第69話 敗北感
「うおりゃあああーーーッ!!」
「ハアアァァァーーーーッ!!」
さっきまでの数倍のパワーとスピードの拳がぶつかり合う。とてつもない衝撃に、周りの木々は全て吹き飛び、池の水はバケツをひっくり返したように飛び散る。
間髪入れずにマシンガンのような拳の応酬。勝利という名の餌を目の前に、二人の猛獣がありったけの殺意を拳に乗せて突き出す。端から見れば互角に見えるが、徐々にイアーナが優勢になりつつある。その要因は、やはり魔法拳だ。イアーナの拳を纏う魔力はガードしても防ぎきれない。その炎はエルカの筋肉を焼き、その電気はエルカに痺れを与え、その風はエルカの全身を駆け巡り皮膚を切り裂く。
それでもエルカは引かない。目まぐるしい攻防の中で脳をフル回転させ、勝つための最適解を導き出す。しかしどんなルートを辿ろうが、決着までに必ず通らなければならない通過点が一つある。それは……イアーナの顔面に、自分の全力の右ストレートを何としてもぶち込む事だ。そうしなければエルカの気が済まない。
「フッ!」
イアーナの回し蹴りがエルカの脇腹をとらえた。エルカは公園から飛び出し、再び市街地へと戻された。片足で地面を擦りブレーキをかける。
ふと、何か大きな物が宙を舞っているのか視界に入り、エルカが顔を上げた。マンション……一棟の五階建てのマンションが飛んでいる。イアーナが放り投げたのか。何のために?
エルカがそこまで考えたところで、イアーナがそのマンションを追って飛び上がってきた。そして拳を握り、体を捻るように振りかぶる。
「!」
イアーナがマンションに拳を叩き込むと、バラバラの石つぶてとなってエルカに空襲した。しかしこの程度の石つぶてなど、エルカは簡単に叩き落とせるだろう。ただの石つぶてなら……。
「はっ!?」
叩き割った瞬間、エルカの手が凍り付いた。他の石つぶても、エルカにぶつかる度にその部位を次々と凍らせていく。破片一つ一つに、全て氷の魔法が宿っているのだ。
無数の石つぶてはやがてエルカの周囲を広範囲に凍り付かせた。まるでそこだけに氷河期が訪れたかのように。全身を氷で覆われたエルカは全く身動きが取れない。普通の氷なら簡単に砕けるだろうが、これはあくまでイアーナの魔法拳で作られた氷だ。並みであるはずがない。
着地したイアーナが、笑みを浮かべながらエルカに歩み寄る。まるで蜘蛛の巣に捕らえられた哀れな虫を、じわじわと追い詰めるかのように。
「いい気味ね、エルカ。気分はどう? 憎き敵が隙だらけで目の前にいるのに何も出来ない気分は」
(ぐっ……)
「破片には炎や電気を宿らせようかと思ったんだけど、それでは決定打は与えられない。だから敢えてワンクッション置く事にしたのよ。こうして動けなくしてから、私の全力の一撃を叩き込む方が確実だからね」
イアーナが拳を掲げ上げ、魔力を込め始める。それに宿るのは爆発の魔法。この戦いで最大級の魔力だ。イアーナは魔力を溜めながら語り始めた。
「ねえ、エルカ。私達が初めて出会った日の事、覚えてる? 私、あの後考えた事があるの。あの時ヤドック大臣が現れずに、あのまま戦っていたらどうなっていただろうって」
(ふん、そんなの決まってるわ。私が……)
「あなたが勝っていたでしょうね、エルカ」
(……は?)
意外な言葉に、エルカは拍子抜けする。もちろんその言葉を否定する気はないが、てっきり自分が勝っていたと言い出すものかと思ったのだ。
「たったあれだけのやり取りだったけど、私はあなたに劣っていると悟った。私はあなたの強さを実感し、敗北感を味わったわ。私は当時から自分の強さに絶対の自信を持っていただけに、なかなかのショックを受けたわよ。本当……あんな屈辱と挫折は初めてだったわ。その時からずっと思っていた。あなたにだけは、絶対に負けたくないってね」
その時の怒りや悔しさを思い出してか、拳を纏う魔力の波動が一層強まる。エルカは少し驚いた。あの時のイアーナは、そんな素振りは一切見せなかったからだ。しかし実際には、内心ぐつぐつと煮えたぎっていたのだ。シスターのような穏やかな顔の奥には、エルカと同等以上の負けず嫌いの顔があった。
「それから私は一から体を鍛え直したわ。全て独学で、魔法拳も十五歳になる頃には完璧にマスターした。その結果あなたを超え、ネイクス様に選定され、自らの力で六龍の座を勝ち取った。そこから私は更に強くなり、今やその六龍の中でも最強となった。もう、あなたなんて目じゃないのよ」
魔力の充填が完了した。イアーナがその腕を後ろに引き、腰を深く落として構えた。
「自慢話みたいになってごめんなさいね。でも、どうしてもあなたに聞いてほしかったのよ。私の受けた屈辱を知った上で、あなたにはそれ以上の敗北感を味わった上で死んでほしいの」
(……)
「安心して。顔は狙わないわ。本当は顔面を潰してやりたいけど、トーナメント決勝の最後みたいに、あなた何するか分からないからね」
イアーナは視線をエルカの顔から胸部に移す。狙うは心臓。そこを真っ直ぐ突いて貫く。たとえ貫けなくても、魔法拳による爆裂魔法が体内を巡り、その身を粉々に吹き飛ばすだろう。
「じゃあね」
別れの言葉と共に、イアーナが止めの一撃を繰り出す。エルカを封じ込めていた氷を突き破り、核爆弾級の破壊の剛拳が叩き込まれた。
