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第80話 苛立ち

 ネイクスは切り株の上に腰掛け、炎を眺めながらポケットから取り出したキャンディーを舐め始めた。ネイクスにとっては何物にも勝る絶景だ。


「あははは、よく燃えるな~。ちょびっとだけ手間取ったけど、これでゲームクリアだね。あとは残りの二人をやっつけて…………ん?」


 炎の中から勢いよく何かが斜めに飛びだした。それは着地後に地を滑り、地を抉りながらその速度を緩めていく。ネイクスはそれを見て思わず立ち上がった。


「エルカ……!」


 エルカは、全身火傷を負って髪やドレスもボロボロになりながらも、なお力強い魂の輝きを放ち続けている。ゆらりと立ち上がり、ネイクスをキッと睨みつける。


「何勝手に終わらせてんのよクソガキ」


「……」


 ネイクスが咥えていたキャンディーを吐き捨てて、もう一度エルカの全身を観察する。

 ダメージは大きい。それは当然だ。あの業火の中心にいて、無傷で済むはずがない。だがネイクスは、エルカにダメージを与えるためにあの魔法を撃ったのではない。殺すために撃ったのだ。しかし実際には、致命傷とは程遠い。

 ネイクスの心中に苛立ちが募り始める。今までネイクスは、あらゆる事柄を自分の思い通りに進めてきた。子分達は自分には決して逆らわないし、気に入らない相手はすぐに消せる力がネイクスにはある。そのネイクスが本気で殺そうと思って繰り出した攻撃を、エルカは耐えて見せた。自分の思い通りにならない事を、ネイクスは何よりも嫌う。自分が白と言えば黒い物は白になり、黒と言えば白い物は黒になる。それがネイクスにとっての常識なのだ。


「何かイライラするなぁ。何でまだ生きてんの? 特に何か秘策を使ったわけでもない。ボクの裏を掻いたわけでもない。ただ単に脳味噌空っぽのド根性で耐えただけ。それがますます納得いかないよ」


「楽して勝とうとしてるからじゃない? 相手の息の根を止める方法を知らないわけじゃないんでしょ?」


 エルカの挑発的な眼差し。戦況は未だにネイクスが断然有利のはずなのに、ネイクスはまるで自分がやり込められているような不愉快な錯覚を覚える。ネイクスは奥歯を強く噛み締めた後、心を落ち着かせるように小さく息を吐き出す。


「……なるほどね。よーく分かった。ダイナマイトを投げつけるよりも、ナイフで心臓を一突き。そうしろって言いたいんだね?」


 ネイクスの背中から、八匹の大蛇……ヤマタノオロチが出現した。その姿は、ヤドックと戦った時よりも更に大きく禍々しく変貌している。


「瞬殺は諦めるよ。でも、それで後悔するのはエルカの方だよ。もっと楽に殺してもらえば良かったって、必ずそう思う事になる」


「御託は聞き飽きたわ。さっさとかかってきなさいよ」


 ネイクスが砂埃を立てながらエルカに詰め寄り、三匹の大蛇を真上、右上、左上から同時に仕掛けた。エルカがそれをサイドステップで躱した先に、別の二匹の大蛇が待ち受ける。エルカは二匹の上顎を手で押さえつけ、後ろ宙返りをしながらつま先で二匹の下顎を蹴り上げる。間髪入れずに残りの三匹がタイミングをずらしながらエルカに襲いかかる。更に遅れて最初の三匹も加勢する。


「しゃらくさいのよ!!」


 一瞬で繰り出される六連打で、六匹の大蛇が爆ぜた。蹴られた二匹の大蛇も、エルカはその勢いのまま粉砕した。その時、エルカの腹部に衝撃が走る。


「ゴフッ!」


 ネイクスの拳がめり込んでいた。本体であるネイクスも自由に攻撃に加われるのが、ヤマタノオロチの最大の強みだ。


「ははは、オロチに気を取られ過ぎ……ぶっ!?」


 エルカのカウンターのジャブがネイクスの鼻っ柱に叩き入れられる。


「あんたこそ、一発入れただけで油断しすぎ。そんなんじゃ、私を倒しきる事なんて出来ないわよ」


「……!」


 ネイクスの苛立ちが更に増す。またしても思い通りにならなかった。本当なら今頃エルカは、血反吐を吐きながら腹を押さえてうずくまっていたはずだった。なのに何故、逆に自分が殴り返されなければならないのか。

 ネイクスが舌打ちをしてから、後ろに跳んで一旦間合いを置いた。そして右腕を真上に掲げ上げると、赤黒い炎を纏った大鎌が現れた。


「!?」


「それなら、これで確実に刈り取ってあげるよ。その命も、その魂も」


 ネイクスが大鎌を両手で持ち、斜めから振り下ろした。エルカは咄嗟に仰け反ってそれを避ける。しかしネイクスの攻撃は止まらない。前進しながらあらゆる太刀筋で大鎌を繰り出していく。ギリギリで躱しても、それを纏う炎がエルカの皮膚を掠める。その火力は、僅かに皮膚を掠っただけでも、超高熱による激痛がエルカを襲うのだ。


