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第78話 殺処分

 エルカだ。幻でも亡霊でもない。満身創痍ではあるが、確かにエルカがそこにいる。あまりの出来事に、暫くは誰も言葉を発する事が出来なかった。


「……エ、エルカ。君は殺されたんじゃあ……?」


 沈黙を破ったのはレオンだった。エルカはそれには答えず、次々と視線を移して現状確認に努める。次に口を開いたのはネイクスだ。


「あの爆発の中でよく生きてたね、エルカ。さっきスパーダってお兄さんにボクの詰めの甘さを指摘されたけど、ここまで来ると確かに反省する必要があるかもね。殺したと思った相手が二人も生きてたんだからさ。まあ、あのお兄さんは今度こそやっつけたけどね」


「……スパーダが?」


「うん。あと、ベルーゼって人とカゲトって人もね。あっ、でもベルーゼはちゃんと死体確認してないから、まだ分かんないか。多分死んだと思うけど、まあどうでもいいや。流石にあの人が生きてたって何も出来ないだろうし。一応後で見てくるけど」


「……」


 エルカは何も言わずに歩を進めた。その瞳にはネイクスだけが映っている。何か様子がおかしい……タオもレオンもそう感じていた。

 いつものような怒りの感情は、その無表情の顔からは読み取れない。それなのに、近付くどころか声をかける事すら憚れる空気を醸し出している。

 エルカはタオとレオンには目も暮れず、ただ一歩一歩ネイクスに向かってその足を前に出しているだけだ。しかしそれを阻むように、イアーナがエルカの前に立ち塞がった。


「待ちなさい。あなたまさか、またネイクス様に挑もうって言うんじゃあないわよね?」


「……どきな」


「身の程をわきまえなさい。もうネイクス様はあなたなんて眼中にないのよ。どうしてもやると言うのなら、私があなたに引導を渡してあげるわ。ネイクス様、構いませんね?」


 普段はあまり出しゃばった事をしないイアーナだが、エルカが相手となると話は別だ。ましてや、一度はエルカに敗北を喫している。生きてこうして再び現れた今、またとないリベンジのチャンスなのだ。イアーナが必死になるのも当然。そんな様子を見るのもネイクスには愉しいようで、微笑みながら頷いた。


「うん、いいよ。でも負けちゃ駄目だよ。同じ相手に二度も負けるようなペットは要らないからね」


「ご心配なく。今度こそエルカの首をネイクス様に献上して差し上げます」


 イアーナがソウルファイヤを発動させた。イアーナのそれを見るのが初めてのタオとレオンが驚愕する。ただでさえ自分達が足元にも及ばない強さなのに、更に隠し球を持っていたのかと。

 今回は様子見など無意味。イアーナは最初から全力でいくつもりだ。しかし、エルカは動こうとしない。


「何をしているの? あなたもさっさと出しなさい」


「必要ないわ」


「は?」


「雑魚相手に無駄な労力は使ってらんないって言ってんのよ」


 イアーナはエルカの正気を疑わずにはいられなかった。前回の戦いを思い出す限り、ソウルファイヤを発動したイアーナに、素の状態のエルカが勝てるはずがないからだ。ましてや、傷だらけの体で何が出来るというのか。

 ネイクスにやられたショックでおかしくなったか、それともヤケになって、ここには死に場所を求めてやってきただけなのか。


「ああそう。なら勝手にしなさいな。死にたいのなら、さっさと殺してあげる」


 全力のエルカを叩きのめしたいのがイアーナの本音だが、本人にやる気がないのならもうどうでもいい。イアーナは構えも取っていない隙だらけのエルカに向かって、手加減無しの拳を突き出した。

 大砲を発射したような轟音がこだまする。イアーナの体が、くの字に折れる。イアーナの膝がガクガクと震え、一歩、また一歩と後ずさり、腹を押さえて膝を突いた。


「な……なっ……!?」


 込み上げる吐き気を、イアーナは必死で堪える。今何が起きたのか、見る事が出来たのはネイクスだけだった。あの瞬間、イアーナの拳をエルカは瞬時に躱した。イアーナがエルカの残像を突いている間に、エルカは自らの拳をイアーナの腹部に叩き込んだのだ。


「邪魔すんじゃないわよ」


「……!」


 凍り付くようなエルカの目に、イアーナは完全に萎縮してしまっている。たった一撃で、絶対的な実力差を見せつけられてしまった。


「イアーナ」


「っ!」


 イアーナの背後で微笑むネイクスの、何気ない一言にイアーナは身を震わせる。それ以上何も言わずとも、ネイクスの言いたい事をイアーナはすぐに理解した。引く事は許されない。

 イアーナは歯を食いしばりながら立ち上がった。今のは何かの間違いだ。エルカがソウルファイヤを使わないから、無意識に油断してしまっていたのだ。イアーナはそう思い込み、今度こそ集中力を研ぎ澄ませ、再びエルカに攻撃を仕掛けた。

 全身に風を纏い、エルカをすり抜けるように背後に回り、拳先から炎を放出させて後頭部を狙った肘鉄を繰り出す。完璧にとらえた…………はずだった。しかしイアーナが打ち込んだのは、またしてもエルカの残像だ。


