第67話 下克上
「はい皆ちゅうも~く。彼女は今日からボクのペットになったイアーナだよ。人間だけど、とっても強いんだ。皆仲良くしてあげてね!」
Nエリア某所。風の音と、沼がポコポコと泡立つ音だけが聞こえる、静寂な場所だ。
ネイクス軍幹部『六龍』……そのメンバーである、アナンダ、マシム、ゴフラ、パイソン、ボア、ブーハが一列に並び、ネイクスとイアーナの前に直立していた。
人間という脆弱な種族を蔑視している彼らにとって、イアーナは歓迎できたものではない。しかし、いつものネイクスの戯れだと、特に深く気に止める者はいなかった。興味なさげに、形式的にイアーナに小さな拍手を送る。
しかし、イアーナは逆に六人に興味津々だった。夢にまで見た魔界。そして魔族、魔物。ネイクスが自分を迎えに来た時も、この上ない高揚感と幸福感を得られたが、今この瞬間も胸の高鳴りを抑えずにはいられない。夢ではない、今確かに自分は魔界にいるのだと。
そして、気になる点はもう一つ。この六龍という肩書きだ。ネイクスが直々に選びし、ネイクス軍の最強の戦闘集団。対して今の自分はただのペット……それは大いに結構。だが、よりネイクスに近い位置に付きたい。イアーナは当然のようにそう思った。
「ネイクス様。いきなりで申し訳ありませんが、一つお願い事があります」
「ん? なあに?」
「私も、この六龍に加えていただけないでしょうか?」
一瞬空気が張り詰めた。ネイクスではない。六龍の何人かが僅かに発した殺気だ。
「おい女、自分の立場をわきまえろ。お前はネイクス様のペットなんだよ。それ以上でも以下でもない。人間風情が、軽々しくネイクス様に口を利いてるんじゃあない」
ブーハが眉間に皺を寄せて言った。イアーナはブーハに一瞬視線を移し、それを無視するように再びネイクスに向き直り跪く。
「厚かましい申し出である事は重々承知の上です。ですが、何とかご一考頂けないでしょうか」
「うーん……て言っても、もう六龍って名前付けてから大分経つしなぁ。六龍なのに七人いても変だし、今更改名するのも……あっ、そうだ!」
ネイクスが何かを思い付いたように、拳を手の平の上でポンと叩いた。
「じゃあさ、六龍の誰か一人を倒せたら、イアーナをその一人の代わりに入れてあげるよ。ね?」
ネイクスのその言葉に、ゴフラが気色ばんで前に出た。
「ネ、ネイクス様本気ですか!? そいつは人間ですよ!? 人間を誇り高き六龍の一員にするなど……!」
「……えっ? 駄目なの?」
何気ないネイクスの一言に、ゴフラの心臓は凍り付いた。滝のように流れ落ちる汗に釣られるように、その場に片膝をついた。
「い、いえ……申し訳ありません。こ、こ、言葉が過ぎました……」
ネイクスはニコリと笑い、それ以上は何も言わなかった。もし、あと一言でも言葉を繋いでいたら、イアーナと入れ替わるのは自動的にゴフラになっていただろう。ネイクスは他の六龍のメンバーを見回す。
「誰かいない? イアーナの試験に付き合ってくれる人は。立候補がいなければ、ボクが勝手に決めちゃうよ」
「いえ、俺がやります」
そう言って前に出たのは、先ほど口を挟んだブーハだった。ネイクスはもう一度笑い、二人の邪魔にならないように後ろに下がり始めた。他の六龍達もそれに倣って一定の距離を取り、イアーナとブーハが向かい合う。
「ネイクス様、一つだけ確認させて下さい。この女は、私を殺して六龍に入ろうとしています。ならば当然、それを返り討ちにする俺がこの女を殺してしまっても、問題はありませんね?」
「うん、いいよ。もしイアーナが死んじゃっても、人間界にもう一人ペット候補がいるから。その時にはそっちを迎えに行くよ」
エルカの名がイアーナの脳裏に過ぎる。冗談じゃない。エルカにこの座を渡すわけにはいかない。必ずこの男を倒し、最後にはネイクスの右腕となる。イアーナはそう決意し、構えを取った。
ブーハが右腕を前に上げるとその手の中から、蛇を象った金属が巻かれている禍々しい槍が出現した。槍と徒手空拳……この時点で既にイアーナに不利がついている。リーチの差はもちろんのこと、まともにかち合えば一方的にダメージを受けてしまうだろう。それでもイアーナは一歩も引く気はない。
「二人とも準備できた? んじゃ、始め~」
気の抜けるようなネイクスの開始宣言とは裏腹に、二人の顔は真剣そのものだ。ブーハは槍を構えたまま動かず、イアーナはじりじりと少しずつ間合いを詰めていく。
「……ハッ!」
スライディングのように滑りながら、足元を狙ってキックを繰り出す。ブーハはそれを槍で薙ぎ払おうとするが、その直前でイアーナが跳び上がり、頭部を狙ったハイキックに瞬時に切り替える。
