第77話 希望
ベルーゼが立ち上がり、クスクスと笑いながら見下ろすネイクスをキッと睨みつける。このままでは終われない……終われるはずがない。
「はい、まずは一人っと。弱い割に結構頑張ったね。さて、次はどっちを殺しちゃおうかな?」
ネイクスは、品定めするようにベルーゼとスパーダを交互に見た。しかしネイクスが決めるより先に、ベルーゼが行動を起こしていた。瞬時にネイクスとの間合いを詰め、怒りを乗せた拳を突き出す。ネイクスは避けようともせずに、敢えてそれを食らった。吹っ飛んでいくネイクスをベルーゼが追いかけ、更に追撃する。
「おおおおおお!!」
ベルーゼは攻める。無心で攻め続ける。しかし……拳打も、蹴りも、魔法も、何一つネイクスには通じない。ダメージという概念が、その攻防の中に存在していないかのように。それでもベルーゼは攻撃を止めない。頭では無駄だと分かっていても、心がベルーゼを突き動かす。
「へえ、さっきよりもちょっとだけ強くなってるかな? まだこんな力を秘めてたんだね。まあ、別にどうって事ないけどさ」
ネイクスはベルーゼの攻撃の合間に、茶化すように平手でベルーゼの顔をはたいた。ネイクスは軽くやったつもりでも、ベルーゼの脳は激しく揺れ、頭蓋骨が軋む。口の中には血の味が広がる。その平手打ちを何度食らっても、ベルーゼは引くことをしない。それがネイクスにとってはますます面白い。
「んっ?」
ネイクスは、横から割って入った拳を受け止め、宙返りしながら後方に飛んで距離を取る。見るとそこには、先程まで呆然と立ち尽くしていたスパーダがベルーゼと肩を並べていた。
「何だ、まだやるんだ? やる気無くなっちゃったように見えたんだけど」
「……この男に触発されてな」
スパーダはそう言って、ベルーゼを親指で指した。スパーダの瞳には、そのクールな雰囲気には似合わない闘志の炎が再び燃えたぎっている。だが皮肉にも、それがネイクスをその気にさせるきっかけとなってしまった。
「よく考えたら、サウザンドトーナメントの優勝エリアと準優勝エリアのボス同士のタッグなんだよね。燃えるシチュエーションだ。最後を締めくくるには相応しいよ。ちょっとだけワクワクしてきたかも……」
空気が変わった。ネイクスが瞬間移動でスパーダの懐に入り、腹部に一撃を加える。
「がはっ……!」
ベルーゼがすぐに助太刀に行くが、次の瞬間にはネイクスの肘がベルーゼの顔面に撃ち込まれていた。
ネイクスが更に上空へと舞い上がり、眼下で悶えるベルーゼとスパーダに両手をかざす。二人がハッとなった時には、既に魔法弾が雨のように降り注がれていた。
「ま、まずい! 避けろぉ!」
「くっ……!」
痛みに苦しみながらも二人は魔法弾を避ける。避けるしかない。一発当たりの魔法弾は小粒だが、地に着弾した際の爆発規模を見れば、その破壊力は一目瞭然だ。
「うおあっ!!」
遂にベルーゼの背に着弾した。一発当たってしまえば終わりだ。続いて降り注ぐ魔法弾を躱す余裕などあるはずがない。ベルーゼは次々と魔法弾を撃ち込まれ落下していく。
「ぐあああああーー!!」
魔法弾の集中砲火。当てられる度に体がぐるぐると回転する。自分が上を向いているのか下を向いているのかも、もはやベルーゼには認識できない。ベルーゼがその爆発の中へ飲み込まれていき、姿が見えなくなったところでネイクスがニッコリと笑い、魔法弾の連射を止めた。そして、スパーダに見せ付けるように二本の指を立てる。
「はい、これで二人目。とうとう一人ぼっちになっちゃったねぇ」
「……」
「どうする? まだやる? 降参するなら、その健闘を称えてせめて楽に死なせてあげるけど」
これでもう万が一にも勝算はない。覆しようのない実力差。だがそれでも、スパーダはその闘志を引っ込める事はしなかった。最後まで屈せずに戦う。それが殺された部下達に出来る唯一の手向けだからだ。
だが、万策尽きたわけではない。勝利は出来なくとも、ネイクスを倒す事自体は出来る可能性はたった一つだけ残されている。
「続行だ……行くぞ」
「あっそう。お兄さんの考えてる事はよく分かんないや」
スパーダが五本の指から大量の糸を放出させる。しかしもうネイクスには通用しない。眼前に炎の渦を巻き起こし、糸をまとめて焼き払う。続けて撃つスパーダの魔法弾も、ネイクスは全て弾き飛ばし、逆に懐に入って突きの連打を浴びせる。骨が折れる手応えに、ネイクスはゾクゾクと心を震え踊らせる。
