは……性に合わんからな」


 ベルーゼはそう言って自嘲気味に歯を見せた。カゲトとの約束を最低限果たせた事にホッとしたのだ。


「一応礼を言っておくわ。ありがとう、ベルーゼ」


「似合わん言葉を……使うのはよせ。お前はいつも通り……偉そうにふんぞり返ってろ」


 その言葉に、エルカはこめかみの血管をピクリと動かした。


「前言撤回。余計な事すんじゃないわよボケナス。あんたがいなくたって、私一人であんなガキ楽勝なのよ」


 ベルーゼはフッと笑った。それでこそ、自分を最も恐れさせ、自分が最強と認めた女だ。


「エルカ……お前がこの後どうするつもりなのかは……大体察しがつく。達者でな」


「言われるまでもないわ。もし来世で再び出会ったら、またボコボコにしてやるから。覚悟しときな」


 エルカとベルーゼ。お互いに、言い残す事はもう何も無い。二人は決して認めないだろうが、そこには奇妙ではあるが、確かな友情があった。もうこれ以上の言葉は無用だ。

 それよりも、ベルーゼにとって一番の問題は……。


「タオ」


「…………はい」


 死にかけであるベルーゼ以上に、小さくか細い声だ。そんなタオを励ますように、ベルーゼは力強く言葉を繋げる。


「今この時より……お前がBエリアのボスだ。こいつらを……頼んだぞ」


 手下達が再び泣き叫ぶ。皆ベルーゼを恐れていた。しかしそれ以上に敬っていた。こんな時にまで、自分達の事を気にかけてくれるベルーゼを、ここにいる誰もが慕っていた。

 だがそれはベルーゼも同じだ。不甲斐ないボスだった。情けないボスだった。エルカと出会うまで、弱い自分を変えようともせず、自分より弱い人間達を虐げるだけの日々。いつ他のエリアから攻め込まれないかとビクビクしながら過ごす日々。だがそんな自分に愛想を尽かす事なく、最後まで付いてきてくれた手下達に、ベルーゼはこの上ない感謝の念を抱いていたのだ。

 そして……タオは堪えていた。ほんの少しでも気を緩めば、一気に溢れ出てきてしまいそうな涙を、必死で抑えていた。タオは、あの時に言えなかった言葉を思い出した。言うのなら、もう今しかない。タオはありったけの勇気を振り絞り、唇を震わせながら、その思いを口に出した。


「ベルーゼ様……。私は……私は、フライヤさんの代わりになれましたか?」


 思ってもみなかったその言葉に、ベルーゼは少し驚いたような顔を見せた。だが、すぐにからかうように笑った。


「ふっ、馬鹿を言え。フライヤの代わりになど……何人たりともなれはせん」


「……そう……ですか。そうですよね」


 タオが肩を落とす。分かってはいた。自分でも馬鹿なことを聞いたと反省する。いくら目をかけてくれているからといって、自分なんかがたった一人の実の妹の代わりになど、なれるはずがないのだ。しかし後悔はない。答えをはっきり聞けて良かった。タオはそう思う事にした。


「だが……これだけは言える」


「えっ?」


「お前は俺にとって…………最も大切な存在だ」


「……!!」


「タオ……元気でな…………」


「ベ、ベルーゼ……様……」


 ベルーゼは、永く深い眠りについた。いつの日か、こことは違うどこかで、再び目覚める時が来るのかどうか。それは誰にも分からない。はっきりしているのは、ベルーゼが今までに築き上げてきた物は、今確かにここにあるという事だ。エルカも、タオも、レオンも、タルトも、手下達も、ベルーゼの名を生涯忘れる事はないだろう。

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