「えっ……!?」


 イアーナが背後に殺気を感じると同時に、肩に手を置かれた。止め処なく溢れる冷や汗が鼻や頬を伝う。振り向いた瞬間に死が待っているビジョンしか見えない。


「これが最後の忠告よ。雑魚は引っ込んでな」


 イアーナには分からない。三日前に戦った時は、ほとんど互角だった。それどころか、最後こそやられはしたものの、全体を通してはほぼイアーナが優勢だった。それが何故この短い期間でここまで力の差が出来てしまったのか、イアーナにはいくら考えても分からない。

 タオとレオンにしてもそうだ。エルカは確かに異常なまでに強かった。だが、以前はこれほどの強さを誇っていたか? 否、明らかに以前よりも遙かにパワーアップしている。この短いやり取りだけで分かる。正に異次元の領域だ。

 エルカがイアーナの横をすり抜け、ネイクスに向かって歩き出す。遠のいていくエルカの背中。金縛りに遭ったように動かない体。イアーナは恐怖と屈辱で冷静な判断力を完全に失っていた。


(……はっ! ネ、ネイクス様……)


 エルカの背中越しに見えるネイクスの目。それは今までイアーナに向けた事のないものだった。道端に落ちている石ころを見るような、まるで何の興味も示していないような冷めた眼差し。

 捨てられる……このままでは、ネイクスに捨てられてしまう。それはイアーナにとって、何よりも耐え難いものだった。自分の存在意義の全てを否定されてしまう事に等しい。倒すしかない……何としても、エルカを倒すしかないのだ。


「でやあああああーーー!!」


 イアーナはその思いだけで体を突き動かした。負のイメージを雄叫びで消し飛ばし、猛獣のごとくエルカに背後から襲い掛かる。エルカの首筋に焦点を当てていた視線が、ぐるりと空の方に移り変わる。イアーナはエルカの背面蹴りによって、顎を踵で打ち上げられていた。

 エルカは、蹴られた衝撃でふわりと地を離れるイアーナの胸ぐらを掴み、力の限り地面に投げつけた。受け身を取る暇もなく、一瞬イアーナの息が止まる。地面を大きくバウンドしたその体は、ゴロゴロと転がってネイクスの目の前で止まった。

 全身の骨がバラバラになったような激痛に苛まれ、イアーナは仰向けのまま指一本動かす事も出来ない。雲だけの視界の中に、上からひょっこりとネイクスの顔が出てきた。腰を下ろして両膝に手を置き、イアーナの顔を覗き込んでいる。


「あ~あ、また負けちゃったねイアーナ。言ったよね? 二度も同じ相手に負けるようなペットは要らないって」


 ネイクスはそう言って、白い歯を見せる。しかし、目は笑ってはいなかった。


「ネイクス様……お、お願いします。どうか……どうかもう一度チャンスを……!」


 ネイクスが首を横に振る。


「何度やっても同じだよ。イアーナはエルカには勝てない。元々持っている物が違うんだよ」


「そ……そんな事は……だって私はネイクス様に……」


「言ってなかったけどさ。エルカじゃなくてイアーナをペットとして連れてきたのは、別にイアーナの方が強かったからじゃないんだよ。イアーナは自分がエルカよりも上だから選ばれたんだと勘違いしてたみたいだけどね」


「……!!」


「弱い方を従えて、強い方……つまりエルカと戦わせてみたら、面白いかなぁと思っただけさ。実際、偽りの優越感に浸って勝てもしない相手にウキウキ気分で戦いを挑むイアーナは、見てて凄く面白かったしね」


 魔界最強の存在に認められた…………それはイアーナにとって最大の誇りだった。しかしネイクスの今の言葉によって、それは音を立てて崩れ落ちていく。

 絶望に打ちひしがれるイアーナをよそに、ネイクスは人差し指をイアーナの額に軽く押し当てた。


「でも、それすらももう楽しめそうにないし、もういいや。完全に心が折れちゃったみたいだし、用済みって事で」


 イアーナの目から、涙がボロボロとこぼれ落ちる。それが何の涙なのかもイアーナには分からない。今はもう、ただ一つの事だけを願う。死にたくない……生きたい、と。


「い……や……お願い…………助けて下さい……助けて下さい……助け……」


 ドンッ、という音と共にイアーナの両脚が跳ね上がった。タオは思わず目を背ける。同情の余地などない……そんな事は分かっている。だがそれでも、友人が絶命する瞬間など見たくはなかった。

 ネイクスが指を離して立ち上がる。額には外傷はなかったが、イアーナの瞳からは光が完全に失われていた。

 要らなくなったペットを殺処分した。ネイクスにとっては、ただそれだけの事。そこには一切の情は存在していない。ネイクスはエルカに向き直り、いつも見せるような無邪気な笑顔を見せた。


「さてと。ねえ、エルカ。ボクのペットにならない?」


 まるで何事もなかったかのように、しれっとそんな言葉を口にするネイクスに、タオとレオンは改めて寒気を覚える。邪悪、残虐、非道、冷酷、どれもネイクスのために作られた言葉のようにすら思えてくる。

 エルカは顎に指を当てて、視線を落として考え込む。やがて握り拳をゆっくりと前に出し、ネイクスに向けて中指を立てた。


「死ね。これが答えよ」


「……はあ、また交渉失敗か。ボクって結構嫌われてるんだなぁ」


 ネイクスはしょぼくれた顔で溜め息をつく。無論、白々しい演技だ。

 エルカが考えていたのは、ネイクスのペットになるか否かではない。どうやってこのクソガキをぶち殺すか。今のエルカの頭にあるのは、それだけだ。

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