「うぐあっ……!」


 大鎌の刃先が、エルカの肩から脇腹にかけて肉を抉った。動きが鈍ったエルカを、ネイクスはここぞとばかりに容赦なく追撃する。エルカは、自身の体内への大鎌の刃の侵入を次々と許してしまう。かろうじて骨や内臓にまでは至らないものの、その一撃一撃が確実にエルカの肉を削ぎ落とし、エルカを死に近付けていく。エルカは苦し紛れに後方に跳び上がり、岩山の頂上に着地して膝を突いた。


「ハア……ハア……ハア……」


「あっはっはっは。随分苦しそうだねぇ。でもさ、下手に避けるから痛い思いするんだよ。さっさと死んじゃえばいいのに、何で絶対に勝てない戦いにそこまで必死になれるかなあ? あは、あは、あは」


 ネイクスは大鎌を肩に担ぎ、不気味な笑い声を上げた。これだ。敵が跪き、息を切らすこの状況こそが、ネイクスの理想……いや、常識的な光景だ。


「…………あんたには分からないわよ。絶対に勝てる戦いでしかそんな風に笑えないあんたには、永久にね」


 ネイクスが笑いを止めた。眉間に皺を寄せ、先ほどとは打って変わった不愉快な態度を露わにする。


「何だって?」


「私はヤドックの魂を受け継いだ事で、断片的にだけどその記憶も残っているのよ。そして、これだけははっきり覚えているわよ。ヤドックにボコられてた時の、あんたの恐怖に歪んだ無様な顔をね」


「……黙れ」


 ネイクスの瞬間移動。そしてエルカの目の前に現れた直後に、エルカの上半身と下半身を真っ二つにするべく大鎌で薙ぎ払った。しかし、既に添えられていたエルカの左手によってピタリと止められる。


「!?」


「怒りに我を忘れたガキの思考は、実に読みやすいわ」


 左手が焼け爛れていくのも意に介さず、エルカがネイクスの額目掛けて渾身の頭突きを見舞った。エルカは仰け反るネイクスの胸ぐらを掴み、頭を大きく後ろに逸らし、更に頭突きの連打を浴びせる。鉄塊同士がぶつかり合うような轟音が、辺りに何度も何度も鳴り響く。ネイクスの脳が頭の中で激しくバウンドし、瞳の中で火花が飛び散る。


「調子に……乗るな!」


 下から打ち上がる稲妻のようなネイクスのアッパーがエルカの顎を打ち上げ、エルカの体が浮いた一瞬を狙って両手から波動砲を撃ち出した。避ける間など当然なく、エルカはそのままぐんぐんと押し流されていき、ベルーゼ城を突き破って遙か先の山脈に突っ込んで大爆発を起こす。煙の中から、息も絶え絶えにエルカが這い出てきてそのまま倒れ込んだ。


「うくっ……がはっ、ごほっ!」


 全身が引き裂かれるように痛い。目が霞む。息が苦しい。吐き気もする。疲労困憊、満身創痍。

 前回の戦いの傷も癒えきっていない上に、ネイクスの猛攻を食らい続けてきたエルカの体は、もうボロボロだった。いつ倒れても……いや、いつ死んでもおかしくない。ソウルファイヤだって、消えずに残っているのが不思議なぐらいだ。

 生まれて初めて隣り合わせに感じる「死」という概念。サウザンドトーナメント決勝の後も、ここまで近くに感じる事はなかった。ほんの一瞬でも気を抜けば、すぐに「死」に引きずり込まれてしまいそうだ。もはや気力だけで体を支えていると言っても過言ではない。


「……! ちっ、あのクソガキ!」


 エルカが上空に気配を感じて見上げると、ネイクスが自身の周りに無数の巨大な魔法弾を浮かび上がらせていた。


「あは……耐えきれるかなぁ?」


「くっそがあ……!」


 逃げる暇はない。エルカは覚悟を決める。両腕をクロスさせて体を丸め、完全防御の姿勢を取った。ソウルファイヤも全開だ。出し惜しみしている余裕はない。ネイクスが指を鳴らすと、全ての魔法弾が一斉にエルカに向かって風を切り裂いて落ちていく。

 着弾と同時に巻き上がる爆炎、砕け散る山々。大陸全体が、大地震でも起きたように激しく揺れる。その様は正に流星群の墜落であり、この世の終わりをも彷彿させる。

 ネイクスは笑った。今度こそ勝利を確信し、天を仰いで大口を開けて高笑いした。


「あっははははははーーー!! どうだ! どうだどうだどうだ! どうだぁぁ! 今度こそ死んだよね!? ね!? 万全の状態ならともかく、あの死にかけの体でこれを耐えきれるわけが……!」


