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第79話 灼熱の業火

 エルカとネイクスは、お互いに一歩ずつゆっくりと歩み寄っていく。一歩進むごとに、周囲の空気が弾ける。タオとレオンは、その二人のあまりの威圧感に一言も言葉を発する事が出来ず、ただ息を飲むだけだ。サウザンドトーナメント最終試合の時と比べても、比較にならないぐらいに空気が張り詰めている。

 魔界の運命……そして人間界の運命……。この世の全ての運命が、この戦いにかかっている。エルカがネイクスに敗れれば、今度こそ全てが終わってしまう。今ここでネイクスを倒さなければ、ネイクスを止められる者はもう誰もいないからだ。


「……」


「……」


 腕を伸ばせば手が届く所まで距離が縮まった。お互い睨み合ったまま微動だにしない。不気味なまでの静寂。場違いな微風が吹く音だけが、四人の鼓膜を揺らす。時間にしてほんの数秒だが、タオとレオンにとっては、まるで永遠の時が流れたような錯覚に陥る。

 何の前触れもなく静寂が破られた。エルカがピクリと動いた瞬間、ネイクスのジャブがエルカの顔面に入り、風船が割れたような音が鳴り響く。エルカは二三歩後退るが、尻餅をつく事もなく踏み留まる。

 エルカは血の混じった唾を吐き出した。焦りは見られない。逆にネイクスには、今まで見せていた余裕な態度は見られない。エルカを頭から足まで観察しながら思案する。


(……やっぱりおかしいね。以前とは明らかに違う。たった三日間で、どうしてこれほどまでに強くなったのか。国を滅ぼされ、家族や仲間を殺された怒り…………かな。でも、それだけじゃなさそうだね)


 続けてネイクスが攻める。エルカは防御に徹するが、到底間に合わない。打たれれば隙ができ、隙ができればまた打たれる。これでは反撃する暇などあるはずがない。誰もがそう思った。

 エルカの前蹴りがネイクスの腹部をとらえた。一瞬ネイクスの息が止まる。ネイクスは、吹っ飛びかけた自分の体を空中で制御して止まり、蹴られた腹部を手で押さえる。大したダメージではない。ネイクスも本気ではなかった。とはいえ、想定外の反撃を食らった事もまた事実。ネイクスは思い出す。前回の戦いで、ほんの一瞬ではあるが、エルカに恐怖心を抱いた時の事を。

 今のエルカの潜在能力がどれほどのものなのか、気にならないと言えば嘘になる。しかし、得体のしれない嫌な予感が拭えない。万が一という事もある。ネイクスは、これ以上の戯れは無用と判断する。


(瞬間移動でエルカの背後に回って、心臓を一突き。それで終わりにしよっか。エルカがどんなに強くても、心臓を貫かれて生きていられる人間はいないからね)


 ネイクスがフッと消えた。スピードではないのだ。どんなに目を凝らしても、ネイクスを追えるはずがない。それなのに、エルカの背後から突き出されたその手刀は、エルカの手に掴まれて止まっていた。


「あれ?」


「おらぁ!!」


 エルカのカウンターの右フックがネイクスの頬に炸裂する。ネイクスの首が百八十度捻れ、独楽のようにぐるぐると回転してから地に背を付けた。ネイクスが首だけ後ろを向いたまま身を起こし、頭を両手で掴んで正面に向け直す。


「おかしいな~。エルカには瞬間移動見せるの初めてだよね? 何で見切れたの?」


「逆に聞くけど、何でそんな不完全な技が通用すると思ったわけ?」


「……」


 それはスパーダも目を付けていた、瞬間移動の弱点。移動後に出来る一瞬の隙だ。ネイクス自身もそれは自覚していた。だが、初見でそれを見切るなど、まず不可能だ。やはり何かがおかしい。前回戦った時のエルカとはまるで別人だ。強さもそうだが、その雰囲気も……。


「ねえ…………君、本当にエルカ? そっくりさんってわけじゃないよね?」


「ええ、私は私よ。自分でも信じられないけどね。でも、あんたに全てを破壊されて……自分でも知らなかった新たな一面を見つけたわ」


「へえ、何それ?」


「怒りが頂点に達すると、一周回って頭が冷静になるって事よ。本当はあんたの内臓を全部引きずり出して、バラバラにしてから肥溜めに沈めてやりたいんだけどね。それに反して気持ちの方は妙に冷めてるわ」


「なるほど……それは新発見だね。せっかく新発見したのに悪いけど、すぐに死んでもらうよ。今のはたまたま失敗したけど、それでも形勢は全く変わってないんだからね」


 ネイクスは焦っている。ネイクス自身は気付いていないが、今の発言も焦りから来るものだ。不意を突いて瞬殺するのが無理なら、せめて早くエルカの底を見て、自分よりも劣ると確認して安心したいのだ。だから、形勢は変わっていないなどと挑発した。

 エルカにはまだソウルファイヤが残されている。出し惜しみしてないでさっさと出せ。それがネイクスの本音だ。それを分かっているのかいないのか、要望に応えるかのようにエルカは両足を少し開き、両手を握りしめて息を大きく吸い込んだ。


「…………はっ!」


 爆発音と共に吹き荒れる暴風。そしてエルカの身を纏う魂の炎。タオ、レオン、そしてネイクスはすぐに気付く。その炎の色に異変が起きている事に。


(……黄緑の中に混ざるような、白い炎…………そういう事か)


 謎が解けた。今のエルカには、ヤドックの魂が受け継がれている。短期間での異常なパワーアップはそのためだ。そして、ネイクスは安堵と共にほくそ笑む。


(大丈夫だ……この程度なら、やっぱりまだボクの方が力が上だ)