更に続くネイクスの猛攻。着実に死に近付いていくスパーダの命。だが、命などとうに捨てている。問題は、その捨て場所だけだ。
「……ゴフッ」
スパーダの口からこぼれ出る血が落ちていき、地面に青い染みを広げていく。スパーダはもはや空中に留まっているのがやっとだ。
「……どうやら、ここまでのようだな。貴様の勝ちだ。貴様の強さには、感服するしかない」
「えへへ~。やっぱりそう思う?」
「だがそれ故に、その驕りが命取りになるんだ。現に貴様は、俺を一度仕留め損ねている。これがもし俺ではなく、俺よりももっと強い者だったら……どうなっていたかな?」
「……」
ネイクスはスパーダの肩を掴み、もう片方の手で手刀の形を作り、腕を引いて構えた。
「まあ、言いたい事は分かるよ。現に神はボクの魂を消滅し損ねたから、千年後にボクに殺される事になるんだからね。自分より弱い相手でも、止めはしっかりと刺さないといけないね」
ネイクスはスパーダの心臓目掛けて、手刀を真っ直ぐに突き出した。その刹那の瞬間に、スパーダは僅かに体を左にずらし、右の胸の方を貫かせた。そして、引き抜かれまいとネイクスの腕を掴む。
「えっ」
「ただでこの命をくれてやる気など毛頭ない。貴様も道連れだ……!」
「!?」
スパーダの体がまばゆい光に包まれる。それは、スパーダの命の最期の輝き。Bエリアの黒い空全体を真っ白に染める程の大爆発がそこで巻き起こった。凄まじい暴風が吹き荒れ、周囲の雲は吹き飛び、木々は根っこごと巻き上げられ、地表も剥がれ舞い上がる。吹き飛んでいった雲に代わって、爆煙が空を覆い尽くしていく。そして再び、物音一つしない静寂が辺りに訪れた。
「…………ふう。危なかった」
爆煙の中から現れたのは、軽傷を負ったネイクスだった。髪はボサボサで服もボロボロになってはいるが、身体の方は所々から血が少々流れ出ている程度だ。
あの瞬間、ネイクスは危険を感じ、全ての魔力を己の身を守る事に注いだ。流石のネイクスも、あの大爆発を至近距離で生身で受ければ無事では済まない。ネイクスにここまでの危機感を抱かせたのは、この時代では三人目だ。だが結果的には、スパーダの命を賭けた最期の攻撃でも、ネイクスを倒す事は叶わなかった。
「前回と違って、今回は自らの命を魔力に変えて自爆したんだから、流石に今度こそ死んだよね。ボクにここまでの手傷を負わせるなんて、やっぱり凄い人だったよ。子分に欲しかったなぁ……。まあいっか」
これでこちらの方は全滅。イアーナの方はどうなったか。乱れた髪を軽くとかして、ネイクスはベルーゼ城の方へ飛び去っていった。
*
仰向けに倒れて息を切らすタオとレオン。それをゴミを見るような目で見下ろすイアーナ。戦況は一目瞭然だ。一切の勝ち筋も見えてこない。
あまりにも残酷すぎる実力差。タオとレオンは粘っているのではない。イアーナによって生かされているだけに過ぎないのだ。
イアーナが気配に気付き、背後の空を見上げた。そこには、ボロボロの格好で笑顔を向けて飛んできている主の姿があった。イアーナの隣に着地し、ざっと今の状況を見渡す。
「ネイクス様。先ほど物凄い爆発がありましたが……。それに、お怪我をなさっているようで」
「ん? ああ、別に大した事ないよ。それより、まだ終わってなかったの? ボクの方はもう片付いちゃったよ」
その言葉に、タオとレオンは愕然とした。もう片付いた…………それはつまり、ベルーゼとカゲトの死を意味する。
「ベルーゼ様……カゲトさん……嘘……噓だよそんなの……」
「くそ……ちくしょう……!」
分かってはいた。こうなる事は分かってはいたのだ。だがそれでも、いざそれが現実となると、目を背けずにはいられなかった。殺された仲間達の仇を討ちたくても、到底出来そうにない。自分の命すらも守れないのだから。
「申し訳ありません。少々遊びが過ぎました」
「まあ別にいいよ。でも、後はボクがやってもいい?」
「ええ、もちろんです」
イアーナはそう言って一歩下がり、後の始末をネイクスに譲った。ネイクスは軽く舌なめずりをして、このまな板の上の二匹の鯉をどう調理するか思案を始める。
その時だった。突然ネイクスの背後の岩陰から何かが飛びだし、そのままネイクスに襲い掛かった。
「!」
ネイクスは振り返りながら反射的に腕をかざして防御の姿勢を取る。それと同時に、その腕に上から振り下ろされた刀の刃が深々と食い込んだ。