「甘い!」
イアーナのみぞおちに槍の柄が深くめり込む。刃をやり過ごした時点で、柄の事はイアーナの頭から抜けていたのだ。
「うっ……」
苦痛に顔を歪めるイアーナを、ブーハが追撃する。槍による連続突きを繰り出し、イアーナは咄嗟に後ろに跳んで致命傷を避ける。それでも完璧には避けきれず、数ヶ所の刺し傷から血が滲み出る。
再度イアーナが仕掛ける。フェイントを混ぜながら拳を突き出し、緩急のある蹴りも同時に繰り出すが、ブーハには全て見透かされている。槍による横払いのカウンターを受け、イアーナの腹部に横一線に深い傷が出来上がる。
傷を押さえ、膝を突くイアーナ。その様子を見て、他の六龍達は嘲笑しながら小声で話し始める。
「ふん、まるで素人だな。人間にしてはなかなかやるようだが、あの程度では我ら六龍の足元にも及ばない」
「そうですね。馬鹿な欲をださずにペットに甘んじていれば、もう少し長生きできたでしょうに。才はあるだけに、実にもったいない」
「うひょー、痛そうだねぇ~。怖い怖い」
そんな言葉が耳に入っているのかいないのか、イアーナが息を切らしながら立ち上がった。ふらつきながらも、足は前に前に進み続ける。既に勝負は見えているが、ブーハは決して気を緩めない。
ブーハの槍がイアーナを攻め立てる。イアーナは致命傷を避けるのが精一杯だ。避けていても浅い傷が増え続け、攻めればカウンターで深い傷ができる。もはや殺されるのは時間の問題だ。
(……? 何だ?)
ブーハが違和感を覚え始める。ブーハだけではない。他の六龍も、ネイクスも同じだ。少しずつだが、イアーナの動きにキレが増してきている。さっきまでの、身体能力に頼り切った素人丸出しの動きとはまるで別人のように。
遂にイアーナの拳がブーハの頬を掠った。その瞬間、ブーハは頬に僅かな痺れを感じた。その正体は判らないが、いよいよ本格的に危機感を感じ始める。だが逆にブーハの槍は、イアーナに当たらなくなってきた。
「ちっ、人間風情が……図に乗るな!」
「!」
一瞬の隙を突き、ブーハが前に踏み出す。イアーナの拳が空を切り、ブーハの槍はイアーナの腹部を貫き、背中から赤い血を纏いながら顔を出した。
二人の動きが時間が止まったように制止する。決まった……誰もがそう思った。しかしイアーナは、口からおびただしい量の血を吐きながらも、不敵に笑っていた。
ブーハがハッとなった瞬間、無数の拳打がブーハを襲う。それを食らったブーハは、槍をイアーナの体に残したまま、遙か後方にぶっ飛んでいく。そして、大木に背を打ち付けてようやく止まった。
「くっ……ちと油断した。まさかあんな力が残っていたとはな。だが、もはやこれまで…………むっ!?」
突如、ブーハの体が火だるまと化した。その気になればすぐに消し飛ばせる程度の火力だが、全く予想していなかった事態にブーハの対応が大幅に遅れる。
イアーナは槍を自分の体内から引き抜き、その火だるまの頂点に照準を定める。振りかぶり、そして思い切り投げた。ミサイルのように発射されたその槍は、寸分の狂いもなく眉間を貫き、ブーハの頭は大木に張り付けにされた。ブーハの火が燃え移り、炎上する大木。それはバキバキと音を立てながら倒れ、ブーハと共に灰となっていく。
まさかの大逆転劇に、六龍達から驚嘆の声が上がる。イアーナは出血を続ける体など意に介さず、ネイクスに向き直り跪いた。ネイクスはそれに笑顔で応える。
「おめでとう、イアーナ。今からイアーナがブーハの代わりに六龍名乗っていいからね」
「光栄の至りです」
「でもそうなると、ボクのペットがいなくなっちゃうんだよなぁ。やっぱりあっちの姫も連れてこなきゃ駄目か~」
イアーナが首を横に振る。
「その必要はありません、ネイクス様。私の事は、これまでと変わらずペットとして扱って頂いて結構です」
「ペット兼六龍って事? まあ、イアーナがそれでいいならいっか。じゃあ、それでよろしく」
「はい……ありがとうございま……す……」
イアーナが遂に力尽きて倒れた。常人ならとっくに死んでいる出血量だ。イアーナといえど、このまま放っておけば確実に死に至るだろう。
「パイソ~ン。イアーナを手当てしてあげて」
「あっ、は、はい!」
薄れゆく意識の中イアーナが思う事は、これでようやくスタートラインに立てたという事だけだった。慢心や優越感などはまだ持ち合わせてはいけない。むしろ今回の戦いで、自分の力不足や経験不足を痛感させられた。もっと強くならなければ……イアーナはそう誓った後ゆっくりと目を閉じ、今はただ闇へと身を委ね、疲れ切った体の休息を求めた。