────イアーナの顔面に。
「!!!?」
イアーナの拳は、エルカの胸の数センチ手前で止まっていた。代わりにイアーナの鼻筋から額にかけて、エルカの拳がめり込んでいる。何が起こったのか、イアーナはどうしてこんな事になったのか全く理解できず、その膝が体重を支える力を失い、崩れ落ちるように正面から倒れ込んだ。
「あっ……が……な、何故……」
イアーナが必死の形相で顔を上げる。視界がぼやけて、エルカが何人もいるように見える。ようやく焦点が合った時、エルカは既に氷の中から脱出していた。
「マヌケね……力を溜めていたのが、自分だけだとでも思ってたわけ? しかも、せっかく私を捕らえていた氷も自分の手で破壊してくれちゃって。でも、おかげで助かったわ」
「……!」
確かに、イアーナはエルカに直接攻撃するために氷を突き破った。しかし、その数十センチ先にはエルカの心臓があったのだ。だから、氷が壊されてエルカが自由になったのとほぼ同時に、イアーナの拳が直撃するはずなのだ。
だが実際にはエルカの拳が先にイアーナに届いた。それは何故か。イアーナの拳は氷を打った事で、ほんの僅かにブレーキがかかった。それに対してエルカの拳は、今まで固まっていた所からいきなり解き放たれた事で、バネのように勢いを付けて飛び出した。そのほんの刹那の時間の差が、決定的な違いを結果にもたらしたのだ。
全てを悟ったイアーナが、身を震わせながら唇を強く噛み締める。油断したつもりはなかった。だが、あまりにもエルカの力が想定外過ぎた。あそこまで行ってクロスカウンターを食らうなど、一体誰が予想できるだろうか。
しかしまだ勝負は終わっていない。イアーナは気迫で立ち上がり、再度拳を振り上げた。それと同時に、イアーナの全身を纏っていた魂の炎の輝きが消えた。タイムリミットではない。もはやソウルファイヤを維持するだけの力が、イアーナには残っていなかったのだ。それを確信したエルカもソウルファイヤを解いた。これ以上は無駄なエネルギーの消費でしか無い。
「こんな……こんな事って……!」
「残念だったわね。勝負ありよ」
「嘘よ……信じないわ。今の私が、エルカごときに負けるはずがない! そんな事は、断じてあり得ないのよ!!」
イアーナが半狂乱になってエルカを打った。連打、連打、連打連打連打。だがエルカは微動だにしない。毛ほどもダメージを受けていないのだ。
イアーナが息を切らし、恐怖の眼差しを向けながら後ずさる。それを受けて、エルカはニヤリと笑う。
「何よ、今のなまっちょろいパンチは? パンチってのは、こうやってやるのよ!」
お返しと言わんばかりのエルカのラッシュ。イアーナは為す術なくそれを全弾まともに食らい吹っ飛んだ。弧を描きながら宙を舞い、マネキンのように力無く背中から地面に落ちた。
「うが……はっ……」
「地獄で悔やみな。身の程を知れなかった、自分の愚かさをね」
エルカは倒れているイアーナの元へ歩み寄り、イアーナの頭を踏み潰すべく脚を上げた。
しかし、その脚がピタリと止まる。ただならぬ気配を背後から感じる。よーく身に覚えのある、どす黒い悪意だ。エルカは一旦脚を下ろし、後ろを振り返った。
「隠れてないで出てきな、クソガキ」
「…………あれ? バレちゃった?」
酒樽の後ろから、ネイクスが照れながら姿を現した。エルカの緊張が高まる。
「ボク、隠れんぼ弱いんだよねぇ。子分達とよく隠れんぼするんだけど、いっつもすぐに見つかっちゃうんだ」
当然だ。ネイクスの周囲の空気だけ、明らかに異質なのだから。ネイクスがどんなにそれを消そうとしても消しきれない。今までエルカが気付かなかったのは、イアーナとの戦いに集中していたからに過ぎない。
「まあいいや。それより、エルカの戦いぶり観てたよ。イアーナをやっつけるなんて、ボクが思っていた以上に強かったんだね」
「ご自慢のペットがやられたってのに、随分愉しそうね」
「別にどっちが勝っても良かったんだよ。イアーナが勝てばエルカは所詮それまでだったってだけだし、イアーナが負ければボクがエルカと遊ぶだけだからね」
結局ネイクス一人が愉しむために踊らされていた。エルカは、怒りで我を忘れそうになる理性を必死で捕まえる。
「へえ……そんなら、今度こそあんた自らが相手してくれるわけ? それとも、またお楽しみは最後とか言って、尻尾を巻いて逃げる気?」
「あはは、そんな挑発しなくてもいいよ。今ここで遊んでもらうから」
また空気が変わった。凄まじい重圧がエルカを襲う。しかし、もうエルカは恐れない。何としても、ネイクスをこの場で倒す。心を奮い立たせ、恐怖という名の不要物を排除する。
「最初はそんなつもりじゃなかったんだけどさ。でも、二人の戦いを観てたらテンション上がっちゃってね。それに、ついさっきSエリアで体温めてきたばっかだし」
「……何ですって?」
「あのスパーダっていう人、流石になかなか強かったよ。でもエルカはもっと楽しませてくれるんだよね?」
その言葉の意味を、皆まで聞かずともエルカは理解する。スパーダですら、ネイクスには敵わなかった。走る戦慄……だが、それでも引くわけにはいかない。エルカの体は再び黄緑色の炎に包まれた。