 爆炎の中からロケットが……いや、エルカがロケットのように猛スピードで飛び出した。そして、ネイクスという的のど真ん中に頭から命中。そのまま宇宙の果てまで飛んでしまいそうな衝撃と共に、ネイクスの胃の中から胃液が逆流する。


「がはぁっ!」


 エルカがネイクスの髪を掴み引き寄せ、下に向けて思い切り蹴り落とした。ネイクスは空中での制御も効かず、自らが作り出した炎の中へ落ちていった。エルカも体勢を立て直しながら、空中を泳いでネイクスの後を追う。

 山脈一帯が山火事となり、エルカが着地した地点の周りも猛るような炎が渦巻いている。エルカは、いちいち飛びそうになる意識を捕まえてネイクスの姿を探す。


「奴は……ハア、ハア、奴はどこへ……」


 どこを見ても炎、炎、炎だ。ネイクスを炎の中へ蹴り落としたのは失策だった。これではいつどこから不意を突いてくるか分からない。

 エルカはそう思い始めたが、その心配は無用だった。後ろに気配を感じて振り返る。うっすらと見える、小さな黒い影。ヨロヨロと弱々しい足取りでエルカの方へ近付いてくる。


「……ふっ、あんたも大分……疲れてきたみたいね。あんたにもスタミナっていう概念がちゃんと存在する事を知って安心したわ」


 奇襲を仕掛ける事もなく、炎の中からネイクスが姿を見せた。しかしその形相からは、今まで見せていた無邪気さや、おちゃらけた態度は一切感じられない。

 ふて腐れているなどという言葉では生温い。怒りや苛立ちを隠そうともせずに、わなわなと震えながらエルカの前に立ち尽くした。いつもと明らかに様子が違うネイクスに、エルカはより一層警戒を強めた。


「……何でだよ」


 ネイクスがポツリと呟いた。


「あ?」


「……何で、何で死なないんだよ。何でこんだけ殴ったり蹴ったり鎌で抉ったり魔法をぶちかましてるのに死なないんだよ! おかしいじゃんか! エルカは人間なんだろ!? 人間なら人間らしく、さっさと壊れちゃえよ!!」


 ネイクスがエルカを指差しながら、聞き分けの悪い駄々っ子のようにわめき散らす。エルカはそれを蔑むでもなく、何か言い返すでもなく、ただジッとネイクスの目を見据えた。

 思い通りにならない事への不満。いつまで経っても倒れないエルカへの不安や恐怖。過去にネイクスを追いつめた者は、神とヤドックの二人だけだ。

 神ならまだ諦めがついた。千年後にリベンジ出来ればそれでいいと開き直れた。ヤドックも、時間さえ稼げば勝てるという確信はあった。

 だが今のエルカに対しては、ネイクスはどうしていいのか本気で分からない。パニックになる思考を落ち着かせる事も出来ず、ただ喚くだけだった。


「さっきも言ったでしょうが。私を殺したかったら大雑把な攻撃なんかせずに、ここかここを確実に潰しなって。そうすりゃ、どう足掻いたって死ぬわよ」


 エルカはそう言って、頭と左胸を指差した。


「ぐ……ぐぐぐ……」


 ネイクスの、奥歯を噛み締めた口の端と、握り締めた拳から青い血が滴り落ちる。


(落ち着け……落ち着け……! 気圧されるな……! こいつだってもうボロボロなんだ。ボクは勝てる。勝てるんだ。パワー、スピード、技、体力、魔力、全てがボクの方が上なんだ。負ける要素なんて何一つないんだ!)


 ネイクスはそう自己暗示をかけ、呼吸を整える。するとようやく気持ちが落ち着いてくる。下を向いてふっと息を吐きだし、ゆっくりとエルカを見上げた。


「……あはは。取り乱して悪かったね。そう、エルカの言う通りさ。頭か心臓を潰せばいい。簡単な事だよね」


(目が覚めたようね。でもこれでいいわ)


 そう、これもエルカの作戦の内だ。頭か心臓を狙わせる……つまり接近戦を挑ませるという事だ。今のエルカの体力では、手の届かない上空から魔法を連発される方が遙かにきつい。ネイクスの魔力よりも自分の体力の方が先に尽きるのは必然だ。

 だが、それでも力負けする可能性は充分にあり得る。余裕があるのはあくまでネイクス。エルカは本当にギリギリなのだ。

 この戦いも、間もなく終焉を迎えるだろう。最後にこの戦場に立っているのは、エルカかネイクスか。決着の時は近い。


(ボクが勝つ……だって、いざとなったら…………あは、あはは、あはははは)


 無邪気ではない。誰にも見せた事のない邪悪そのものの笑みを、ネイクスは初めてその顔に浮かべた。

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