 以前のネイクスなら、今のエルカの力を持ってすれば充分倒せただろう。だが、力を上げたのはエルカだけではない。エルカに魂を受け渡したヤドックは、皮肉にもネイクスにも多くの事を学ばせてしまっていた。


「ねえレオンさん……エルカ、勝てると思う?」


 タオの問いに、レオンは少し考えてから深刻な表情で答える。


「実際にぶつかってからじゃないとはっきりとは言えないが……多分まだネイクスの方が上だろうね。奴の強さは、まだまだ底が見えない」


「それなら……私達も手伝った方が……」


「タオ、分かってて言ってるだろ」


「……」


 タオは何も言い返せない。そう、もちろん分かっている。この二人の戦いには、自分達が割って入る余地などどこにも存在しない事を。自分達に出来る事は、エルカを信じる事だけだという事を。


「だあっ!」


 エルカが地を強く蹴り、ネイクスに突進する。


(速い!)


 予想を上回るエルカのスピード。ネイクスは間一髪で、その真っ直ぐ突き出された拳打を防御する。続けて繰り出されるアッパーを裏拳で弾き、ハイキックを屈んで躱し、頭上からそのまま振り下ろされるギロチンのような踵落としをバックステップで避ける。流れるようなエルカの連続攻撃だが、ネイクスは一撃たりともその身に入れさせない。その時、レオンが異変に気付き叫んだ。


「エルカ! 囲まれてるぞ!」


「!」


 いつのまにか、エルカの周囲に無数の炎の矢が浮遊していた。その刃先はいずれもエルカに向いている。ネイクスが指を鳴らすと、炎の矢が一斉に放たれた。エルカは即座に左足を軸足にして高速回転を始め、向かってくる全ての矢を拳で叩き落とした。それによって撒き散らされた火の粉が、パラパラと地面に落ちて消えていく。


「へえ、さすが」


 ネイクスは次に五つの手の平サイズの火球を両手に持ち、弄ぶようにジャグリングをし始めた。小さな火球だが、一つ一つにとてつもない魔力が込められている事は明らかだ。


「魔法ってさ、いろいろあるよね。風を起こしたり、物を凍らせたり、雷を落としたり。相手を傷つけるための魔法だけでもいろんな種類がある。エルカは、何か好きな魔法ある?」


 エルカは答えない。くだらない雑談に付き合う気はないのだ。五つだった火球が七つに増えた。更に八つ、九つと増えていく。


「ボクは炎の魔法が一番好きなんだ。何てったって、破壊の象徴だからね。その気になればどんな魔法でも使いこなせるけど、その必要もないからさ。でもそんなボクにも、一つだけ嫌いな炎があるんだ」


 ネイクスが火球の一つを飛ばした。火球はカーブを描きながらエルカに突っ込んでいく。エルカがそれを避けて火球が地面に着弾すると、巨大な炎の竜巻に姿を変えた。


「その魂の炎だよ。理由はボクにもよく分からないんだけどさ、何ていうか目障りなんだよ。見てるとイライラしてくる。ちょっと前まではそんな事なかったのにね」


 更に続けて三つの火球を飛ばす。これも同じように地面に着弾し、新たな炎の竜巻が生まれる。竜巻は周囲にある物全てを巻き上げ、焼却し、エルカを追い回す。


「吹き消すなんて生易しい事はしないよ。そのちっぽけな灯火を、ボクの業火で飲み込んであげるからね!」


 ネイクスが残りの全ての火球を投げ放った。三千度を超える炎の竜巻の群れが凄まじい熱風を撒き散らし、Bエリア全体に吹き荒れる。


「タ、タオ! ここは危険過ぎる! すぐにここから離れるんだ!」


「エルカ……!」


 エルカを心配して動こうとしないタオを、レオンは半ば強引に引っ張って大急ぎで飛び立った。竜巻同士がぶつかり合う度に炎が四方八方に飛び散っているのだ。巻き添えを食えばひとたまりもない。


「ちっ……!」


 エルカは竜巻の間を縫いながら突破口を探す。しかし、どこに行っても竜巻が目の前に現れる。まるで一つ一つに意思が宿っているかのように、エルカを逃がすまいとする。

 滝のように流れ出る汗。こうしているだけでも、熱がどんどんエルカの体力を奪っていく。前後左右全て道を塞がれているのなら、後は上か下か。迷っている暇はない。エルカは地に手を差し入れ、モグラのように地面を掘り進め始めた。


「残念。お見通しだよ」


「!」


 地中から何かが飛び出し、エルカを捕まえて地上に押し戻した。ネイクスは既に火柱の蛇を地中に偲ばせていたのだ。火柱の蛇は、一定の高さまで昇ってからピタリと上昇を止める。しかし、エルカの胴にはしっかりと食いついて離さない。周囲の竜巻は、火柱の蛇とそれに咥えられているエルカを取り囲みながら、じわじわとその距離を縮めていく。


「あはは、まるで生贄に捧げられているみたいだね。いい眺めだからもうちょっと観察したいけど、ボクはもう遊ぶつもりはないんだ。後は地獄でお友達と一緒に遊びなよ。じゃあね~」


「……!」


 全ての竜巻が火柱の蛇ごとエルカを飲み込み、一つに融合して直径数キロ級の超巨大な炎となって燃え盛る。スパーダの自爆をも上回るその光は、太陽の存在しない魔界の空を、昼間のように明るく照らすにも充分な光だった。

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