「ス、スケ夫さん!?」
タオが身を起こし、驚きの声を上げた。あのスケ夫がカゲトの刀を持ってネイクスに斬りかかったのだ。驚かないはずがない。スケ夫は刀を引いて、回転しながら横薙ぎの攻撃を仕掛ける。ネイクスは今度は受け止めようとはせず、バックステップでそれを紙一重で躱す。
「……へえ。まだこんな強い人がいたんだ? この大陸も案外馬鹿に出来ないね」
(……奇襲は失敗したでやんすか。仕方ないでやんすね)
スケ夫が再び猛攻を仕掛ける。防戦一方のネイクスはどんどん押し込まれていく。カゲトを遙かに上回る剣速と剣さばきに、端から見ているイアーナも驚きを隠せない。しかし、それ以上に驚いているのはタオだ。
「こ、これは一体……何がどうなっているの? 何であのスケ夫さんがこんなに……」
「タオ、そういえば君は知らなかったんだったな。スケ夫の正体は、千年前のサウザンドトーナメントを制したホーネッツだ」
「ホ、ホーネッツ!?」
レオンの言葉に目を見開いたタオが、再びスケ夫に視線を戻す。スケ夫は以前、エルカに生前について問い詰められた時に、慌てた様子ではぐらかしていたのをタオは思い出した。今更ながらに、その理由を納得する。
「しかし、いくらホーネッツといえど、あのネイクスが相手では……」
そのレオンの言葉を裏付けるように、徐々にネイクスに余裕が出てくる。それに反して、スケ夫の動きは鈍っていく。スタミナ切れだ。最初の奇襲で仕留めきれなかった時点で、既にスケ夫の敗北は決していたのだ。終いには、その刀はネイクスによって片手で止められてしまった。
「くっ!」
「はい残念。でも君、スケルトンとは思えないぐらい強いね。面白いから、ペットにしてあげてもいいよ」
「……死んでも御免被るでやんすよ」
「そっか。じゃあバイバイ」
ネイクスがもう片方の手をスケ夫の肋骨に押し当てると、次の瞬間にスケ夫の全身がバラバラに吹き飛んだ。地面にバウンドした頭蓋骨がゴロゴロと転がり、タオの目の前まで来て止まった。
「スケ夫さん!!」
スケ夫の頭蓋骨を、タオが走り寄って拾い上げる。涙ぐむタオに、スケ夫は力無く笑いかけた。
「……はは……力及ばずでやんす。あっしの意識が残っている内に……タオに、最期に言っておきたい事があるでやんす」
「駄目……駄目だよスケ夫さん。お願い、死なないで……」
最期の言葉なんて聞きたくない。しかし、無情にも残された時間はもう僅かとなっていた。
「短い間だったでやんすが……一緒に働けて楽しかったでやんす。千年以上前からこの世で生きてきたでやんすが…………ベルーゼ様がいて……タオがいて……姫や皆がいて…………この最後の数年間が、あっしの人生の中で……最も充実していたでやんす」
「スケ夫……さん……」
スケ夫の頭蓋骨から、霧のような物が浮かび上がってきた。一度は蘇ったスケ夫の魂だ。それが、今度こそ完全に消滅しようとしている。タオは咄嗟にそれを手で押さえようとするが、当然そんな行為は無意味だった。魂はタオの指の間をすり抜けるように昇っていく。
死んでしまう……皆死んでしまう。エルカも、ヤドックも、ベルーゼも、カゲトも、そしてスケ夫も、皆いなくなってしまう。レオンとタオもすぐに殺されるだろう。そして避難したタルトや手下達、ジャクシーの両親もいずれはネイクスの手によって……。
タオは今にも発狂してしまいそうだった。あまりにも辛すぎる現実から目を背けるには、心を壊すしか方法がない。いっその事、今すぐにでも壊れてしまえばいいのにとすら思った。もう、希望など一欠片も残されていないのだから。
その時、スケ夫が何かに気付いた。その視線は、タオの背後に向いている。そして穏やかに微笑んだ。
「タオ……良かったでやんすね。これでもう……大丈夫でやんすよ。何も心配は……いらないで……やん……す……」
「えっ……?」
スケ夫はそれ以上何も喋らなくなった。その魂は、完全に消えてしまっていた。タオは、残された頭蓋骨をぎゅっと抱きしめた。
タオには、スケ夫が最期の最期に言った言葉の意味が分からない。何が大丈夫だというのか……。ふと、ネイクスとイアーナが自分の背後を見ている事に気付いた。そしてレオンも同じく、タオの後ろを見て驚きの表情を浮かべている。タオもその視線の先を追うように、おそるおそる後ろに振り返った。そこにあった物とは、正真正銘最後の希望の光だった。
「エ…………エルカ……」




